龍水は、復活して一時間で作戦会議を支配した。
石像から戻ったばかりとは思えない声量で、彼は砂地に描かれた地図を指した。
「敵は三つに分けろ。イバラ、キリサメ、モズだ」
千空が頷く。
「イバラは石化装置の命令権を握ってる。キリサメは装置の実行役。モズは単純戦力として厄介だ」
「そしてボンドルド」
ゲンが嫌そうに付け加える。
「敵か味方か不明な、最悪の変数」
「違うな」
龍水は笑った。
「奴は商品だ。買い方を間違えると噛み殺される、最高級の毒物だ!」
「商品にするな」
コハクが低く言う。
「いや、龍水の見方は使える」
千空は砂に四つ目の印をつけた。
「ボンドルドは、誰の側にもいねえ。石化装置を最も見られる場所へ動く。なら、俺らがその場所になる」
アマリリスが顔を青くする。
「あの人を、こっちに戻すの?」
「戻すんじゃねえ」
千空は言った。
「檻ごと引きずってくる」
その時、森の向こうから鳥が飛んできた。
まただ。
足には黒い糸。
コハクが捕まえる。
結ばれていたのは、小さな布片だった。血が少しだけついている。文字は、驚くほど整っていた。
――契約条件、拝見しました。たいへんよくできました。
ゲンが額を押さえた。
「また煽ってきた」
龍水は大笑いした。
「気に入ったぞ! 商談相手としては最悪だが、読みごたえがある!」
千空は続きを読む。
――ただし、足りません。
――石化装置の観察権だけでは不十分です。
――発動条件の検証、距離指定、時間指定、遮蔽、部分石化の可否。
――最低四項目の実験権限を要求します。
コハクの手が震えた。
「実験……?」
ゲンが続きに目を落とす。
――被験者は、イバラ側から調達可能です。
――生存を保証する努力はします。
空気が凍った。
千空は、布を握り潰した。
「クソ野郎」
龍水の笑みも消えた。
「これは買えんな」
ゲンが言う。
「買ったら、こっちがボンドルドちゃんになる」
千空は、少しだけ黙った。
そして、新しい布を取り出した。
「返事を書く」
「何て?」
千空は短く書いた。
――人間実験は却下。
――石化装置の観察は許可。
――実験は既存事象の記録のみ。
――被害を作るな。
――それでも協力するなら、取引成立。
――しないなら、お前ごと石化装置を奪う。
最後に一行。
――こっちのルールで来い。
ゲンが覗き込んで笑った。
「強気だねえ」
「弱気であいつが止まるかよ」
千空は布を結び、鳥を放した。
コハクは鳥が飛び去るのを見ていた。
「来ると思うか」
「来る」
千空は即答した。
「あいつは見たい。なら、こっちのルールに穴を探してでも来る」
*
ボンドルドは、返事を読んでいた。
浜辺の岩陰。
拘束されたまま、モズの監視下にある。
イバラは彼を信じていない。だが殺せない。情報を失うのが怖いからだ。
それが、ボンドルドの居場所だった。
縛られているのに、誰よりも自由に見える。
モズが布を覗き込む。
「なんて?」
「断られました」
「残念?」
「いいえ」
ボンドルドは、声だけで笑った。
「予想通りです」
「じゃあ、どうするの」
「既存事象の記録のみ、という条件に従います」
「お前が?」
「はい」
モズは声を上げて笑った。
「絶対嘘だ」
「いいえ。既存事象を、これから発生する状況に含めればよい」
「それを詭弁っていうんじゃないの」
「運用です」
「悪いなあ」
そこへ、イバラが近づいた。
顔には苛立ちがある。人質を海から奪われ、モバイルラボも奪われた。だが、石化装置はまだある。頭首の権威も、兵も、キリサメも、モズもいる。
少なくとも、彼はそう思っていた。
「ボンドルド。お前をどうするか決めたよ」
「伺いましょう」
「千空を釣る餌になれ」
「喜んで」
イバラの目が細くなる。
「即答かい」
「はい。私も千空さんに用があります」
「だろうね」
イバラは兵に命じた。
「こいつを広場へ連れていけ。千空たちが見える場所で吊るす。奴らが来れば、石化武器でまとめて終わりだ」
モズが肩をすくめる。
「雑だねえ」
イバラが睨む。
「何か言ったかい」
「いや。お年寄りの作戦って感じ」
イバラの顔が歪む。
ボンドルドは、そのわずかな軋みを見た。
モズとイバラ。
そこに亀裂がある。
亀裂は、広げれば割れる。
*
広場には、石の柱が立っていた。
かつて何かの儀式に使われたのか、頭首の権威を示すものなのか、島民たちはそこへ近づかない。
ボンドルドは、その柱に縛られた。
黒と濃紺の装甲は傷だらけ。仮面の一部は欠け、下顎の皮膚が少し見えている。だが、彼は頭を垂れない。
まるで、処刑台ではなく、講壇に立っているようだった。
島民たちが集まる。
イバラは声を張った。
「外から来た異物だ! 頭首様に逆らう者は、こうなる!」
キリサメは少し離れた場所にいた。
表情は硬い。
彼女はボンドルドを警戒している。外から来た危険な男。だが、同時に違和感も覚えている。
イバラは、なぜこの男をすぐ石化しないのか。
なぜ話を聞くのか。
なぜ頭首様の名ではなく、自分の判断で動いているのか。
ボンドルドは、その視線に気づいた。
「キリサメさん」
イバラが眉を吊り上げる。
「誰が喋っていいと言った」
「すみません。重要な確認です」
ボンドルドはキリサメを見たまま言った。
「あなたは、石化装置の仕組みをどこまでご存じですか」
キリサメの表情が動く。
「黙りなさい」
「距離と時間を指定する。投げる。範囲内を石化する。では、発動後の装置はなぜ石化しないのでしょう」
広場がざわつく。
キリサメの目が揺れた。
イバラが怒鳴る。
「黙れ!」
「装置が自身を石化しないなら、対象選択の規則がある。あるいは、石化波は装置を通過する。では、装置を飲み込んだ場合はどうなるのでしょう」
その言葉に、イバラの表情が一瞬だけ変わった。
ごく小さく。
だが、モズは見た。
ボンドルドも見た。
千空が近くにいれば、同じように見ただろう。
ボンドルドは穏やかに続けた。
「興味深いですね」
「黙れと言っている!」
イバラが杖を振った。
兵がボンドルドの腹を殴る。
鈍い音。
ボンドルドは咳き込んだが、声色は変わらない。
「痛みで、仮説は消えません」
キリサメは、石化装置を握る手に力を込めた。
「イバラ様。なぜ、この者を石化しないのです」
「使い道があるからだよ」
「危険です」
「だから縛っている」
「本当に、頭首様の御意志ですか」
広場の空気が止まった。
イバラの目が冷たくなる。
「キリサメ」
その声には、刃があった。
「疑うのかい?」
キリサメは答えなかった。
ボンドルドは黙った。
種は、落ちた。
*
森の中から、千空たちは広場を見ていた。
コハクは怒りで震えている。
「あいつ、わざとだ。キリサメを揺さぶっている」
「そうだな」
千空は双眼鏡代わりのレンズを下ろした。
「イバラが装置を飲ませる可能性まで、もう読んでやがる」
ゲンが顔をしかめる。
「今のって、もしかして島全体石化の布石?」
「近い」
千空は短く言った。
「イバラが追い詰められた時、装置を誰かに飲ませて中央まで走らせる。そうすりゃ、島ごと石化できる」
アマリリスが震える。
「そんなこと……」
「やる」
千空は断言した。
「イバラはやる。ボンドルドは、それを早めようとしてる」
ゲンの顔が青ざめる。
「なんで早めるの」
「観測したいからだ。島全域石化の条件を」
コハクが吐き捨てる。
「狂っている」
「だが、助かる」
千空の言葉に、全員が見る。
「あいつがわざとキリサメに疑念を植えた。イバラとキリサメの連携が乱れる。モズも揺れてる」
龍水が笑う。
「最高に危険な駒だな」
「駒じゃねえ。勝手に動く爆薬だ」
千空は言った。
「爆発する位置を読む」
*
その夜、モズはボンドルドの前に立った。
広場にはもう人はいない。
兵も少ない。
イバラは奥の屋敷へ戻り、キリサメは黙ったまま石化装置を持って去った。
モズは柱に縛られたボンドルドを見て、笑った。
「お前、わざとキリサメを怒らせたね」
「怒らせたのではありません。疑問を持っていただきました」
「同じだよ」
「結果は近いですね」
モズは槍を肩に担いだ。
「で、俺には何を撒くの?」
「あなたには、もう撒いてあります」
「へえ」
「あなたはイバラさんを好いていない。キリサメさんほど忠誠もない。強い相手と戦いたい。美しいもの、面白いものに惹かれる。ならば、イバラさんが島ごと石化する選択を取った時、あなたは従わない」
モズの笑みが消えた。
「島ごと?」
「可能性です」
「それ、イバラがやると思う?」
「追い詰められれば」
「俺も石になるじゃん」
「はい」
モズは黙った。
ボンドルドは続ける。
「あなたは、自分が石化される可能性を軽視しています。自分だけは避けられる、自分だけは勝てる、と」
「悪い?」
「いいえ。強者として自然です」
「褒めてる?」
「観察です」
モズはしばらく黙り、やがて笑った。
「俺は、お前のそういうところ本当に嫌いだな」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
「よく言われます」
モズは柱へ近づき、ボンドルドの縄を一本だけ切った。
完全には自由にしない。
右腕だけが動く。
「何のつもりですか」
「面白い方に賭ける」
「千空さん側へ?」
「まだ決めてない」
モズは笑った。
「ただ、イバラに全部決められるのは、つまらない」
ボンドルドは、動くようになった右手を軽く握った。
「十分です」
*
ボンドルドは、その右手で何をしたか。
逃げなかった。
縄を切らなかった。
武器を奪わなかった。
柱の根元に、小さな文字を刻んだ。
朝、見張りの兵がそれを見つける。
そこには、こう書かれていた。
――柱から東へ二十歩。
――よくできました、の次へ。
兵には意味がわからない。
だが、遠くの木の上でレンズを覗いていた千空にはわかった。
東へ二十歩。
そこは、広場の中央からの距離。
石化装置の範囲計測に使える基準点。
ゲンが呆れた。
「またメッセージが煽り口調」
「しかも、俺ら用だ」
千空は笑った。
「広場を実験場に変えやがった」
コハクが怒る。
「笑うところではない」
「笑ってねえと、殴りに行きたくなる」
千空は、柱と広場を見た。
距離。
兵の配置。
キリサメの投擲位置。
イバラの指揮位置。
モズの動き。
そして、ボンドルドの刻んだ基準点。
情報は揃ってきている。
嫌になるほど、ボンドルドの手で。
*
昼。
イバラは作戦を変えた。
千空たちをおびき出すため、ボンドルドの処刑を宣言した。
広場に島民が集められる。
キリサメは石化装置を持たされる。
モズは腕を組んで見ている。
ボンドルドは柱に縛られたまま、空を見上げていた。
イバラが声を張る。
「この異物を、頭首様の名において石に戻す!」
キリサメの手が動く。
石化装置を構える。
その瞬間、ボンドルドが言った。
「キリサメさん」
「黙りなさい」
「距離は?」
彼女の手が止まる。
「何?」
「石化範囲を指定するのでしょう。私一人を石にするなら、距離は小さいはずです。ですが、イバラさんの位置まで含めると危険です」
ざわめき。
イバラが叫ぶ。
「早くやれ!」
ボンドルドは続けた。
「あなたは、命令の意味を理解していますか。私だけを石化するのか。周囲の兵も含めるのか。イバラさんは範囲外にいるのか」
キリサメの額に汗が滲む。
彼女は戦士だ。
命令に従う者だ。
だが、無意味に民を巻き込む者ではない。
イバラが一歩下がった。
その動きを、キリサメが見た。
見てしまった。
モズも見た。
千空も、遠くから見た。
ボンドルドは穏やかに言った。
「今の一歩が、答えです」
イバラの顔が歪んだ。
「やれ、キリサメ!」
その時、広場の外で爆発音がした。
千空の煙玉。
同時にコハクが走る。
モズが笑い、彼女を迎え撃つ。
アマリリスが島民を逃がす。
ゲンが叫ぶ。
「皆さん、離れて! 石になるよ!」
混乱。
キリサメの照準が揺れる。
イバラが奪いに出る。
その一瞬。
ボンドルドは、自分の右腕を柱に押しつけた。
縄で擦れて血が出る。
だが、彼は構わず、自分の親指を変な角度に曲げた。
関節が外れる音。
縄の隙間ができる。
右手が抜けた。
コハクが見ていたら、怒っただろう。
千空が見ていたら、止めたかもしれない。
だが、誰も近くにはいない。
ボンドルドは柱から落ちた小石を拾い、キリサメの足元へ投げた。
攻撃ではない。
音。
視線誘導。
キリサメの目が一瞬落ちる。
その間に、イバラが石化装置へ手を伸ばす。
千空が叫ぶ。
「今だ!」
コハクがモズの横を抜け、イバラへ迫る。
モズは笑った。
「行かせると思う?」
槍が交差する。
だが、モズの動きが一瞬遅い。
彼は本気で止めていない。
イバラが気づく。
「モズ!」
「ごめんね。面白い方を見たい」
イバラの顔が怒りに染まる。
石化装置が、彼の手に渡りかける。
その瞬間、ボンドルドが動いた。
まだ縛られた身体を引きずり、倒れ込むようにイバラの足元へ転がる。
イバラの足が止まる。
ほんの半歩。
コハクが届く。
石化装置を持つ手を弾く。
装置が宙を舞った。
全員が見た。
キリサメ。
モズ。
千空。
コハク。
イバラ。
ボンドルド。
そして、ボンドルドが笑った。
「観測可能な落下軌道です」
装置は、地面へ落ちた。
割れなかった。
だが、砂の上に転がった瞬間、イバラが叫んだ。
距離。
時間。
発動命令。
緑の光が、装置の中心から広がり始めた。
近すぎる。
コハクが叫ぶ。
「千空!」
千空は、すでに走っていた。
ボンドルドは、光の広がりを見ていた。
逃げるのではなく。
測っていた。
足元の刻印。
東へ二十歩。
柱。
兵の位置。
光の速度。
「なるほど」
彼は呟いた。
緑の光が、彼の足元に届く。
石化が始まる。
脚から。
腰へ。
胸へ。
ボンドルドは、最後に千空を見た。
「たいへん、よく――」
声が途切れた。
仮面ごと、石になった。
*
光は小規模だった。
広場全域には届かない。
キリサメは範囲外。
モズもぎりぎりで避けた。
イバラは、腕の一部だけ石化した。
コハクは転がって逃れた。
ボンドルドは完全に石になった。
千空は、光の端を見切って止まっていた。
息を荒げながら、彼は石化したボンドルドを見た。
ゲンが駆け寄る。
「やった? いや、やられた? どっち?」
「どっちもだ」
千空は言った。
彼の手には、砂に残った数字の跡がある。
ボンドルドが身体を張って得た、石化範囲と速度の情報。
そして、イバラの腕に残った部分石化。
キリサメの疑念。
モズの離反。
すべてが、一気に動いた。
コハクは石化したボンドルドへ槍を向けたまま、歯を食いしばった。
「こいつは……自分まで実験に使ったのか」
「そうだ」
千空は答えた。
「最悪の形で、最高のデータを寄越しやがった」
ゲンが乾いた笑いを漏らす。
「最後まで煽ってたね。たいへんよく、まで言って石になった」
「復活させるのか」
コハクが聞いた。
千空は即答しなかった。
石になったボンドルドは、静かだった。
ようやく黙った。
だが、その沈黙すら、彼の計算に見える。
「させる」
千空は言った。
「まだ使う」
コハクの目が揺れる。
「これほどのことをしてもか」
「ああ」
千空は、石化した仮面を睨んだ。
「ただし、次に戻した時、あいつは完全に檻の中だ」
ゲンが言う。
「檻、破ると思うよ」
「破らせねえ」
千空は、砂に残った数字を記録した。
「今度はこっちが、あいつを実験条件に入れる」
広場の向こうで、イバラが血走った目で逃げていく。
キリサメは動けずにいた。
モズは笑っているが、その目はボンドルドの石像を見ている。
そして千空は理解していた。
ボンドルドは、今回も勝った。
石になってもなお、盤面を進めた。
人を傷つけ、自分を壊し、敵味方を分断し、石化装置のデータを奪った。
やばいどころではない。
この男は、自分の敗北すら、次の実験に変える。