石の世界に祝福を   作:stein0630

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第4話 仮面の処置

 

 

 警鐘が鳴った。

 

 木片を打つ乾いた音が、朝の村を裂いた。

 

「硝酸洞だ!」

 

 走ってきた男が叫んだ。

 

「見張りが倒れてる! 復活液の材料瓶がない!」

 

 千空は、作業台の上の器具を放り出した。

 

「クロム、ゲン、龍水! 来い!」

 

「俺も行く!」

 

 大樹が飛び出す。

 

 コハクはすでに槍を掴んでいた。

 

 ボンドルドも立ち上がる。

 

 黒と濃紺の外套が揺れた。

 

「私も同行します」

 

「足引っ張るなら置いてく」

 

「その瓶が硝酸系なら、揮発と吸入の危険があります。倒れた方がいるなら、現場の空気を見る者が必要です」

 

 千空は一秒だけ見た。

 

「来い。ただし薬品は俺の許可なしに使うな」

 

「承知しました」

 

 走った。

 

 硝酸洞は、かつて奇跡の水を得た場所の一つだ。今は管理され、見張りも置いてある。そこを破られた。

 

 洞窟の入口に着くと、見張りが二人倒れていた。

 

 大樹が駆け寄ろうとする。

 

「待て」

 

 ボンドルドの声が鋭くなった。

 

 普段の丁寧さは残っている。だが、温度が違う。

 

「近づかないでください。呼吸を見ます」

 

 彼は地面に膝をつき、倒れた見張りの胸の動き、唇の色、吐瀉物の有無を確認する。触れる前に匂いを嗅ぎ、洞窟の奥へ目を向けた。

 

「死亡はしていません。意識混濁。外傷は浅い。薬物というより、窒息と刺激性ガスの初期症状に近い」

 

 千空が鼻を鳴らした。

 

「硝酸に金属くずでも突っ込んだか。窒素酸化物だな」

 

「はい。奥で反応が続いている可能性があります」

 

 クロムが顔をしかめる。

 

「じゃあ、瓶を盗んだやつも中で危ねえじゃねえか!」

 

「だから急ぐ」

 

 洞窟の奥から声がした。

 

「来るな!」

 

 若い男の声だった。

 

「近づいたら、こいつを砕く!」

 

 コハクが入口の岩陰から覗く。

 

 奥には、復活者の男がいた。昨日、労働班に加わったばかりの男だ。名前は新田。元司帝国の末端。腕力はあるが、科学王国にはまだ馴染んでいなかった。

 

 その足元に、石像の上半身が横たわっている。

 

 男は片手に瓶を持ち、もう片方に石斧を握っていた。

 

 龍水が低く言う。

 

「人質か」

 

「石質だがな」

 

 千空は目を細める。

 

「いや、人質だ。あいつにとっても、こっちにとっても」

 

 ゲンが息を吐く。

 

「最悪。石像を壊されたくなければ復活液よこせ、ってやつ?」

 

 奥の男が叫ぶ。

 

「俺の弟を先に戻せ! お前らは選んでるんだろ! 役に立つやつから戻すんだろ!」

 

 場が止まった。

 

 昨日の会議の毒が、もう回っていた。

 

 千空の顔がわずかに歪む。

 

「どこで聞いた」

 

 ゲンが即座に周囲を見た。

 

「洩れてるね。全員集めたのが裏目った」

 

「今は後だ」

 

 ボンドルドは、洞窟の入口の石に指を当てた。

 

「奥の空気が重い。彼はすでに吸っています。判断力が落ちる前に終わらせるべきです」

 

「どう終わらせる」

 

「三つあります」

 

 ボンドルドは即答した。

 

「一つ。交渉。二つ。無力化。三つ。瓶を諦めて撤退」

 

「三つ目はねえ」

 

「ならば一つ目をしながら、二つ目の準備を」

 

 ゲンが小声で言った。

 

「できる?」

 

「彼は弟を戻したい。つまり、瓶を壊す意思は弱い。石像を砕く脅しも、本当に砕けば交渉材料を失う。問題は、恐怖とガスで判断が荒くなっている点です」

 

 千空はボンドルドを見た。

 

「策は」

 

「彼を動かします。奥から入口側へ」

 

「どうやって」

 

「復活液の条件を、彼が誤解している可能性があります」

 

 ボンドルドは一歩前へ出た。

 

 コハクが槍を向ける。

 

「勝手に行くな」

 

「行きません。声だけです」

 

 千空は一瞬迷い、頷いた。

 

「話せ。余計なこと言ったら止める」

 

 ボンドルドは洞窟の奥へ向いた。

 

「新田さん」

 

 声は穏やかだった。

 

 男が身構える。

 

「誰だ、お前!」

 

「昨日来た者です。あなたの弟さんを戻したいのですね」

 

「そうだ! 俺はそのために従ってたんだ! なのに、あいつらは順番だ、役割だって!」

 

「お気持ちは理解できます」

 

「嘘つけ!」

 

「嘘ではありません。大切な者を先に救いたい。それは自然な判断です」

 

 ゲンが眉を上げた。

 

 慰めではない。男の感情を否定せず、真っ直ぐ掴んでいる。

 

 ボンドルドは続けた。

 

「ですが、その瓶だけでは弟さんは戻せません」

 

「は?」

 

「復活液は、ただかければよいものではありません。濃度、量、対象の損傷、塗布位置、時間。条件を誤れば、解除が不完全になる危険があります」

 

 千空は止めなかった。

 

 実際、完全な嘘ではない。大きく誇張しているだけだ。

 

「う、嘘だ! 石にかけたら戻るって聞いた!」

 

「戻る場合もあります。戻らない場合もある。あなたは、その判断ができますか」

 

 男の呼吸が乱れる。

 

「弟さんを救いたいなら、その瓶を守る必要があります。斧を持ったままでは、転倒した時に石像を傷つけます。奥の空気も悪い。あなたの手が震えているのは、恐怖だけではありません」

 

「黙れ……!」

 

「唇が青い。吸い込みましたね。あと数分で、あなたはまっすぐ立てなくなる可能性があります」

 

 男が一歩ふらついた。

 

 クロムが小声で言う。

 

「マジで効いてる」

 

「事実を刺してる」

 

 千空は短く返した。

 

 ボンドルドは右手を静かに上げた。

 

「瓶を地面に置いてください。弟さんのためです」

 

「近づくな!」

 

「近づきません。あなたがこちらへ来る必要もありません。瓶を置き、石像から一歩離れる。それだけでよい」

 

 男は歯を食いしばる。

 

 しかし、斧はまだ下がらない。

 

 その瞬間、洞窟の奥で赤褐色の煙がわずかに揺れた。

 

 千空の目が鋭くなる。

 

「まずい。反応続いてる。換気がいる」

 

「入口に濡れ布。大樹さん、倒れた見張りを運んでください。クロムさん、風を送る板を。コハクさんは右壁沿い、ただし突入はまだ」

 

 ボンドルドが指示した。

 

 あまりに自然だった。

 

 大樹が一瞬だけ千空を見る。

 

「やれ!」

 

 千空の声で、全員が動く。

 

 ボンドルドは続ける。

 

「ゲンさん」

 

「はいはい、何かな」

 

「彼に弟さんの名前を聞いてください。名前を呼ばせる。目的を瓶から弟さんへ戻します」

 

「了解。嫌なほど合理的」

 

 ゲンが洞窟へ声を飛ばす。

 

「ねえ、新田ちゃん。弟さん、名前なんていうの?」

 

「……翔太」

 

「翔太ちゃんね。翔太ちゃん、石像どこにあるの? 壊れてない?」

 

「壊れてねえ! 俺が見つけたんだ! 腕が少し欠けてるけど、俺が……」

 

 声が震えた。

 

 ゲンはすかさず言う。

 

「じゃあ、その瓶、落としたらまずいね。翔太ちゃんのためにも、斧と瓶、両方持つのやめよ?」

 

 男の斧が下がりかけた。

 

 そこで、足元の石が滑った。

 

 男の体が傾く。

 

 瓶が手から離れた。

 

 コハクが飛び出そうとするより早く、ボンドルドが動いた。

 

 黒い外套が地面を擦る。

 

 彼は低く滑るように洞窟へ入り、転がる瓶の進路へ自分の手を差し入れた。素手ではない。外套の内側から引き抜いた厚い布で瓶を包み、そのまま岩に当たる寸前で受け止める。

 

 同時に、男の斧が石像へ落ちる。

 

 大樹が叫ぶ。

 

「まずい!」

 

 ボンドルドは瓶を抱えた姿勢のまま、空いた肘で男の膝裏を払った。

 

 男の体勢が崩れる。斧の軌道がずれ、石像の頬をかすめ、岩床に当たって跳ねた。

 

 コハクが突入する。

 

 槍の柄で斧を弾き飛ばす。

 

 大樹が男を抱え上げ、入口へ引きずり出した。

 

 クロムと村人たちが濡れ布と板で煙を散らす。

 

 千空は瓶を受け取った。

 

「割れてねえな」

 

「はい」

 

 ボンドルドは片膝をついたまま答えた。

 

 外套の布は少し焼けている。手袋の表面にも薬品が付着していた。

 

 千空が目を細める。

 

「手、見せろ」

 

「軽度です」

 

「見せろっつってんだよ」

 

 ボンドルドは手を出した。

 

 手袋の一部が溶け、下の皮膚に赤い薬傷ができていた。

 

 クロムが息を呑む。

 

「お前、瓶守るために……」

 

「割れれば、全員が困ります」

 

 ボンドルドは平然と言った。

 

 千空はすぐに水をかけ、処置を始める。

 

「馬鹿か。酸だぞ」

 

「馬鹿ではありません。計算しました」

 

「計算して酸を手で受けるやつは馬鹿だ」

 

「瓶の損失より、手袋と皮膚の一部の損傷の方が安い」

 

 その場の空気が、別の意味で凍った。

 

 大樹が低く言う。

 

「自分の体も、そうやって計算するのか」

 

「必要であれば」

 

「人の体もか」

 

「許されるなら」

 

「許されない!」

 

 大樹の声が洞窟に響いた。

 

 ボンドルドは、処置される手を見ながら静かに言った。

 

「だから、あなた方がいる」

 

 千空は包帯を強く巻いた。

 

「便利なブレーキ扱いしてんじゃねえぞ」

 

「いえ。重要な機構です」

 

「同じだ」

 

   *

 

 新田は助かった。

 

 吸入したガスの影響で咳は止まらず、目も赤かったが、命に別状はなかった。見張り二人も意識を取り戻した。

 

 石像の損傷は頬の表面だけ。杠が確認し、修復可能だと判断した。

 

 だが、村の空気は重かった。

 

 事件は一つの事実を突きつけた。

 

 復活液は、人を救う。

 同時に、人を狂わせるほどの価値を持つ。

 

 夕方、千空は新田の前にしゃがんだ。

 

「弟は戻す」

 

 新田が顔を上げる。

 

「本当か」

 

「順番は決める。だが、テメーの脅しで割り込ませるんじゃねえ。弟の石像を確認して、状態を見て、必要な準備をする」

 

「……俺は」

 

「やったことは消えねえ。見張りを倒した。石像を人質にした。復活液を盗んだ」

 

 千空は淡々と言った。

 

「だが、ここで終わりじゃねえ。働け。償え。翔太を戻した時、兄貴として胸張れるようにしとけ」

 

 新田は泣いた。

 

 大樹が後ろで腕を組み、何度も頷いている。

 

 ボンドルドは少し離れた場所でそれを見ていた。

 

 ゲンが隣に立つ。

 

「どう? ボンドルドちゃん的には、甘い処分?」

 

「甘いですね」

 

「やっぱり」

 

「ですが、有効かもしれません」

 

「へえ」

 

「彼は弟さんを動機にしている。罰だけ与えれば、動機は憎悪へ変わる。償いと再接続の道を残せば、管理しやすい」

 

「管理ねぇ」

 

 ゲンは笑った。

 

「同じ結論でも、言い方ひとつでここまで嫌になるの、才能だよ」

 

「ありがとうございます」

 

「褒めてないよ」

 

「理解しています」

 

 ゲンは、ちらりと千空を見た。

 

「あんた、今日かなり役に立ったね」

 

「役に立てたなら何よりです」

 

「でもさ」

 

 ゲンの声が少しだけ低くなる。

 

「瓶を守る動き、速すぎたよね。新田ちゃんが滑る前から、動く準備してた」

 

「彼の重心が崩れていました」

 

「それだけ?」

 

「硝酸洞の床は濡れている。彼の呼吸は荒い。手は震えていた。瓶は右手。斧は左手。石像は足元。転倒時に最も危険な軌道は二つ。瓶の破損と斧の落下です」

 

「そこまではわかる」

 

 ゲンは目を細めた。

 

「あんた、新田ちゃんが転ぶのを待った?」

 

 沈黙。

 

 ボンドルドは否定しなかった。

 

「突入すれば、彼は斧を振る可能性が高かった。説得で斧を下げさせ、瓶への注意を移し、足元の不安定さを利用した方が、石像と瓶の生存率が上がります」

 

「新田ちゃん本人の安全率は?」

 

「大樹さんが届く位置にいました」

 

「届かなかったら?」

 

「その場合は、私が膝を壊してでも止めました」

 

 ゲンの笑みが消えた。

 

「……やっぱり、あんた怖いわ」

 

「はい」

 

「活躍したのに、信用が増えないってすごいね」

 

「信用より、予測可能性が重要です」

 

   *

 

 夜、千空はボンドルドの火傷をもう一度確認した。

 

 皮膚は赤く腫れている。水洗いが早かったため、深くはない。

 

「痕は残るかもな」

 

「支障は少ないでしょう」

 

「テメー、本当に痛覚あんのか」

 

「あります」

 

「だったら少しは痛そうにしろ」

 

「痛がれば、処置が早くなりますか」

 

「ならねえ」

 

「では不要です」

 

 千空は包帯を巻き直した。

 

「今日の件で、テメーは村の信頼を少し稼いだ」

 

「それは良いことです」

 

「同時に、俺らはテメーの使い方を一つ知った」

 

「使い方」

 

「ああ」

 

 千空は顔を上げる。

 

「緊急時、テメーは有能だ。判断が速い。恐怖で止まらねえ。人体も薬品も現場も見れる」

 

「ありがとうございます」

 

「だが、放っておくと最短距離で人間を踏む」

 

「否定はしません」

 

「しろよ、少しは」

 

「事実と異なります」

 

 千空は笑った。

 

「じゃあ、こっちも事実を言う。テメーは使う。だが、ハンドルは絶対に渡さねえ」

 

 ボンドルドは、包帯を巻かれた手を見た。

 

「あなたは、私の有用性を認めながら、中心からは遠ざける」

 

「そうだ」

 

「合理的です」

 

「気に入らねえがな」

 

「私も、あなたの判断を気に入っています」

 

「もっと気に入らねえ」

 

 外では、新田が大樹に頭を下げていた。

 

 杠は傷ついた石像の修復を始めている。クロムは硝酸洞の換気改善案を描いていた。ゲンは会議の情報漏れルートを洗っている。龍水は復活液管理の警備体制を組み替えていた。

 

 事件は終わっていない。

 

 だが、科学王国はもう動いている。

 

 ボンドルドは、その全体を静かに眺めた。

 

「良い集団ですね」

 

「実験対象としてか」

 

「いいえ」

 

 彼は少しだけ間を置いた。

 

「壊すには惜しい」

 

 千空の手が止まった。

 

 ボンドルドは、穏やかに続けた。

 

「だからこそ、どこまで耐えられるのか知りたくなる」

 

 千空は包帯の端を強く結んだ。

 

「やっぱりテメー、最低だな」

 

「よく言われます」

 

「言われてんのかよ」

 

「ええ」

 

 仮面の奥の表情は見えない。

 

 だがその夜、千空は初めて確信した。

 

 ボンドルドは、単に復活液を欲しがっているのではない。

 

 科学王国が危機にどう反応するか。

 誰が怒り、誰が許し、誰が仕組みに変えるのか。

 誰を傷つければ、誰が動くのか。

 

 それを見ている。

 

 そして今日、彼は活躍した。

 

 誰よりも速く、誰よりも冷静に、最小の損害で事態を収めた。

 

 だからこそ、危険度は一段上がった。

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