コーヒーの程よい香りと、チョコのような甘い匂いとスパイスのようなつんとくる匂い。ブルーキャッツとまた違うナチュラルな色の家具が揃えられたカントリー風の喫茶店。入った時からずっと様々な香りが漂っているのが印象的なお店だ。
一番大きなテーブル席には、向かい側にオタレッド、オタイエロー、ジンが。私の隣には仙道がいる。とりあえず頼むメニューをのんびり見ながら大会後の余韻に浸っている。
「さぁ皆の衆、好きなだけ食べて飲んでくれ!僕はヘルシーにジンジャーエールにしようかな」
「今月ピンチだったから助かるんだな、じゃあカレーで」
「イエロー、飲み物は?」
「え?頼んだよ、カレー」
「え……じゃあ食事は?」
「カレーで」
コントを始めたオタレッドとオタイエローの横でジンがメニューに驚きつつ読み込んでいた。
「ジン、なにか見つけたの?」
「あ、いや。コク・ルピアがあってね、その……珍しくて……」
開いたメニューを指さしながら、ちょっと興奮気味に教えてくれた。コーヒーの違いはわからないけど、気持ち他のメニューより枠が豪華に見える……なんだか高そう。
「ほう、いいもんがあるな。俺もそれにしよう」
「いいのだろうか、かなりの値段になると思うのだけど」
ジンが心配そうに聞いていたけど、仙道はなにか悪い事を考えているようで。口角を上げ、目を細めながらジンを誘導していた。
「こういうのは大人の優しさに乗っかるもんだ。川村アミ、お前はどうするんだ?」
「紅茶がいいかな……あ!このジャンボベリーパフェ美味しそう!」
メニューには当店自慢の、と謳い文句でパフェの写真が載っている。つい目を奪われてしまう、休憩時間に結構食べた気がするけど。メニューを見ているだけでお腹が空いてきてしまう……頑張ったから今日はいいよね?
「アミたんが今日の一番のMVPだからね、遠慮なく頼んでおくれ」
嬉しそうに話すオタレッドに甘え頼むことにした。賑やかなテーブルになりつつ、それぞれが順調に注文が決まっていく。
店員さんを呼び出してオタレッドが慣れたように注文をして、それぞれの待ち時間に入った。
ご機嫌なオタレッドが今日の大会の感想を高らかに演説し、さも興味が無い仙道はCCMをいじり始めた。私はこれと言ってやることもないのでオタレッドの方に耳を傾けていた。
「今日のアミたんは恰好良かったねぇ!特に最後のジン君とのバトル、本当に素晴らしかった!子供の頃に夢中になった戦隊ヒーローの熱き戦いを見ているようだったよ!」
「そうだな、今日のアミたんはまさに魔法少女みたいだったんだな」
オタレッドとオタイエローが先ほどの戦いについて語り出す、やはり私だけがみんなに評価されている。あまりにも露骨な絶賛の声に反論したくなって、思わず声を上げてしまった。
「もう!私だけの実力じゃないのに、仙道だって凄かったんだから!」
「アミさん落ち着いて。しょうがないよ、それほど君の活躍が大きいんだ……怒る理由もわかるけどね」
憤る私を宥めるようにジンが助け舟を出してくれたけど、やはり気持ちが収まらない。隣で聞いていないふりをしている仙道の耳が一瞬動いたのが見えた。聞き耳立てている、やはり自分への評価は気になるのね。こういう所は相変わらずのようで。
「仙道だって……仙道だって凄かったのよ、私だけじゃジンにたどり着けなかったのに……なんでみんな私ばっかり」
「仙道君、仙道君かぁ……相も変わらずだったよ、アルテミスの時と特になにも変わらなかったかな?」
私の気持ちを拾わずに、オタレッドが余計な一言を言ってしまった。
「そうだね、なんか拍子抜けだったんだな」
オタイエローも続いて感想を述べてしまう。オタレンジャー達の悪意なき批評に仙道が小さく舌打ちをする、やっぱりしっかりと聞いているんじゃないの。会話に混ざれば良いのに……。
「でも、アミさんとの連携が決まり始めた辺りからみるみる強くなった。あれには本当に驚かされたよ」
仙道の悲惨な評価に助け舟を出したのは、ジンの冷静な分析と聡明な言葉だった。
「仙道君と言えば機動力を生かした動きと類稀に見ない分身攻撃だ、でも今日の大会ではあまり見かけなかった。LBXが不調の中、よく戦っていたよ」
「ほう……気が付いていたか、いつ分かった?」
もう隠すつもりもない仙道が割り込んできた。食い気味に聞いた仙道にジンは話を続ける。
「サラマンダーとクノイチとのバトルを偶然拝見していてね……予想の範疇は出ないが、コアパーツに異常が出たのだと予測している。モーターかバッテリー、はたまたその両方じゃないかと見ているよ」
正解、確かにそうだった。あれって見ただけで分かるの?
「ご、ご明察。お前の人並外れた観察眼が本当に恐ろしいなぁ……」
「そうかい?よくわからないけどありがとう」
皮肉を零すどころか、あまりのジンの観察眼にドン引きしつつ本音が漏れている、しかもジンの本物の天然さに負けた……今日の仙道は格好がつかないのね。
「今日改めて思うことがある、アキハバラキングダムの時の郷田君との連携を見ていても思っていたが……」
少し言葉を選んでいるように口を閉ざした、しばらく考えた後に話し出した。
「君は単騎で戦うよりも、連携した時の方が強く感じた。地を見極め戦況を読む力が、君の根源にあると僕は思う。アミさんへのサポートはまさに見事の一言に尽きる……なのに――」
「お待たせしましたー」
ジンの言葉は店員さんの言葉が遮った、テーブルに注文の品々が並ぶと共に会話は途切れてしまった。
それぞれの注文した料理が行き届くとグラスを持ったオタレッドが軽くグラスを掲げ乾杯の音頭を取った。
「諸君、大会ご苦労!長い話は面倒だから省略するよ。それじゃ、かんぱーい!」
やる意味ないじゃん……とオタレッド以外が思った所でカップをカツンと鳴らし、私達の小さな宴が始まった。
オタイエローがカレーを嗜み、ジンがコーヒーを啜る。オタレッドが場を盛り上げようと様々な話をしていて、落ち着いたカフェだけど、このテーブルだけは賑やかだ。アニメとかの話っぽいけど、私にはよく分からないから……正直内容が入ってこないけど。
「それ、ひとりで食うのか」
驚きと呆れでコーヒーの飲む手を止めてしまった仙道が、私の目の前のパフェに言葉を詰まらせながら聞いてきた。
「よ、よかったら……食べる?」
「頑張れよ、俺は知らない」
そっぽを向いてカップを口に運んで知らんぷりされた。酷い、ずっと協力して戦ってきた仲なのに、裏切り者!
目の前に置かれた器に入ったアイスの塔……というより「城」と呼んでもおかしくないものからの圧を感じて身震いしてしまう。
ピンクや赤のジェラード、白くてふわふわなクリームと角切りのケーキ、シリアルやチョコレート、宝石のように輝く苺やブルーベリー、真っ赤なベリーソースの雪崩ができている。
名前にジャンボがついていると言っても大きさが……許容範囲外!なんでちょっと見上げないといけないくらい大きいのよ!?
「写真と違うじゃない、絶対詐欺よこんなの」
「アミさん……それ全部食べるのかい?」
向かいにいるジンも仙道と同じことを聞いてきた。あまりの大きさにあのジンでさえ開いた口が塞がらないみたいだった。
欲しいのかな?欲しいわよね、絶対そうだ。だから取り皿を取ってあげてパフェを盛り付けようとスプーンを突き刺した。
「ジン、食べたいのね。分けてあげるね」
私の先手よりも早く、ジンから絶望的な一手を打たれてしまった。
「すまない……僕は甘いものがとても苦手で。ベリーもダメなんだ……あの、諦めないでくれ。応援している」
精一杯のエールを送り軽く微笑んで断られてしまった、嫌味のないのが余計に辛い。ならば標的を変えるまで!
「オタレッド!オタイエロー!ちょっと食べない?あげるわよ」
ふたりの前に取り皿を出そうと思ったら、掌を見せてオタレッドが真剣な顔をして制止してきた……本当はマスク越しだから分からないけど、威圧感は本物だった。
「ごめん、アミたん。知覚過敏であまり冷たいものが食べられないし、今ダイエット中なんだ。ヒーローなのに手助けできなくてごめんね」
「ぼくは牛乳とか乳製品でお腹崩しちゃいやすいから、アイスとかチーズとか食べられないんだな。裏切りごめんなんだな」
まさか断られるなんて……軽い絶望で目眩がしてきた。今いる人材との相性があまりにも悪すぎる、押しつけ作戦ができない。しょうがない、最悪仙道に押し付けるか……とりあえず食べよ。
「い……いただきまーす」
スプーンでひと掬い、淡いピンクのジェラードを口に運んでみた。舌の上で優しく溶ける甘酸っぱい苺のおいしさに思わず顔が緩む……だけでは終われなかった。
とても美味しい。美味しいんだけど、この大きな城塞を攻略しなければというミッションに気が遠くなる。どうしよう……ジェラードもクリームもなにもかもおいしいのに、食べても食べても無くなる気配がない。
「あーおいしー、冷たい。おいしー、しんどい」
「黙ってくえないのか」
「無理、弱音くらい吐かせて……」
甘く幸せな時間のはずなのに、口の中の冷たさとなくならないパフェの山に絶望を感じる。なんで食べても食べても無くならないのよ。ジン達も固唾を飲んで見守っている。
なんだか、楽しい打ち上げの空気を変えてしまったようで気まずい。なんとしても完食しなくてはいけない、そんな雰囲気になってしまっている。
「アミさん、頑張ってくれ」
ジンの励ましで勢いづくこともなくペースが徐々に落ちていく、温かい紅茶でなんとか凌いでいたけどそれもなくなってしまった。万策尽きてしまう、もうただがっつくしかないの?
「随分と愉快な光景だな、今日の鬱憤が晴れるようで嬉しいよ。川村アミ!ハハハ!」
人の苦労している横で嬉しそうに大口を開け、満足そうに笑っている仙道に無性に腹が立つ。
そういやゲームセンターやキタジマ模型店、そして今日の仙道の悪態の数々、更に騙された鬱憤をまだ晴らせていない……なんて考えていれば、大口開けて油断している仙道の口にパフェを山盛りスプーンに盛って突っ込んでやった。
「なに!?」
「えぇ!?」
「な、なんだな!?」
正面で繰り広げた突然の襲撃に私と仙道以外が固まった。
驚きと戸惑いで反応が遅れている仙道の目の前に、考える隙など与えないようお皿に取り分けてあげたパフェを山盛りにして、恨み辛みを込めてスプーンを突き刺して上げた。
「んぐ、ぐ……てめぇなにしやがる」
苦手だと言っていた甘さに悶絶しながら、なんとか飲み込んだようで。口の中を空っぽにした仙道から早速文句を言われた。でも逃さない……道連れにしてやる。
「まだ戦いは終わってないわ!連帯責任よ、さあ食べなさい。今日騙したすべての責任も一緒に取って!」
「お前さっきあの不味いコーヒー、あれなんだったんだ。わざとじゃないのかよ」
「……あーカツサンドの悶えてたやつね、おかしいと思ったらそうだったんだ。言ってくれれば新しいの買い直したのに」
悪態をつく仙道のお皿に嫌がらせも兼ねて、更にアイスを盛り上げていく。
仙道が止める暇もないままに、仙道の取り分のパフェが出来上がっていく。
「あーくそ!……わかったよ、付き合ってやる!ほんとお前と関わると碌なことがあった試しがない!」
ヤケクソでスプーンを握りしめクリームとケーキ部分を口に運ぶ、私も仙道に対抗心が沸いてきてスプーンを持つ手が再び動き出す。
気を利かせてジンが頼んでくれていた紅茶のおかわりをもらいつつ、確実に胃袋に詰めていく。みるみる減っていくパフェの城塞の行く末を見守られながら、私達の正真正銘最後の戦いに挑んでいった。
店の外が暗く染まり始めている下、達成感に包まれている私と満身創痍の仙道。そして参戦してないがためにけろっとしているジンと共に、予想以上の会計金額に地獄をみているオタレッドとその介抱に追われるオタイエローの戻りを待っていた。
立っているだけでお腹がきつい、さすがに堪えた。
「あーしばらく甘いものは食べたくないわね」
「……二度とあんな真似起こすなよ」
仙道に睨まれたので、振り返って満面の笑みで返してあげる。楽しかった時間が終わりを迎えようとしていた。
「そうだ、忘れない内に……」
唐突にジンがポケットをまさぐり、仙道の前になにかを差し出した。
「ジン、これは?」
「仙道君。サイバーランス社から君にプレゼントだ」
仙道は怪訝な表情をしながらも受け取った。見せて貰うとケースに格納されたLBX用のモーターのようだった……でも見たことがない。
「なんだ、初めて見る型のモーターだな」
仙道も知らないなんて、じゃあもしかして――。
「最新モデルだよ、週刊誌でこれから宣伝が始まるまだ未発売のね……今日の活躍を大変評価していて。その報酬らしい」
仙道がそれをまじまじと見ながら、一緒に受け取った説明書に目を通していた。ちゃんと仙道も観てくれていた……その事実に私まで嬉しくなってしまう。
「良かったじゃない、ちゃんとあんたを見ててくれる人がいて」
「好都合だ、ありがたく貰ってやるよ」
ポケットに仕舞う過程でカードを取り出し、絵柄を見てにやりとしてカードもしまった。相当ご機嫌になったな、口では気乗りしないように振る舞ってるけど嬉しさが漏れている。ずっとタロットカード触ってるけど、癖なのかな?
「仙道って嬉しかったり緊張したりすると、すぐタロットカード触らない?」
「は?そうなのか?」
純粋な疑問を飛ばしてみたけど、仙道はきょとんとしていた……無意識なんだ。
「うぅ……まさかコーヒー一杯が2000クレジットもしたなんて。食べ放題のほうがまだ安かったよ」
「元気だして欲しいんだな、ギンガマンの未開封フィギュアと同じくらいじゃないか」
「少し出してくれてありがとう、イエロー。この恩は忘れな――」
「来月返してね、ぼくそういう所はきっちりしたいから」
やっと店から出てきたふたりに振り返ってはみたものの、あまりの変わりように掛ける言葉が一瞬ストップをかけてしまった。
仮面を被っていてもわかるほどやつれたオタレッドと、それを支えるオタイエロー。中でなんのやりとりがあったかはわからないけど、なんとかなったようでよかった……よかったの?
「オタレッドちょっと……大丈夫なの?」
「う、うん。財布以外は……うぅ」
悲しみのあまり口を閉ざして蹲ったオタレッド。よほどの金額だったのだろう……本当申し訳ない、好き勝手あんなパフェなんか注文しちゃって。
「みんなは気にしなくていいんだな、レッドが言い出したんだから……もう暗くなってきたから解散にしよう。レッドはぼくが連れて帰るね、今日は楽しかったんだな。またね」
イエローが場を仕切り、項垂れるレッドを支えながら反対の道に歩いていく、消えるまでその背中に手を振った。
「オタイエローって結構さっぱりしているのね、レッドが喋らないと余計に……」
「赤より黄色のほうが律儀でいいな、赤い方に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだ」
どっちもどっちじゃない?という言葉は言うべきじゃないと判断して、どうにか飲み込んだ。
「じゃあ、僕もそろそろ行くよ」
身支度を整え、平然とした口調でジンがそう告げた。もう行ってしまうようだ。
「元々は仙道君への用さえ済んでしまえばそれでよかったんだ、でもオタレッド君達にどうしてもと言われてね」
昔話をするかのようにゆっくりと、出来事を振り返りながら語り出す。いつもの強張った顔ではない、少し緩んだ表情でとても穏やかそうだ。
「だけど、今日参加して良かったよ……もちろん大会もね」
たった一言「またね」とだけを口にして、オタレッド達とはまた別の道を歩いていった。街灯の下、私と仙道のふたりだけが残されてしまった。
「じゃ、私はそのまま駅まで行かないとだけど。仙道は?」
「俺もだ、行こうか」
いつもは先に行ってしまう仙道だったのに、私の歩幅に合わせて歩き出した。どちらかの背中を見せ合っていたのに、今は隣にいる。不思議な感覚だ。
お互いに大した会話はない、ただ静かな住宅街にふたりだけの足音が響くこの時間ほど。終わらないでと願う気持ちが歩く速さを遅らせた。
駅のホームで仙道とふたりきり。空は晴れているのに、今日一日に溜まりに溜まった疲れが世界の輪郭がぼんやりとして境界線を曖昧にさせていく。
ベンチにも階段にもホームにも、私たち以外にほとんど人が居ない。自販機の駆動音、遠く踏切の音が風に乗って流れてくる。
隣でどこかを見つめる仙道の横顔を見る。青白いライトに照らされ静止画のように動かない、今は何を考えているんだろう。
ホームに強い風が通った。首に忍び寄った冷たさが刺さって、思わず体がブルっと震えた。昼間との熱気とかけ離れたこの場所だけが、世界から浮いてしまって。別の世界でいるような錯覚を覚えてしまいそうになる。
嫌いじゃない……だからずっとここにいたいとさえ思う。今日がずっと終わらなければいいのに、なんて拙い願いが漏れる。
構内のスピーカーが無情な『まもなく』という言葉を吐き出す。悪魔のようなその声をかき消すように、わざとらしい咳払いをしてしまう。見上げた星空の美しさを確かめるふりをして、到着を予言する時刻表から少しだけ目を逸らし続けてしまう。
「おい」
ハッとして隣にいる仙道を見ると、ジャケットを脱ぎ始め。私に差し出してきた。
「……風邪引いちゃうわよ」
「お前がな、早く着ろ。寒いだろ」
戸惑いつつも受け取り袖を通す、少しブカブカ。仙道は他の男子よりも細身だけど、こういう差はあるのね。ほのかにジャケットに残った仙道の体温に心がザワついてしまった。
「あ、ありがとう」
仙道からの慣れない優しさに、言葉がつっかえてしまう。
「気にするな、もうすぐ電車が来るぞ……黙って前を見ておけ」
今日一日、たくさん言い合ってぶつかって。ずっと一緒に戦って、たくさん話してきたのに。今は言葉が詰まり喉に引っかかって跳ね返った言葉が心の瓶に沈んでいく、それが溜まっていってなにを言おうか思い出せなくなって……今どうすればいいかが分からなくなる。
話したいことは一杯あるのに、伝えたいことがなくなったわけじゃないのに。
声に出せないもどかしさが、この空間を嫌じゃないと言い切っているようで。それだけが違和感として浮いてしまっている。
「そうだ……おい、CCM貸してくれ」
「え、なんでよ」
「いいから、悪いようにはしない」
鞄から取り出したCCMを仙道に差し出す、受け取ってなにかを操作し終えてすぐに返してきた。訝しみながら触っていると、連絡先に仙道の名前が追加されていた。
「悪いが一度電話かけてくれ、登録して置く」
「……随分と慣れたものね、いつもそんな感じで他の女の子とも交換してきたんでしょ?サイッテー」
「いや、連絡先を交換したのはお前が初めてだ。俺から交換したいと思ったのもな……こう言えば満足か?」
いつも通りのニヤけ顔でいつも通りの皮肉を吐く、随分と見慣れたはずなのに。お腹の中がくすぐられたような不快感で思わず顔を逸らしてしまった。
「お気に召さなかったか?まあいい、気が向いた時にでも掛けろよ……ほら来たぞ」
いつの間にか到着していた電車が非情にもこの世界を終わらせてしまった。シューとブレーキの掛かる音が静寂だったホームに響き、私たちの前の扉が開く。仙道とはここでお別れだ。
さよならの挨拶も出来ないまま、電車の中に足を踏み入れる。振り返って次の言葉を考えている時に扉が閉まった、ハッとして扉越しになにか伝えようとするも。電車は走り出してしまった、扉の窓から遠くなっていく彼の姿を眺めることしかできなかった。
「……あっという間だった」
落胆の中、張り付いたように扉に寄りかかって流れる景色をぼんやりと眺めた。遠ざかったホームも、仙道の姿も見えないのに。
「今日一日、楽しかったなぁ」
握ったままのCCMにふと視線を落とした、画面を開けば仙道の連絡先が。周りを見渡せばこの車両には誰もいない……悪いとは思いつつも通話ボタンを押した。
一回、二回と呼び出し音が鳴る。耳に当てているのはCCMのはずなのに、自分の心音ばかりが聞こえてうるさい。何回目かの呼び出し音かわからなくなり、やはり出ないかと終了ボタンを押すため耳から離した。
「なんだ、もう寂しくなったのか?」
「あ、せん……わ!わわ」
唐突に繋がってしまった電話の向こうから聞き慣れた声がした、突然の変化に焦りで手が滑り思わずCCMを落としてしまう。
床に落ちた衝撃が向こうのスピーカーに入ったようで、不機嫌そうな声が聞こえる。慌てて拾い上げて耳に当て、名残り惜しくも愛おしかった時間の延長線に声を掛けてしまう。
「ご、ごめん。思わず……」
「自分から電話した割になんでそんな驚くんだよ。まあいい、何の用だ?」
「あ、あんたが掛けろって言ったから。掛けただけよ……あと別れの挨拶もできなかったし、ジャケットも返せなかったし……」
「随分と忙しないな、お前は本当に手がかかる」
スピーカーから聞こえる電子音すら皮肉に溢れている。無音に近い電車の中、唯一耳に入ってくるこの声に思わずニヤけてしまう。
「……まああれだ、風邪引くなよ?」
「あら、電話だと人を思いやれるのね。次からは電話越しでお話ししましょうか?」
「お前という奴は……いいや。またな、アミ」
「うん、またね……仙道」
プツンと切れた音を耳から離すと、画面には通話終了の文字がある。通話時間は一分もなかった。
ふと顔を上げると夜の街に反射した自分の顔が赤くなっていることに気がついた。
「も、もう……やだ!私ったら」
落ち着かせようとCCMをポケットにしまおうとして、なにかが手に触れた。思い当たる節がなかったので取り出して確認すれば、仙道から託されていたタロットカードだった。
大きな星と白いパンドラの絵柄。そういえば、なんの意味があるか聞いてなかった……今度会った時に聞こう。
「今度、そうね。また会えるもの……」
揺れに身を任せ、いつか必ず訪れる次に胸が膨らむ。
「きっと、私は――」
電車のすれ違う音にかき消された言葉は、今は誰にも届かない。
第一部、完
これにて第一部が完結となります。
ここまで読んでくださりありがとう御座いますm(_ _)m
『活動報告』というものがあるみたいなので、そちらで裏話でも載せようかと思います。
とりあえず「猛省の書」というので載せていきます。
まだ続きます、よしなに