石の世界に祝福を   作:stein0630

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第2話 復活液の値段

 

 科学王国に、異物が入った。

 

 誰もが、それを肌で感じた。

 

 木と縄と竹で組まれた建物。炉から上がる煙。干された薬草。棚に並ぶ瓶。石器と金属器具が同居する作業場。文明崩壊後の世界に、人間が歯を食いしばって積み上げ直した、いびつで力強い科学の拠点。

 

 そこへ、黒と濃紺の装甲をまとった仮面の探窟家が歩いてくる。

 

 村人たちは、作業の手を止めた。

 

 子供は大人の背中に隠れ、戦える者は自然と腰の武器に手を伸ばす。ボンドルドはそのすべてを見ていた。視線の数。恐怖の種類。戦闘経験の有無。村の中心人物が誰で、誰が判断を待っているのか。

 

 彼は、誰にも敵意を向けなかった。

 

 ただ、静かに頭を下げた。

 

「突然お邪魔してしまい、申し訳ありません」

 

 その丁寧さが、かえって異様だった。

 

 大樹が前に出た。

 

「千空! その人は誰だ!」

 

「森で拾った」

 

「人を拾うな!」

 

 大樹の大声に、何人かが少しだけ肩の力を抜いた。

 

 ボンドルドは大樹を見上げる。大柄な体。迷いの少ない目。発達した筋肉。手には傷跡。労働と戦闘の両方をこなす身体。

 

「立派な肉体ですね。長期の肉体労働に耐えるだけでなく、瞬発的な負荷にも強い。石化解除後の経過観察としても、非常に価値があります」

 

 場の空気が、一瞬で冷えた。

 

「……俺を、何として見ているんだ?」

 

 大樹の声は低かった。

 

「人としてです」

 

 ボンドルドは即答した。

 

「その上で、観察対象としても見ています」

 

 大樹が拳を握る。

 

「人は、観察するものじゃない。話すものだ!」

 

「はい。ですから、まず対話をしています」

 

「そういう意味ではない!」

 

 クロムが頭を抱えた。

 

「この人、話通じてるのに通じてねえ!」

 

 ゲンは少し離れたところから、ボンドルドを見ていた。

 

 いつものように軽い笑みを浮かべている。だが、その目は笑っていない。

 

「いやぁ、千空ちゃん。なかなか強烈なお客さん連れてきたね」

 

「だろ。めんどくせえ匂いしかしねえ」

 

「帰ってもらう選択肢は?」

 

「森で勝手に実験されるよりマシだ」

 

「うわぁ、最悪の二択」

 

 ゲンは肩をすくめ、ボンドルドへ歩み寄った。

 

「どーも。俺はあさぎりゲン。まあ、交渉とか心理戦とか、そういう胡散臭い担当ね」

 

「ご丁寧にありがとうございます。ボンドルドです」

 

「うんうん、さっき聞いた。で、ボンドルドちゃんは、俺らと仲良くしたい感じ?」

 

「可能であれば」

 

「可能でなければ?」

 

「互いの目的に応じて、適切な距離を取るべきでしょう」

 

「敵対するとは言わないんだ」

 

「まだ、その必要がありません」

 

 ゲンの笑みが薄くなる。

 

「まだ、ね」

 

 ボンドルドは、作業場の棚へ視線を移した。

 

 土器、ガラス瓶、木炭、灰、貝殻、発酵液、金属片。粗いが機能的な器具。完全な近代設備ではない。だが、基礎化学の再建は進んでいる。

 

「よくここまで」

 

 ボンドルドの声には、初めて明確な敬意があった。

 

「電力、冶金、ガラス、薬品、食品加工。素材は粗くとも、系統立った再建が行われている。これは個人の趣味ではなく、文明復興の意思ですね」

 

 千空は横目で見る。

 

「褒めても復活液は出ねえぞ」

 

「では、交換条件を提示しましょう」

 

「早いな」

 

「互いに時間は貴重です」

 

 ボンドルドは、預けられていない黒い手帳を胸元から取り出した。

 

 コハクの槍がわずかに動く。

 

 ボンドルドは手を止めた。

 

「開くだけです。武器ではありません」

 

「そう判断するのは私だ」

 

「もっともです」

 

 彼はゆっくりと手帳を開いた。

 

 中には、見慣れない記号と、精密な図が記されていた。人体の断面図。薬品の配合らしき表。器具の構造。だが、ところどころが破れており、濡れて滲んでいる。

 

 千空が覗き込む。

 

 文字は読めない。だが、図は読める。

 

「麻酔と外科処置の記録か」

 

「一部は」

 

「人体実験の記録か?」

 

「臨床記録でもあります」

 

「便利な言い換えだな」

 

「言葉は、観察対象の切り方を決めますから」

 

 千空は笑わなかった。

 

 杠が、大樹の後ろから一歩前へ出た。顔は強張っているが、目を逸らさない。

 

「その記録って、人を助けるためのものなんですか?」

 

「助けた例もあります」

 

「助けなかった例もあるんですね」

 

 ボンドルドは、杠を見た。

 

「はい」

 

 場が静まり返った。

 

 杠の手が、小さく震える。だが、彼女は引かない。

 

「私は、壊れた石像を直してきました。顔も、腕も、足も。誰かが戻ってきた時、少しでも元に戻れるように」

 

「ええ。たいへん尊い作業です」

 

「だったら、その人たちを材料みたいに言わないでください」

 

 ボンドルドはしばらく黙った。

 

 怒りでも、困惑でもない。彼は、杠の言葉を分類しているように見えた。

 

「あなたは、復活前の個体にも、復活後の本人と連続した尊厳を認めている」

 

「難しい言い方はわかりません。でも、石像は人です」

 

「その考え方は、復活成功率に良い影響を与えます」

 

 杠の表情が変わる。

 

「え?」

 

「破片を丁寧に接合し、欠損を減らす。個体識別を維持する。心理的にも、復活後の混乱を軽減する可能性がある。あなたの倫理は、実務上も有効です」

 

「……褒めてるんですか?」

 

「はい」

 

「でも、なんか嫌です」

 

 ゲンが小さく息を吐いた。

 

「わかるわぁ、それ」

 

 千空は作業台の前に立った。

 

「本題だ。テメーは何を出せる」

 

「薬品知識。外傷処置。感染症対策。麻酔、鎮静、毒物管理。限られた範囲ですが、金属加工と保存技術に関する知識もあります」

 

「この世界で再現できる保証は?」

 

「ありません。だからこそ、まず設備を確認したい」

 

「交換に何を要求する」

 

「石化解除液の成分、製造法、使用条件。および、復活過程の観察権限」

 

「最後が本音だろ」

 

「全て本音です」

 

 千空は、棚から一つの瓶を取った。

 

 中身は少ない。復活液ではない。硝酸を含む原料液の一部だ。

 

 ボンドルドの仮面が、わずかにそちらへ向く。

 

 反応した。

 

 千空は、その反応を見た。

 

「匂いでわかるか」

 

「硝酸系の反応液ですか」

 

「当たりだ。だが、これだけじゃ復活液にはならねえ」

 

「アルコールとの混合でしょうか」

 

 クロムが声を上げる。

 

「おい、千空!」

 

 千空は手を上げて制した。

 

 ボンドルドは続ける。

 

「石化した人体の解除に使うなら、単純な酸溶解ではない。強酸で溶かせば人体ごと破壊される。硝酸単独では不十分。反応性を調整する有機溶媒、もしくは還元・浸透に関与する成分が必要になる。揮発性、入手性、原始設備での製造可能性を考えるなら、発酵由来のエタノールは候補になります」

 

 千空は瓶を置いた。

 

「七十点が八十点になったな」

 

 クロムが悔しそうに歯を食いしばる。

 

「マジかよ。そこまで嗅ぎ当てんのか」

 

「嗅ぎ当てたというより、制約から候補を絞ったのでしょう」

 

 ボンドルドはクロムへ向く。

 

「あなた方の設備で大量入手できる有機溶媒は限られます。酒精は、発酵技術さえあれば比較的現実的です」

 

「くっそ、理屈はわかる!」

 

 クロムは悔しがりながらも、少し楽しそうだった。

 

 千空はその顔を見て、次にボンドルドを見た。

 

 危険だ。

 

 この男は、科学者を喜ばせる。

 

 未知を見せ、答えを少しだけ出し、足りない部分を相手に考えさせる。クロムの好奇心を刺激する方法を、もう掴みかけている。

 

「復活液の完全なレシピは渡さねえ」

 

 千空は言った。

 

「ただし、テメーの知識は買う。まずは試験だ」

 

「試験」

 

「ああ。こっちの患者を診ろ」

 

 大樹が反応した。

 

「千空!」

 

「人間じゃねえ。まずは動物だ」

 

 千空は小屋の方へ歩き出した。

 

 ボンドルドはついてくる。コハクがその背後につき、ゲンは横に並んだ。クロムは迷った末に、工具を抱えて追いかける。大樹と杠も離れずについてきた。

 

 小屋の中には、一羽の鳥がいた。

 

 翼を傷めている。罠にかかったのをスイカが見つけ、千空たちが保護していたものだ。骨折はしていないが、傷口が膿みかけている。

 

 スイカは小屋の隅で不安そうに見ていた。

 

「その鳥、助かるんだよね?」

 

「助かる確率を上げる」

 

 千空は言った。

 

「こいつに診させる」

 

 スイカの壺が揺れた。

 

「この人に?」

 

 ボンドルドは鳥籠の前に膝をついた。

 

 鳥が暴れる。彼はすぐには触らない。まず距離を取って観察する。呼吸。羽の動き。足の力。目の濁り。傷口の位置。

 

「罠による裂傷。化膿が始まっています。熱は……触れてよろしいですか」

 

 千空が頷く。

 

 ボンドルドは布で鳥を包み、必要最小限の力で固定した。

 

 その動きは丁寧だった。

 

 乱暴ではない。

 手際は良い。

 苦痛を減らす方法を知っている。

 

 それが、かえって全員を黙らせた。

 

「洗浄が必要です。清潔な水、煮沸済みの布、刃物を火で処理したもの。可能なら、アルコール。蜂蜜か、樹脂系の被覆材はありますか」

 

 千空がクロムを見る。

 

「ある。準備しろ」

 

「おう!」

 

 クロムは走った。

 

 ボンドルドは小瓶に手を伸ばしかけ、千空が止める。

 

「持ち込み薬品は使わせねえ」

 

「妥当です。成分不明のものを使えば、評価できません」

 

「わかってんじゃねえか」

 

「試験ですから」

 

 ボンドルドは、科学王国にある材料だけを使った。

 

 煮沸水で洗い、膿を出し、壊死しかけた組織を最小限だけ取り除く。アルコールを直接大量にかけようとはしない。痛みと組織損傷を考え、器具の処理に回す。傷口には蜂蜜を薄く使い、布で保護する。

 

 杠が思わず呟いた。

 

「ちゃんと、助けようとしてる……」

 

「助ける処置ですから」

 

 ボンドルドは淡々と言った。

 

 スイカが恐る恐る聞く。

 

「痛くないようにしてるの?」

 

「痛みはあります。ですが、減らすことはできます。無意味な苦痛は観察を濁らせますし、治癒にも悪影響を与える」

 

「無意味じゃなかったら?」

 

 スイカの声は小さかった。

 

 ボンドルドの手が一瞬だけ止まる。

 

 ゲンがその一瞬を見た。

 

 千空も見た。

 

「必要な痛みもあります」

 

 ボンドルドは言った。

 

「ですが、それを判断する者には、相応の責任が必要です」

 

 大樹が低く言う。

 

「その責任を、お前は自分にあると思っているのか」

 

「はい」

 

「だから怖いんだ」

 

 大樹の言葉は、まっすぐだった。

 

「悪いと思っていない人間は、止まらない」

 

 ボンドルドは大樹を見た。

 

「止めるために、あなた方がいるのでしょう」

 

 小屋の空気が張り詰めた。

 

 ゲンが軽く手を叩く。

 

「はいはい、鳥さんびっくりしちゃうから、殺気は外でやろうねー」

 

 ボンドルドは処置を終え、布を固定した。

 

「この設備でできる処置としては、悪くありません。数日は観察が必要です。餌を食べるか、傷口の臭気が増すか、羽の動きが戻るか」

 

「合格点はやる」

 

 千空は言った。

 

「ただし、これで信用したわけじゃねえ」

 

「信用は不要です。観察を続けてください」

 

「言われなくてもな」

 

 千空は作業台へ戻ると、竹筒を一本取り出した。

 

 中身は復活液ではない。薄めた模擬液だ。硝酸臭はあるが、肝心の比率も材料も違う。

 

 ボンドルドの前に置く。

 

「これを分析しろ。材料はこの村にあるもんだけ。加熱、冷却、濾過、蒸留、匂い、反応。好きにやれ。ただし、石像には使わせねえ」

 

 ボンドルドは竹筒を見た。

 

「模擬試料ですね」

 

「気づくか」

 

「はい。ですが、有益です」

 

 彼は竹筒を手に取った。

 

「あなたは、私に復活液の周辺情報だけを与え、こちらの分析能力と危険性を同時に測るつもりです。もし私が本物だと誤認して石像に使おうとすれば、失格。もし成分を過剰に断定すれば、推理の粗が見える」

 

 クロムが千空を見る。

 

「そこまで読まれてんじゃねえか!」

 

「読ませてんだよ」

 

 千空は笑った。

 

「こいつがどう読むかを見るためにな」

 

 ボンドルドの仮面が、千空へ向いた。

 

「素晴らしい手順です」

 

「嬉しくねえな」

 

「では、私からもひとつ提案を」

 

「言ってみろ」

 

「石化解除の観察について、最初から人間を対象にする必要はありません」

 

 全員の空気が少しだけ変わった。

 

 千空の目が細くなる。

 

「どういう意味だ」

 

「この世界には、人間以外にも石化対象が存在する可能性がありますか」

 

「今のところ、主対象は人間だ。鳥や獣の石化は確認してねえ」

 

「ならば、石化した人体の微小片。すでに剥離し、本人の復元可能性に影響しない破片を使う」

 

 杠が険しい顔をする。

 

「破片でも、人です」

 

「はい。ですから、あなたの判断が必要です」

 

 ボンドルドは杠を見る。

 

「復元に使用できないほど風化し、個体への帰属が判別不能で、すでに失われた破片。それでも拒否されますか」

 

 杠はすぐに答えられなかった。

 

 拒否したい。

 だが、千空たちはこれまでにも、石化の破片や表面を調べてきた。復活のために必要な範囲で、科学的に扱ってきた。

 

 ボンドルドは、そこを突いている。

 

 人を物扱いする言葉ではなく、千空たち自身が許容してきた科学の境界線を、丁寧になぞっている。

 

 ゲンが小さく笑った。

 

「うわぁ……これは嫌な交渉だね」

 

 千空は黙っていた。

 

 ボンドルドは続ける。

 

「観察項目は限定します。質量変化、表面反応、硬度変化、微細亀裂の進行。復活ではなく、解除反応の初期段階のみ。これなら、人格ある個体を危険に晒すことはありません」

 

「で、その結果から何を見る」

 

「復活液が石化物質に与える作用の入り口です。反応が表面から進むのか、内部へ浸透するのか。損傷部の修復と解除が同一過程なのか、それとも別か。もし別なら、復活液の改良余地がある」

 

「改良?」

 

 クロムが反応する。

 

「損傷した石像でも、より安全に戻せる可能性があります」

 

 杠が息を呑んだ。

 

 それは、魅力的な言葉だった。

 

 壊れた石像。

 欠けた腕。

 砕けた顔。

 戻せるかもしれない人々。

 

 ボンドルドは、その痛みを見つけていた。

 

 千空は低く言った。

 

「テメー、性格悪いな」

 

「必要な可能性を提示しただけです」

 

「人が欲しがる言葉を選んだ」

 

「欲していない可能性を提示しても、交渉にはなりません」

 

 ゲンが肩をすくめる。

 

「心理戦もできる科学者とか、面倒すぎるんだけど」

 

「決めるのは俺だ」

 

 千空は言った。

 

 杠が顔を上げる。

 

「千空くん」

 

「実験自体はやる価値がある。だが、条件はこっちが決める」

 

 千空は指を一本立てた。

 

「一つ。使う破片は、個体復元に絶対使えねえものだけ。杠が選別する」

 

 二本目。

 

「二つ。実験は全員の目の前でやる。単独作業は禁止」

 

 三本目。

 

「三つ。記録は共有。テメーの手帳だけに書くのはなしだ」

 

 四本目。

 

「四つ。人間の復活本番には触らせねえ。観察は距離を取って、俺が許可した範囲だけだ」

 

 ボンドルドは頷いた。

 

「合理的です」

 

「まだある」

 

 千空は、最後に笑った。

 

「五つ。テメーが何を知りたがるか、俺が観察する」

 

「もちろん」

 

 ボンドルドは静かに答えた。

 

「互いに観察しましょう」

 

   *

 

 夕方、実験は作業場の外で行われた。

 

 使うのは、風化して粉に近くなった石化片。元の個体も部位も判別できない。杠が、苦しそうな顔で選んだ。

 

 千空は復活液を、ほんの一滴だけ用意した。

 

 本物だ。

 

 ボンドルドの前に置いた瞬間、彼の空気が変わった。

 

 わずかだが、確かに変わった。

 

 コハクは槍を握り直す。

 

 ゲンは口元だけで笑う。

 

 クロムは実験台に身を乗り出しかけ、千空に襟を掴まれた。

 

「近い」

 

「だってよ!」

 

「爆発しねえが、邪魔だ」

 

 ボンドルドは、液体の匂いを確認した。

 

「硝酸。エタノール。比率は……」

 

「そこまでだ」

 

 千空が止める。

 

「今は当て物じゃねえ。反応を見ろ」

 

 ボンドルドは頷いた。

 

 石化片の上に、一滴。

 

 じわり、と液が染みた。

 

 すぐに大きな変化は起きない。

 

 表面の色が、わずかに変わる。細かな亀裂に沿って液が走る。硬質な石の粉が、ほんの少しだけ湿ったように崩れた。

 

 ボンドルドは、息をするのも忘れたように見ていた。

 

 その沈黙は、狂喜ではなかった。

 

 畏敬だった。

 

「……保存ではなく、停止に近い」

 

 千空の目が動く。

 

「続けろ」

 

「組織を石に置換したのではない。生命活動、構造情報、損傷情報を、何らかの形で固定している。解除液は、石を溶かして人体を取り出しているのではなく、固定状態を解いている可能性がある」

 

「百点に近づいてきたな」

 

「ですが、不可解です。エネルギー収支が合わない。情報の保持と復元に必要な機構が見えない。化学反応だけでは足りない」

 

「そこが石化現象のクソ面白いとこだ」

 

 千空の声にも熱があった。

 

 一瞬だけ、二人は同じものを見ていた。

 

 未知。

 

 この世界を根底から変えた、巨大な謎。

 

 クロムも、ゲンも、コハクも、その瞬間だけ二人が似ていることを感じた。

 

 だからこそ、次の言葉が重かった。

 

「この技術を制御できれば」

 

 ボンドルドは言った。

 

「人類は死を大きく迂回できるかもしれません。負傷者の保存。病の進行停止。危険環境への適応。選別的な復活。限られた資源下での人口管理」

 

 千空の熱が、すっと冷えた。

 

「最後、今なんつった」

 

「人口管理です」

 

 ボンドルドは隠さなかった。

 

「復活液が限られるなら、誰をいつ戻すかは文明再建の根幹に関わる。労働力、知識、統治、危険因子。復活順を制御する者が、社会の形を決める」

 

「それをテメーはやるべきだと思うのか」

 

「すでに、あなた方も行っています」

 

 空気が凍った。

 

「復活液は有限。全員を同時には戻せない。ならば、順序がある。順序には価値判断が含まれる。あなた方は善意で選んでいるのでしょう。ですが、善意であることは、選別でないことを意味しません」

 

 大樹が一歩踏み出した。

 

「違う! 千空はみんなを助けようとしてる!」

 

「はい。だからこそ、順番を選んでいる」

 

「お前の言い方はおかしい!」

 

「言い方ではなく、構造の話です」

 

 大樹は言葉に詰まった。

 

 千空は笑った。

 

 だが、その笑いは軽くなかった。

 

「クク……面白えな。テメーは俺らの弱点を、理屈の形で刺してきやがる」

 

「弱点ではありません。現実です」

 

「現実だからって、人間を管理資源にすんのは別問題だ」

 

「では、あなたはどう選びますか」

 

 ボンドルドは、静かに問いかけた。

 

「医師と、子供。農業技術者と、重傷者。犯罪者と、科学者。復活液が一人分しかない時、あなたは誰を戻しますか」

 

 誰も答えなかった。

 

 それは、いつか必ず来る問いだった。

 

 科学王国が広がれば広がるほど、避けられない問い。

 

 ゲンが口を開きかけたが、千空が先に言った。

 

「その問いを、一人で決めるやつには渡さねえ」

 

 ボンドルドはわずかに首を傾ける。

 

「では、誰が」

 

「みんなだ」

 

「全員で決めれば、犠牲は消えますか」

 

「消えねえ」

 

 千空は即答した。

 

「だが、テメーみてえに、犠牲を最初から計算式の部品にはしねえ」

 

 ボンドルドは黙った。

 

 夕日が、黒い装甲の縁を赤く照らす。

 

 その姿は、科学者というより、文明の外から来た審判者のようだった。

 

「あなたの科学は、遠回りですね」

 

「人間連れてくなら、遠回り上等だ」

 

「それで間に合わない時は?」

 

「間に合わせる」

 

「不可能なら?」

 

「不可能をぶち壊すのが科学だろ」

 

 ボンドルドは、そこで初めて少しだけ笑ったように見えた。

 

 仮面のせいで、表情は見えない。

 

 だが、声が柔らかくなった。

 

「あなたは、本当に興味深い」

 

「俺はテメーが心底めんどくせえ」

 

「光栄です」

 

「褒めてねえ」

 

 実験台の上で、石化片は静かに崩れていた。

 

 完全な復活ではない。人体には戻らない。粉は粉のまま、ただ石化の固定だけがわずかに解けたように見える。

 

 だが、その反応は全員が見た。

 

 ボンドルドも見た。

 

 千空は、彼が何に目を奪われたかを見た。

 

 反応そのものではない。

 解除の成功でもない。

 ボンドルドが最も長く見ていたのは、復活液の残量だった。

 

 どれだけあるのか。

 どれだけ作れるのか。

 誰が管理しているのか。

 

 千空は小瓶を握り、懐へ戻した。

 

「今日の実験は終わりだ」

 

「有意義でした」

 

「だろうな」

 

 ボンドルドは丁寧に頭を下げた。

 

「ありがとうございます。これで、この世界の輪郭が少し見えました」

 

 ゲンが軽い声で聞く。

 

「どんな輪郭?」

 

「人類は滅びていない」

 

 ボンドルドは答えた。

 

「ただ、まだ眠っている。そして、目覚めさせる鍵は、少数の手の中にある」

 

 コハクの目が鋭くなる。

 

「それを奪うつもりか」

 

「現時点では、その必要はありません」

 

「現時点では、か」

 

「はい」

 

 千空は、夜の支度を始める村を見た。

 

 火が灯る。鍋が煮える。誰かが笑い、誰かが作業を続ける。復活した者と、石神村の者が混じり合い、ぎこちなくも同じ場所で生きている。

 

 ここには、守るものが多すぎる。

 

 ボンドルドに見せたものは少ない。だが、見せすぎたものもある。

 

 その夜、ボンドルドには見張り付きの小屋が与えられた。

 

 武器はない。薬品もない。黒い手帳も預けさせた。ただし、千空は知っていた。

 

 本当に危険なのは、手帳でも薬品でもない。

 

 あの男の頭だ。

 

   *

 

 深夜。

 

 見張りのコハクは、小屋の外で目を開けたまま座っていた。

 

 中から物音はしない。

 

 だが、声がした。

 

「起きているのですね」

 

「眠っている相手に話しかける趣味があるのか」

 

「確認です」

 

「確認された。私は起きている」

 

 扉越しに、ボンドルドは穏やかに言った。

 

「あなたは、私を嫌っていますね」

 

「警戒している」

 

「嫌悪も含まれているように見えます」

 

「含まれている」

 

「正直で助かります」

 

 コハクは槍を抱えたまま、扉を見る。

 

「お前は、千空に似ている」

 

「それは光栄です」

 

「最後のところだけ、まるで違う」

 

 小屋の中で、少しだけ沈黙があった。

 

「あなたは、その違いを本能で見ている」

 

「本能ではない。目で見ている。お前は、人を見る時、距離を測る。重さを測る。使い道を測る」

 

「戦士も同じでは?」

 

「違う」

 

 コハクの声は低い。

 

「私は、斬るべきかどうかを見る。お前は、何に使えるかを見ている」

 

 ボンドルドは答えなかった。

 

 代わりに、かすかな金属音がした。

 

 コハクは即座に立ち上がり、扉を開けた。

 

 小屋の中で、ボンドルドは座っていた。

 

 手には何もない。

 

 だが、壁際の床に、小さな黒い破片が落ちていた。装甲の内側から外れた部品のようだった。

 

「何をした」

 

「外れかけていた部品を取っただけです」

 

 コハクは破片を拾わない。

 

「動くな」

 

「動きません」

 

 声は穏やかだった。

 

 コハクは千空を呼ぼうとした。

 

 その前に、ボンドルドが言った。

 

「明日、千空さんにお伝えください。その部品には触れない方がよい、と」

 

「罠か」

 

「いいえ。内部に残留薬品がある可能性があります。私の装備は、この世界で安全基準を満たしていません」

 

「なぜ今それを外した」

 

「破損が進めば、意図せず漏れる可能性がありました」

 

「こちらのために?」

 

「私の観察環境を守るためです」

 

 コハクは槍を構えたまま、しばらく黙っていた。

 

「やはり、お前は怖い」

 

「ええ」

 

 ボンドルドは静かに言った。

 

「怖がっていただくのが、互いのためでしょう」

 

 コハクは、その言葉を千空に伝えるべきだと思った。

 

 そして同時に、もうひとつ思った。

 

 この男は、まだ何も始めていない。

 

 何も始めていないのに、すでに村の全員が、少しずつ試されている。

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