石の世界に祝福を   作:stein0630

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第3話 選別表

 

 

 朝になる前に、千空は起きていた。

 

 炉の火はまだ小さい。村の大半は眠っている。だが、作業場の台の上には、昨夜コハクが回収した黒い破片が置かれていた。

 

 大きさは爪ほど。金属とも樹脂ともつかない。表面は黒く、断面にだけ鈍い銀色が見える。破損部から、かすかに甘いような、苦いような匂いがした。

 

 クロムは眠そうな目をこすりながら、横から覗き込んだ。

 

「なあ千空。これ、あいつの装甲の部品なんだよな?」

 

「ああ。本人いわく、外れかけてた部品だとよ」

 

「罠っぽい?」

 

「罠なら、わざわざ触るなって言わねえ可能性もある。だが、善意とは限らねえ」

 

「じゃあ何なんだよ」

 

「テストだろうな」

 

 千空は、破片に直接触れず、竹製のピンセットで持ち上げた。

 

 まず水に触れさせる。

 

 反応は薄い。泡は出ない。色もほとんど変わらない。

 

 次に、炭の粉を置いた皿の横で、破片の匂いだけを確認する。千空は顔をしかめた。

 

「薬品が染みてる。揮発は弱い。即効性の毒ってより、保存か鎮静、あるいは防腐系だな」

 

「怖っ」

 

「怖えのは、そこじゃねえ」

 

 千空は破片を置いた。

 

「こいつを“危ないから触るな”って言ったことで、ボンドルドは二つ見てる」

 

「二つ?」

 

「一つ。俺らが未知物質にどう対処するか。二つ。俺らがあいつの警告を信用するか」

 

 クロムは目を覚ましたように顔を上げた。

 

「あー……なるほど。触ったら、雑なやつらだってバレる。触らなかったら、警告を受け入れるってことになる」

 

「それだけじゃねえ。俺らが分析できるかも見てる。素材、薬品、安全管理。全部だ」

 

「くっそ、嫌なやつだな!」

 

「嫌なやつで済むなら楽なんだがな」

 

 千空は破片を灰の上に置き、周囲を囲った。

 

「現時点でわかったのは、こいつの装備は完全密閉じゃない。破損してる。内部に薬品系の仕込みがある。本人も、それを把握してる」

 

「危険物の塊じゃねえか」

 

「そうだ。だが、逆に言えば有限だ。壊れたら戻らねえ」

 

 クロムは破片を見つめた。

 

「なあ、あいつはさ。俺らの敵なのか?」

 

「まだ違う」

 

「味方?」

 

「もっと違う」

 

「じゃあ何だよ」

 

「科学を餌にした爆弾だ」

 

 クロムは黙った。

 

 そこへ、軽い足音が近づいてきた。

 

「おはよー、千空ちゃん。朝っぱらから物騒な比喩してるねぇ」

 

 ゲンだった。眠そうな顔をしているが、目はしっかり起きている。

 

「で、仮面ちゃんは?」

 

「小屋だ。コハクが見張ってる」

 

「コハクちゃん、寝てないでしょ」

 

「寝てねえな」

 

「そっちも危ないね。疲れた見張りは、強い敵より怖いよ」

 

 ゲンは破片を見た。

 

「それ、昨日の?」

 

「ああ。軽く見た限り、触らねえ方がいいのは本当だ」

 

「ふーん」

 

 ゲンは笑った。

 

「じゃあ、嘘をつかずに信用を一個稼いだわけだ」

 

「そういうこった」

 

「やだなぁ。嫌なタイプの誠実さだね」

 

 千空は小さく頷いた。

 

 ボンドルドは、嘘をつかない。

 

 少なくとも、嘘をつかずに相手を動かす方法を知っている。

 

   *

 

 日の出とともに、ボンドルドは小屋から出された。

 

 黒と濃紺の装甲は、朝日に照らされても明るくはならない。仮面の縁だけが鈍く光り、森の影をまとったような姿で、彼は作業場の前に立った。

 

 コハクは一晩中見張っていたにもかかわらず、槍を下ろしていない。

 

「おはようございます」

 

 ボンドルドは、いつもと同じ声で言った。

 

「昨夜の部品は、無事でしたか」

 

「触っちゃいねえ」

 

 千空が答える。

 

「水にはほぼ無反応。匂いから見て、揮発性は低い。防腐か鎮静系の薬品が染みてる。金属部分は単純な鉄じゃねえ。樹脂部は熱に弱そうだが、燃やすのは保留だ」

 

「見事です」

 

「褒めるな。うさんくせえ」

 

「失礼しました」

 

「で、あれは何だ」

 

「装甲内部の緩衝材です。薬品の漏出を抑えるための層でもありました。破損部から外れかけていたため、除去しました」

 

「何の薬品だ」

 

「鎮静と保存に関わる混合物です。ただし、現在の残留量では大きな効果はありません」

 

「人間に使うための?」

 

「人体にも使えるよう調整されたものです」

 

 大樹の眉が動いた。

 

 ボンドルドはそれを見て、すぐに言葉を足した。

 

「もちろん、使用には量と目的が重要です。薬は、量を誤れば毒になります」

 

「毒は、目的を選んでも毒だ」

 

 大樹が言った。

 

「その見方も正しい」

 

「お前は、いつも正しいと言うな」

 

「相手の価値判断を否定しても、観察精度は上がりません」

 

 大樹は言葉に詰まった。

 

 ゲンが横から口を挟む。

 

「ボンドルドちゃんってさ、相手を怒らせない言い方がうまいよね。怒らせてるけど」

 

「未熟で申し訳ありません」

 

「いや、謝り方まで丁寧なのが逆に怖いんだって」

 

 そこへ、派手な声が響いた。

 

「面白い客人がいると聞いたぞ!」

 

 龍水が、まるで自分の舞台へ登場するように歩いてきた。

 

 羽織った布は村のものだが、立ち方と声だけで場を支配する。隣にはフランソワが控えている。フランソワはボンドルドの装備を一瞥しただけで、表情を変えなかった。

 

「俺は七海龍水だ。船も、人も、情報も、世界も欲しい男だ」

 

 龍水は笑った。

 

「貴様は何を欲しがる?」

 

 ボンドルドは龍水を見た。

 

 数秒、観察する。

 

「明確な欲望を隠さない方ですね」

 

「隠す必要がない! 欲しいものを欲しいと言うから、人は動く!」

 

「交渉相手として、たいへん扱いやすい」

 

 龍水の笑みが深くなる。

 

「言うじゃないか」

 

「そして、指導者として危険でもある」

 

「ほう」

 

「欲望が大きい者は、周囲に進路を示せる。一方で、本人の欲望と集団の利益が一致しなくなった時、破壊的な速度で誤る可能性がある」

 

 龍水は声を上げて笑った。

 

「気に入ったぞ! 俺を値踏みするとはな!」

 

 千空が横から言った。

 

「気に入るな。値踏みされてんだぞ」

 

「当然だ。俺もこいつを値踏みする」

 

 龍水はボンドルドの装甲、仮面、外套、腰の器具、破損箇所を見た。

 

「見たところ、貴様は財産を持っている。だが、その財産はこの世界では補充できん。知識は高価だが、装備は消耗品。単独で長くは動けん」

 

「その通りです」

 

「ならば契約だ。科学王国は貴様に食料、寝床、監視付きの実験環境を与える。貴様は知識と技術を提供する」

 

「対価は妥当です」

 

「追加条件がある顔だな」

 

「復活に関する意思決定の場を、観察させていただきたい」

 

 周囲が静まった。

 

 龍水の目が細くなる。

 

「票が欲しいのか」

 

「いいえ。発言権も不要です。まずは、あなた方が誰をどのような基準で復活させるのかを知りたい」

 

「なぜだ」

 

「そこに、この集団の本質が現れるからです」

 

 千空は腕を組んだ。

 

「却下だ」

 

「理由を伺っても?」

 

「テメーは見てるだけで情報を抜く。会議に置くだけで、誰が誰を助けたいか、何が弱点か、誰が発言力を持つか、全部見るだろ」

 

「正確です」

 

「認めんな」

 

「認めた方が、交渉が早い」

 

 ゲンが苦笑した。

 

「うーん、やっぱり誠実の使い方が最悪」

 

 龍水は少し考えた。

 

「ならば条件を変える。復活対象の具体名を扱う会議には入れん。ただし、一般原則の議論には参加させる」

 

「龍水」

 

 コハクが鋭く呼ぶ。

 

「わかっている。危険だ。だが、避けてもいずれぶつかる問題だ」

 

 龍水は全員を見渡した。

 

「復活液は有限。人類は無数。俺たちは、すでに選んでいる。選んでいないふりをする方が危険だ」

 

 大樹が拳を握る。

 

「でも、選ばれなかった人を切り捨てるわけじゃない!」

 

「その通りだ、大樹。だからこそ、言葉にしておく必要がある。切り捨てない選び方をな」

 

 ボンドルドは、龍水を静かに見ていた。

 

「あなたは、欲望で動くと言いながら、統治の重みを理解している」

 

「当然だ。俺は世界を欲しがる男だ。欲しいものを壊してどうする」

 

「興味深い」

 

「それで、契約はどうする?」

 

 ボンドルドは少しだけ首を傾けた。

 

「受けましょう。ただし、私からも条件があります」

 

「言ってみろ」

 

「私を完全に排除した状態で復活液を管理するのは、合理的ではありません。私が危険人物であるなら、なおさらです」

 

 クロムが眉をひそめる。

 

「どういう理屈だよ」

 

「危険人物が最も欲しがる情報を完全に隠すと、その情報を得るための不確実な行動を促します。反対に、限定された範囲で観察機会を与えれば、行動は管理しやすくなる」

 

 ゲンが小さく口笛を吹く。

 

「自分で自分の管理マニュアル出してきたよ」

 

 千空は目を細める。

 

「つまり、少し見せろ。そうすれば大人しくしてやる、ってことか」

 

「大人しく、という表現が適切かはわかりませんが、予測可能にはなります」

 

「脅迫と提案の中間だな」

 

「交渉とは、概ねその中間にあります」

 

 龍水は笑った。

 

「いいだろう。貴様には、管理された情報を与える。だが、こちらも貴様から情報を取る」

 

「もちろんです」

 

「まず、貴様の装備の一覧を作る。機能、危険性、破損状況、再現可能性。すべてだ」

 

「一部は開示できます」

 

「すべてだと言った」

 

「では、契約不成立です」

 

 空気が張った。

 

 龍水とボンドルドが、真正面から見合う。

 

 千空は口を挟まない。ゲンも黙っている。

 

 龍水が笑った。

 

「いいだろう。一部から始める。だが、開示しない装備は使用禁止だ。使用した時点で契約違反。拘束する」

 

「妥当です」

 

「フランソワ、記録を」

 

「承知しました」

 

 フランソワは静かに筆記板を用意した。

 

 ボンドルドはそれを見て、わずかに声を変えた。

 

「記録係として、たいへん優秀そうです」

 

「恐れ入ります」

 

「私の装備に対し、恐怖や好奇心を表に出さない。観察に向いていますね」

 

「主人の判断に必要な情報を整えるのが、私の役割でございます」

 

「役割への理解が深い」

 

 龍水が満足げに頷く。

 

「当然だ。フランソワは最高だ」

 

 ボンドルドは否定しなかった。

 

   *

 

 装備一覧の作成は、午前中いっぱい続いた。

 

 千空、クロム、フランソワ、ゲン、コハクが立ち会う。大樹と杠は少し離れた場所で見ていた。スイカは樽の陰から覗いている。

 

 開示されたものは限られていた。

 

 試薬瓶四本。

 金属針。

 小型刃物。

 破損した照射装置。

 環境記録用の手帳。

 装甲内の緩衝材。

 用途不明の筒状部品。ただし、これは「現状使用不能」とされた。

 

 千空は、ひとつずつ確認する。

 

「この照射装置。電源部が死んでるっつったな」

 

「はい」

 

「電源が復旧すれば使えるのか」

 

「理論上は。ただし、内部素子の損傷が不明です。無理に通電すれば破裂する可能性があります」

 

「何に使ってた」

 

「探査、照射、測定。状況に応じて」

 

「便利な言葉で逃げるな」

 

「詳細な原理を説明するには、前提知識が不足しています」

 

「俺らに?」

 

「双方にです。この世界でどこまで再現可能か、私にもわかっていない」

 

 千空はしばらく黙った。

 

 これは嘘ではない。

 

 だが、説明を避ける理由にもなる。

 

「使用禁止。分解も保留だ」

 

「賢明です」

 

 クロムが不満そうに声を上げる。

 

「えー! 分解しねえのかよ!」

 

「爆発したらつまんねえだろ」

 

「つまんねえで済まねえよ!」

 

「わかってんなら騒ぐな」

 

 ボンドルドはクロムを見た。

 

「あなたは分解したいのですね」

 

「そりゃしたいだろ。中身わかんねえんだぞ」

 

「良い衝動です。ただし、未知の装置は、分解する順番を誤ると二度と戻りません」

 

「くっ……正論っぽいこと言いやがって」

 

「分解したいものほど、まず外側を観察する。重さ、継ぎ目、摩耗、熱変形、匂い、音。触る前に得られる情報は多い」

 

 クロムは目を見開いた。

 

「……それ、ちょっとわかる」

 

 千空が横から言う。

 

「クロム」

 

「わかってる! 勝手に弟子入りとかしねえよ!」

 

 ボンドルドは穏やかに言った。

 

「弟子入りは、双方の合意が必要ですから」

 

「そこじゃねえ!」

 

 ゲンが千空の耳元で小さく言った。

 

「クロムちゃん、危ないね」

 

「わかってる」

 

「でも、遠ざけると余計気になるよ」

 

「だから見えるところでぶつける」

 

 ゲンは頷いた。

 

「教育上、最悪で最善」

 

   *

 

 昼過ぎ、龍水は全員を集めた。

 

 議題は、復活対象の原則。

 

 具体的な個人名は出さない。だが、誰を優先するかという考え方だけを話し合う。

 

 ボンドルドは輪の外側に座らされた。発言は、千空が許可した時だけ。コハクは彼の斜め後ろに立つ。ゲンは正面から表情を見ている。

 

 龍水が口を開いた。

 

「まず確認だ。復活液は有限。材料の確保にも手間がかかる。全人類を一度に戻すことはできない」

 

 大樹が頷く。

 

「でも、最終的には全員を助ける!」

 

「当然だ」

 

 龍水は言う。

 

「だが、順番は必要だ。順番を誤れば、全員を助ける力そのものが失われる」

 

 クロムが腕を組む。

 

「科学に必要なやつ、食い物作れるやつ、怪我を治せるやつ、船とか道具に詳しいやつ……そういう人を先にってことか」

 

 杠が静かに言った。

 

「でも、家族を待ってる人もいるよ。子供だっている。役に立つかどうかだけで決めたら、何か違う」

 

「うむ! 役に立つとか立たないとかじゃない! 全員人間だ!」

 

 大樹の声が響く。

 

 ボンドルドは黙って聞いている。

 

 千空は、その沈黙を見ていた。

 

 ボンドルドは大樹の言葉に反応しない。杠の言葉には、わずかに頭を傾けた。クロムの整理には頷いた。龍水の資源論には同意を示した。

 

 何を重視しているかが見える。

 

 ゲンが笑いながら言った。

 

「んー、優先順位を一個にしようとするから揉めるんじゃない? 科学枠、生活枠、医療枠、情緒枠、危険度チェック枠、みたいに分けたら?」

 

「情緒枠って何だよ」

 

 クロムが突っ込む。

 

「人が頑張る理由になる人。大事でしょ、そういうの」

 

 千空は頷いた。

 

「合理性はある。精神が折れたら労働力も科学力も落ちる」

 

 大樹がぱっと顔を上げる。

 

「そうだ! 心は大事だ!」

 

 ゲンは軽く手を振る。

 

「大樹ちゃんが言うと一気に筋肉っぽくなるね」

 

 龍水は笑った。

 

「よし。複数基準で考える。単なる技能順ではない」

 

 そこで、千空がボンドルドを見た。

 

「発言を許可する。言え」

 

 ボンドルドは、静かに頷いた。

 

「今の分類は有効です。ただし、一つ不足しています」

 

「何だ」

 

「復活させない方がよい者の基準です」

 

 場が止まる。

 

 コハクの槍先がわずかに動いた。

 

「犯罪者、暴力的支配者、感染症の保有者、集団秩序を破壊する可能性の高い者。復活は救済であると同時に、リスクの導入でもあります」

 

 大樹が声を荒げる。

 

「そんなもの、復活してから話せばいい!」

 

「復活してからでは、被害が出る可能性があります」

 

「出る前から人を切り捨てるのか!」

 

「切り捨てではありません。延期です」

 

「同じだ!」

 

「違います。石化状態が生命活動の停止と保存を兼ねているなら、復活させないことは即座の殺害ではない。むしろ、危険を管理しながら将来の再評価を可能にする選択です」

 

 大樹は怒りで震えた。

 

 千空は目を閉じていない。

 

 龍水も、ゲンも、黙っている。

 

 誰もが嫌悪を覚えている。だが、完全には否定できない部分がある。

 

 司帝国の記憶が、場に影を落とした。

 

 復活させる相手を誤れば、人は死ぬ。

 

 それを彼らは知っている。

 

 だからこそ、ボンドルドの言葉は毒だった。

 

 事実に近い形をした毒。

 

 千空が言った。

 

「その基準を一人に握らせたら終わりだ」

 

「同意します」

 

 ボンドルドは即答した。

 

 全員が少し驚いた。

 

「私は、単独判断を推奨していません。むしろ逆です。基準を明文化しなければ、判断者の感情と都合で復活順が決まる」

 

 ゲンが目を細める。

 

「それ、いい人っぽいこと言ってるけどさ。明文化された基準って、運用する人次第でかなり怖いよね」

 

「はい」

 

「はい、じゃないんだよなぁ」

 

 千空は指で地面を叩いた。

 

「基準は作る。だが、名前は“復活させないリスト”じゃねえ。“要確認リスト”だ。理由、再評価条件、必要な監視体制もセットで書く」

 

 龍水が頷く。

 

「欲しいな、その仕組みは。俺たちは世界を取り戻す。ならば、感情だけでも、効率だけでも足りん」

 

 杠が不安そうに言う。

 

「でも、そのリストに入った人は……」

 

「永久凍結じゃねえ」

 

 千空は言った。

 

「全員を助けるために、事故を減らす。そのための確認だ。選別して捨てるためじゃねえ」

 

 ボンドルドは、その言葉を聞いていた。

 

「同じ構造に、異なる名前を与えるのですね」

 

「違う構造にするために、名前から縛るんだよ」

 

 千空は返した。

 

「人間は言葉で間違える。だったら、間違えにくい言葉を使う」

 

 ゲンが小さく笑った。

 

「お、心理戦っぽい」

 

 ボンドルドはしばらく黙った。

 

「興味深い。あなたは倫理を、単なる感情ではなく、手順として扱う」

 

「感情で踏みとどまれねえやつもいるからな」

 

「私のことでしょうか」

 

「他に誰がいる」

 

「率直で助かります」

 

   *

 

 会議の後、千空はボンドルドを作業場へ連れていった。

 

 机には二枚の板が置かれている。

 

 一枚は装備一覧。

 もう一枚は、復活判断の原則案。

 

 千空は、その横に新しい白紙を置いた。

 

「書け」

 

「何をでしょう」

 

「テメーなら、復活対象をどう分類するか。技能、危険度、健康状態、知識、集団への影響。全部だ」

 

 クロムが驚く。

 

「いいのかよ、千空! そんなの書かせたら――」

 

「危ねえから書かせる」

 

 千空は言った。

 

「こいつの頭の中にだけある方が危ねえ。外に出せば、どこでズレてるか見える」

 

 ボンドルドは、静かに筆を取った。

 

「よろしいのですか。私の分類は、あなた方に不快感を与える可能性が高い」

 

「だから見せろ」

 

「承知しました」

 

 彼は書き始めた。

 

 筆の動きに迷いはない。

 

 分類は精密だった。

 

 医療技術者。

 農業従事者。

 冶金・機械加工技能者。

 教育者。

 記録保持者。

 統治経験者。

 乳幼児。

 高齢者。

 負傷・欠損個体。

 精神的依存関係を持つ個体。

 反社会的行動歴のある個体。

 高い扇動能力を持つ個体。

 軍事技能者。

 感染症リスク。

 生殖・人口維持に関わる条件。

 

 杠が途中で顔を曇らせた。

 

 大樹は拳を握った。

 

 ゲンは黙ったまま、目だけで項目を追っている。

 

 千空は最後まで読んだ。

 

「最悪だな」

 

「ありがとうございます」

 

「褒めてねえ」

 

「ですが、有用ではある」

 

「そこが最悪なんだよ」

 

 千空は板を手に取り、いくつかの言葉を線で消した。

 

 個体。

 資源。

 生殖条件。

 管理対象。

 

 その横に書き直す。

 

 人。

 役割。

 生活。

 確認。

 

 ボンドルドは、その書き換えをじっと見ていた。

 

「言葉を変えても、判断の重さは変わりません」

 

「変わる」

 

 千空は言った。

 

「少なくとも、判断する人間の頭は変わる」

 

「それで判断精度が落ちる可能性は?」

 

「人間を物扱いする精度なら落ちていい」

 

 ボンドルドは筆を置いた。

 

 沈黙。

 

 その沈黙を破ったのは、スイカだった。

 

「スイカは……こっちの言い方の方がいいんだよ」

 

 全員がスイカを見る。

 

 スイカは樽の中から、恐る恐る続けた。

 

「同じことを決めるのでも、“人”って書いてある方が、ちゃんと怖がれるんだよ。怖がらないで決めるのは、怖いんだよ」

 

 ボンドルドはスイカを見た。

 

「あなたは、とても良いことを言いますね」

 

 スイカは身を縮めた。

 

「褒められても、やっぱりちょっと怖いんだよ」

 

「ええ。それでよいと思います」

 

 千空は、書き直した板を龍水に渡した。

 

「これを元にルールを作る。ボンドルド版は保管。誰でも見られる場所には置かねえ」

 

 ゲンが頷く。

 

「見た人の心が削れるからね」

 

「だが、捨てるな」

 

 龍水が言った。

 

「これは、俺たちが落ちるかもしれない穴の形だ。穴の形を知っておけば、避けられる」

 

 ボンドルドは龍水を見た。

 

「あなた方は、私を穴として扱うのですね」

 

「違うな」

 

 龍水は笑った。

 

「貴様は穴を掘る男だ。だから、どこを掘るか見張る」

 

「的確です」

 

 千空は板を片付けながら、ふと手を止めた。

 

 ボンドルドの分類表。

 

 その一番下に、小さく書かれた項目があった。

 

 復活液管理者の代替候補。

 

 千空は目を細める。

 

「おい」

 

「はい」

 

「この項目、何だ」

 

「復活液を特定個人のみが管理している場合、その個人の死亡、失踪、判断不能、または独占化に備える必要があります」

 

「代替候補ってのは」

 

「あなたがいなくなった場合、誰が復活液を作れるか。誰が材料を知っているか。誰が判断を引き継げるか」

 

 クロムの顔が変わる。

 

 ゲンも、笑みを消した。

 

 千空は言った。

 

「俺を消す計画か?」

 

「いいえ」

 

 ボンドルドは穏やかに答えた。

 

「あなたが消えた時に、この文明が止まらないための計画です」

 

 正しい。

 

 あまりにも正しい。

 

 だからこそ、最悪だった。

 

 千空は、板を置いた。

 

「ゲン」

 

「はいはい」

 

「今日から復活液の情報管理、分散案を作るぞ。俺一人に寄せすぎてた」

 

「うわぁ、仮面ちゃんの提案を採用するんだ」

 

「採用じゃねえ。先に潰す」

 

 ボンドルドは頷いた。

 

「良い判断です」

 

「テメーが嬉しそうなのが腹立つな」

 

「人類の前進は、喜ばしいことですから」

 

 千空は、まっすぐボンドルドを見た。

 

「俺らは前に進む。だが、テメーの道は通らねえ」

 

「それでも、同じ山を登っている」

 

「登り方を間違えたら、頂上に着く前に人間じゃなくなる」

 

 ボンドルドは答えなかった。

 

 ただ、静かに千空を見ていた。

 

   *

 

 その日の夜、千空は一人で復活液の保管場所を変えた。

 

 一箇所ではない。

 

 材料、完成品、製法、代替手順。すべてを分けた。

 

 クロムには一部を教えた。龍水には管理の仕組みを渡した。ゲンには、情報を誰にどう見せるかを任せた。杠には、復活対象の修復記録と照合手順を整えさせた。

 

 ボンドルドが指摘した穴を、ボンドルドに使わせないために塞ぐ。

 

 作業が終わる頃、月は高かった。

 

 千空が作業場を出ると、外にボンドルドがいた。

 

 コハクもいる。槍を構えたまま。

 

「寝てろっつっただろ」

 

「眠る前に、一つだけ」

 

「何だ」

 

「今日、あなたは私の分類を否定しながら、その一部を採用しました」

 

「使えるもんは使う」

 

「そして、危険な思想は削る」

 

「そうだ」

 

「それは、とても難しい作業です」

 

 ボンドルドの声は静かだった。

 

「技術だけを取り出し、思想を拒む。多くの場合、人はその分離に失敗します」

 

「俺は失敗しねえ」

 

「根拠は?」

 

「俺一人でやらねえからだ」

 

 千空は言った。

 

「クロムが騒ぐ。大樹が怒る。杠が止める。ゲンが疑う。コハクが睨む。龍水が欲しがる。スイカが怖がる。だからズレたら戻せる」

 

 ボンドルドは、しばらく黙った。

 

「集団による補正」

 

「仲間っつーんだよ」

 

「なるほど」

 

 ボンドルドは、月明かりの下で静かに頷いた。

 

「それが、あなたの科学の安全装置ですか」

 

「そうだ」

 

「壊れやすそうですね」

 

「壊させねえよ」

 

 コハクの槍先が、月光を受けて光った。

 

 ボンドルドはそれ以上言わず、小屋へ戻った。

 

 千空は、その背中を見送る。

 

 黒い装甲。

 濃紺の外套。

 異形の仮面。

 

 白い笛を持つ男は、白くなどなかった。

 

 夜よりも暗い姿で、文明の中心に立っている。

 

 そして千空は、はっきり理解していた。

 

 あの男は、復活液だけを見ているのではない。

 

 科学王国そのものを、実験対象として見始めている。

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