石の世界に祝福を   作:stein0630

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第13話 海底の保管庫

 

 

 イバラは、笑っていなかった。

 

 倉庫の床に残った車輪の跡。煙玉の黒い煤。倒れた兵。運び出されたモバイルラボ。

 

 そして、縄で縛られたまま座っているボンドルド。

 

 すべてが、彼の支配に小さな傷をつけていた。

 

「逃げられた。兵は負傷。お前は何をしていた?」

 

 イバラの杖が、ボンドルドの肩を叩く。

 

 ボンドルドは動かない。

 

「観察を」

 

「ふざけるな」

 

「ふざけてはいません。千空さんは予定通り来ました。予定通りラボを重視しました。予定通り、敵兵を見捨てませんでした」

 

「結果、逃げられた」

 

「はい。あなたが彼の倫理を過小評価したためです」

 

 兵たちが凍った。

 

 イバラの顔が歪む。

 

「私のせいだと?」

 

「あなたは、彼が仲間を優先して動けなくなると考えた。ですが、彼は敵兵の治療すら作戦に組み込む。切り捨てないことを弱点ではなく、手順に変える」

 

 ボンドルドの声は、静かだった。

 

「そこを読み違えました」

 

 イバラは杖を振り上げた。

 

 今度は仮面ではなく、石化の残る胸部へ打ちつける。

 

 鈍い音。

 

 ボンドルドの身体がわずかに傾く。

 

「お前、誰に物を言っている」

 

「この島の実質的支配者に」

 

「だったら黙れ」

 

「黙れば、あなたは次も負けます」

 

 イバラの手が止まった。

 

 怒りより先に、恐怖があった。

 

 この男は、腹立たしい。

 

 だが、外れていない。

 

「では、どうする」

 

 イバラは低く言った。

 

 ボンドルドは、石化した船員たちが並ぶ浜辺を見た。

 

「石像を移動してください」

 

「どこへ」

 

「海へ」

 

 兵たちがざわめいた。

 

 イバラの目が細くなる。

 

「海だと?」

 

「はい。陸上に置けば、千空さんたちは奪還に来ます。倉庫、浜辺、船内。どこに置いても足跡が残る。ですが、海中なら痕跡が消えます」

 

「沈めろと言うのか」

 

「石化状態なら、呼吸は不要です。適切に沈めれば、保存にもなる」

 

 兵の一人が青ざめた。

 

「人を海に……」

 

 ボンドルドは、その兵を見た。

 

「石化した方々は、現時点では腐敗しません。砕かれなければ復活可能です。海底は、あなた方にとって牢であり、千空さんたちにとって救出対象になります」

 

 イバラの口元が上がる。

 

「なるほど。取り返したければ、海へ潜らねばならない」

 

「はい。潜水技術を持つかどうかも測れます」

 

「また観察か」

 

「もちろんです」

 

 イバラは笑った。

 

「お前は本当に、ろくでもないな」

 

「よく言われます」

 

 ボンドルドは静かに続けた。

 

「ただし、砕かないこと。縄でまとめないこと。石像同士をぶつけないこと。深すぎる場所も避けるべきです。回収不能になれば、交渉材料としての価値が落ちます」

 

「交渉材料」

 

「はい。人質です」

 

 その言葉には、ためらいがなかった。

 

 イバラは満足げに頷いた。

 

「やれ」

 

   *

 

 石像たちは、海へ運ばれた。

 

 大樹。

 龍水。

 クロム。

 フランソワ。

 律。

 船員たち。

 

 一体ずつ、布で包まれる。

 

 乱暴に扱おうとした兵を、ボンドルドが止めた。

 

「その持ち方では肩が欠けます」

 

「うるさい!」

 

「欠ければ、あなたの責任です。イバラさんの所有物を損なうことになる」

 

 兵は黙った。

 

 イバラは笑った。

 

「所有物ねえ」

 

「彼らを人質として扱うなら、所有物と同じ管理精度が必要です」

 

 島の兵たちは、不快そうな顔をした。

 

 それでも従った。

 

 人間を物扱いする言葉に嫌悪しながら、その言葉によって石像を丁寧に運ぶ。

 

 ボンドルドの言葉は、そこが最もむごかった。

 

 人道を破壊する言い方で、人命を保存する。

 

 浜辺では、モズが腕を組んで見ていた。

 

「お前さ、もしかしてイバラより悪いやつ?」

 

「比較基準によります」

 

「俺の基準だと、かなり悪い」

 

「それは残念です」

 

「残念そうじゃないね」

 

 モズは石化したコハクの仲間たちを見た。

 

 その中にコハクはいない。

 

 彼は少し笑う。

 

「あの女は残ってるんだろ」

 

「はい」

 

「なら面白くなる」

 

「あなたは、彼女と戦いたい」

 

「もちろん」

 

「それは、イバラさんの目的とはズレています」

 

 モズの笑みが止まった。

 

「またそうやって種を撒く」

 

「事実を置いているだけです」

 

「種っていうんだよ、そういうのは」

 

 ボンドルドは何も返さなかった。

 

 石像が、一体ずつ海へ沈められていく。

 

 大樹が沈む時、兵の一人が手を滑らせた。

 

 石の肩が岩に当たりかける。

 

 ボンドルドが動いた。

 

 拘束された脚では間に合わない。

 

 だから、彼は近くの兵を突き飛ばした。

 

 兵は岩へ頭を打った。

 

 鈍い音。

 

 その身体が、砂の上に崩れた。

 

 大樹の石像は守られた。

 

 兵は、動かない。

 

 浜辺が静まり返った。

 

 モズが目を細める。

 

「死んだかもね」

 

 ボンドルドは、倒れた兵の呼吸を一度だけ見た。

 

「可能性があります」

 

「助けないの?」

 

「大樹さんの破損防止が優先でした」

 

 イバラすら、一瞬黙った。

 

 ボンドルドは続けた。

 

「今から処置すれば助かる可能性はあります。ですが、石像の搬送を止めれば千空さん側の襲撃機会が増えます」

 

 モズが笑みを消す。

 

「お前、本当に人間か?」

 

「分類上は」

 

 イバラは、倒れた兵を見た。

 

 そして言った。

 

「続けろ」

 

 兵たちは震えた。

 

 この瞬間、彼らは理解した。

 

 イバラは恐ろしい。

 

 だが、イバラは権力で人を殺す。

 

 ボンドルドは違う。

 

 もっと大きな目的の中で、人の命を位置だけで決める。

 

   *

 

 森の隠れ場で、アマリリスが駆け込んできた。

 

 顔が真っ青だった。

 

「船の人たちが……海に沈められてる」

 

 千空は目を閉じなかった。

 

「やりやがったか」

 

 ゲンが呻く。

 

「イバラの案?」

 

「いや」

 

 千空は低く言った。

 

「ボンドルドだ」

 

 コハクの拳が震える。

 

「あいつ……!」

 

「砕かれるよりはマシだ」

 

 千空は言った。

 

 その声は冷静だった。

 

 冷静にしていなければ、立っていられなかった。

 

「石化状態なら呼吸はいらねえ。海底なら隠し場所にもなる。救出には潜水技術が必要。全部、あいつの考えそうなことだ」

 

 ゲンが苦い顔で言う。

 

「しかも、俺たちに酸素ボンベ作らせる流れになる」

 

「ああ」

 

 千空は笑った。

 

 苛立ちと興奮が混じった、科学者の笑みだった。

 

「作るぞ。水中救出用の酸素ボンベ」

 

 アマリリスが目を見開く。

 

「そんなもの、作れるの?」

 

「作るんだよ」

 

 ゲンが肩をすくめる。

 

「ボンドルドちゃんの罠に乗るわけ?」

 

「違う」

 

 千空は即答した。

 

「仲間を助けに行く。ついでに、あいつの想定を超える」

 

 コハクが顔を上げた。

 

「私は潜る」

 

「お前は島内潜入だ。潜水は別に回す」

 

「だが――」

 

「コハク」

 

 千空の声が硬くなる。

 

「ボンドルドは、俺らが焦って役割を崩すことまで見てる。お前が怒りで動けば、あいつの計算通りだ」

 

 コハクは歯を食いしばった。

 

 ゲンが静かに言う。

 

「きついね。怒って当然なのに、怒ったら負け」

 

「だから勝つ」

 

 千空はモバイルラボへ入った。

 

「材料確認。竹、革、油、金属、漆、空気を詰める容器。短時間でいい。十分钟潜れりゃ十分だ」

 

「十分なの?」

 

 アマリリスが聞く。

 

「十分じゃねえ」

 

 千空は笑った。

 

「だから十分にする」

 

   *

 

 酸素ボンベ作りは、時間との勝負だった。

 

 密閉容器。

 空気圧。

 漏れ止め。

 口元の弁。

 浮力調整。

 水中での視界。

 

 島にある材料では、完璧なものはできない。

 

 だが、完璧でなくていい。

 

 沈められた仲間を、海底から引き上げるだけなら。

 

 千空が設計し、ゲンがアマリリス経由で材料を集め、コハクが見張りを避ける。ソユーズは海岸の地形を思い出そうとし続ける。

 

 その間、ボンドルドは浜辺でイバラに拘束されたまま、海を見ていた。

 

 モズが隣に立つ。

 

「千空たちは来るかな」

 

「来ます」

 

「潜れると思う?」

 

「潜れるようにします」

 

「作れるってこと?」

 

「はい」

 

 モズは笑う。

 

「仲間を海に沈めたのに、ずいぶん信頼してるんだね」

 

「信頼ではありません。能力評価です」

 

「俺は、お前みたいなやつ嫌いじゃないよ」

 

「ありがとうございます」

 

「でも、近くにいたら殺したくなる」

 

「合理的です」

 

 モズは声を上げて笑った。

 

   *

 

 夜。

 

 最初の潜水が始まった。

 

 海は黒い。

 

 月明かりだけが水面を揺らしている。

 

 千空は潜らない。酸素ボンベの調整と、岸での指示に回る。

 

 潜るのは、島の海に慣れたアマリリスの協力者二人と、科学王国側から銀狼。

 

 銀狼は震えていた。

 

「え、え、俺? 本当に俺?」

 

「テメーが一番、泳ぎと逃げ足のバランスがいい」

 

 千空が言う。

 

「褒めてる? それ褒めてる?」

 

「百億パー褒めてる」

 

「嘘だ!」

 

 ゲンが肩を叩く。

 

「大丈夫。死ななければ英雄だよ」

 

「死ぬ可能性を消して!」

 

 コハクが銀狼を見る。

 

「頼む」

 

 その一言で、銀狼は泣きそうな顔をしながら頷いた。

 

「や、やるよ……やればいいんでしょ!」

 

 酸素ボンベを背負い、海へ入る。

 

 冷たい水。

 

 暗い海底。

 

 石像の影。

 

 最初に見つかったのは、龍水だった。

 

 海底で、まだ笑っていた。

 

 銀狼は泡を吐きながら縄をかける。

 

 次に、クロム。

 

 フランソワ。

 

 律。

 

 大樹は重すぎた。

 

 海底の砂に沈み込みかけている。

 

 銀狼が必死に縄を引く。

 

 だが、何かが絡んでいる。

 

 海藻ではない。

 

 縄。

 

 石像の足元に、別の縄が結ばれていた。

 

 意図的に。

 

 銀狼は目を見開いた。

 

 その縄の先には、小さな黒い破片が結ばれている。

 

 ボンドルドの装甲片。

 

 標識。

 

 いや、罠ではない。

 

 目印だ。

 

 大樹の位置を、最も見つけやすくしている。

 

 同時に、外すのに時間がかかる結び方だった。

 

 救助者の酸素を削る。

 

 銀狼は震えた。

 

 助けやすくしている。

 

 だが、試している。

 

 どちらも同時に成立している。

 

 海面へ戻った銀狼は、泣きながら叫んだ。

 

「あいつ、マジでおかしい! 目印つけてた! 助かるけど、縄がめんどくさくて、死ぬかと思った!」

 

 千空は歯を食いしばった。

 

「クソ仮面……救助訓練に変えやがったな」

 

 ゲンが青い顔で言う。

 

「海底に沈められた仲間で?」

 

「ああ」

 

 コハクの拳から血が滲んだ。

 

「許さん」

 

 千空は低く言う。

 

「許さねえ。だが、全部引き上げる」

 

   *

 

 夜明け前。

 

 石像は、全員ではないが、多くが引き上げられた。

 

 龍水。

 クロム。

 フランソワ。

 律。

 数名の船員。

 

 大樹は、まだ海底にいた。

 

 重すぎる。

 

 縄が複雑すぎる。

 

 酸素が足りない。

 

 千空は設計図を描き直した。

 

「浮き袋を作る。空気を詰めた革袋を大樹に結ぶ。浮力で上げる」

 

 ゲンが疲れた顔で笑う。

 

「一晩で潜水救助から浮力装置まで行くの、科学王国らしくなってきたね」

 

「笑ってる暇あったら革袋持ってこい」

 

「はいはい」

 

 その頃、浜辺では、ボンドルドが海を見ていた。

 

 イバラが横に立つ。

 

「どうやら、いくつか引き上げられたようだね」

 

「はい」

 

「お前のせいだ」

 

「はい」

 

「人質を失った」

 

「全てではありません」

 

「大樹という大男は残っているのか」

 

「おそらく」

 

 イバラは目を細める。

 

「わざとか」

 

「はい」

 

 イバラの顔が歪む。

 

「お前、私を裏切っているのか」

 

「私は、あなたにも千空さんにも完全には属していません」

 

「殺すぞ」

 

「今殺すと、あなたは千空さんの行動予測を失います」

 

 イバラの杖が、ボンドルドの喉元に当たる。

 

「口が達者だねえ」

 

「よく言われます」

 

「なぜ大樹だけ残した」

 

「彼は最も重い。最も救出が難しい。千空さんたちは、彼を助けるために新しい手段を作る必要があります」

 

「また観察か」

 

「はい」

 

 イバラは、心底気味悪そうにボンドルドを見た。

 

「お前は、仲間を助けたいのか、苦しめたいのか、どっちなんだ」

 

 ボンドルドは少しだけ黙った。

 

「前進してほしいのです」

 

 その答えは、誰にとっても救いにならなかった。

 

   *

 

 次の夜。

 

 千空たちは浮き袋を完成させた。

 

 革袋。

 漆の目止め。

 空気を送り込む竹管。

 石像に巻く帯。

 水中で外れない結び。

 

 銀狼は、また震えていた。

 

「また俺!?」

 

「一度潜ったやつが一番上手い」

 

 千空が言う。

 

「それ褒めてる!?」

 

「今回は百億パー本当に褒めてる」

 

「信用できない!」

 

 それでも、銀狼は潜った。

 

 海底。

 

 大樹はそこにいた。

 

 岩のように重く、まっすぐ誰かを庇う姿勢のまま。

 

 銀狼は浮き袋を結ぶ。

 

 縄を切る。

 

 黒い装甲片が外れる。

 

 その裏側に、細い線が刻まれていた。

 

 読めない文字ではない。

 

 日本語だった。

 

 ――よくできました。

 

 銀狼は水中で叫びかけ、泡を吐いた。

 

 海面へ戻った時、彼は本気で泣いていた。

 

「もう嫌だ! あいつ、海底で煽ってきた!」

 

 大樹の石像は、浮力でゆっくり上がった。

 

 砂から抜ける。

 

 海面へ。

 

 月明かりの下、大樹が戻ってくる。

 

 コハクが縄を掴み、アマリリスの仲間たちが引き、千空が手を伸ばした。

 

「回収成功だ」

 

 その声は、かすかに震えていた。

 

 ゲンが息を吐く。

 

「ボンドルドちゃんの思惑通り、また技術が進んだね」

 

「ああ」

 

 千空は言った。

 

「潜水装備、浮力救助、海底回収。全部、一気に進んだ」

 

「怒ってる?」

 

「百億パーな」

 

「でも使う?」

 

「使う」

 

 千空は、黒い装甲片を握り潰すように握った。

 

「そして、あいつを回収する」

 

   *

 

 翌朝。

 

 浜辺に、石像がなくなったことが知れた。

 

 イバラは激怒した。

 

 兵たちは震え、モズは笑い、キリサメは何かがおかしいと感じ始めていた。

 

 ボンドルドは、拘束されたまま静かに立っている。

 

「お前のせいだ」

 

 イバラが言った。

 

「はい」

 

「なぜ平然としている」

 

「結果が出たからです」

 

「結果?」

 

「千空さんたちは、海底救助を可能にしました。これで、石化した人間を水中から回収する技術が得られた。今後、海に沈んだ石像も救える」

 

 イバラの目が血走る。

 

「私の人質を失った話をしているんだよ!」

 

「あなたの人質は減りました。人類の救出技術は増えました」

 

 その瞬間、イバラは杖を振った。

 

 ボンドルドの仮面に叩きつける。

 

 今度は、仮面の一部が欠けた。

 

 島の兵たちが息を呑む。

 

 ボンドルドの下顎の一部、血の滲む皮膚が少しだけ見えた。

 

 だが、彼は声色を変えなかった。

 

「良い打撃です。ですが、次は首を狙うべきです」

 

 イバラは、初めて一歩引いた。

 

 この男は、痛みで黙らない。

 

 恐怖で従わない。

 

 利益で動くが、利益の基準が人間と違う。

 

「モズ」

 

 イバラが言った。

 

「こいつを見張れ。変なことをしたら殺せ」

 

 モズは笑った。

 

「いいよ」

 

 ボンドルドはモズを見た。

 

「あなたは私を殺せますか」

 

「殺せるね」

 

「その場合、千空さんはどう動くと思いますか」

 

 モズの笑みが深くなる。

 

「またそうやって話を面白くする」

 

「あなたは、面白い方を選ぶ傾向があります」

 

「正解」

 

 イバラが苛立った声を出す。

 

「余計な会話をするな!」

 

 ボンドルドは黙った。

 

 だが、もう十分だった。

 

 モズの中にも、種は落ちた。

 

   *

 

 千空たちは、回収した石像を隠した。

 

 復活液は少ない。

 

 全員を一気に戻すことはできない。

 

 誰を戻すか。

 

 また、その問いが来た。

 

 ゲンが言う。

 

「龍水ちゃん? クロムちゃん? フランソワちゃん? 律ちゃん? 大樹ちゃん?」

 

 千空は即答しない。

 

 誰もが必要だ。

 

 船を動かす龍水。

 工作のクロム。

 生活管理のフランソワ。

 医療の律。

 力と精神の大樹。

 

 コハクが静かに言った。

 

「大樹を戻したい」

 

 千空は頷く。

 

「俺もだ。だが、今必要なのは作戦の駒だ」

 

 その言い方に、全員が少しだけ表情を変えた。

 

 ボンドルドの言葉が、脳裏をかすめる。

 

 駒。

 役割。

 価値。

 

 千空は舌打ちした。

 

「言い方が悪かった。必要なのは、今この状況をひっくり返す仲間だ」

 

 ゲンが小さく笑った。

 

「自分で修正したね」

 

「あいつの言葉に汚染されてたまるか」

 

 結論は、龍水だった。

 

 船、指揮、交渉、欲望。

 

 この局面で最も盤面を動かせる。

 

 復活液が石像にかかる。

 

 龍水が目を開けた。

 

 最初の一言は、当然のように叫びだった。

 

「状況を寄越せ! 全部だ!」

 

 ゲンが笑った。

 

「復活直後から通常運転」

 

 千空は短く説明した。

 

 船は石化。

 石像は海へ沈められた。

 ボンドルドがそれを提案。

 潜水装備で回収。

 イバラが石化装置を保持。

 モバイルラボは奪還。

 ボンドルドはイバラ側に拘束中だが、両陣営を操作している。

 

 龍水は最後まで聞き、笑った。

 

「最悪だな!」

 

「笑うとこじゃねえ」

 

「いや、笑うところだ。最悪の男が、最悪に役立っている!」

 

 龍水は立ち上がった。

 

「ならば、買うしかない」

 

「何を」

 

 千空が聞く。

 

「ボンドルドの欲望だ」

 

 沈黙。

 

 龍水は続ける。

 

「奴は金では動かん。権力でもない。命でもない。未知で動く。ならば、石化装置の観察権を餌にする」

 

「もうやった」

 

「足りん。もっと明確に契約する」

 

 ゲンが顔をしかめる。

 

「契約?」

 

「奴に役割を与える。裏切り者ではなく、危険物管理下の研究者として」

 

 コハクが怒る。

 

「そんなことを許せるか」

 

「許すのではない。所有する」

 

 龍水の目が光る。

 

「危険物は、捨てるか、封じるか、管理するかだ。捨てられん。封じれば敵に回る。ならば管理する」

 

 千空は、少しだけ笑った。

 

「テメー、ボンドルドみてえなこと言うな」

 

「違う。俺は人間を欲しがる男だ。壊すためじゃない。動かすために欲しい」

 

 ゲンが肩をすくめる。

 

「どっちも危ないんだけどね」

 

「だが、違う」

 

 千空は言った。

 

「ボンドルドは人間を道具にする。龍水は道具ごと人間を欲しがる」

 

「褒めているな!」

 

「半分な」

 

   *

 

 その夜、ボンドルドの元へ小さな紙が届いた。

 

 矢文ではない。

 

 浜辺の石の下に置かれた、油紙。

 

 モズがそれを見つけた。

 

「お前宛てみたいだよ」

 

 ボンドルドは、拘束されたまま紙を受け取った。

 

 そこには、短く書かれていた。

 

 石化装置観察権。

 千空監視下。

 触れる権利はなし。

 解析記録共有。

 代償:イバラ打倒への全面協力。

 違反時、永久石化。

 

 署名。

 

 石神千空。

 七海龍水。

 

 ボンドルドは、しばらく紙を見ていた。

 

 モズが笑う。

 

「どうするの」

 

「良い契約です」

 

「乗るんだ」

 

「乗ります」

 

「イバラを裏切る?」

 

「私は、最初からイバラさんのものではありません」

 

 モズは声を上げて笑った。

 

「じゃあ俺は?」

 

 ボンドルドはモズを見た。

 

「あなたも、イバラさんのものではない」

 

 モズの笑いが、少し変わった。

 

「いいね。お前、ほんと悪い」

 

「ありがとうございます」

 

 その夜、ボンドルドは初めて、自分から明確に陣営を移した。

 

 裏切りではない。

 

 彼にとっては、より大きな観察機会へ移動しただけだった。

 

 だが、イバラにとっては裏切りだった。

 

 科学王国にとっては、悪魔との再契約だった。

 

 そして千空にとっては、最も不快で、最も必要な一手だった。

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