石の世界に祝福を   作:stein0630

11 / 20
第11話 石になる船

 

 

 島の森は、静かすぎた。

 

 千空は、草の陰に身を沈めていた。隣にゲン、少し前にコハク、さらに奥にソユーズ。

 

 海の方角では、ペルセウスが見える。

 

 だが、いつもの活気がない。

 

 帆は揺れている。船体も沈んではいない。けれど、甲板の動きが少なすぎる。

 

「嫌な感じだね」 「言うな」

 

 千空は短く返した。

 

 その時、森の向こうで女の声がした。

 

「あなたたち、外から来た人?」

 

 全員が動きを止める。

 

 草陰から現れたのは、島の少女だった。年は千空たちと近い。身のこなしは軽く、こちらを怯えながらも見定めている。

 

 ゲンが即座に笑みを作る。

 

「いやぁ、迷子って言ったら信じてくれる?」

 

「信じない」

 

「ですよねー」

 

 少女は海を見た。

 

 ペルセウスの方を。

 

「あなたたちの船、見られてる。イバラ様の兵に」

 

 千空の目が鋭くなる。

 

「イバラ?」

 

「この島を動かしてる人。頭首様の側にいる大臣」

 

 ソユーズが頭を押さえた。

 

「……その名前、知ってる……気がする」

 

 少女は、さらに声を落とした。

 

「早く隠れて。キリサメ様が動いたら、船の人たちは石にされる」

 

 コハクが息を呑む。

 

「石にする武器か」

 

「あるのか。やっぱり」

 

 千空は歯を食いしばった。

 

 少女は頷く。

 

「逃げようとした人たちも、昔、それで石にされた。私はアマリリス。あなたたちがあの船の仲間なら、もう時間がない」

 

 その瞬間、海の上で光が生まれた。

 

 小さな緑の点。

 

 次の瞬間、輪になって広がる。

 

 千空の顔から血の気が引いた。

 

「伏せろ――」

 

 声は、森の中で消えた。

 

 光は、島ではなく、海上のペルセウスへ向かっていた。

 

   *

 

 その少し前。

 

 ペルセウスの甲板では、龍水が海岸を睨んでいた。

 

 小舟がまた出ている。

 

 前回とは違う。

 

 数が多い。

 

 槍を持つ男たち。指示を飛ばす者。岸の高台に立つ女。手にしているのは、小さな何か。

 

 龍水は叫んだ。

 

「全員、警戒!」

 

 クロムが通信機へ走る。

 

「千空に連絡――くそ、繋がらねえ!」

 

 大樹は甲板の中央へ出た。

 

「俺が前に立つ!」

 

「馬鹿、石化武器相手に盾は意味ねえ!」

 

 クロムが叫ぶ。

 

 フランソワは食料庫を閉め、律は医療道具を掴む。

 

 隔離室では、ボンドルドが縄で拘束されたまま座っていた。

 

 見張りの一人が扉の外で震えている。

 

 ボンドルドは言った。

 

「甲板が騒がしいですね」

 

「黙ってろ」

 

「石化武器が来ますか」

 

「黙れって言ってるだろ!」

 

「ならば、私を甲板に出した方がよい」

 

 見張りは歯を食いしばる。

 

「誰が出すか!」

 

「観測が必要です。範囲、速度、遮蔽効果、距離指定の有無。次に生き残るために」

 

「お前は、また実験したいだけだろ!」

 

「はい」

 

 即答。

 

 見張りが絶句する。

 

 ボンドルドは静かに続けた。

 

「そして、生き残るためでもあります」

 

 その時、船上から龍水の声が響いた。

 

「全員伏せろ!」

 

 緑の光が、船を呑んだ。

 

   *

 

 光は音を立てなかった。

 

 熱もない。

 

 ただ、世界の状態だけが変わった。

 

 叫びかけた船員が石になる。

 

 縄を握った手が石になる。

 

 走り出した足が石になる。

 

 大樹は甲板の中央で、誰かを庇う姿勢のまま固まった。

 

 クロムは通信機へ手を伸ばしたまま。

 

 龍水は舵の横で、歯を見せて笑ったまま。

 

 フランソワは水樽の封を守るように立ったまま。

 

 律は医療鞄を抱えたまま。

 

 ペルセウスは、一瞬で石の船になった。

 

 完全な沈黙。

 

 波の音だけが残った。

 

 島の小舟が近づいてくる。

 

 先頭の老人――イバラは、船を見上げて口元を歪めた。

 

「ほう。なかなか大きな船じゃないか」

 

 隣の戦士が言う。

 

「頭首様へ報告を」

 

「もちろんだよ。だが、その前に中を見る。外から来た連中が何を持っているのか、知らないとね」

 

 島の兵たちが船に乗り込んだ。

 

 石化した乗組員を見て、笑う者もいた。怯える者もいた。

 

 その時、船底の方から、かすかな音がした。

 

 滴。

 

 滴。

 

 石になったはずの船の中で、水音がする。

 

 イバラの目が細くなる。

 

「何だい?」

 

 兵たちは隔離室へ向かった。

 

 扉は内側から閉じていない。見張りの男も石になっている。扉の前で倒れるように固まり、片手は取っ手にかかっていた。

 

 イバラが顎で合図する。

 

 兵が扉を開ける。

 

 中に、石像があった。

 

 黒と濃紺の装甲をまとった、異形の仮面の男。

 

 縄で縛られたまま石化している。

 

 だが、その首元だけが濡れていた。

 

 装甲の襟の裏から、細い管が伸びている。

 

 管の先から、透明な液が一滴ずつ落ちていた。

 

 石化した喉元へ。

 

 そして、石が割れた。

 

 まず喉。

 

 次に口元。

 

 仮面の下で、声が戻る。

 

「……観測、完了」

 

 兵たちが悲鳴を上げて後ずさった。

 

 イバラの顔から笑みが消える。

 

 石像が喋った。

 

 体は石のまま。腕も脚も石。だが、首から上と右肩の一部だけが、ゆっくり戻っている。

 

 ボンドルドは、拘束された姿勢のまま、穏やかに言った。

 

「はじめまして。あなたが、この島の実質的な支配者ですか」

 

 イバラは目を細めた。

 

「……何者だ、お前」

 

「ボンドルドと申します」

 

 石化した身体のまま、彼は礼をしたつもりのように、わずかに仮面を傾けた。

 

「素晴らしい装置をお持ちですね」

 

   *

 

 イバラは、すぐに理解した。

 

 この男は普通ではない。

 

 石化の光を浴びた。

 

 それなのに、自分で解除し始めている。

 

 しかも、慌てていない。

 

 恐れていない。

 

 興奮している。

 

「その液は何だい?」

 

 イバラが聞く。

 

「石化解除液です。ただし、ごく微量。全身解除には足りません」

 

「そんなものを隠していたのか」

 

「はい」

 

 即答だった。

 

「仲間にも内緒で?」

 

「はい」

 

 イバラは笑った。

 

「いいねえ。お前、裏切り者か」

 

「評価によります」

 

「仲間に黙って、石化に備えていた。十分じゃないか」

 

「私は、観測者です」

 

 ボンドルドは静かに言った。

 

「石化技術を前にして、完全に無防備でいるのは非科学的です」

 

 イバラは近づいた。

 

 兵たちは怯えている。

 

 だが、イバラだけは違った。

 

 利用価値を見ている。

 

「お前は、その解除液を作れるのか?」

 

「私一人では不十分です」

 

「誰が作れる」

 

「千空さんです」

 

 イバラの目が動く。

 

「千空?」

 

「この船の科学者。今は島にいます」

 

 兵の一人が声を上げる。

 

「島に侵入者がいる!」

 

 イバラは舌打ちしそうになったが、すぐに笑みに戻した。

 

「なるほどねえ。で、お前はその千空の仲間か?」

 

 ボンドルドは、少し沈黙した。

 

「協力者でした」

 

「でした?」

 

「今は拘束されています」

 

 イバラは楽しそうに笑った。

 

「嫌われたのかい」

 

「石化武器を観測するために、彼らの安全を一部危険に晒しました」

 

「それはそれは」

 

 イバラの笑みが深くなる。

 

「いい性格だ」

 

「ありがとうございます」

 

「褒めてはいないよ」

 

「よく言われます」

 

 イバラは、石化したボンドルドの身体を杖で軽く叩いた。

 

「このまま砕いたら死ぬのか?」

 

「おそらく」

 

「解除液をもっとかければ戻るのか?」

 

「戻る可能性が高い」

 

「戻してほしいかい?」

 

「必要なら」

 

「命乞いはしないのか?」

 

「交渉の方が有効です」

 

 イバラは笑った。

 

「何を差し出す?」

 

 ボンドルドは答えた。

 

「情報を」

 

「船の?」

 

「船、復活液、千空さん、科学王国、そしてあなた方の石化装置に関する仮説」

 

 兵たちがざわめく。

 

 イバラは目を細めた。

 

「代わりに何を望む」

 

「石化装置を見せてください」

 

 空気が止まった。

 

 イバラの笑みが消える。

 

 ボンドルドは続けた。

 

「触れさせていただければ、なお良い」

 

「図々しいねえ」

 

「もちろん、対価は払います」

 

「何の対価だ」

 

「あなたがまだ知らない、この船の価値です」

 

 ボンドルドは、石化した身体のまま、静かに言った。

 

「この船を壊してはいけません。あなたが本当に支配者でありたいなら、これは武器ではなく、王座になります」

 

   *

 

 その頃、島の森。

 

 千空たちは、アマリリスの案内で岩陰に隠れていた。

 

 海の光は見えた。

 

 ペルセウスが石化されたことも、ほぼ確実だった。

 

 ゲンは顔を青くしている。

 

「船、終わった?」

 

「沈んではいない」

 

 千空は言った。

 

「石化なら復活できる。壊されなきゃな」

 

 コハクが拳を握る。

 

「だが、敵に押さえられた」

 

「そうだ」

 

 アマリリスは、震える声で言う。

 

「イバラは、外から来たものを放っておかない。あの船も、人も、全部奪う」

 

「なら奪い返す」

 

 千空は即答した。

 

 ソユーズは、まだ頭を抱えている。

 

「イバラ……頭首……石化……父……」

 

 記憶が、少しずつ戻りかけていた。

 

 アマリリスは千空たちを見た。

 

「私も、イバラを倒したい。五年前、友達が逃げようとして石にされた。キリサメ様が石化の武器を持ってる。でも、本当に命令してるのはイバラ」

 

 ゲンが息を吐く。

 

「島内クーデターに外部勢力が絡む感じね。難易度高いなぁ」

 

「単純だ」

 

 千空は言った。

 

「石化武器を奪う。白金を取る。船を取り返す」

 

「単純の意味、辞書と違うんだよね」

 

 コハクが海を見た。

 

「船には、ボンドルドがいる」

 

 千空の表情が変わった。

 

「……そうだ」

 

「奴が敵に渡れば、厄介だ」

 

「厄介どころじゃねえ」

 

 千空は歯を食いしばった。

 

「あいつは石化武器を見たがってた。敵に捕まったら、命乞いじゃなく交渉する」

 

 ゲンの顔が引きつる。

 

「しかも、交渉材料は俺たちの情報?」

 

「百億パーあり得る」

 

 アマリリスが困惑する。

 

「仲間じゃないの?」

 

 誰もすぐに答えられなかった。

 

 コハクが低く言う。

 

「協力者ではある」

 

 ゲンが続ける。

 

「味方かっていうと、だいぶ怪しい」

 

 千空は言った。

 

「科学を進めるためなら、敵にもなる男だ」

 

 アマリリスは小さく震えた。

 

「それ、イバラより危ないんじゃないの?」

 

 千空は海を見た。

 

「使える分、危ない」

 

   *

 

 ペルセウス船内。

 

 イバラはボンドルドの前に椅子を置かせた。

 

 石化した乗組員たちは甲板に並べられている。島の兵たちは船内を漁り、道具を運び出そうとしている。

 

 ボンドルドは、まだ完全には戻っていない。

 

 首、肩、右手の一部。

 

 それだけで十分だった。

 

 イバラは言った。

 

「お前の言う船の価値とやらを話せ」

 

「この船は長距離航海が可能です。油を燃料にし、食料と水を積み、通信機を持つ。あなたの島の外へ出られる」

 

「外へ?」

 

「はい」

 

「外なんて、石の世界だろう」

 

「石の世界だからこそ、支配できます」

 

 イバラの目が光った。

 

 ボンドルドは続ける。

 

「あなたが石化装置を持ち、この船を持ち、復活液の製法を得れば、外の石化人類を選んで復活させられる。労働力、知識、兵力、技術者。島の中だけで支配者でいる必要はなくなります」

 

 イバラは黙った。

 

 兵たちも黙った。

 

 それは、悪魔のような提案だった。

 

 そして、支配者にとっては甘すぎる提案だった。

 

「お前は、仲間を売る気かい」

 

「私は可能性を提示しています」

 

「千空とやらが復活液を作れるんだな」

 

「はい」

 

「捕まえればいい」

 

「容易ではありません」

 

「なぜだ」

 

「彼は、私より危険です」

 

 イバラは初めて、明らかに驚いた。

 

「お前より?」

 

「はい」

 

 ボンドルドは迷いなく言った。

 

「彼は、人を救うためなら、私のような者すら使います。あなたが彼を軽視すれば、この船も、装置も、島も失うでしょう」

 

 イバラは笑った。

 

「面白い。お前は千空を売ってるのか、褒めてるのか」

 

「観察結果です」

 

「で、お前はどちらにつく」

 

 ボンドルドは、少しだけ黙った。

 

「石化装置をより深く理解できる側に」

 

 イバラは、ゆっくり笑った。

 

「正直でいい」

 

「ただし、条件があります」

 

「まだあるのかい」

 

「石化した船員を砕かないこと。特に千空さんの仲間は」

 

「なぜだ。情でもあるのかい」

 

「彼らは復活可能な資源です。壊せば価値を失います」

 

 イバラは声を上げて笑った。

 

「お前、本当に最低だな」

 

「よく言われます」

 

 その時、船室の外で兵が叫んだ。

 

「イバラ様! 妙な荷車のようなものがあります!」

 

 ボンドルドの仮面が、わずかに動いた。

 

 モバイルラボ。

 

 科学王国の小さな実験室。

 

 千空たちが島で逆転するために必要なもの。

 

 ボンドルドは言った。

 

「それは重要です」

 

「ほう」

 

「あなたが千空さんを止めたいなら、絶対に渡してはいけない」

 

 完全な裏切りだった。

 

 だが、彼は同時に続けた。

 

「ただし、壊してもいけません」

 

「なぜ」

 

「壊せば、千空さんは別の方法を作ります。残しておけば、彼は取り返しに来る。つまり、誘導できます」

 

 イバラの笑みが深くなる。

 

「罠に使えと?」

 

「はい」

 

 ボンドルドの声は穏やかだった。

 

「彼は必ず来ます」

 

   *

 

 夜。

 

 千空たちは、アマリリスの隠れ家で作戦を立てていた。

 

 島に潜入する。

 石化武器を持つキリサメに近づく。

 イバラの支配構造を崩す。

 白金を探す。

 船を取り返す。

 

 課題が多すぎる。

 

 ゲンが頭を抱える。

 

「いやぁ、詰め込みセットだね。どれか一個でも無理ゲーなのに」

 

 コハクは言う。

 

「私は潜入できる。戦士としてではなく、島の女として近づく」

 

 アマリリスが頷く。

 

「後宮に入れれば、イバラにもキリサメ様にも近づける」

 

 ソユーズは震えながらも言った。

 

「俺も、思い出す。あの島のこと。父のこと」

 

 千空は、砂の上に簡単な地図を描いた。

 

「まず情報だ。石化武器の発動条件。距離。タイミング。誰が命令するか。キリサメが本当に主導権を持ってるのか。それともイバラか」

 

 ゲンが言う。

 

「船側の情報も欲しいね」

 

「ああ」

 

 千空は海の方を見た。

 

「モバイルラボが無事なら、奪い返す。あれがあれば科学ができる」

 

 アマリリスが首を傾げる。

 

「でも、船はイバラの兵に見張られてるよ」

 

「だから取り返すんだよ」

 

 ゲンが苦笑した。

 

「それを単純に言うから怖いんだよね」

 

 その時、草むらから音がした。

 

 コハクが瞬時に構える。

 

 現れたのは、一匹の小さな鳥だった。

 

 足に、黒い紐が巻かれている。

 

 コハクが捕まえる。

 

 紐には、小さな欠片が結ばれていた。

 

 黒い装甲片。

 

 そして、細い文字。

 

 日本語ではない。

 

 だが、千空は見た瞬間に理解した。

 

「ボンドルドか」

 

 ゲンが顔を引きつらせる。

 

「え、敵に捕まってるはずじゃ」

 

「だから送ってきたんだろ」

 

 千空は欠片を裏返した。

 

 そこには、刃で刻んだような簡単な図があった。

 

 船。

 モバイルラボ。

 罠の位置。

 そして、石化装置を示す小さな円。

 

 ゲンが息を呑む。

 

「これ……助け舟?」

 

「違う」

 

 千空は言った。

 

「こいつは、俺を誘導してる」

 

「敵に情報を渡して、こっちにも情報を渡すってこと?」

 

「ああ」

 

 コハクの顔が険しくなる。

 

「二重の裏切りか」

 

 千空は笑った。

 

「いや」

 

 彼は黒い欠片を握った。

 

「ボンドルドは、どっちの味方でもねえ。石化装置の味方だ」

 

 沈黙が落ちる。

 

 アマリリスが震える声で聞いた。

 

「そんな人、どうやって止めるの?」

 

 千空は、海を睨んだ。

 

「止めねえ」

 

「え?」

 

「利用する」

 

 ゲンが笑った。

 

「うわぁ、千空ちゃんも相当だね」

 

「ボンドルドが俺を誘導するなら、俺もあいつを誘導する。あいつは石化装置を見たい。なら、見せてやる」

 

 コハクが言う。

 

「危険すぎる」

 

「危険だから使える」

 

 千空は低く笑った。

 

「ただし、最後に掴むのは俺たちだ」

 

   *

 

 ペルセウス船内。

 

 イバラは、黒い装甲片の一つが消えたことにまだ気づいていなかった。

 

 ボンドルドは拘束されたまま、石化した身体を少しずつ解除されていた。

 

 完全に自由にはしない。

 

 イバラはそこまで馬鹿ではない。

 

 だが、頭と右腕だけ動けば、ボンドルドには十分だった。

 

「お前の言う通り、モバイルラボとやらは残したよ」

 

 イバラが言う。

 

「千空は来るかね」

 

「来ます」

 

「なぜ断言できる」

 

「彼は、科学を捨てません」

 

 イバラは笑う。

 

「では、そこで捕まえる」

 

「容易ではありません」

 

「そればかりだな」

 

「事実です」

 

 ボンドルドは、石化装置の方を見た。

 

 キリサメが持っていたものとは別に、イバラは一時的に装置を手元に置いていた。

 

 小さな装置。

 

 だが、世界を変える力。

 

 ボンドルドの声が、微かに熱を帯びる。

 

「一度だけで構いません。近くで観察を」

 

「駄目だ」

 

「では、発動命令の形式だけでも」

 

「駄目だ」

 

「距離と時間の指定をどのように――」

 

 イバラの杖が、ボンドルドの顎を叩いた。

 

「調子に乗るな。お前は情報を吐く石像だ。私の客ではない」

 

 ボンドルドは黙った。

 

 そして、穏やかに言った。

 

「それは誤りです」

 

「何?」

 

「私は、情報を吐く石像ではありません」

 

 彼の右手が、わずかに動いた。

 

 拘束具の内側。

 

 そこに、石化したまま残していた指先がある。

 

 完全に動かないはずの指が、少しずつ解除されていた。

 

 微量の復活液。

 

 襟ではない。

 

 手首の内側にも、別の管があった。

 

 イバラが気づく前に、ボンドルドは床に落ちていた小さな金属片を弾いた。

 

 それは武器ではない。

 

 ただ、音を立てただけ。

 

 甲高い音。

 

 船室の外にいた兵が振り向く。

 

 一瞬、イバラの視線が外れる。

 

 ボンドルドは、その一瞬で石化装置を見た。

 

 刻まれた模様。

 表面の傷。

 イバラの指の位置。

 命令前に触れる場所。

 装置の向き。

 

 それだけで、彼は笑った。

 

「ありがとうございます」

 

 イバラが振り返る。

 

「何をした」

 

「観察を」

 

 イバラの顔が歪む。

 

「やはり、お前は危険だ」

 

「はい」

 

 ボンドルドは穏やかに答えた。

 

「ですから、もっと慎重に扱うべきでした」

 

 次の瞬間、イバラは兵に命じた。

 

「こいつをさらに縛れ。口も塞げ」

 

 兵が動く。

 

 ボンドルドは抵抗しなかった。

 

 口を塞がれる直前、彼は一言だけ言った。

 

「千空さんは、来ますよ」

 

 その声は、楽しそうだった。

 

 科学王国を裏切り、イバラを利用し、石化装置を観察し、自分自身すら標本にした男。

 

 その男は、誰の陣営にも属していなかった。

 

 彼が属しているのは、ただ一つ。

 

 未知だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。