復活包帯は、三日で標準装備になった。
壊れた石像を直す時、いきなり復活液をかけない。まず霧状の前処理で表面をゆるめ、接合部への負荷を下げる。次に杠が最終確認をし、千空が本液を使う。
成功率は目に見えて上がった。
割れやすかった指。
欠けていた耳。
細かく砕けた頬。
以前なら賭けだった修復が、手順になり始めていた。
「これ、マジで革命だろ」
クロムは作業台の前で笑った。
「石像直すスピードが全然違う!」
「調子乗んな。まだデータが少ねえ」
千空はそう言いながらも、記録板から目を離さなかった。
復活液使用量、約三割減。
接合部崩壊、現時点でゼロ。
復活後の痛み訴え、軽度。
意識混乱、従来と大差なし。
数字は良い。
良すぎるほど良い。
ボンドルドは、少し離れた位置でその記録を見ていた。
「順調ですね」
「順調すぎる」
千空は言った。
「何か隠してるか?」
「隠しているものはあります」
クロムがぎょっとする。
「認めるのかよ!」
「すべてを開示する契約ではありませんから」
コハクの槍が動く。
ボンドルドは、静かに続けた。
「ただし、この手順に危険な仕込みはしていません。あなた方の監視下で、あなた方の材料を用い、あなた方が実施している」
「言い方が嫌なんだよ」
千空は記録板を置いた。
「まるで、俺らが自分で実験してるみてえじゃねえか」
「実験は、実際にあなた方が行っています」
ボンドルドは答えた。
「私は、仮説を提示しただけです」
ゲンが横で小さく笑った。
「うわぁ。責任の置き方がきれいに気持ち悪い」
*
その日の復活対象は、元医学生だった。
名前は真鍋律。
石化前の年齢は二十二歳。大病院の近くで発見された。服装と所持品から、医療知識が期待された。右腕に大きな亀裂があり、従来なら復活時に崩壊する可能性があった。
だから、復活包帯を使う。
杠が修復を終えると、千空が最終確認をした。
「接合は問題ねえ。前処理は短め。腕だけ重点。全身に霧は回すな」
「了解!」
クロムが竹管を調整する。
ボンドルドは一歩離れ、腕を組んで見ていた。
「何か言いたそうだな」
千空が聞く。
「はい。前処理の範囲を、胸部にも少し広げた方がよいかもしれません」
「理由」
「覚醒直後の呼吸再開に関係する可能性があります」
「根拠は」
「これまでの記録です。復活直後、胸郭周辺の解除が早い個体ほど、呼吸の乱れが少ない」
千空は記録板を見た。
たしかに、そう読めなくもない。
だが、データ数は少ない。
「仮説としては弱え」
「弱い仮説を検証する価値はあります」
「人体でか?」
「対象は石化状態です」
「そういう言い換えすんな」
千空は即座に切った。
「腕だけだ。胸には回さねえ」
「承知しました」
ボンドルドはあっさり引いた。
それが、逆に千空の中で引っかかった。
だが、作業は進む。
霧の前処理。
腕の接合部がゆっくりなじむ。
本液投入。
石が割れた。
乾いた音ではない。
殻が内側から解けるように、表面が崩れ、人間の皮膚が現れた。右腕の接合部も保っている。
律は大きく息を吸い込んだ。
「――っ、は……!」
目が開く。
大樹が駆け寄ろうとする。
「待て」
ボンドルドが言った。
千空も同時に手を上げていた。
律の呼吸がおかしい。
吸えている。だが、意識が戻りきっていない。目は開いているのに、焦点が合わない。指先が動く。唇が震える。
ゲンが顔をしかめた。
「パニック?」
「違う」
千空が言った。
「神経系の戻りが遅れてる」
律が、かすれた声を出した。
「……ここ……どこ……音が……遅い……」
クロムが不安そうに言う。
「おい、大丈夫なのか?」
ボンドルドが前に出た。
「名前を呼んでください。短く。複数人で同時に話さない」
「律!」
大樹が叫びかける。
「大樹、声量落とせ」
千空が止める。
杠が膝をつき、優しく言った。
「真鍋さん。聞こえますか。ここは安全です」
律の目が、ゆっくり杠へ向く。
「……聞こえる。でも、変だ。体が、半分寝てる」
千空の目が細くなる。
「半分寝てる?」
「痛くない。寒くもない。でも、腕が……あるのに遠い」
ボンドルドの声が、わずかに低くなった。
「たいへん興味深い」
コハクが即座に睨む。
「今、それを言う場面か」
「はい」
千空は律の脈、瞳孔、呼吸、皮膚温を確認した。
命に危険はない。
だが、通常の復活と違う。
意識は戻っている。
身体の一部が、遅れている。
「前処理をかけた腕だけ、感覚の戻りが遅い」
千空が呟いた。
「霧状前処理で、解除の段階差が出たのか」
「おそらく」
ボンドルドは答えた。
「石化解除は、一瞬のオンオフではない。段階があります。私たちは今、それを分けてしまった」
「分けてしまった、ねえ」
ゲンの声が冷える。
「ボンドルドちゃん、驚いてる感じがしないんだけど」
「驚いています」
「嬉しそうに見えるよ」
「発見ですから」
千空が立ち上がった。
「テメー、予想してたな」
「可能性としては」
「どこまでだ」
ボンドルドは黙った。
その沈黙だけで、全員が理解した。
千空たちは、復活包帯を「修復補助」として使っていた。
ボンドルドは、同じ手順を「段階的覚醒の実験」として見ていた。
同じ作業。
同じ道具。
同じ復活。
だが、見ていたものが違った。
「ふざけるな」
大樹が低く言った。
「お前は、俺たちに人間で実験させたのか」
「手順を決めたのは千空さんです。実施したのもあなた方です。私は、危険を増やす操作はしていません」
「そういう話じゃない!」
大樹の怒声が作業場を震わせる。
律がびくりとした。
千空が手を上げた。
「大樹、今は後だ。患者が先」
大樹は歯を食いしばり、下がった。
律の状態は、数十分で安定した。
腕の感覚も戻った。運動機能に異常はない。痛みも少ない。むしろ、従来の復活者より混乱が少なかった。
それが、さらに場を重くした。
結果が、良かったのだ。
*
夜までに、データは揃った。
律の証言は明確だった。
復活直後、時間感覚が遅れた。
前処理された腕は、痛みが薄かった。
意識はぼんやりしていたが、恐怖は少なかった。
完全覚醒までに段階があった。
千空は記録板を睨んでいた。
クロムは興奮を抑えきれない顔で言った。
「これさ……すげえぞ。復活のショックを減らせる。大怪我してる人を戻す時、先に痛みを抑えられるかもしれねえ」
「それだけじゃない」
律本人が、弱い声で言った。
全員が彼を見る。
律は医学生だった。復活直後にもかかわらず、頭は回っている。
「もし、体の一部だけ解除段階を遅らせられるなら……手術に使える。麻酔が足りない世界なら、これは代替になる」
千空は黙る。
ボンドルドが静かに言った。
「石化由来の段階的鎮静」
律は頷いた。
「危険だけど、理屈としてはあり得る。痛覚伝達が戻りきる前に処置を終えられるなら……」
大樹が叫ぶ。
「そんなの、危なすぎる!」
「危ない」
律は即答した。
「でも、今の医療環境なら、麻酔なしで切るより危なくない場合がある」
場に沈黙が落ちた。
現代医療の知識を持つ者が、ボンドルドの発見に医学的価値を認めた。
千空は、板に大きく書いた。
段階的解除。
鎮痛。
覚醒制御。
局所処置。
危険:人格・同意・意識状態。
ゲンが苦い顔で言う。
「一気にヤバい技術になったね」
「ヤバいどころじゃねえ」
千空は言った。
「これは、復活液の使い道が変わる」
これまで復活液は、石化を解くための鍵だった。
だが、段階的解除が可能なら。
復活は、ただの目覚めではない。
麻酔にもなる。
保存にもなる。
治療にもなる。
拘束にもなる。
ボンドルドが欲しがる理由が、全員に見えた。
「お前」
大樹はボンドルドを睨んだ。
「これを最初から狙っていたのか」
「最初から、ではありません」
ボンドルドは答えた。
「霧状前処理の結果を見てからです」
「なぜ言わなかった」
「言えば、試さなかったでしょう」
その場の空気が、完全に凍った。
ボンドルドは続けた。
「そして試さなければ、この発見は得られなかった」
大樹が掴みかかろうとした。
コハクが止める。
コハク自身も、今にも斬りかかりそうな目をしている。
千空は動かなかった。
ただ、低く言った。
「テメー、ライン越えたな」
「はい」
ボンドルドは静かに認めた。
「ですが、得られた成果は大きい」
「それを言うから最低なんだよ」
「言わなくても、事実は変わりません」
千空は、ボンドルドの前に立った。
「今日からテメーを復活処置に近づけねえ」
「それは困ります」
「困れ」
「段階的解除を制御できるのは、現時点で私とあなたの二人だけです」
「クロムにも教える」
「教えれば危険は増えます」
「テメー一人に握らせるよりマシだ」
「では、律さんにも加えるべきです」
千空の目が動く。
「何?」
「彼は現代医学の基礎知識を持っています。段階的解除の医療応用には、私より彼の観点が必要です。あなた方が私を排除するなら、なおさら彼を育てるべきです」
律が息を呑む。
ゲンが小声で言う。
「自分の代わりを提案してきた……?」
「違う」
千空は言った。
「こいつは主導権を取りに来てる」
ボンドルドは否定しない。
「この技術は危険です。だから、管理者が必要です」
「その管理者にテメーがなる気か」
「最適であれば」
「最悪だな」
「最悪でも、有効であれば選択肢になります」
龍水が割って入った。
「待て。感情で切るな」
大樹が振り向く。
「龍水!」
「俺も腹は立っている。だが、ここでこいつを閉じ込めれば技術が止まる。技術が止まれば、救える人間が減る」
「だから許すのか!」
「許さん」
龍水は断言した。
「許さんが、使う。俺たちは世界を取り戻す。怒りで道具を捨てるほど裕福ではない」
ゲンが苦い笑みを浮かべる。
「龍水ちゃん、それボンドルドちゃん寄りに聞こえるよ」
「違う。主導権を奪われないために、こちらから枠を作る」
千空は龍水を見た。
「案は」
「段階的解除研究班を作る。千空、律、クロム、杠、そしてボンドルド。ただしボンドルドには単独実験禁止。全記録公開。人間対象は本人同意と全員承認が必須」
「全員って誰だ」
「最低でも、千空、律、杠、大樹、コハク、俺。感情で止める者も入れる」
ボンドルドは静かに聞いていた。
「良い構造です」
「貴様のためではない」
「わかっています」
だが、その声には満足があった。
ゲンがそれを聞き逃さなかった。
「まずいね」
千空が横目で見る。
「何が」
「ボンドルドちゃん、望み通りだよ。閉め出されるより、研究班に入る方がいい。しかも“危険だからこそ必要”って位置になった」
千空は舌打ちした。
その通りだった。
ボンドルドは倫理を破った。
だが、発見が大きすぎた。
排除すれば、技術の理解が遅れる。
使えば、彼が中心に近づく。
どちらでも、彼の存在価値は上がる。
主導権が、少し傾いた。
*
その夜、研究班の最初の規則が作られた。
段階的解除の人体応用は禁止。
例外は、生命危機があり、本人または代理判断者の同意があり、研究班全員が承認した場合のみ。
復活包帯の使用記録は、全件公開。
濃度、時間、部位、復活後症状を記録。
ボンドルドは単独で薬品、石化片、復活対象に接触禁止。
それでも、ボンドルドは不満を言わなかった。
むしろ、整えられた規則を興味深そうに読んでいた。
「あなた方は、怒りを制度に変えるのが速い」
「怒りっぱなしじゃ科学が止まるからな」
千空は言った。
「だが勘違いすんな。信用は地の底だ」
「承知しています」
「次やったら、科学王国から追放する」
「それは困ります」
「困らせるために言ってんだよ」
ボンドルドは、規則板に視線を落とした。
「ですが、今日の発見で救える命は増えます」
「テメーがそれを言うな」
「誰が言っても、事実は同じです」
千空は答えなかった。
小屋の外では、律が杠に礼を言っていた。右腕は動く。感覚も戻った。彼は明日から医療班に入ることになる。
救えた。
救えたからこそ、重い。
ゲンがぽつりと言った。
「これさ、ボンドルドちゃんの勝ち?」
千空は少し黙った。
「一手は取られた」
「だよねぇ」
「だが、詰んでねえ」
千空は新しい板を手に取った。
そこには、こう書かれていた。
危険技術管理表。
最上段に、段階的解除。
その下に、復活包帯。
その横に、ボンドルド。
千空はその名前を囲み、さらに外側に大きく線を引いた。
「こいつが主導権を取りに来るなら、その主導権ごと仕組みに閉じ込める」
ゲンは笑った。
「檻を作るんだ」
「違う」
千空は言った。
「実験室だ」
*
深夜。
ボンドルドは小屋の中で、包帯を巻かれた手を見ていた。
扉の外にはコハク。
少し離れて大樹。
屋根の上にスイカ。
監視は厚い。
だが、彼は満足していた。
復活液は鍵だと思われていた。
今日、それは鍵ではなくなった。
麻酔。
保存。
段階的覚醒。
医療処置。
統治。
拘束。
教育。
戦略。
ひとつの液体から、無数の道が開いた。
そしてその道の入口に、自分の名が置かれた。
「良い一日でした」
彼は静かに呟いた。
扉の外で、コハクが低く言う。
「こちらは最悪の一日だった」
「ですが、明日から救える人は増えます」
「だから最悪なのだ」
コハクの声は冷たい。
「お前のしたことを、結果だけで否定しきれない」
「ええ」
ボンドルドは穏やかに答えた。
「それが、進歩の厄介なところです」