石の世界に祝福を   作:stein0630

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第7話 空から嗅ぐもの

 

 

 龍水は、金を作った。

 

 紙ではない。金属でもない。石の世界で価値を持つ、新しい約束だった。

 

「これより、この科学王国に通貨を流通させる!」

 

 龍水は高らかに宣言した。

 

「名はドラゴ! 欲しいものを欲しいと言う者こそ、文明を動かす!」

 

 村人たちは半分ぽかんとし、半分は面白がった。

 

 クロムはドラゴを指で弾きながら唸る。

 

「金って、つまり交換券みてえなもんか?」

 

「違うな!」

 

 龍水は笑う。

 

「欲望の血液だ!」

 

「余計わかんねえ!」

 

 ゲンが横で肩をすくめた。

 

「まあ、働いた分が見えると人は動くって話だね。すごーく雑に言うと」

 

 ボンドルドは、そのやり取りを黙って見ていた。

 

 黒と濃紺の装甲。異形の仮面。文明の市場には似合わない探窟家が、ドラゴの束ではなく、それを受け取る人間の目を観察している。

 

 喜ぶ者。

 疑う者。

 欲を隠せない者。

 使い道を考える者。

 誰かに分けようとする者。

 

「興味深いですね」

 

 ボンドルドが言った。

 

 龍水が振り向く。

 

「貴様も欲しいか?」

 

「いいえ。現時点で、私はこの通貨を使う立場にありません」

 

「ならば何が面白い」

 

「復活液と同じです」

 

 空気が少し変わった。

 

 千空が顔を上げる。

 

「続けろ」

 

「価値あるものが少数に管理され、人の行動を変える。復活液は生命の順序を、通貨は労働の順序を制御する。どちらも文明の再建には有効です」

 

 大樹が眉をひそめた。

 

「金と命を一緒にするな」

 

「同じではありません。ですが、人の行動を変える力という点では比較できます」

 

 龍水は笑った。

 

「いいぞ、仮面の男。欲望を悪と見ないところは気に入った」

 

「欲望は観察しやすい。ですから、扱いやすい」

 

「扱う、か」

 

 龍水の笑みが少し深くなる。

 

「俺を扱えると思うなよ」

 

「もちろんです。扱うなら、あなたの欲望そのものではなく、欲望が向かう先を設計すべきでしょう」

 

 ゲンが小声で千空に言った。

 

「今の、かなりヤバくない?」

 

「ヤバいな」

 

 千空は軽く笑った。

 

「だが、今は使う」

 

 彼は作業台の上の地図を叩いた。

 

「船には油がいる。油田を見つける。だが、三千七百年で地形は変わりまくってる。古い地図だけじゃ百億パー足りねえ」

 

「だから、空だ!」

 

 龍水が空を指した。

 

「熱気球で上がり、変わり果てた地形をこの目で掴む!」

 

 クロムが拳を握る。

 

「空から地図を作る! 最高じゃねえか!」

 

 ボンドルドは、その言葉に反応した。

 

「空中観測ですか」

 

「テメー、飛んだことは?」

 

 千空が聞く。

 

「近い経験はあります。ただし、この世界の熱気球は初めてです」

 

「なら黙って見てろ。今回は俺、龍水、クロムで上がる」

 

「妥当です。操縦者、科学者、現地観察者」

 

 ボンドルドは、あっさり頷いた。

 

 その素直さに、千空の目が細くなった。

 

「何か提案がある顔だな」

 

「はい」

 

「言え」

 

「気球に乗る必要はありません。私は地上で十分です」

 

「何をする」

 

「空から得た情報を、地上の臭気、植生、土壌の情報と照合します」

 

 クロムが首を傾げる。

 

「臭気?」

 

「油田の探索には、地形だけでなく、地表に滲む揮発成分、土の色、特定の植物の生え方、水面の膜なども手がかりになります」

 

 千空は黙った。

 

 理屈は通る。

 

「現代科学の石油探査ってわけじゃねえが、原始装備でやるなら観察を増やすしかねえ。悪くねえ」

 

「ありがとうございます」

 

「ただし、単独行動は禁止だ」

 

「承知しています」

 

 ゲンが笑う。

 

「承知しています、で本当に承知してたこと少ないんだよなぁ」

 

   *

 

 気球は空へ上がった。

 

 布を縫い合わせ、熱を送り、籠が軋む。

 

 千空、龍水、クロム。

 

 三人を乗せた気球が森の上へ浮かんだ瞬間、科学王国の全員が声を上げた。

 

「うおおおお! 飛んだ! 人間が飛んだぞ!」

 

 大樹の声が下から響く。

 

 クロムは籠の縁を掴み、目を見開いていた。

 

「やっべえ……世界って、こんな形してんのかよ!」

 

 龍水は風を読んで笑う。

 

「欲しいぞ、この空! この視界! この地図!」

 

 千空は地形を見た。

 

 海岸線は、記憶の日本とはまるで違う。川の流れも、森の広がりも、古い地図とは噛み合わない。

 

「やっぱ地形がズレまくってやがる。これじゃ古い座標は使えねえ」

 

 下では、ボンドルドが別のものを見ていた。

 

 気球ではなく、風。

 

 煙の流れ。

 鳥の飛ぶ高度。

 湿った空気が谷へ落ちる方向。

 森の一角で、なぜか獣が避ける黒い湿地。

 

 彼の横にはコハクとゲン、そしてスイカがいた。

 

 スイカは壺から顔を出して、気球を見上げている。

 

「千空たち、すごいんだよ」

 

「ええ。空を得ることは、地形を支配することに近い」

 

「支配って言い方、やめた方がいいんだよ」

 

「では、理解と言い換えましょう」

 

「それならちょっといいんだよ」

 

 ゲンが笑った。

 

「スイカちゃん、ボンドルド翻訳機になってる」

 

 コハクはボンドルドを見ていた。

 

「お前は空を見ていないな」

 

「空から見る者がいますから」

 

「では、何を見ている」

 

「地上でしか見えないものです」

 

 ボンドルドは、黒い湿地を指した。

 

「獣があの一帯を避けています。水場に見えるのに、足跡が少ない」

 

 コハクが目を細める。

 

「たしかに、不自然だ」

 

「油そのものとは限りません。腐敗、硫黄、鉱物、毒性植物の可能性もあります。ですが、調べる価値はあります」

 

「千空たちが降りてからだ」

 

「はい」

 

 ボンドルドは穏やかに頷いた。

 

「ですが、準備はできます」

 

 彼は地面に膝をつき、木片で簡単な図を描いた。

 

 湿地。

 谷。

 風向き。

 水の流れ。

 気球の予想進路。

 

 ゲンが覗き込む。

 

「これ、千空ちゃんたちが上で見てる地形と合わせるつもり?」

 

「はい。上空からの視界は広い。地上からの情報は深い。合わせれば、探索範囲を絞れます」

 

「まともに役に立つ時のボンドルドちゃん、ほんと困るね」

 

「困るのですか」

 

「困るよ。疑う理由が減るから」

 

「それは誤りです」

 

 ボンドルドは静かに言った。

 

「役に立つ者ほど、疑う理由は増やすべきです」

 

 ゲンは笑えなかった。

 

   *

 

 気球は嵐に掴まれた。

 

 遠くで雲が盛り上がり、風向きが変わった。地上の大樹が叫ぶ。

 

「千空ー!」

 

 籠が大きく揺れる。

 

 クロムが歯を食いしばる。

 

「やっべえ! 落ちるのか!?」

 

「落ちねえ!」

 

 千空が叫ぶ。

 

「熱を入れろ! 雲の下に巻かれるより、上に抜ける!」

 

 龍水が笑う。

 

「いい判断だ! 上を取るぞ!」

 

 地上では、全員が気球を追って走った。

 

 ボンドルドだけが、すぐには走らなかった。

 

 彼は風を見た。

 

 煙。

 草。

 鳥。

 

「コハクさん」

 

「何だ」

 

「追跡方向を変えます。あちらです」

 

「気球は逆へ流れているぞ」

 

「一時的です。上昇後、雲上の風に乗れば東へ戻されます。落下地点は、あの尾根の向こう」

 

 コハクは一瞬だけ迷った。

 

「外したら?」

 

「私の判断ミスです」

 

「そういう問題ではない」

 

「では、千空さんたちが助かる確率を上げる選択です」

 

 コハクは舌打ちした。

 

「ゲン! 大樹に伝えろ! 二手に分かれる!」

 

「はいはい!」

 

 スイカが叫ぶ。

 

「スイカも行くんだよ!」

 

「あなたは村へ戻るべきです」

 

 ボンドルドが言った。

 

「なんで?」

 

「あなたの目は、この地形で役に立ちます。ですが、嵐の後の山は危険です」

 

「役に立つなら行くんだよ!」

 

 ボンドルドは少し黙った。

 

「……よい判断です。ただし、私の前を歩かないでください」

 

「うん!」

 

 コハクが低く言う。

 

「スイカを利用するな」

 

「能力を評価しています」

 

「同じように聞こえる時がある」

 

「そうでしょうね」

 

 彼らは尾根へ走った。

 

 雨が降り出す。

 

 地面が滑る。

 

 視界が悪い。

 

 その中で、ボンドルドは迷わなかった。枝の折れ方、風で倒れる雨の角度、遠くで聞こえる布のはためき。

 

 やがて、森の向こうで音がした。

 

 籠が木々を削りながら落ちる音。

 

「いた!」

 

 コハクが走る。

 

 気球は木に引っかかっていた。

 

 千空は籠の縁にしがみつき、クロムは逆さまになって叫んでいる。龍水は笑っていた。

 

「無事か!」

 

 コハクが叫ぶ。

 

「百億パー死んでねえ!」

 

 千空が返す。

 

 ボンドルドは状況を見た。

 

 籠は斜め。下は谷。布が枝に絡んでいる。下手に動けば落ちる。

 

「すぐに引き下ろしてはいけません」

 

 コハクが止まる。

 

「理由は」

 

「布が荷重を分散しています。切れば谷へ落ちる。まず籠の荷重を別の縄へ移すべきです」

 

 千空が上から叫ぶ。

 

「正解だ! 大樹は!?」

 

「別ルートだ!」

 

「縄が足りねえ!」

 

 ボンドルドは、自分の外套の留め具を外した。

 

 中から、細く強い繊維束が現れる。

 

 コハクが睨む。

 

「また未開示装備か」

 

「使用許可を求めます。命綱として有効です」

 

 千空が即答した。

 

「許可! 後で全部記録だ!」

 

「承知しました」

 

 繊維束は軽く、異様に強かった。

 

 木に巻き、籠へ通し、荷重を移す。

 

 龍水がそれを見て目を輝かせた。

 

「欲しいぞ、その繊維!」

 

「補給できません」

 

「ならば再現する!」

 

「この世界の素材では困難でしょう」

 

「困難だから欲しい!」

 

 千空が怒鳴る。

 

「欲しがってる場合か! 降りるぞ!」

 

 救出は成功した。

 

 クロムは地面に転がって笑った。

 

「死ぬかと思った! でも空、やべえ! 最高だ!」

 

 龍水も笑う。

 

「地図は得た! 風も得た! 次はもっと上手く飛べる!」

 

 千空は泥だらけで立ち上がった。

 

「ボンドルド」

 

「はい」

 

「落下地点、よく読んだな」

 

「風を見ただけです」

 

「それだけじゃねえ。気球の上昇判断まで読んでた」

 

「あなたなら上へ抜けると判断しました」

 

 千空は目を細めた。

 

「俺を読んだのか」

 

「はい」

 

 その場が静かになる。

 

 ボンドルドは続けた。

 

「あなたは、下で抵抗するより、危険を承知で上に出る方を選ぶ。科学的に勝率が高いなら、恐怖では止まらない」

 

「褒めてんのか」

 

「観察です」

 

 ゲンが追いついて、息を切らしながら言った。

 

「うわ、またそれ。助けられたのに気持ち悪いやつ」

 

   *

 

 気球の地図と、地上の観察を合わせた。

 

 黒い湿地。

 獣が避ける水場。

 周辺の土の変色。

 水面の薄い膜。

 龍水が上空から見た、不自然に光る筋。

 

 千空はしゃがみ込み、湿地の水面を竹棒で撫でた。

 

 虹色の膜が揺れる。

 

「油膜だ」

 

 クロムが叫ぶ。

 

「油田か!?」

 

「まだ確定じゃねえ。だが、百億パー近い」

 

 龍水の目が輝く。

 

「ついに見つけたか! 俺の油田!」

 

「まだテメーのじゃねえ」

 

「約束は約束だ!」

 

 スイカが鼻をひくひくさせた。

 

「なんか変な匂いがするんだよ」

 

「近づきすぎるな」

 

 千空が止める。

 

「可燃性ガスの可能性がある。火気厳禁だ」

 

 ボンドルドは湿地の縁に立ち、沈黙していた。

 

 千空が聞く。

 

「何を見てる」

 

「油ではありません」

 

「何?」

 

「いえ、油も見ています。ですが、より重要なのは、ここに集まった全員の反応です」

 

 龍水は所有を考えている。

 千空は精製を考えている。

 クロムは仕組みを知りたがっている。

 スイカは匂いを覚えている。

 コハクは危険を見ている。

 ゲンは交渉材料を数えている。

 

 ボンドルドは言った。

 

「資源は、発見した瞬間に人間関係を変える」

 

 千空は笑った。

 

「で、テメーならどう使う」

 

「まず所有権を曖昧にしません。次に採掘手順、配分、警備、事故時の責任者を決める。最後に、油を使える者と使えない者の差を管理する」

 

「最後が相変わらず最悪だな」

 

「差は必ず生じます。管理しなければ、争いになります」

 

 龍水が笑った。

 

「その通りだ! だから俺が所有する!」

 

「龍水さんの所有は、むしろ管理しやすい」

 

 ボンドルドが言った。

 

 龍水が片眉を上げる。

 

「ほう?」

 

「あなたは欲望を隠さない。条件も明確です。ならば、取引で制御できる」

 

「俺を制御するだと?」

 

「制御できない所有者より、制御可能な強欲の方が安全です」

 

 龍水は大笑いした。

 

「気に入ったぞ!」

 

 千空は頭を抱えた。

 

「気に入るな。値踏みされてんだよ」

 

   *

 

 油田発見の夜、科学王国は沸いた。

 

 船が現実になる。

 燃料が手に入る。

 海へ出られる。

 石化光線の謎へ近づける。

 

 クロムは興奮で眠れず、龍水は早くも油の値段を考え、ゲンはドラゴ経済の暴走をどう抑えるか悩んでいた。

 

 千空は、地図の横に新しい表を作った。

 

 油田管理。

 採掘。

 精製。

 火災対策。

 配分。

 警備。

 事故処理。

 

 その下に、別枠で書いた。

 

 ボンドルド装備使用記録。

 

 気球救助に使った繊維束。

 強度、耐熱性、耐水性、切断難度。

 補給不能。

 再現困難。

 今後の使用は許可制。

 

 ボンドルドはそれを見ていた。

 

「徹底していますね」

 

「テメーがちょっとずつ未開示装備を出すからな」

 

「必要時にのみ使用しています」

 

「その“必要”をテメーが判断するのが問題なんだよ」

 

「では、判断基準を共有しましょう」

 

 千空の手が止まる。

 

「何?」

 

「命に関わる緊急時、補給不能装備を使用する基準です。使用しないことによる損失と、使用による情報開示・資源消費の損失を比較する」

 

「また表か」

 

「はい。表は、感情を一度外へ出せます」

 

 ゲンが横から呟いた。

 

「ボンドルドちゃん、制度作りに侵食してきてるね」

 

「だな」

 

 千空は板を置いた。

 

「だが、使える。俺らだけで決める。テメーは草案だけ出せ」

 

「承知しました」

 

 その返答が、あまりに自然だった。

 

 千空は気づいた。

 

 ボンドルドは、もう復活液だけを狙っていない。

 

 油田。

 通貨。

 気球。

 地図。

 装備使用基準。

 資源配分。

 

 文明を動かす仕組みの中に、自分の言葉を差し込み始めている。

 

 ゲンが低く言った。

 

「主導権、少し取られてるよ」

 

「わかってる」

 

「止める?」

 

「止めねえ」

 

 千空は地図を見た。

 

「止めたら遅れる。使えば進む」

 

「それ、向こうの土俵じゃない?」

 

「だから土俵ごと作り替える」

 

   *

 

 深夜。

 

 ボンドルドは油田の方角を見ていた。

 

 コハクが後ろに立つ。

 

「寝ないのか」

 

「考えることが多いので」

 

「何を考えている」

 

「油です」

 

「燃料としてか」

 

「それもあります」

 

 ボンドルドは静かに言った。

 

「油は船を動かす。機械を動かす。火を強くする。薬品を作る。防水し、保存し、燃え広がり、人を集める」

 

「危険なものだな」

 

「はい。文明とは、危険なものを標準化することです」

 

 コハクは眉をひそめた。

 

「お前の言葉は、時々、千空と同じ方向を向く」

 

「光栄です」

 

「だが、歩き方が違う」

 

「ええ」

 

 ボンドルドは、油田の闇を見ていた。

 

「千空さんは、人を連れて文明へ向かう。私は、文明が人をどこまで変えられるかを見たい」

 

「やはりお前は危険だ」

 

「はい」

 

 彼は否定しなかった。

 

 黒い装甲の輪郭が、夜に溶ける。

 

「ですが、今日の発見で船は近づきました。船ができれば、世界は広がる」

 

「それが目的か」

 

「目的の一つです」

 

「他には」

 

 ボンドルドは少しだけ沈黙した。

 

「海の向こうには、石化の理由があります」

 

「それを知りたいのか」

 

「もちろん」

 

「知ってどうする」

 

 仮面の奥から、穏やかな声が返る。

 

「使える形にします」

 

 コハクの槍先が、わずかに上がった。

 

 その夜、彼女は千空に報告した。

 

 千空は短く答えた。

 

「だろうな」

 

「驚かないのか」

 

「驚かねえ。あいつは最初からそういうやつだ」

 

「なら、なぜ連れていく」

 

 千空は地図を見た。

 

 油田。

 船。

 海。

 石化の謎。

 

「あいつは危険だ」

 

 千空は言った。

 

「だが、危険なもんを全部遠ざけてたら、文明なんざ戻らねえ」

 

「では、どうする」

 

「燃料と同じだ」

 

 千空は、油田の印に指を置いた。

 

「燃やす場所を、こっちが決める」

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