入り口でチケットを渡し、無事にふたりで中に入ることができた。受付のお姉さんが仙道の額を二度見していたけど、私は知らぬ存ぜぬを貫かなければいけなかったので少し大変だった。
貰った簡易的地図のついたパンフレットを仙道と見ながら歩く。すれ違う人が、私達……というか仙道を見てひそひそ話しているのが目についてしょうがない。
「なんで、俺達に注目が集まってんだ」
「さ、さぁ?中学生がここにいるのが珍しいんでしょう。きっとそうよ、気にしちゃ駄目」
本当にごめんなさい仙道……平日とはいえ、まさかここまで人が居るなんて、ワザとじゃないけど、私のせいであなたは今――。
申し訳なさから咳払いをし、気持ちを切り替えて揺らめく光を縫って目的地を決めることにした。
「熱帯魚に淡水魚……深海魚とかサメのコーナーもあるって!」
「どうでもいい、お前が行きたい所を選べ」
めんどくさそうにポケットに手を突っ込んでいたが、なにかを探るような動作をする。目的の物が見当たらないのか、ちょっとだけ焦りながら再度まさぐっている。
「なにしているのよ」
「タロットが……おい、やっぱジャケット返せ!」
全部ジャケットに入れてたんだ。じゃあ今までのも全部そこから出していたの?すごい収納術ね……私にジャケット貸してた時はどうしてたんだろう、家に在庫あるってこと?うわ……ドン引き。
「寒いからもうちょっと借りたいなー」
「ならカードだけでも――」
「サンゴ礁の仲間達エリアってのが綺麗でオススメなんだって!私ここ行きたーい!ほら、行くわよ」
「待てって!俺のタロットカードだけでも返しやがれ!川村アミ!聞いているのか!?勝手に先に行くな!」
珍しく声を荒げて喚き始めた仙道を引き連れて、目的の場所に歩き出す。
平日の夜に中学生、それに結構有名なLBXプレイヤーの仙道ダイキが……なんて、そりゃあ注目が集まるわよね。今度ジュースでも奢ってあげなきゃかもね。
辿り着いた目的の場所は、想像していたよりもずっと華やかだった。暗い水槽の道の先に一際輝くこの空間は、まるでおとぎ話に出てくる竜宮城のような作りで思わずテンションが上がる。
南国の強い日差しを再現したライトに照らされて、コバルトブルーの水の中を色鮮やかな魚達が悠々自適に泳ぎ回っている。淡いピンクや濃い黄色のサンゴの合間をすり抜け、奇抜な色のイソギンチャクが波に揺れ踊っているように見えた。幻想的な景色に見惚れてしまいそうだ。
「綺麗……」
先ほどの悪夢や疲れが吹き飛んでしまう、宝石箱のような光景に心を奪われ食い入るように見つめる。こんな綺麗なら館のイチ押しになるのも頷けるわね。
「ねえねえ!ここ凄いわ、私達が海の中に潜ったみたい!」
「金と労力の無駄だな」
「ちょっと、ロマンのないこと言わないで」
タロットがないせいですっかり意気消沈モードに入ってしまった仙道は、軽くため息を零しながら興ざめな言葉を吐き捨てた。
その割にしっかり水槽に釘付けになっている、目線からしてイソギンチャクしか見ていないようだけど。ふとその先を見れば、オレンジと白が特徴的な小さい魚がイソギンチャクの触手の間を撫でるように泳いでいた。
「あ、あそこ。イソギンチャクから顔を出している魚がいるわ」
「カクレクマノミだな、外敵から身を守るために他者の特性を利用する賢い魚か」
「……詳しいじゃない」
「ここに書いてあるのを読んでいるだけだ」
仙道の指がさし示したのは魚の説明が書いてある看板……なんだ、ちゃんと楽しんでるんじゃない。
「ナンヨウハギにデバスズメダイ……ヒトデとかイカとか、もっと見て面白そうなのはいないのか」
まだ来たばかりなのに、もう魚には飽きたと言いたげに他の生き物を探し始めた。
「そういうのが好きなの?」
「まあな、普通じゃつまらないからな」
お目当ての生き物がこの水槽にいないとわかると、他に珍しい魚はいないかと目が泳いでいる。
そのたびに、額の絆創膏がライトに照らされるのが。私の中の罪悪感をこの上なく煽ってくる、どうか……この水族館の時間が終わるまでは、絆創膏の存在は仙道にバレませんように。
「ねえ、あの人みて」
「おでこやばー、ちょーウケる」
後ろをちょうど通った他のお客さんが、明らかに仙道に対しての話をしているのがはっきりと聞こえた。
「おでこ?」
低く唸るような一声が隣から聞こえ、今日一番に心臓が高く跳ね上がる。血の気が一気に引いて顔の筋肉が一気に硬直するのを感じた。
ゆっくりと仙道を見ると、やはり聞こえていたようで訝しみながらもズボンのポケットから手鏡を取り出した。
「せ、仙道!?あんた鏡なんて持ってたの?」
「エチケットだろこんなの……さてはお前、さっきなにか細工したな?」
薄気味悪い笑顔で私を見る仙道だったが、額の絆創膏にしか今は目がいかない……わざとじゃないのに、怒られる。
「ご、ごめんなさい。別に悪意があってそれを貼ったわけじゃなくて……ああ、言い訳くらい最後まで聞きなさいよぉ」
話している途中なのに、仙道はお構いなしに鏡で自分の顔を確認した。絶対機嫌損ねてしまう奴だ、わざとじゃないのはそうなんだけど。明らかに触れないようにしてたから……絶対怒って文句言われる、最悪帰っちゃうかも!
慌てふためく私を他所に、鏡で額を確認した仙道は、少しだけ眉間に皺を寄せて手鏡をすぐポケットにしまった。
「キャラものを貼ったのなら、そうと先に言ってくれ……かなり恥をかいたじゃないか」
「だって……嫌がるだろうって思って、でも痛々しくて見てられなくて……」
手を顔の前に持ってきて、両手を合わせ全力で謝罪する私を横目に。大きな溜息を吐き出し、急に自身の髪を強めに掻いてツンと整えていたヘアスタイルを思い切り乱して前髪を作り始めた。
「な、なんなのよ急に……怒らないの?」
「そんな気も起きないさ、どうせ汗でワックスが駄目になりかけてたんだ。なら崩すのもありだと思っただけさ……」
手櫛である程度の形に整えて、手鏡で再度確認する。満足いく仕上がりになったらしく、どことなく謎の達成感に満たされた表情をしている。
「さっきよりはマシになっただろう、久々に前髪を作ったが……かなり伸びているな。今度切らなきゃ駄目か……枝毛がある、最悪だ」
ひとりでぶつぶつと言いながら、また髪をいじり始めた仙道。顔はいつも通りなのに、髪を下しただけで中性的な顔立ちが更に際立ち。いつもよりも色っぽく見える、ライトで照らされた異質な空気感が謎の緊張感を加速させる。
魚なんて見ようともせず、仙道の顔をじぃっと見つめていたのがバレたのだろう。私の視線に気がついて目を細め、口元を三日月のように吊り上げた。
「……水族館にまできて俺の顔ばかり、それで楽しいのか?」
挑発的な言葉選び、人を見下す冷たい目線。それはいつも通りの筈なのに……どこか新鮮なその顔にお腹の奥がざわざわとしてしまう。不意に頬が赤くなり、咄嗟に顔を逸らす。心臓の鼓動が早くなる音を聞かせまいと少しだけ息を止めてしまった。
「黙りか?なら、別の所に行こう。俺は深海魚が見たくなった、ここより楽しそうだ」
別の所へと言った割に歩こうとせず、照れて顔を逸らし続ける私をじっと観察している。その視線すら交わらせることが、今は難しく感じる……まともに顔なんか見てしまったら、私は――。
「ほら、行くぞ」
私の手を引き、ゆっくりと歩き出す。焦る心を置き去りに体が仙道の後に近づく、優しい手つきで
ふとした瞬間、これがまだ夢の中なんじゃないかと思える。
だって、あの仙道がこんなに優しくエスコートするみたいに。人の手を取って歩かないし、そもそも髪を下ろしただけで格好良く見えるって絶対おかしいもの!まだ夢なんだわ、覚めなさい川村アミ!
「……でも、夢なら。もうちょっと一緒にいたい」
「なんか言ったか?」
足を止め、こちらを振り返る。前髪から覗かせたその目はいつも通りなのに、日常から切り離された神秘的な空間のせいで。私には別人に見えてしまって、心臓が痛いほど速くなっていく。
「……大丈夫、行こう」
大丈夫なんて強がった癖に、内心は今にもどうにかなってしまいそうになる。どうにか悟られないように……暗い館内で、顔が見えづらいことに感謝しながら仙道の手を小さく握り返した。
深海魚コーナーはさっきのエリアと大きく違い、薄暗く足元に小さなライトが灯っているだけ。光をどこまでも吸収してしまいそうな真っ暗な水槽を覗いてみる。
なにも生き物が居ないように見えて実は砂に埋もれていたり、固まって端に団子のように積み重なっていたりと魚というよりクリーチャーが展示されている印象を受けた。世間的にはブサカワとか位置づける人もいるけど、私からすればちょっと怖い。
「これは、随分といいもんだなぁ。想像以上だ」
さっきの明るいエリアと対照的なおどろおどろしい世界観に、口元を緩ませひとりだけ心躍らせはしゃぐ仙道を横目にちょっと安心する。なんだ……ちゃんと男の子みたいな楽しそうな顔もできるのね、一緒にケーキ食べていた時以上に嬉しそうだ。
「楽しそうね」
「まあな、こう言ってしまうのもなんだが。やはり生きる上で必要以上のものを削ぎ落としているのに、不思議と生物として存在している……これほど面白いものはないからな」
LBXを語る時よりも生き生きしてる気がする……好きなのね、深海生物。仙道らしい感想に耳を傾けて、つい私まで頬が緩んでしまう。
「ダイオウグソクムシがいる、たくさんいるなぁ……ヌタウナギの入ったパイプの上にタカアシガニもいるぞ」
「物知りなのね、看板すら見てないじゃない」
ふと大きな水槽に、ぬるりと泳いでいた巨大なヘビのような魚かどうかすらわからない生き物が横切った。
それをちらりと見ただけでテンションが最高潮に達した仙道は、水槽に張り付いて不気味な顔をして泳ぐその生き物に釘付けになっていた。
「こっちにいるのはラブカじゃないか、なんと珍しい!シーラカンスと同じで恐竜時代から姿を変えていないカグラザメ目ラブカ科に属する、世界最古の現生脊椎動物の一匹とされる深海性のサメだ。生きている実物は初めて見た……嬉しいな、来て良かったな川村アミ!」
カグラ?……げんせいせきつい?……よくわからないけど、ひとりですごい盛り上がる位には興奮気味になっている。エラ穴の数とか、歯の本数とか言っているけど全然理解できない……ラブカの看板を探してみたけど、そもそもこのエリアに生き物説明の看板はない。ということは……私は、まだ未知数な仙道の人格がまた分からなくなってしまう。
あのクールに振る舞って、人を見下すいつもの面影を欠片も感じない姿に、ちょっとだけ嬉しくなってしまう。なんだ……やっぱ仙道は私達となにも変わらない、普通の少年なんだって安心できた。
「ねえ仙道、こっちの小さい水槽にいるタコさんウィンナーみたいなゼリーっぽい生き物はなに?」
「メンダコだな、ゼラチン質の身体で周りの海水と同じくらいの水分量をしている。内と外の圧力を同じにして水圧が大きい場所で生きている……お前にどことなく似ているな」
水槽越しにメンダコを見る、クラゲのように揺れていてちょっとのっぺりとした不思議な顔をしている。でも似ているなんて思わない。
「どこがよ?」
ちょっとムッとしながらそう返すと、シャッター音が鳴って仙道を見る。CCMのカメラモードにして、私とメンダコのツーショットが撮れて満足そうにニヤついている。
「謙遜するな、マスコットみたいで可愛らしいぞ。後で送ってやる」
「もう!写真撮るなら一言いってよ!」
「悪いな、どこかの誰かさんの間抜け面があまりにも面白くって……ククク」
口では嫌味を吐き出しつつも、顔は純粋に今を楽しむ少年の顔だ。私が共に過ごしたどの仙道の顔よりも純粋で、なにも取り繕っていないように嬉しそう。
「ツーショットなら、私仙道と撮りたいんだけど……」
あまりの悔しさに本音が漏れてしまうと、それに気がついた仙道は前髪を軽く触りながら眉間に皺を寄せた。
「お断りだね、髪型が宜しくない」
「じゃあ撮らないで!」
「嫌だね」
怒る私の顔にまたアングルを合わせてフラッシュを光らせた、暗い場所で急に光を見たせいで目が眩む。
「眩し――」
「悪い、操作間違えた……平気か?」
目の前にモヤのようなものがゆらつく、悪意がなかったのが分かるけど、不本意に事故を起こしてしまった仙道がたじろいている。普通に心配するその顔が暗くて見えないのが残念、今は柔らかい声だけを頼りにするしかない。
「あーもう最悪、なんでそんな私ばっか撮るのよ」
「いいだろう、俺が撮りたいものを撮ったって」
いつもの皮肉は健在のようで、ごめんの一言すら出てこない。そこは相変わらずというか負けず嫌いからくるものなのか……なんかやられっぱなしでムカついてきた。
こっそり仙道にバレないようにCCMを操作して、俯く私の目を覗き込もうとして油断しきっている仙道の顔にCCMの照準を合わせた。
「覚悟しなさい仙道!」
「なぁ!?」
予想していなかったシャッター音に、仙道が驚きで仰け反るように一歩後ろに下がった、一瞬だけ見えた表情はかなり緩んでいるように見えた。
「油断大敵ってね……あーちょっとぼやけちゃった。ねえもう一回チャンスちょーだい?」
撮ったばかりの写真はちょっとだけブレてしまった、せっかくだから本人にも見せてみる。あまり仙道のお気に召す写りじゃなかったようで、薄暗い場所でも顔が少し赤くなっているのが分かる、でもそれが怒っているのか照れているのかは分からないけど。
「こんなこっぱずかしい顔の写真なんか撮るな!とっとと消せ!」
「やだよーだ、いつもよりカッコいいからって油断しちゃって!後で送ってあげるね」
CCMを取り上げようとする仙道の手を避けて横を擦り抜け、無邪気に振舞いながら仙道の手を引く。
「仙道!もっといっぱい写真撮ろうよ、まだ回り始めたばっかなんだしさ。次のはきっと綺麗に写っているわよ」
「……はぁ、畜生。それより酷いのはその場ですぐ消せよ、絶対だからな」
「善処してあげちゃう、じゃあ全部回りましょうよ。私メガロドンとかアノマロカリスとかもいるなら見てみたいわ!」
「とうの昔に絶滅している……居てもホオジロザメかオウムガイだろ」
互いの間にもはや障壁はない、だからこの手を引くのが容易いのかも知れない。でもいいんだ、それが今出来ている事実があるだけで。
「ねえ仙道」
「……なんだよ」
口調はずっとぶっきらぼうだけど、顔はやはり柔らかく穏やかな表情のまま。だから言わずにはいられなかった。
「あんたといると、いつも楽しいわね」
振り返って私の曇りなき言葉に、一瞬で子供のように目が開き、口元がすこしヒクついて、またいつもの澄まし顔に戻しつつ小さく呟いた。
「だろうな、お前だから飽きがなくていい」
俺が一緒だから当然だろう?とかきっと思っているんだろうけど、精一杯に捻り出したその言葉が嬉しくなる。成り行きで繋いだはずの手を解くこともなく、私達は時間が許す限り水族館を堪能するため歩き出した。
ちゃんと恋愛小説らしいことが出来て感無量です。
ラブカ見れていいなぁ……