サターンに到着するまで残り20分を切った。パンドラの最終調整を終えて一息ついて、仙道が置いていった紅茶を飲み干して軽く伸びをする。
「……落ち着かない」
つい漏れた本音と、窓の外から見える夜空と雲を見ながら、あまり考えたくない事を思い浮かべてしまう。
現実を帯びてきた最悪の結果を考えてしまう、多くの人がレックスの思惑通りに犠牲になってしまうかもしれない……それだけは止めなきゃ。頬を叩いて深呼吸して、色々覚悟を決めたつもりだけど……やっぱり不安が押し寄せてくる。
さっきまでコーヒーを隣で飲んでいた仙道は「コントロールポッドがなにか見てくる」と言ったっきり帰ってこない。
だいぶ前に空になった容器が、仙道が座っていた席に放置されている。すっかり熱を失ったコップを片付け、私も席を立った。
「バンたちはどうしているんだろう?」
ちょっと気になって部屋を出て辺りを見渡し、すぐ近くで騒いでいる四人を見つけた。
いつも通りの光景に安心感を覚えつつも緊張感の無さに呆れながら近くに寄っていく。
「うわぁーん、やっぱ俺は死にたくないよぉー!」
「おいリュウ、ここまで来ておいて今更なんだよ」
「だってぇ……俺まだ中学生で、彼女だって作って結婚して幸せにぃ!子孫に見守られて安らかに逝きたいんだよぉ!」
「リュウ!そうなりたいなら、ちゃんと生きて帰るために立ち上がらなきゃ!……あと地面は汚れているから普通に立たなきゃ」
廊下だと言うのに亀のように蹲るリュウを取り囲むバンとカズ、ちょっと後ろから見ているだけのミカがいる。私に気がついたミカと目があって軽く微笑まれた……どんな環境でもミカはミカなのね、変に緊張していない様子でよかった。
「それに引き換え……はぁ」
「まぁ、誰だって怖いでしょうね……」
「ミカは大丈夫なの?」
不意にミカを見るといつも通りのジトッとした目で私を見つつ、ちょっとだけ不安そうに笑い返した。大丈夫そうに振る舞っていてもやはり心境は同じ、ミカもきっと怖いんだろう。リュウのように取り乱すことはないにせよ……ね?
「でも、郷田さんと一緒。そこは嬉しい」
郷田の話をした途端に頬を赤らめ、うるりと瞳を緩ませる……CCMの壁紙に郷田を選ぶほどの熱狂的なファン。私には……やっぱそこまで好きになれる理由はわからない、郷田のことは嫌いじゃないけど。
「ねえリュウ、オレたちシーカーとしての最後の戦いなんだから。最後らしく格好いい戦いをしようよ」
「戦士は死に際こそ一番輝くっていうしな」
「励ましになってないだろぉ!?ちくしょー!こうなったら意地だぁ!絶対に生き残ってやるぅ!」
憤るリュウが立ち上がり、呆れるバンとカズにLBXの最終調整をしに行くー!とか言ってふたりをひっぱって行っちゃった。
これから、私たちが想像もつかない戦いが待っているってのにここはいつも通り……それが私にとっても安心に繋がり、つい顔が緩んでしまう。
バン達について行っても良かったけど、なんとなく仙道の様子が知りたくはあったから、ミカに一声掛けてその場を後にした。
迷宮のようなエクリプスの道なりに進むと、隅のほうで郷田とジンが話しているのを見つけた。
軽く声をかけようとして近づくと、聞くつもりはなかったのに重い雰囲気の中での会話が聞こえてしまって、咄嗟に壁際に隠れてしまった。
「呼び出してすまない……郷田君、ひとつ聞いておきたい事があるんだ」
「レックスのことか?答えられる範囲で良ければ構わないぜ」
軽く声を掛けられる雰囲気でもなく、その場から動いて気を遣わせる心配で足が竦んでしまう。どうしよう……タイミングが悪い時に来ちゃった、聞かずに離れたいけど。物音でバレないかな?気まずい、どうしよう。
そんな私の自問自答に気がつくこともなく、ふたりの会話は続いていく。顔は見えないけど声色は暗く、どんよりと重い空気に包まれている事だけがわかって、今の私には固唾を飲み込んで見守るだけしか出来なかった。
「僕は……君がどんなにレックスのことを大事に思っていようが、おじい様の仇を討とうとしてしまうかもしれない……」
「そうか……」
「僕は……どんな形であれ、おじい様の家族だった。あの人がどんな酷いことをしていても、僕にとっては大切な人だった……」
今まで聞いたことないジンの声に、胸が締め付けられるような感覚に襲われ、思わず呼吸を止めてしまう。郷田は口を挟むこともなく静かで、ジンの震えた声だけが響いて落ちる。
「僕は、みんながこの戦いで命を落とすのと。僕自身が人の道を外れる可能性があることが、同じくらい怖いんだ……郷田君、僕がレックスの仇になるのなら。君は僕を殺そうとするのかい?」
ジンの迫真の問いかけを、私は直接浴びているわけじゃない。それでも、他人事に思えない、そのジンの問いかけに、息が詰まるような気持ち悪さを覚えてふらついてしまった。同じ13歳とは思えない位に、暗く、重たい感情……ジンだから吐き出せた思いなのかもしれない。
問いの純粋さと残酷さが、この場面に同居している。だから今すぐ逃げ出してしまいたい……それでも、ジンの問いかけを真正面から受けている、郷田の答えを聞いてみたい。その一心で存在感を殺し続け、未知数の答えに耳を傾けていた。
「ジン、お前まだ13だろ?そんな事ばっか考えるな」
「でも僕は――」
「これは……レックスから教えてもらったことなんだがな」
最悪な空気を晴らすような優しい声が聞こえる。昔、泣きじゃくる私を慰めてくれたような、小さな子供を諭すような、不器用な優しさを見せるその声を聞いただけで、ちょっとだけ呼吸がしやすくなった気がした。
「悪い記憶や悲しい記憶ってのは、いつかフィルターを通って綺麗な思い出だけが残るんだよ。コーヒーみたいにサーバーに溜めて、人は懐かしいと思えるんだ」
レックスってそんな事を言っていたんだ、やはり郷田との関係ってただの師弟関係じゃなかったのかもしれない……と今更ながら思ってしまった。盗み聞きしている事実が、今更ながら罪悪感を煽ってお腹がちょっと痛くなっていた。
「お前が今しようとしているのは、いらない削りカスに価値を見出せるかって聞いているようなもんだ」
「それは、大切なことじゃないか?酸いも甘いも噛み分けなければ。人は駄目になってしまう……いい思い出だけには出来ないだろう、大切な人との記憶なのだから」
「……わりぃ、俺あんまり頭良くないから。上手く伝えられてないと思う、俺よりジンのほうが頭いいしな。要は考えすぎってことだ」
不器用にチグハグな言葉を紡ぎながら、郷田なりの考えを汲み上げていく。
「俺は、ジンがレックスのようになったとしても仇となんざ考えないぜ?海道の野郎もレックスも、今までの積み重ねで悪い異物が溜まって溢れての因果応報なだけだ。でもジンは違う、一度道を踏み外したからってレックスたちと同等なんてことはない」
「しかし、罪は消えない……それでも、君は恨まないのかい?」
「あったりまえよ!一回だけなら大丈夫、それに……生きていれば何回も道を踏み外す。レックスだって同じだ、仇を討ちたいだろうが……それはジンがすべきじゃない。責任取らせるのなら、もっと長く後悔させる程に痛い目にあわそうぜ!」
豪快に、それでいてどこか不器用に叫ぶ声が響いた。思わずビクッと体が飛び跳ねたけど、音を出さないよう口を押さえ更に存在感を消すように息を潜める。
どうかバレませんように……そんな必死な願いをしつつ冷や汗を垂らしながら、長すぎる沈黙が終わるのを待った。すると堪えきれなくなったジンがフッと息を吹き出し、小さく笑い出し始めた。
「ジン、俺……これでもケッコーマジだったんだけど……」
顔が引きつって、ショックを受けている郷田の顔が見なくても想像出来た。可哀想だけど、私もジンが笑い出した理由に近い気持ちになって、つい口角が上がってしまった。
「違う、違うんだ郷田君……なんとも、僕はよい友人に恵まれていると嬉しくて……そうか、なにも心配することはなかったね」
「あ、ああ。それで納得したんならいいさ……それにだ、お互いに納得の行く形でいい解決策が出るかもしれない。どんな形であれ、添い遂げられるなら……それが正解だと思うぜ」
「そうだね、君の言う通りだ……グスッ」
不器用な郷田の言葉とジンの鼻を啜る音が聞こえた。その後、何事も無かったかのように雑談を交えその場から居なくなったタイミングで私も出てきた。
ふたりが居たであろう場所には今はなにもない、盗み聞きをしてしまったとはいえいい話が聞けた。
「どんな形であれ……添い遂げられるのなら、それが正解……ね」
私の胸にも引っかかる言葉を残し、仙道を探すために足を進めた。
色々とエクリプス内を歩き回り、何人かに行方を聞いたりした結果。備え付けてある大量のコントロールポッドのうちのひとつの前に立っている。
里奈さんの話だと、コントロールポッドの操作方法や説明を聞いて中に入ってからは見ていないという情報を頼りにここにいる。里奈さんに教えてもらったコントロールポッドのスイッチを押してハッチを開く……やっぱりそこにいた。でも――。
「寝てる……」
コントロールポッドの中で項垂れるように片膝をついて座り、目を閉じてくぅくぅと寝息を立てながら寝ている……いくら仙道が場の空気を読まない、いや読む気のない奴だからってこんな所で寝るもんなの?
「あんたらしいわね……ほら、起きなさいよ」
身を乗り出してポッド内に踏み込み、頬に優しく触れつつも叩いて刺激を与えてあげる。頬を赤く腫れない程度に引っ張ってみても、少し揺らしてみても反応はない。
多少瞼がヒクつくものの、小さく唸ってまた夢の中に戻っていく……どうしよう、あんまり強く起こして不機嫌にでもなられたら後が面倒くさそうだし。どうやって起こそう。
「もぉーどうせ狸寝入りでしょ?ほら、起きなさい!」
両手で肩をがっちり掴んで多少乱暴に体をゆすってみた、仙道の頭がガクンと前後に大きく揺れる。寝言なのか口が微かに動いて言葉にならない言葉で文句を言っている、仙道ってなんとなく朝弱そうね。
「お……起きないなら、チューしちゃうわよー。いいのぉ?あんた、好きじゃない女の子にチューされちゃうわよー?」
からかい気分でそう言ってしまったけど、あまりに浮かれた発言の恥ずかしさから、自分の顔が真っ赤になっていくのが分かった。
仙道は夢の中で聞こえていない、しかも実行するわけでもない……それなのに、まるで恋人同士のイチャつきのようで、勝手にひとりで盛り上がってしまい急激に罪悪感に見舞われてしまう。
拓也さんや八神さんたちが今も周りで真剣に仕事しているのに、お気楽な私たちはこんな……休み時間の戯れのようなことをしてて良いのだろうか。良くないわ、絶対に。
「はぁ……なにやってんのかしら」
ようやく冷静さを取り戻し、頭を抱えるほど情けない行動に気分が下がっていく。とりあえず起こさなきゃ、どのみちここで寝たままにしたら駄目だろうから。
今度はおでこに攻撃を仕掛けようとして手を伸ばした、でも私は気が付かなかった。
仙道の恐ろしく早い速度で伸びた手が私を引っぱった。その拍子でコントロールポッド内に引き摺りこまれ、ハッチが閉じてふたりだけの空間が出来上がってしまった事実に。
「な、なぁ!なんで!?」
「驚くのはこっちの台詞だ、人の顔だからって好きなだけ触りやがって……無料で触らせられるような安売りはしてないんだがね」
暗闇で目が慣れない中で、仙道の不機嫌そうな声だけが聞こえてくる。
「せっかく探し回って、起こそうとしてあげたのに!」
「CCMにタイマーセットしてたから嫌でも起きたってのに……はぁ」
やっと薄暗い場所に目が慣れて仙道の顔がはっきりしてきた。不機嫌そうに半目のまま、寝起きそのままで仙道が悪態をついているのが見えてきた。
薄暗く狭い空間の中、私は仙道の上に覆いかぶさるように体を預けている。そういう知りたくなかった状況も含めてよく分かってきた。
いつぞやの水族館での待ち合わせの時と立場が逆転してしまった、今は私が仙道の上に覆いかぶさるような体勢になっている……正確にはそうなる一歩手前で天井に手をつけて踏ん張って堪えている感じ。姿勢がしんどくて足がプルプルしてきそう。倒れたらひとたまりもない!頑張れ、私!
軽いパニックに陥りそうになりつつ閃いた、とっとと脱出すればいんだ。なんだぁ……すごく簡単なことじゃない。なんて考えてハッチを開けようとボタンを探してみる、でも仙道が先回りしてハッチを開けるボタンを手で隠していたのが見えて軽い絶望に襲われた。
「下手に騒ぐなよ、こんな所でふたり仲良くなんてのがバレたら、確実に怒られるだろうからな……真面目にあくせく働いているのにって叱られるだろうな、どっかの誰かさんが余計なことするから」
「こ、この!……言い方ってもんがあるでしょ!」
「うるさいねぇ、吠えるなよ……ただでさえ声高くて響くんだから」
片方だけ耳を塞いで露骨に嫌な顔を披露する仙道に、心の底から殺意に似た何かが湧き出てくる。人に心配させておいてこの態度、本当に人をおちょくる天才ね!その才能をもっとコミュニケーションに回せなかったのかしら。
これからのことを考えて、仙道とは……というか仲間とこんな事で揉めたくはない。
だから怒りに任せて言葉を吐き出さないよう、歯を食いしばって精一杯の覇気を込めて睨みつける。
なにが面白いのか、堪えきれなくなって吹き出して小さく震えて、満足そうな顔をしている仙道。その様子を見ているだけで頭が沸騰しそう……心配するんじゃなかった!探し回らずに最初からバン達と一緒に居ればよかった。
「もういい、出る」
「待てよ川村アミ……チューは、しなくていいのか?」
「しない!するもんですか!私、あなたのこと好きじゃないもん!」
反射的に精一杯の強がりを口に出してしまった、仙道はケタケタと笑いながら「だろうな」と言って目線を逸らした。
ハッチを開けるボタンを隠したままの仙道と、無理矢理押そうとすらしない私との間に、無言の気まずい空気だけが流れた。どちらかが終わりだと言えば解放されるのに、私も仙道も動こうとしなかった。
狭い空間で息苦しい、無理矢理ふたりが入っているからか、変な体勢な私の体が悲鳴を上げ始めている。そしてなによりこの恥ずかしさと謎の苛立ちから早く解放されたい……その気持ちがある筈なのに、動きたくない、終わって欲しくないと願ってしまう。
この矛盾に満ちた思いに顔の赤みが引かず、自分の心臓の音が目覚まし時計のようにやかましく響いている。ああどうしよう、早く出ないと……本当にどうにかなってしまいそうだ。
「中々大変そうだな、ボタン押してやろうか?」
「なによ、逃げるの?私はまだまだ平気よ!」
今度は謎の張り合いが始まった、お互いになににムキになっているか分からないのに。火花を散らして睨み合って悪態をつきあっている……もうなにがしたいかが自分でもわからなくなる。もういいや、私の負けよ負け……だから早く出よう。
ボタンを覆う仙道の手に意識が逸れたのをずっと狙っていたのかは分からない、でも確実にその一瞬の隙を狙って仙道が上半身をこちら側に倒した。
咄嗟の出来事によく反応できたと思う、すぐに動きを止めて元の位置に頭を戻した。それが正しかったのかどうかは分からない、でもさっき以上に気まずい空気になってしまったのだけがよく分かった。
「仙道、なに……しようとしたの?」
今の状況を整理すると、私の数センチも無い位の先に仙道の顔がある。どちらかが動けば触れてしまう唇、お互いのまつ毛の動きが薄暗い空間でもはっきりとわかる。
なぜこうなったのだろうか……血の気が引いた頭で、思考が巡らない。顔の熱がこれ以上ないほど上がり、理解不能な現状に心臓の音だけが響いていた。
この後、どうすればいいか……それすらも分からないまま。見慣れたはずのその顔を、その目を見つめ続けた。
あー顔綺麗だなぁ、とか。目の色素敵だなぁ、とか。なんとも情けない考えしか浮かんでこない……早く退かないと、でも動いてしまえば。もしかしたら――。
薄暗い中で密室、そして非日常の現在。私を好きじゃないと言ったはずの仙道という名のこいつと、こんな至近距離になってしまった事故……どうしよう、なんて言って終わらせよう。膠着状態をなんとか終わらせてしまわないと。
でも正直……私は動けない。逃げ場がないし、どうしよう、少しでもバランスを崩せば接触してしまう。
ハッチのボタンには手が届かない、仙道になんて言って避けてもらおうか……考えれば考えるほどに現状の整理ができない。ボロを出して嫌な思いをするんじゃないかと寒気が止まらない、解決策を出せないまま慌てふためき青ざめる私に、仙道が悪戯でもするかのように小さく呟いた。
「そんなに嫌なんだな、俺とするのって」
「え?」
「……からかって悪かった、調子に乗った」
隠していたはずのボタンを押して、徐々に天井が高くなっていってしまった。明るさを取り戻し、密室で無くなった場所から仙道が立ち上がり、ついでのように私に小声で語りかけた。
「悪ふざけに付き合ってもらってありがとう、もうしない……怖がらせてごめんな」
どこか不器用で優しさを孕んだその声に、つい顔を赤くして目線を下げてしまう。
あの永遠に思えた空間があっという間に終わった、それに不思議と安心するのと同時に。心の底から諦めがついた。
「ううん、大丈夫……ありがとう仙道」
「え?あ、ああ……じゃあ俺はこれで」
口籠りながらもコントロールポッドから一足先に飛び出し、何事も無かったかのように離れていった。仙道のこの謝罪で、ようやく決意が固まった。これで私は、仙道に特別な感情を抱くべきじゃない……その決心がついた。
あー良かった、サターンの時に下手にドギマギしてミスしたーとか。仙道が前みたいに庇って足手まといになりたくなかったし、それに――。
「ただの片想いだった、私がひとりで舞い上がっただけだった……さぁ川村アミ、失恋して未練もないんだから。最後の戦い頑張りましょう!」
私もコントロールポッドを出て、バンたちの輪に戻った。
これでいい、これで……。