翌朝、ボンドルドは硝酸洞でしゃがみ込んでいた。
コハクの槍が背中に向いている。
千空は横で腕を組み、クロムは工具を抱え、ゲンは岩にもたれて欠伸をしていた。
「で? 昨日の現場に何が残ってる」
「これです」
ボンドルドは、岩床に落ちていた石化片を指した。
昨日、新田の斧が石像をかすめた時に削れた、ごく小さな破片だった。
「杠さんが回収する前に、周囲の破片だけ残していただきました。個体復元に使えるものではないと確認済みです」
「それで?」
千空が促す。
ボンドルドは破片を竹ピンセットで持ち上げた。
色が、わずかに違っていた。
昨日の石化片より、表面が淡く荒れている。削れた断面に、細い筋のような模様が浮いていた。
「昨日、この洞窟内では硝酸と金属片の反応によって刺激性の気体が発生していました。さらに、新田さんが持ち込んだ瓶には復活液、つまり硝酸と酒精を含む液があった」
「まさか、気体で復活反応が進んだってのか?」
クロムが身を乗り出す。
「完全な復活ではありません。ですが、表面の固定状態がわずかに緩んでいる可能性があります」
千空の目が鋭くなった。
「昨日の一滴実験とは反応の入り方が違うな」
「はい」
ボンドルドは即答した。
「液体を垂らした場合、亀裂に沿って反応が偏る。しかし、この破片では露出面全体に薄く変化が出ています。おそらく、蒸気または霧状成分が表面へ均一に接触した」
ゲンが口笛を吹いた。
「うわ、出た。新発見っぽいやつ」
千空は破片を奪うように見た。
匂い、色、割れ方、指先で叩いた時の感触。
「霧状復活液か」
「正確には、復活液そのものを霧にしたものではないでしょう。硝酸系の蒸気、酒精、湿気、そして石化表面の微細亀裂。条件が揃った時、液体より浅く、広く作用する」
「それが本当なら、復活液の節約になる」
クロムが叫んだ。
「マジかよ! 液をジャバッとかけなくても、霧でいけるってことか!」
「待て」
千空が止めた。
「人体サイズでやれば、吸入毒性が跳ね上がる。硝酸蒸気も窒素酸化物も肺に入ればアウトだ。霧を人間相手に試すのは論外だ」
「ええ」
ボンドルドは穏やかに頷いた。
「ですから、まず密閉容器で石化片を用いた小規模実験を行います」
「提案がまともだと逆に怖えな」
「危険な実験ほど、手順はまともであるべきです」
千空は笑った。
「採用だ。クロム、ガラス容器。ゲン、村に戻って龍水と杠呼べ。コハク、こいつが余計なもん混ぜたら刺す寸前までいけ」
「承知した」
「寸前なんだ」
ゲンが軽く笑って走った。
*
実験は早かった。
密閉できるガラス瓶。
石化片。
ごく少量の硝酸。
酒精。
水。
反応を抑えるための灰。
換気用の竹筒と濡れ布。
千空は作業台の上に全部並べた。
「条件を分ける。水だけ。酒精だけ。硝酸蒸気だけ。硝酸と酒精。硝酸、酒精、水分。最後に本物の復活液一滴。比較だ」
クロムは目を輝かせた。
「おおお、速攻で実験祭りじゃねえか!」
「祭りじゃねえ。失敗したら毒ガス祭りだ」
ボンドルドは一本目の瓶を見ている。
「対照群があるのは良いですね」
「当たり前だ。何が効いたかわかんなきゃ実験じゃねえ」
「たいへん良い」
「褒めんな」
龍水とフランソワも来た。杠は、石化片の選別記録を持っている。大樹は遠巻きに見ていたが、いつでも人を運べる位置にいる。
千空が合図した。
「開始だ」
水だけ。
変化なし。
酒精だけ。
変化なし。
硝酸蒸気だけ。
表面に微かな荒れ。だが、復活反応とは違う。腐食に近い。
硝酸と酒精。
細かな筋が浮いた。
クロムが叫ぶ。
「出た!」
「まだ弱い」
千空が即座に言う。
硝酸、酒精、水分。
瓶の内側が白く曇る。
石化片の表面に、薄く、網目のような変化が走った。
液を垂らしていない。
それなのに、全体に反応が広がっている。
杠が息を呑んだ。
「これ……表面だけ、少し柔らかくなってる?」
千空が石化片を取り出し、硬度を確認する。
「完全解除じゃねえ。だが、間違いねえ。固定が浅く緩んでる」
クロムが拳を握った。
「すげえ! 復活液を節約できる!」
ボンドルドが静かに言った。
「それだけではありません」
千空が見る。
「続けろ」
「壊れやすい石像に対して、液体を直接かけると、亀裂から急速に反応が進み、局所的な応力が発生する可能性があります。霧状の前処理で表面全体を均一に緩めてから液体を使えば、破損リスクを下げられるかもしれません」
杠の顔色が変わった。
「欠けてる人にも……?」
「可能性です。再接合した破片の境界にも、均一に作用できるかもしれない」
千空は黙った。
これは、見落としていた。
復活液は「かけるもの」だった。
材料を集め、量を確保し、対象に使う。そこに意識が寄っていた。
だが、ボンドルドは違う。
彼は液体そのものではなく、「反応の入り方」を見ていた。
「クク……やりやがったな」
千空が笑った。
クロムが千空を見る。
「これ、マジで新発見だよな?」
「ああ」
千空は即答した。
「こいつは百億パー、俺らがまだ見てなかった角度だ」
ボンドルドは、軽く頭を下げた。
「お役に立てて何よりです」
「で」
千空は笑みを消した。
「テメーなら、次に何を試す」
ボンドルドは待っていたように答えた。
「小動物ではなく、まず破損石像の非重要部位。次に、復元予定のない小片。最終的には、人間の復活前処理として密閉室内で――」
「却下」
「まだ最後まで言っていません」
「言わなくても却下だ。人間を毒ガス室に入れる案だろ」
「毒ガス室ではありません。濃度管理された反応室です」
「言い換えんな」
ゲンが両手を上げた。
「はい出ましたー。役に立つ新発見から一秒で倫理アウトまで行くこの速度」
龍水が笑った。
「だが、発見は使える」
「使う」
千空は断言した。
「ただし人間を密閉室には入れねえ。石像の周囲に局所的な霧を当てる装置を作る。濃度は低く、時間は短く、換気前提。人間が吸わねえ構造だ」
クロムが即座に食いつく。
「竹筒で霧を送るか? いや、液が偏るな。布に染み込ませて気化させるとか?」
「温度管理がいる。熱すぎりゃ反応が暴れる。低すぎりゃ効かねえ」
ボンドルドが言う。
「石像表面に濡れ布を巻き、外側から微量の反応蒸気を通す方法があります。皮膚に薬を貼るように、接触面を制御する」
杠が反応した。
「包帯みたいに?」
「はい。復活前処理用の包帯です」
千空が指を鳴らした。
「いける。復活液の節約と破損リスク低下、両方狙える。名前は――」
「復活包帯!」
クロムが叫んだ。
「雑だがわかりやすい。採用」
「採用された!」
ゲンが笑う。
「テンポ早っ。昨日まで心理戦してたのが嘘みたい」
*
試作品は、その日のうちにできた。
竹で作った細い管。
酒精と硝酸を直接混ぜない二層構造。
湿らせた布。
反応を逃がす小穴。
濡れ布のマスク。
風向きを見る煙。
完全な装置ではない。
だが、原理検証には足りる。
対象は、復元不能と確認された石化片を三つ接合したもの。
杠が接合し、千空が液量を測り、クロムが管を調整し、ボンドルドが反応の入り方を見た。
「開始」
布が石化片に巻かれる。
竹管から、ごく薄い刺激臭が流れる。
全員、風上に立つ。
数分。
石化片の境目に、変化が出た。
液体一滴実験では境界から割れやすかった場所が、今回は均一に湿り、ゆっくりと緩んでいる。
杠が目を見開く。
「境目が、浮いてない」
千空が小さく笑う。
「成功だ」
クロムが跳ねた。
「しゃあああ! これで欠けた石像の復活成功率、上がるんじゃねえか!」
「まだ断言すんな。だが、見込みはある」
龍水が腕を組む。
「復活液の消費は?」
「前処理で本液の量を減らせる可能性がある。三割、うまくいけば半分近く」
「半分だと?」
龍水の目が輝いた。
「それは、人類復活計画の速度を変えるぞ」
ボンドルドは静かに言った。
「そして、復活液の管理価値もさらに上がります」
全員が一瞬で黙る。
千空はボンドルドを見る。
「水差すの早えな」
「新技術は、救済だけでなく支配にも使えます。発見した瞬間に、管理方法も考えるべきです」
「そこだけは正しい」
ゲンが肩をすくめる。
「発見、発明、即セキュリティ会議。忙しいねぇ」
そのとき、スイカが小さく手を上げた。
「あの、スイカ、思ったんだけど」
「どうした」
千空が聞く。
「この包帯を使えば、石像さんが急にびっくりして起きるんじゃなくて、ちょっとずつ準備して起きられるのかな?」
千空は目を細めた。
ボンドルドも、スイカを見た。
「面白い視点ですね」
千空が頷く。
「復活時のショック軽減か。精神面はわからねえが、物理的な急反応は減らせるかもしんねえ」
杠が明るい顔になる。
「それなら、壊れてる人だけじゃなくて、怖い思いをする人も少し楽になるかも」
ボンドルドは、その言葉を聞いていた。
「同じ技術から、あなた方はそう考えるのですね」
千空が言う。
「テメーなら?」
「拘束、観察、段階的覚醒、情報聴取」
「だろうな」
「ですが」
ボンドルドは、スイカと杠を見た。
「ショック軽減という用途も、記録しておきましょう」
スイカは少しだけ嬉しそうにした。
コハクはその横で、まだ警戒を解かない。
*
夕方、最初の本番候補が選ばれた。
完全な人体復活ではない。
砕けた手首だけが見つかっていた石像の補修試験だった。胴体は別の場所にあり、すでに復活対象として保管されている。手首の破片は欠損が多く、従来なら接合に不安があった。
杠が丁寧に破片を合わせる。
千空が復活包帯を巻く。
クロムが管を固定する。
ボンドルドは一歩離れて観察する。
「近くで見なくていいのか」
ゲンが聞く。
「見たいですが、約束があります」
「約束守れるんだ」
「守った方が、次を見せていただけますから」
「理由が不純」
「有効です」
処理が始まった。
布が湿る。
石化した手首の亀裂に沿って、薄い変化が走る。急に崩れない。粉が散らない。境目が、ゆっくり馴染む。
杠の手が震えた。
「いける……これ、いけるよ」
千空が本液を一滴、二滴、慎重に落とす。
石化が解ける。
完全な手ではない。
まだ欠けはある。
だが、接合部は崩れなかった。
クロムが叫んだ。
「成功だ!」
大樹が拳を突き上げる。
「よし!」
龍水が笑う。
「欲しいぞ、この技術! 全人類復活に必要だ!」
千空は、解けた手首を見つめた。
これは大きい。
単なる節約ではない。
壊れた人間を戻す可能性が広がった。
そして、その発見をもたらしたのは、ボンドルドだった。
千空は振り向く。
「認めてやる。今日の発見はデカい」
「光栄です」
「だが、勘違いすんな」
「はい」
「この技術は、人間を縛るためじゃねえ。戻すために使う」
ボンドルドは、静かに答えた。
「あなた方が管理している限りは、そうでしょう」
「挑発か?」
「観察結果です」
コハクの槍がわずかに上がる。
千空は笑った。
「なら、観察続けろ。俺らはこの発見で、もっと人を戻す」
「ええ」
ボンドルドの仮面が、夕日の中で暗く沈む。
「私も見届けたい。あなた方が、この力をどこまで清潔に使えるのか」
ゲンが小さく呟いた。
「うわぁ、また嫌な言い方」
だが、その日の科学王国は沸いていた。
復活包帯。
霧状前処理。
復活液節約。
破損石像の成功率向上。
たった一日の新発見が、文明復興の速度を変えた。
そして千空は、誰にも聞こえない声で呟いた。
「やべえな」
それは技術への感嘆ではない。
ボンドルドへの警戒でもある。
あの男は本当に、科学を進める。
しかも、千空たちが見落とした方向へ。
だからこそ、使える。
だからこそ、最悪だ。