石の世界に祝福を   作:stein0630

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第19話 ドクター・ゼノの嫌悪

 

 

 ゼノは、ボンドルドを欲しがった。

 

 それは、捕虜としてではない。

 

 研究対象としてだった。

 

 彼は科学者だった。

 

 科学を、人類に委ねるものではなく、人類を導く者が管理するべきものだと考えていた。

 

 だから、千空の存在は危険だった。

 

 千空は科学を共有する。

 

 知識をばらまく。

 

 クロムのような原始の少年に火薬を教え、村人に電気を見せ、大樹に農業と復活を結びつけ、龍水の欲望すら文明の駆動力に変える。

 

 それは、ゼノにとって乱雑だった。

 

 だが、ボンドルドは別だった。

 

 彼は科学を共有しない。

 

 必要な情報を、必要な相手へ、必要な量だけ与える。

 

 倫理を、実験条件として扱う。

 

 人間を、観察単位として見る。

 

 ゼノは最初、それを有用だと思った。

 

 だが、その判断はすぐに揺らぐことになる。

 

   *

 

 夜明け前。

 

 ペルセウスの保管室に、銃弾が撃ち込まれた。

 

 窓はない。

 

 壁は厚い。

 

 だが、船体の板を貫通する角度で、弾は拘束具の金具だけを砕いた。

 

 ボンドルドの右腕が自由になる。

 

 クロムが飛び起きた。

 

「狙撃!?」

 

 外から銃声。

 

 二発目。

 

 扉の鍵が砕ける。

 

 扉が開いた。

 

 保管室の中で、ボンドルドは座ったまま右手を動かした。

 

 縄が落ちる。

 

 見張りの一人が叫ぶ。

 

「動くな!」

 

「動きます」

 

 ボンドルドは答えた。

 

 見張りが槍を構える。

 

 だが、ボンドルドは見張りを攻撃しなかった。

 

 逆に、その首根っこを掴んで床へ押し倒した。

 

 直後、三発目が見張りの頭上を抜け、壁に穴を開けた。

 

「伏せていてください。次は当たります」

 

「お、お前……」

 

「礼は不要です。私を狙っている」

 

 甲板が騒がしくなる。

 

 スタンリーだ。

 

 遠距離から、正確にボンドルドだけを切り離しに来ている。

 

 千空が駆け込む。

 

「ボンドルド!」

 

「はい」

 

「逃げる気か」

 

「まだ判断中です」

 

「判断すんな。残れ」

 

「条件は?」

 

「命令だ」

 

「私はあなたの部下ではありません」

 

 千空の目が冷える。

 

 その瞬間、また銃声。

 

 ボンドルドの肩のすぐ横を弾が抜ける。

 

 彼は揺れない。

 

 千空は舌打ちした。

 

「スタンリーはテメーを殺す気じゃねえ。連れ出す気だ」

 

「ゼノさんの指示でしょう」

 

「なら、行かせるわけにゃいかねえ」

 

 ボンドルドは、甲板の方を見た。

 

「では、利用しましょう」

 

「何を」

 

「私の拉致計画を」

 

   *

 

 甲板に、白い布が上がった。

 

 降伏ではない。

 

 取引の合図。

 

 千空は通信機を握った。

 

「ゼノ。聞こえてんな」

 

 返答はすぐだった。

 

「聞こえているよ、石神千空」

 

 その名前の呼び方で、千空の目がわずかに動いた。

 

 ゼノは知っている。

 

 どこまでかは不明。

 

「ずいぶん物騒な迎えだな」

 

「危険物を回収しようとしただけだ」

 

 ゼノの声は冷静だった。

 

「その男は君たちの管理下に置くには危険すぎる」

 

「そっちに置いた方が危険だろ」

 

「私は管理できる」

 

 千空は笑った。

 

「百億パー無理だ」

 

「随分な自信だ」

 

「経験談だ」

 

 沈黙。

 

 ゼノの声が少し低くなる。

 

「では、君はなぜ彼を生かしている」

 

「使えるからだ」

 

「危険でも?」

 

「危険だから使い道がある」

 

 通信機の向こうで、ゼノは小さく笑った。

 

「君も相当だな」

 

「テメーに言われたくねえよ」

 

 横でボンドルドが言った。

 

「ゼノさんに提案があります」

 

 千空が睨む。

 

「勝手に喋るな」

 

「必要です」

 

「許可は」

 

「求めます」

 

 千空は一秒だけ考えた。

 

「十秒」

 

「ありがとうございます」

 

 ボンドルドは通信機へ近づく。

 

「ゼノさん。私を捕獲したいなら、殺傷を避けた狙撃より、周囲の安全保障を崩す方が有効です」

 

 通信機の向こうが静まった。

 

「どういう意味だ」

 

「私は自分の負傷では動きません。しかし、千空さんたちの中に重傷者が出れば、救助のために拘束手順は緩む。そこを狙うべきです」

 

 クロムが叫んだ。

 

「おい!」

 

 コハクの槍がボンドルドの首に当たる。

 

 ボンドルドは続けた。

 

「ただし、死亡させてはいけません。死亡すれば千空さん側は即座に敵対を最大化する。最適なのは、処置可能だが放置できない傷です」

 

「十秒終わりだ」

 

 千空が通信機を奪った。

 

 だが、向こうのゼノは沈黙していた。

 

 その沈黙には、明確な嫌悪があった。

 

「君は……」

 

 ゼノの声が、少しだけ変わる。

 

「自分の仲間を撃てと、私に助言したのか」

 

「協力関係です」

 

 ボンドルドは答える。

 

「仲間と呼ぶかは、彼らの判断によります」

 

「君は、それを本気で合理的だと思っているのか」

 

「はい」

 

 また沈黙。

 

 ゼノは、支配の科学者だった。

 

 人類を導くため、科学を少数者が握るべきだと考えている。

 

 銃も使う。

 

 暗殺も選ぶ。

 

 敵の科学者を排除する判断もできる。

 

 だが、ボンドルドの言葉には、違う冷たさがあった。

 

 ゼノは人を支配対象として見る。

 

 ボンドルドは、支配対象ですらないものとして見る。

 

 変数。

 

 条件。

 

 処置可能な損傷。

 

 通信機の向こうで、ゼノが低く言った。

 

「スタンリー」

 

 別の声が入る。

 

「聞いている」

 

「撃つな」

 

 スタンリーの声は短い。

 

「了解」

 

 千空は少し目を見開いた。

 

 ボンドルドも、わずかに首を傾けた。

 

「意外ですね」

 

 ゼノの声は、冷たくなっていた。

 

「私は科学者だ。君のようなものを、科学とは呼ばない」

 

 甲板に、風が吹いた。

 

 クロムが小さく呟く。

 

「ゼノが……引いた?」

 

 ゲンは乾いた笑いを漏らした。

 

「すごいね。支配系科学者にドン引きされるって、なかなかだよ」

 

 ボンドルドは、静かに答えた。

 

「それは残念です」

 

 千空が言う。

 

「残念そうに聞こえねえな」

 

「新しい分類が得られました」

 

「何の」

 

「ゼノさんの倫理境界です」

 

 千空は通信機を握る手に力を入れた。

 

「今ので、テメーは敵味方両方の境界を測ったわけか」

 

「はい」

 

 コハクが、本気で槍を押し込んだ。

 

 血が一筋、ボンドルドの首を伝った。

 

「これ以上喋れば刺す」

 

「理解しました」

 

   *

 

 ゼノの拠点は、予想以上に進んでいた。

 

 トウモロコシ畑。

 

 蒸留設備。

 

 機械加工の工房。

 

 銃器。

 

 電源。

 

 通信。

 

 そして、飛行機の骨組み。

 

 千空たちは離れた丘から、それを見た。

 

 クロムは唖然としていた。

 

「なんだよ、これ……こっちより進んでるじゃねえか」

 

 千空は笑った。

 

「現代科学者が本気で文明再建したらこうなるって見本だな」

 

 ゲンは汗を拭う。

 

「しかも銃持ち。話し合いでどうにかなる?」

 

「なるわけねえだろ」

 

 龍水が笑う。

 

「ならば奪うか、買うか、騙すかだ!」

 

「全部混ぜる」

 

 千空は言った。

 

「目的はコーンの確保。ゼノの無力化。スタンリーの足止め」

 

 ボンドルドは、後方で拘束されたまま見ていた。

 

 今回、上陸には同行している。

 

 ただし、両腕拘束、首枷、足には短い鎖。コハクと大樹が左右にいる。

 

「ボンドルド。評価」

 

 千空が言う。

 

 ボンドルドは拠点を見た。

 

「優れています。統一された指揮系統。技術者の選別。軍事防衛。食料生産。復活液生産に向けた合理的配置」

 

「弱点は」

 

「中央集権です」

 

 即答だった。

 

「ゼノさんとスタンリーさんに依存しすぎている。ゼノさんが失われれば科学方針が揺らぎ、スタンリーさんが失われれば軍事運用が崩れる」

 

 龍水が頷く。

 

「つまり、ゼノを取ればいい」

 

「はい」

 

 ボンドルドは続ける。

 

「ただし、殺してはいけません。彼は月へ行くために必要です」

 

 千空が横目で見る。

 

「そこは一致するんだな」

 

「有能な科学者は保存すべきです」

 

「保存って言うな」

 

「では、確保」

 

「それも微妙だが、まだマシだ」

 

 ゲンが小声で言う。

 

「最近、言葉の言い換え講座みたいになってるね」

 

   *

 

 作戦は速かった。

 

 ゲンが偽の交渉を仕掛ける。

 

 龍水が物資の取引を匂わせる。

 

 千空が通信でゼノを引き出す。

 

 クロムは、拠点の外周設備へ小さな細工を仕込む。

 

 コハクは、スタンリーの射線を避けて潜む。

 

 大樹は、いざという時の盾と運搬役。

 

 ボンドルドは、使わない。

 

 少なくとも、表向きは。

 

 ゼノは会談に応じた。

 

 場所は、畑と森の境界。

 

 互いに狙撃可能。

 

 互いに逃走可能。

 

 ゼノは一人で来た。

 

 もちろん、スタンリーの銃口はどこかから向いている。

 

 千空も一人で前へ出た。

 

 もちろん、一人ではない。

 

 森の中に、全員がいる。

 

 ゼノは千空を見た。

 

「君が石神千空か」

 

「そういうテメーがドクター・ゼノか」

 

「噂以上に若い」

 

「そっちは噂より偉そうだな」

 

 ゼノは薄く笑った。

 

「君とは、一度話してみたかった」

 

「俺もだ」

 

「では、単刀直入に言おう。私の下につけ」

 

「断る」

 

「早いな」

 

「考えるまでもねえ」

 

 ゼノは続ける。

 

「君の科学は散らばりすぎている。人々に知識を与えすぎる。文明再建初期に必要なのは秩序だ。科学を理解する者が管理し、無知な者を導く」

 

「で、テメーが王様か」

 

「必要なら」

 

「いらねえ」

 

 千空は笑った。

 

「科学は人類全員のもんだ」

 

 ゼノの目が冷える。

 

「理想論だ」

 

「実験済みだ」

 

 その時、後ろからボンドルドの声がした。

 

「失礼。私も同席してよろしいでしょうか」

 

 千空の顔が凍った。

 

 振り向く。

 

 ボンドルドが立っている。

 

 拘束具はついている。

 

 だが、左手だけが自由になっていた。

 

 コハクがいない。

 

 大樹もいない。

 

 ゼノの目が細くなる。

 

「どうやって来た」

 

「見張りの方々に、より優先度の高い問題を提示しました」

 

 森の奥で、大樹の叫び声がした。

 

「コハク! こっちだ! 煙が!」

 

 ゲンの声も聞こえる。

 

「ちょっと待って、それボンドルドちゃんの仕込みじゃない!?」

 

 千空が低く言う。

 

「何をした」

 

「無害な煙です。大樹さんは人を助けに向かう。コハクさんは危険源を確認する。三十秒ほど、私の監視は薄くなります」

 

「テメー……!」

 

「ご安心ください。今回は誰も傷つけていません」

 

「今回は、じゃねえ!」

 

 ゼノは、ボンドルドを見ていた。

 

 嫌悪。

 

 関心。

 

 警戒。

 

 その三つが、顔に出ない程度に混じっている。

 

「君は、なぜここへ来た」

 

 ゼノが問う。

 

「あなたと千空さんの差を、近くで確認するためです」

 

「差?」

 

「はい。あなたは科学を秩序のために使う。千空さんは科学を共有のために使う。では、未知の危険人物を前にした時、どちらがより正しく扱えるか」

 

 ゼノは言った。

 

「私は君を隔離する」

 

「千空さんもしています」

 

「私は君を研究する」

 

「千空さんもしています」

 

「違いは?」

 

 ボンドルドは、静かに言った。

 

「あなたは私を理解すれば管理できると思っている」

 

 ゼノは黙る。

 

「千空さんは、理解しても管理しきれないと知っている」

 

 千空が顔をしかめる。

 

「褒めてんのか貶してんのか、どっちだ」

 

「観察です」

 

 ゼノは、ほんの少しだけ表情を歪めた。

 

「君のようなものを、管理しきれないまま使う方が危険だ」

 

「同意します」

 

「ならば、なぜ彼の側にいる」

 

「彼の側は、私を止めようとする人が多い」

 

 ボンドルドの声は柔らかかった。

 

「大樹さんは怒る。コハクさんは斬ろうとする。フランソワさんは記録する。クロムさんは叫ぶ。ゲンさんは疑う。千空さんは使いながら縛る」

 

 彼は、ゼノを見た。

 

「あなたの側では、私はより早く成果を出せるでしょう。しかし、止める者が少ない」

 

 ゼノは言った。

 

「君を止める必要があると?」

 

「はい」

 

 即答。

 

 ゼノは、初めて明確に沈黙した。

 

 その沈黙は、科学者のものだった。

 

 目の前の対象が、自分自身の危険性を正確に評価している。

 

 しかも、それを止める環境を選んでいる。

 

 だが、止められるためではない。

 

 制約の中で、より鋭くなるために。

 

 ゼノは、ゆっくりと言った。

 

「君は、自分を実験系に組み込んでいる」

 

「はい」

 

「自分も、他人も、社会も」

 

「はい」

 

「科学のために」

 

「人類の前進のために」

 

 ゼノは目を細めた。

 

「その言葉を使うな」

 

 声に、初めて嫌悪が混じった。

 

「君のそれは前進ではない。消耗だ」

 

 ボンドルドは、少しだけ首を傾けた。

 

「意外です。あなたは、もっと許容すると思っていました」

 

「私は人類を導く。壊すためではない」

 

「導く過程で、犠牲は出ます」

 

「犠牲と標本は違う」

 

 千空が小さく笑った。

 

「ゼノに説教されてやんの」

 

 ボンドルドは黙った。

 

 ゼノは続ける。

 

「君は科学者ではない。科学を使う捕食者だ」

 

 風が止まったように感じた。

 

 ボンドルドは、ゆっくり頷いた。

 

「貴重な評価です」

 

「評価ではない」

 

「よく言われます」

 

 千空が言った。

 

「そこはいつもの返しすんな」

 

   *

 

 銃声が鳴った。

 

 スタンリーだった。

 

 だが、狙いは千空でもボンドルドでもない。

 

 地面。

 

 ゼノの足元。

 

 警告。

 

 ゼノの目が動く。

 

 スタンリーは、撤退を促している。

 

 この会談は危険だと判断したのだ。

 

 だが、その一発で、クロムの仕掛けが動いた。

 

 地面の下に仕込んだ小さな圧力袋。

 

 銃弾の衝撃。

 

 煙ではない。

 

 白い粉が舞う。

 

 石灰。

 

 視界が白く染まる。

 

 千空が叫ぶ。

 

「今だ!」

 

 コハクが飛び出す。

 

 大樹が戻る。

 

 龍水が縄を投げる。

 

 ゼノは反応した。

 

 速い。

 

 老獪ではなく、鍛えられた現代人の反応。

 

 だが、白い視界の中、ボンドルドだけが一歩早く動いた。

 

 彼はゼノを攻撃しなかった。

 

 逆に、ゼノの逃げ道へ自分の身体を置いた。

 

 拘束具付きの身体。

 

 倒れれば邪魔になる。

 

 ゼノは一瞬、ボンドルドを踏み越えるべきか迷った。

 

 その一瞬。

 

 大樹が届いた。

 

「捕まえた!」

 

 ゼノの腕が押さえられる。

 

 コハクが銃の可能性を封じる。

 

 龍水の縄がかかる。

 

 ゼノは抵抗したが、数で押された。

 

「君たち……」

 

 千空が近づく。

 

「悪いな、ドクター。しばらく同行してもらう」

 

 ゼノはボンドルドを見た。

 

「君は、本当に厄介だ」

 

「ありがとうございます」

 

「褒めていない」

 

「存じています」

 

 ゼノは、冷たく言った。

 

「私は君を欲しいと思ったが、間違いだった」

 

「訂正が早いですね」

 

「君は兵器にも、研究者にも、臣下にも向かない」

 

「では、何に向きますか」

 

 ゼノは答えた。

 

「封印だ」

 

 ボンドルドは、少しだけ黙った。

 

「千空さんと同じ結論ですね」

 

 千空は笑った。

 

「よかったな。ドン引き仲間が増えたぞ」

 

 ボンドルドは、穏やかに答えた。

 

「学術交流として有意義でした」

 

「どこがだよ」

 

   *

 

 ゼノを捕らえたことで、戦況は一気に変わった。

 

 だが、終わりではない。

 

 むしろ、最悪の追跡が始まる。

 

 スタンリーは、ゼノを取り返しに来る。

 

 彼は撃てる。

 

 飛べる。

 

 追える。

 

 迷わない。

 

 千空はペルセウスへ戻り、即座に指示を出した。

 

「撤収。コーンの確保は最低限。ゼノを連れて南へ逃げる」

 

 クロムが叫ぶ。

 

「逃げるのか!」

 

「戦力差がありすぎる。目的はゼノを殺すことじゃねえ。月へ行く科学力を集めることだ」

 

 龍水が笑う。

 

「欲しいものは奪った。なら、次は逃げ切る!」

 

 ゼノは拘束され、ボンドルドの保管室の隣に入れられた。

 

 クロムが、新しい札を書いた。

 

 科学者を隣同士に置くな。

 

 千空はそれを見て、即座に言った。

 

「採用」

 

 だが、船には部屋が足りない。

 

 結局、二人は厚い板一枚を挟んだ隣室に入れられた。

 

 夜。

 

 板越しに、ゼノが言った。

 

「ボンドルド」

 

「はい」

 

「君はなぜ、あの場で私を逃がさなかった」

 

「あなたが逃げれば、千空さんは撃たれる可能性が高かった」

 

「君は彼を守ったのか」

 

「結果として」

 

「目的は」

 

「あなたと千空さんの両方を生かした方が、月へ行く確率が上がる」

 

 ゼノは沈黙した。

 

「君は、人類を進めたいのか」

 

「はい」

 

「そのために、人間を壊すのか」

 

「必要であれば」

 

「君は、私が考えていた独裁よりも、はるかに危険だ」

 

「はい」

 

「なぜ、はいと言える」

 

 ボンドルドは穏やかに答えた。

 

「自覚のない危険より、自覚のある危険の方が管理しやすい」

 

 板の向こうで、ゼノは低く言った。

 

「管理される気があるようには聞こえない」

 

「あります」

 

「嘘だな」

 

「はい」

 

 ゼノは、初めて声を荒げた。

 

「君は何なんだ」

 

 ボンドルドは少し黙った。

 

「探窟家です」

 

「科学者ではなく?」

 

「科学者でもあります」

 

「人間では?」

 

「分類上は」

 

「分類の話ではない」

 

 ボンドルドは、それには答えなかった。

 

 板の向こうで、ゼノは深く息を吐いた。

 

「千空は、なぜ君を船に置く」

 

 ボンドルドは答えた。

 

「彼は、捨てないからです」

 

「君のような者も?」

 

「はい」

 

「それが彼の弱点か」

 

「いいえ」

 

 ボンドルドの声は静かだった。

 

「それが、彼の最も危険な点です」

 

   *

 

 甲板では、千空が星を見ていた。

 

 北米の空。

 

 日本とも宝島とも違う星の位置。

 

 月がある。

 

 その月へ行くには、ゼノの頭脳が要る。

 

 ボンドルドの危険な発想も、おそらく要る。

 

 だが、その二人を船に積むことは、火薬庫に火を保管するようなものだった。

 

 ゲンが隣に立つ。

 

「ゼノちゃん、ボンドルドちゃんにかなり引いてたね」

 

「ああ」

 

「支配系科学者をドン引きさせるって、やっぱりすごいよ」

 

「褒めてねえよな」

 

「もちろん」

 

 ゲンは、少し真面目な声になった。

 

「でもさ。ゼノちゃんが引いたことで、逆にわかったね」

 

「何が」

 

「ボンドルドちゃんのやばさの種類。ゼノちゃんは支配したい。ボンドルドちゃんは、支配すら目的じゃない。人間が壊れても、社会が壊れても、そこからデータが取れるなら前進って見る」

 

 千空は月を見たまま言った。

 

「だから止める」

 

「使いながら?」

 

「使いながらだ」

 

「大変だねぇ」

 

「大変じゃねえ科学なんざねえよ」

 

 遠くで、スタンリーの飛行機の音がかすかに聞こえた気がした。

 

 追跡は始まっている。

 

 ペルセウスは南へ向かう。

 

 ゼノを乗せて。

 

 ボンドルドを閉じ込めて。

 

 月へ届く科学を集めるために。

 

 そして船底では、二人の危険な科学者が、板一枚を挟んで沈黙していた。

 

 片方は、科学で人類を支配しようとする男。

 

 もう片方は、科学のためなら人類すら実験条件にする男。

 

 その二人を、千空は生かしたまま連れていく。

 

 全員を救うために。

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