今は目が覚めているのか、はたまた眠っているのか。俺のようなただの人間には理解する術はない。
それにしては……胡蝶の夢とはよく言ったものだ。だが俺が今落ちた先ってのはウサギが跳ね回るワンダーランドなのかもしれない……一体いつ穴に落ちたのだろうか。ここに足を踏み入れた時からか?
俺の手を掴んでいるものは毛布の隙間から這い出ている、暖かな温もりの先で小さく鳴き声のようなものも聞こえる……勘弁してくれ。俺はパイなんか食べていないのに、そんな俺の首を刎ねるつもりなのか?
なんて……理由のわからない現実逃避をしてしまった。
「……おい、いつから聞いていた」
あの思い出しただけで恥ずかしくなる独白のすぐ後だ、冷や汗で体温が一気に下がる上で一番最初に捻り出した言葉がそれだった。もっと気の利いた言葉でも言えればよかったのに……混乱でもう取り繕うこともできなかったがな。
「えと……頭撫でられた時から」
やっちまった、だいぶ序盤じゃないか!今すぐ消えてしまいたい。
ジョーカーやナイトメアで出来た高速移動を、今の俺にも備わっていればいいのにと強く思ってしまう。
「とりあえず出ろ、話しづらいだろ。俺も……お前も」
「……ちょっと、無理。ほんとごめん」
未だ貝のように毛布の中で縮こまったままで姿を見せてくれない、なんだかその引け腰な態度に腹が立ってきたから無理にでも引っ剥がそうと毛布を引っ張ってみた。
だが内側から信じられないくらいの力で強く抵抗してきた、どんだけ踏ん張って引っ張ろうと負けてなるものかと力が込められる。あまりしてやるのも可哀想になってきた……そんな俺の顔見るのが嫌か。
掴まれた手を離し、無駄な抵抗を諦めてさっきまで座っていた位置に戻り腰を下ろした。ソファーが軋み、隣に戻ってきたことがそんなに嬉しいようで鼻を鳴らす音と共に声が漏れていた……この策士め。
「ねえ……怪我はもう大丈夫なの?」
「ああ……動き回れるくらいにはな、お前は?」
「お陰様でね……大したことない」
ぶつ切りの会話が交わされるがぎこちなく、まるで初対面の相手との会話のようだ。ずっと傍にいたつもりなのにな、なにを言おうか迷って言葉が詰まってしまう……こんなこと今までなかったから戸惑ってしょうがない。
漂う空気が沈んでいくように重たくなっている、なにか話題を振らなければ……本来の目的も聞き出しづらい。
「あの……えと……ねぇ……仙道……」
口籠る声と共に毛布から右手が伸びて、俺のシャツを掴もうとしてきた……シジミが水管を伸ばしているのを思い出してしまう。味噌汁が飲みたくなるな。
なんだかその情けない姿につい悪戯心に火が灯ってしまった。
悪知恵を巡らせ、毛布の下にいる貝の水管を左手でガッチリ掴んで、俺よりも一回りも小さなそれの指の間に自らの指を沈めて逃さないよう絡めていった……あまり考えたことがなかったが、結構柔らかいんだな。本当に貝のようだ、骨があるのか心配になる。変な鳴き声が聞こえた気がしたが、恥ずかしさよりもこの触感を堪能し続ける。
「油断したな、間抜けめ」
震えるその指は想像よりずっと細く滑らかで、触れて握るたびに指先がその柔らかさを確かめるように馴染んでいく。
握り返してくる力は弱く、抵抗しているが解かれない……それでも確かに、その暖かさだけを実感してしまっている。ふいに顔がだらしなく緩んでしまった、ずっと繋げていたいその手の感触を思う存分堪能していた。
俺は……ずっとこんな小さな手に惹かれて、ここまで来てしまったんだなと考えていた。
「ちょっと、離して」
「痛いか?」
「……痛くはないけど」
モゴモゴと次の言葉を出し渋り、微かに握り返してきた手が赤みを帯び始めた。少しずつ熱が籠もってきたのだろう……覚悟を決めたように毛布の殻から顔をようやく出した、最初に出てくるのを拒んでいた理由がよく分かった。
見た瞬間吹き出しそうになった息と言葉を堪えつつ、なるべくいつも通りの皮肉を零すことにした。なるべく……本心をこれ以上悟られないように。
「……酷い顔だな、だから出てこなかったのかよ」
「うぅ〜……あんたに一番見せたくなかったのに、よりによって今!」
出てきたその顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった真っ赤な顔の、今までで一番すごい顔をした川村アミが出てきた。
俺とようやく目が合ったってのに、更に顔を赤くして目尻に大粒の涙を溜め始めた……よく見たらこいつ、俺のジャケット抱えてやがる。抱き枕か毛布の代わりにしていたのか?なんで……。
「もう……仙道が……ヒック……変なことばっか言うから……」
「分かった分かった、そんな酷い面の奴置いて逃げないって。ティッシュ使えよ……鼻ぐらい噛め」
「……じゃあ手離して」
「噛ませてやる、待ってろ」
右腕を伸ばして箱ティッシュを取る、ズキンと腕が痛んだ気がしたが深く考えずに数枚取り出して川村アミの鼻に当ててやった。
「ほらチーン」
気持ち恨めしそうに俺を睨んでから目を閉じて、粘度のある水音をさせながら鼻をかみ終えた。新しいティッシュで涙を拭き取りなんとか見られる顔にすることが出来た、それでも全体的に顔が赤いままだったけど。
「ずっと、ここに居たのか?」
「まあ、しばらくは……あんなことがあったからさすがに落ち込んだのよ」
「レックスの件だろう?お前も相当世話を焼かれてたんだろうな、そりゃショックだっただろう」
「ちが……違う、私はそれよりも……」
もう普通に話せると思っていたが、なにかを思い出したようでまた言葉を詰まらせてしまった。
表情が一気に暗くなり、さっき拭き取ったのにまた泣き出しそうになっている……俺が眠っていた間に一体なにがあったんだよ。
「俺……もしかして、なにかしたのか?」
精一杯に絞り出した、ヒビ割れていつ壊れるかわからない彼女に、ゆっくりと寄り添いつつ言葉を重ねていく。
「覚えてないの?……トロイが爆発した後のこととか、あんたが私に言ったこととか……」
後ろめたさを隠そうとせずにそう言った川村アミに、正直に頷く。
驚きを通り越して苦い顔をしつつ口を閉ざしてしまった……確実になにかやっているな、なんでそんな反応になるんだ。あの後なにがあったんだ?
「現状が理解できん、悪いが説明してくれないか?」
「……あんた絶対怒るわよ、それか赤面して悶えるでしょうね」
「俺は……一体なにをしたんだ」
少し気まずそうにモゴモゴとしつつ、怒らないでねと助言をしてから語ってくれた。
川村アミはすごい、彼女の予言通りで本当にそうなった。
俺が話を聞くにつれ赤面し、頭を抱えさっき以上に消え去ってしまいたい衝動が思考の端々に行き渡っていく。手は未だ繋いだままだが、その手から汗が止まらない……本当に俺はなんてことをしてしまったんだろうか。
「……無理もないわよ、誰だってビックリしちゃうわ」
気を使われている所申し訳ないが、追い打ちのような優しさを……情けをかけないでくれ。嘘だと証明されるのならしてくれ、今すぐに!ここで!
「その……嘘じゃないのか?俺が飛んできた鉄片が肩に刺さった途端「死にたくない」と泣き叫んで。お前を抱きしめながら……「こいつだけは生かしてくれ」とも言っていた……と」
「私も嘘だって言ってあげたいわよ、その後に気絶した神谷コウスケを回収してきた郷田に下駄で殴られてね。そのまま気絶してたのをなんとかエクリプスまで運んだの……覚えてなくてよかったわね、忘れたままなら……よかったのに」
優しくしようとしているが、かける言葉が見つけられない。かといって馬鹿にしているわけでもない。
だからその気遣いが今の俺を傷つけていく、どうか嘘であって欲しいと願いつつ後頭部をまさぐるように手を触れてみる。鋭い痛みを感じると共に腫れ上がった膨らみを発見する……俺が何を言ったかどうかの真偽はわからないが、殴られたことは真実のようだ。
「そうだ……ナイトメアは……」
気にはなっていた、でも分かりきった事実だと考えないようにはしていた。だからこそ当事者の口から結果だけでも知りたかった……あの爆発の末、ナイトメアがどんな最後を迎えていたのかを。
「あ……その……ごめんね、ちょっと手離すね」
川村アミはそう言うとするりと手を離した。小さく柔らかな指が解けていく、残る熱を奪い去るように指の間に空気が抜けていくのを感じて、少しだけ虚しさを覚えた。
抱えていたジャケットをまさぐって、その下からなにかを取り出し俺の前に差し出した。
それはもはや原型を留めてはいなかった、それでもなんだったかは十分に分かるくらいには形が残っていた。
恐る恐る受け取り、掌に乗せてつい言葉をかけてしまう。そんなことは無意味だ……だけど珍しい程にらしくない言葉で敬意を示した。
「お疲れ様……ナイトメア」
爆発の影響でなのか手足が無くなり、頭部と胸部に大きなヒビが入っている。川村アミから受け取った瞬間からも、既に崩れるように欠片が崩れ落ちていた。
頭の飾りとマントは残っておらず、頭部のアーマーフレームは潰れかけている……なんだったかは分かる位には耐えていたというのか、かなり軽量化を図っていたのにここまで残ったのは奇跡だな。
「これをずっと守ってたのか?別に置いてきて良かったんだぞ。代わりはいくらでも――」
「よくない!あんたの相棒よ、そんな可哀想なこと言わないであげて……たまたまこっちに飛んできたのよ、だから連れて帰ってきた」
相棒とはいえ、所詮は道具でしかない……だから俺はこいつのようにLBXに相棒だとかそんな感情は持っていない。
だけど俺がどれだけ
「じゃあなんで俺のジャケットを持ってるんだよ、それも飛んできたのか?」
「これは……そのぉ……」
勢い余って痛いところを突いてしまったのだろうか、急にまたしおらしく目を逸らしジャケットを更に抱きかかえるように小さく蹲った。
「……じゃあやましいことをしたんだな、マセガキめ」
「ちが……あんたと一緒にしないで!」
「そうかよ、じゃあなんでだよ。理由あんだろ?話してみろよ」
我ながら最初の恥じらいはどこいったのやら、主導権がこちらにあるとなれば余裕を見せつつ相手の痛いところを突いてしまう。それが川村アミであろうがお構いなしだとは……なんとも性格が悪い、やはり俺はこいつの側には相応しくない。
とか色々と考えているのが透けてしまったのだろうか、川村アミは俺のジャケットを広げ始めた。顔を赤らめつつ持ち上げられたそれを見せられつつ、正直感心してしまうものがそこにはあった。
「穴がない、それに血の跡も……へぇ、徹夜で直していたってことか?」
「まぁ……そんなところよ、CCMもタロットカードも無事よ。でもね、メンダコはどっかいっちゃった……ごめんなさい、見つけられなくて」
そう言うとジャケットを置いて、ソファーの下から小さな入れ物を取り出して俺に差し出してきた。受け取って手を入れると、確かにCCMもタロットカードも無事だった。
でもあの日、水族館での思い出として残したままでいたメンダコのチェーンが千切れてしまったようだ。しょうがない……物は所詮こうなる運命なのだから。
それは分かっているものの、無意識に溜息が漏れた。俺が思っている以上にショックだったのか?そんなまさか……。
「……まあいいさ、苦労をかけたな。直したジャケットとボロボロのLBXを抱きかかえて寝落ちするくらいだろう、まだ眠たいんじゃないか?もう一回寝ていろよ」
「平気、あんたのせいで目が……覚めちゃったから……その……」
とか言った側から顔をまた赤くし、顔を伏せる代わりにジャケットに顔を埋め始めた。その意味を聞く前に俺の耳にも熱を感じてしまう、すっかり場の空気に飲まれて意識しないようにしていた。俺が……こいつが寝ていると勘違いして……本心をベラベラと……。
正直墓場まで持っていくつもりでいたのに、まさかここが墓場になろうとはな。速攻で切り上げねば!俺はこれ以上なんか望んでないんだ!
「わ、悪かったって。忘れてくれ……お前をどうこうしようだなんて考えてない、心配しなくて――」
「あぁ……あの!私ね!」
言い訳を積み上げて脱兎の如く去ろうと、適当な言葉で話を終わらせたかった。なのに、それを終わらせてたまるかと川村アミが待ったをかけやがった……俺は正直聞く気にはなれない。多分この先、俺がもっとも聞きたくない言葉が待っているのだろう。やっちまった、もっと早くに逃げるべきだった。腹を……括るしかないのか。
「あの……あのね、私ね……」
ハムレットの一節が頭を過ぎる。「この世の関節が外れてしまった。嗚呼……なんという呪われた因果か、それを直すために生まれてくるとは」……だったか?俺は身内を殺されてはないし、復讐も誓ってない。むしろ今から目の前の彼女に首を落とされようとしているってのに……どうしよう、俺はここで終わるのか?俺はそんなつもりは――。
さっきまで走馬灯のように考えていたハムレットの有名な言葉で「生きるべきか、死ぬべきか」という言葉がある。復讐を実行して生きるか、それともこの苦しい現実から死んで逃げるか……高潔が故の疑い深さで破滅へと真っ逆さまに落ちるあの王子の気持ちが、今は痛いほど分かる。
現在、俺が分かっていることがあるとすれば……彼女のまつ毛の長さくらいだろう。