石の世界に祝福を   作:stein0630

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第9話 乗せる者、残す者

 

 

 船の骨が、海辺に立った。

 

 巨大な竜骨。組み上がる肋材。縄で締められ、木で支えられ、鉄で補強されていく船体。

 

 ペルセウス。

 

 まだ名を持っただけの骨組みだったが、それでも誰もがわかった。

 

 これは舟ではない。

 

 村の近くを行き来するための道具ではない。

 

 世界へ出るための文明だ。

 

「でけえ……」

 

 クロムは、首が痛くなるほど見上げていた。

 

「これが海を渡るのかよ」

 

 龍水は腕を広げて笑う。

 

「当然だ! この船は世界を欲しがる俺たちの足だ!」

 

 千空は設計図を片手に、船体の接合部を確認している。

 

「浮くだけなら簡単だ。沈まず、折れず、燃えず、飢えず、病まず、戻ってこられる船にすんのが地獄なんだよ」

 

 その地獄を、フランソワは食料表に落とし込んだ。

 

 誰が何日分、何を食べるか。

 保存食の乾燥度。

 水の配分。

 作業者の消費量。

 航海中に腐りやすいもの、先に使うもの、非常時まで残すもの。

 

 龍水は人員を見た。

 

 千空は技術を見た。

 

 クロムは未知を見た。

 

 コハクは危険を見た。

 

 ゲンは人間関係を見た。

 

 そしてボンドルドは、全員を見た。

 

 黒と濃紺の装甲をまとった異形の探窟家は、船体の影で記録板に何かを書いていた。

 

 千空が近づく。

 

「何だ、それ」

 

「乗船候補者の反応表です」

 

「見せろ」

 

「もちろんです」

 

 千空は板を受け取った。

 

 名前の横に、項目が並んでいる。

 

 閉所耐性。

 高所反応。

 出血時の行動。

 命令系統への反応。

 食料制限時の不満。

 未知信号への興味。

 復活液への執着。

 負傷者を見た時の優先順位。

 恐怖時の攻撃性。

 集団を落ち着かせる能力。

 

 千空の眉が寄る。

 

「いつ調べた」

 

「日常の観察です」

 

「同意は」

 

「得ていません」

 

 即答だった。

 

 隣にいたゲンが、顔をしかめた。

 

「うわぁ、出たね。本人の知らない適性検査」

 

「本人に知らせれば、反応が変わります」

 

「そこが最悪なんだよなぁ」

 

 ボンドルドは静かに言った。

 

「船は閉鎖環境です。地上での善良さと、海上での有用性は一致しません」

 

 大樹が反応した。

 

「人を有用性で決めるな!」

 

「では、誰を乗せるべきか、どう決めますか」

 

 ボンドルドの問いは穏やかだった。

 

「行きたい者を全員乗せますか。勇気ある者を優先しますか。技術者だけですか。戦える者だけですか。誰かが海上で錯乱した時、誰が止めますか」

 

 大樹は黙った。

 

 その沈黙を、千空が切る。

 

「乗船メンバーは俺たちが決める。テメーの表は参考資料だ」

 

「それで十分です」

 

「十分、ねえ」

 

 ゲンが小さく言う。

 

「参考資料って、会議ではかなり強いんだよね。最初に出した表が、議論の形を決めちゃう」

 

 千空はボンドルドを見た。

 

「狙ってたな」

 

「はい」

 

 隠さない。

 

 それが一番厄介だった。

 

   *

 

 乗船候補者の話し合いは、すぐに荒れた。

 

 海へ出たい者は多い。

 

 石化の謎へ行きたい者。

 世界を見たい者。

 仲間を守りたい者。

 船そのものに関わりたい者。

 地上に残るのが嫌な者。

 

 だが、船には全員は乗れない。

 

 食料、水、医療、寝床、作業空間。

 

 どれも有限だ。

 

 龍水は当然のように言った。

 

「船長は俺だ」

 

「そこは異議ねえ」

 

 千空が言う。

 

「操船に龍水。科学に俺。工作にクロム。戦闘にコハク。心理戦にゲン。医療に律。生活管理にフランソワ」

 

「私も乗る!」

 

 大樹が叫んだ。

 

「力仕事なら誰にも負けない!」

 

 杠も静かに言う。

 

「石像の修復が必要になるなら、私も行った方がいいと思う」

 

 スイカは小さく手を上げた。

 

「スイカも役に立つんだよ。小さいところも見えるんだよ」

 

 空気が重くなった。

 

 誰も連れていきたい。

 誰も残したくない。

 

 だが、それでは船が沈む。

 

 ボンドルドは黙っていた。

 

 千空はその沈黙が気に入らなかった。

 

「言えよ」

 

「よろしいのですか」

 

「許可する」

 

 ボンドルドは、記録板を置いた。

 

「大樹さんは、地上に残すべきです」

 

 大樹が目を見開いた。

 

「なぜだ!」

 

「船上では、あなたの力は有効です。ですが、科学王国本拠地の維持において、あなたの価値はそれ以上に大きい。重量物の運搬、治安維持、復活者の受け入れ、農作業。あなたが不在になる損失が大きすぎる」

 

「俺は、千空を守るために――」

 

「その目的なら、コハクさんの方が船上適性は高い」

 

 大樹は言葉を失った。

 

 ボンドルドは続ける。

 

「杠さんも残るべきです。石像修復の中核です。航海先で修復対象が見つかる可能性はありますが、本拠地に残る大量の石像管理を失う方が危険です」

 

 杠は唇を噛んだ。

 

「スイカさんは」

 

 その瞬間、全員が少し身構えた。

 

「乗船候補として有効です」

 

 スイカが驚く。

 

「え?」

 

 ボンドルドは淡々と言った。

 

「小柄で消費食料が少ない。視力補助具を用いた観察能力が高い。狭所探索に向く。大人が見落とす違和感を拾う。情報伝達も素直です」

 

 コハクの目が鋭くなる。

 

「子供を便利だから乗せるのか」

 

「危険だから外す、という判断もあります。ですが、危険の種類によっては、彼女の能力が全体の生存率を上げます」

 

 スイカは小さく震えていた。

 

 嬉しいのか、怖いのか、自分でもわからない顔だった。

 

 千空は低く言った。

 

「スイカは残す」

 

「理由は」

 

「危険すぎる」

 

「それは感情ですか、判断ですか」

 

 コハクの槍が動いた。

 

「ボンドルド」

 

「重要な問いです」

 

 千空はボンドルドを睨んだ。

 

「両方だ。船に乗せた方が役立つ可能性はある。だが、失った時のダメージがデカすぎる。本人の成長にも、村の情報網にもな」

 

「なるほど。損失評価ですね」

 

「テメーの言葉にすんな」

 

「失礼しました」

 

 ゲンが小さく笑った。

 

「ボンドルドちゃん、議論を全部自分の形式に持っていくね」

 

「それが狙いだ」

 

 千空は言った。

 

「だから、こっちの言葉に戻す」

 

 彼は板に大きく書いた。

 

 乗船理由。

 残留理由。

 本人の意思。

 代替不能性。

 帰還後に必要な役割。

 

「有用性だけじゃ決めねえ。残るやつも、選ばれなかったんじゃねえ。残る役割がある」

 

 大樹が拳を握る。

 

「そうだな。俺は、戻ってくるみんなを迎える!」

 

 杠も頷いた。

 

「私は、戻す人たちを守る」

 

 スイカは少し寂しそうだったが、顔を上げた。

 

「じゃあスイカは、村でいっぱい見つけるんだよ」

 

 ボンドルドはそれを見ていた。

 

「役割の再定義。士気低下を抑えた」

 

「仲間を納得させたんだよ」

 

 千空が言う。

 

「その違いを、よく覚えとけ」

 

   *

 

 その夜、船内試験が行われた。

 

 ペルセウスはまだ完成していない。だが、船室の一部は組み上がっている。航海時の寝床、通路、倉庫、医療区画の配置を試すため、候補者たちは仮設船室に入った。

 

 狭い。

 暗い。

 揺れはないが、圧迫感がある。

 

 ゲンは壁を叩いた。

 

「うーん、閉じ込められる感じあるねぇ」

 

 クロムは逆に楽しそうだった。

 

「秘密基地みてえだな!」

 

 律は医療区画の動線を確認している。

 

 コハクは出入口と死角を見た。

 

 フランソワは食料庫の湿気を確認した。

 

 龍水は船長室の位置に不満を言った。

 

 千空は全員を見ている。

 

 ボンドルドは、さらに後ろで見ていた。

 

 試験開始から一時間後。

 

 灯りが消えた。

 

 完全な暗闇。

 

 次の瞬間、船室の奥で煙が上がった。

 

「火事か!?」

 

 誰かが叫ぶ。

 

 クロムが動く。

 

 コハクは出入口を確保する。

 

 律は医療道具を抱える。

 

 フランソワは食料庫の扉を閉める。

 

 ゲンは声を張った。

 

「はい、落ち着いて! 出口はこっち! 押さない!」

 

 龍水は叫ぶ。

 

「風上へ回せ! 煙を逃がせ!」

 

 千空は即座に煙の匂いを嗅いだ。

 

 燃焼臭が弱い。

 

 刺激も少ない。

 

 煙は、火事の煙ではない。

 

「誰だ」

 

 千空の声が低くなった。

 

 暗闇の中で、ボンドルドの声がした。

 

「私です」

 

 全員の動きが止まった。

 

 煙はすぐに薄れた。

 

 非常用の換気口が開いている。火はない。濡れた草と土器を使った、低温の煙だった。危険性は低い。

 

 だが、事前説明はなかった。

 

 コハクの槍が、暗闇でボンドルドの喉元に向く。

 

「何をした」

 

「船内火災時の反応試験です」

 

 大樹が外から叫ぶ。

 

「何だと!」

 

 千空は、ゆっくり近づいた。

 

「許可してねえぞ」

 

「許可を取れば、反応は変わります」

 

「そういう問題じゃねえ」

 

「船上では、事前に宣言された訓練だけでは不十分です。実際の事故は、準備が整っていない時に起きます」

 

 ゲンの顔が冷えている。

 

「それっぽい正論で無断実験を包むの、さすがにキツいね」

 

 ボンドルドは記録板を出した。

 

「結果は有用です。コハクさんは最短で出入口を制圧。ゲンさんは群衆制御に移行。律さんは医療道具を確保。フランソワさんは食料庫を守る。クロムさんは煙源へ向かう傾向があり、危険。龍水さんは全体指示が早い。千空さんは煙の性質を識別した」

 

「だから何だ」

 

 千空の声は低い。

 

「乗船配置を修正できます」

 

 その言葉で、空気がさらに重くなった。

 

 有用だった。

 

 また、有用だった。

 

 クロムは自分が危険な動きをしたと理解して、歯を食いしばる。

 

「俺……煙源に突っ込んだ」

 

「科学者としては自然な反応です。ですが船では危険です」

 

 ボンドルドは穏やかに言った。

 

「あなたには、初動で止める者が必要です」

 

 コハクが言う。

 

「それを知るために、全員を騙したのか」

 

「はい」

 

 千空が、ボンドルドの胸倉を掴んだ。

 

 装甲が硬く、布が軋む。

 

「次に無断でやったら、船には乗せねえ」

 

「それは困ります」

 

「困れ」

 

「ですが、今回の結果を使わないのは非合理です」

 

「使う」

 

 千空は吐き捨てるように言った。

 

「使うから腹立ってんだよ」

 

 ボンドルドは静かに答える。

 

「進歩には、しばしば不快な発見が伴います」

 

「テメーが不快にしてんだろ」

 

 千空は手を離した。

 

「全員、配置修正だ。だが記録には書く。これはボンドルドによる無断試験。違反一回目だ」

 

「承知しました」

 

 ゲンが目を細める。

 

「一回目って言われて、安心してない?」

 

「二回目の基準が明確になりました」

 

「ほんと最悪」

 

   *

 

 煙試験の結果、船内配置は変わった。

 

 クロムは単独で機関部に置かない。

 ゲンは避難誘導の位置。

 律は医療区画の近く。

 コハクは甲板と船内の接続部。

 フランソワは食料庫と医療区画の間。

 龍水は指揮位置。

 千空は通信と科学区画。

 

 そしてボンドルドは、医療区画ではなく、隔離室に配置された。

 

「隔離室?」

 

 ボンドルドが言う。

 

「ああ」

 

 千空は答えた。

 

「患者を隔離するための部屋だが、テメーもそこだ。必要な時だけ出す」

 

「私を危険物として保管するのですね」

 

「そうだ」

 

「適切です」

 

「納得すんな」

 

「危険物には、用途と保管条件が必要です」

 

 コハクが低く言った。

 

「お前は自分を物のように扱う」

 

「自分も例外ではありません」

 

「だから他人にもそうする」

 

 ボンドルドは黙った。

 

 それは否定しなかった。

 

   *

 

 翌日、通信機が再び異常音を拾った。

 

 前よりも短い。

 

 だが、明確だった。

 

 こちらの出力に反応している。

 

 千空は受信記録を並べた。

 

「やっぱ偶然じゃねえ。こっちが文明を戻すほど、向こうも触ってきやがる」

 

 クロムは拳を握った。

 

「じゃあ、海へ出るしかねえな」

 

「そういうこった」

 

 龍水が笑う。

 

「ペルセウスは世界の問いに答える船だ!」

 

 ゲンが言う。

 

「問いに答えるっていうか、問いを殴りに行く感じだけどね」

 

 ボンドルドは通信記録を見ていた。

 

「この信号は、威嚇でしょうか。それとも誘導でしょうか」

 

「何?」

 

 千空が聞く。

 

「相手が本当にこちらを止めたいなら、もっと直接的な妨害があるはずです。信号を送るという行為は、こちらに存在を知らせる。つまり、恐怖を与える、反応を見る、または誘導する意図が考えられます」

 

 ゲンが真顔になる。

 

「うわ、心理戦として見るんだ」

 

「相手が知性を持つなら、信号は行動です」

 

 千空は通信記録を睨む。

 

「誘導だとしても乗るしかねえ。石化の謎が向こうにあるならな」

 

「罠かもしれません」

 

「罠でも行く」

 

「ならば、罠にかかる前提で準備しましょう」

 

 千空は笑った。

 

「そこは同意だ」

 

 ボンドルドは板に項目を書いた。

 

 敵性通信。

 遠隔観測。

 石化再発生。

 船内反乱。

 上陸後の集団石化。

 復活液喪失。

 医療不能区域。

 指揮系統喪失。

 

 大樹が顔をしかめる。

 

「嫌なことばかり書くな」

 

「嫌なことほど、先に書くべきです」

 

 千空はその板を見た。

 

 全部、必要だった。

 

 腹立たしいほどに。

 

   *

 

 ペルセウスの船体が完成に近づくにつれて、科学王国の空気は熱を帯びていった。

 

 海へ出る。

 

 石化の謎へ向かう。

 

 人類を戻す旅が始まる。

 

 だが、その準備表の中に、いつの間にかボンドルドの項目が増えていた。

 

 危険技術管理。

 段階的解除。

 船内緊急処置。

 事故反応記録。

 乗船者適性。

 敵性通信想定。

 隔離室運用。

 

 彼は船長ではない。

 科学リーダーでもない。

 戦士でもない。

 料理人でもない。

 

 それなのに、船のあちこちに彼の考えが染みていく。

 

 毒ではない。

 

 薬に近い。

 

 使えば助かる。

 使いすぎれば、何かが変わる。

 

 千空は夜の造船場で、ペルセウスを見上げていた。

 

 ボンドルドが隣に立つ。

 

「良い船です」

 

「まだ完成してねえ」

 

「完成します」

 

「断言すんな」

 

「あなた方なら、完成させるでしょう」

 

 千空は横目で見る。

 

「テメー、楽しそうだな」

 

「はい」

 

「船に乗って石化の謎を解けるからか」

 

「それもあります」

 

「他には」

 

 ボンドルドは、建造中の船を見上げた。

 

「この船は、小さな文明です」

 

 彼は静かに言った。

 

「限られた資源。閉鎖環境。役割分担。指揮系統。医療。食料。恐怖。信頼。規則。例外。人間がどこまで人間でいられるか、非常に明瞭に観察できます」

 

 千空の目が冷えた。

 

「実験船扱いか」

 

「そう見える側面もあります」

 

「俺は全員を目的地に連れて行って、全員連れて帰る」

 

「そのためには、時に人間を規則に従わせる必要がある」

 

「人間のための規則だ」

 

「規則のために人間を動かす場面も出る」

 

「出さねえ」

 

「出ます」

 

 その言い方は、断定だった。

 

 千空は黙る。

 

 ボンドルドは続けた。

 

「嵐、飢え、感染、敵、石化。海は、あなたの倫理に遠慮しません」

 

「だから科学で勝つ」

 

「ええ」

 

 ボンドルドの声は、柔らかかった。

 

「私も、それを見たい」

 

「見るだけで済むと思うなよ」

 

「もちろん」

 

 仮面の奥の表情は見えない。

 

「必要なら、手を貸します」

 

 千空はペルセウスを見上げた。

 

 完成すれば、海へ出る。

 

 その船には、希望が乗る。

 

 欲望が乗る。

 

 科学が乗る。

 

 そして、倫理の外側から科学を見る男も乗る。

 

 千空は静かに言った。

 

「ボンドルド」

 

「はい」

 

「船の上でライン越えたら、海に叩き落とす」

 

「承知しました」

 

「泳げんのか」

 

「状況によります」

 

「そこは泳げねえって言っとけよ」

 

「虚偽は避けたいので」

 

 千空は小さく笑った。

 

 だが、目は笑っていなかった。

 

 ペルセウスは完成へ近づいている。

 

 同時に、ボンドルドもまた、科学王国の内部で役割を完成させつつあった。

 

 危険物として。

 

 必要悪として。

 

 そして、誰もが気づきながら止められない、文明の加速装置として。

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