まるで夢のようだった、「人生の栄枯盛衰は、一炊の夢に過ぎない」。
俺の場合は粟の粥じゃなくコーヒーなのかもしれないがな。一杯のコーヒーがお湯を注いですらいない、完成を待つ間のような……そんな一瞬に見る夢としてはなんとも贅沢だった、このコーヒーが淹れ終わるまでは続けばいいと願ってしまう……だからこそ。
もう折れてはいけない、逃げてはいけない、だからこそ――。
深夜前、CCMからコール音が部屋中に響く。タブレットを置きいつもの椅子に座って勉強机に片肘をついて待つ、いつもやかましく連絡を寄越す癖に俺からは出ないってことかよ……おっせぇ……。
「君から、連絡をくれるなんて……珍しいね、仙道君」
CCMから聞こえる声はいつもより掠れている、咳き込むような音も聞こえたが知ったこっちゃない。
深夜でも寝ていても電話を掛け続けた男だぞ、絶対逃さねぇ。
「今日に限ってまだ見てないな……デザインを送った、ご所望のワイルドフレームじゃないが見てくれ」
「今、僕は体調が――」
「早くしろ!どうせ暇してたんだろ、今までお前の暴君ぶりに付き合ってやったんだ。こっちの要求も一回くらい聞きやがれ」
「……報酬は支払ってたのになぁ」
酷い咳き込みと共に立ち上がり、なにかにぶつかり小さな悲鳴が聞こえた。悪いことはしたが、懺悔はしないぞ神谷コウスケ。
キーボードを叩く音が聞こえる、パソコンの前まで移動できたようだ。送ったメールを開いて添付されたものを読んでいる……早く読めと心の中で催促しつつ答えを待った。
「この前、送ってくれたストライダーフレームの……君の一番のお気に入りだね。でも――」
「デザインの変更案が欲しい、送った質問一覧があるだろ。どうすればいい?どうすればお前が納得できるレベルにいける……お前の言う通りにすれば、俺は
ボソボソと文句が聞こえた、だが読み進めるうちに咳だけが聞こえた。最後まで読み進めたのだろう……痰が絡まる声で俺がもっとも欲しかった言葉が聞こえた。
「覚悟が……決まったようだね」
「ああ、行ってやるよ……A国に」
咳をしつつどこか嬉しそうな声が聞こえ始めた、向こうも色々言いたいことがあるだろうが優先された質問はこれだった。
「誰に背中を押されたんだい……山野バンかい?」
「いや、最高の彼女にだよ」
今まで聞いたどの声より情けない声が聞こえたが、混乱から激しい咳が響いている。電話越しからもさすがに辛そうにしている神谷コウスケを仕方がなく労うことにして通話はこれで終わりにした。神様だって休息が欲しいんだろうな、凡人には理解できんがな。
耳からCCMを外し、部屋の窓から見える景色を見た。街灯に隠れて見えにくい光はあるが、星がよく見える。机の上に乗せていたタロットカードを二枚引けば『
「運命の輪からは、逃げられなかったな……アミ」
もう眠っている、それでいて距離も離れている、だとしてもきっと夢の中で聞いているのかもしれない。
軽く片付け布団に潜り目を閉じた、これからどうなるかわからない……でもコーヒー一杯を淹れ終わるまでにしては、俺は随分といい夢を見ている。だからもう少しだけ……。
それ以上は深い眠りに落ちてしまい、言葉にはできなかった。
現在は夕方、もう習慣になった那須家のガレージに足を運んで今日もデザインについての相談をしている。
野次馬根性なのか面白半分で横やりを入れる風間も、真面目に意見をくれるが少々素人目が滲み出ている森野もいる。
少し前の俺がこの光景を知ったのなら、別人なんじゃないかと疑うのだろうな、それくらい現実味がない。人に囲まれて意見を言い合う姿なぞ……と白目向いて泡を吹くかもな、なんて想像してちょっと口元が緩んでしまった。
「兄貴、なんだかずいぶんと景気のよろしいお顔でいらっしゃる。傍目にも分かるくれぇですが、何か嬉しい知らせでも舞い込んできやしたかい?」
「景気のいい顔って?ダイキ、宝くじでも当てたのか?」
「風間様、景気のよろしいというのは……パッと明るい、活気のある顔のことですぜ。懐が温かいのであれば、あっしだってお溢れに預かりたいものでは御座いますがね」
那須家と風間のやりとりに無反応でスルーしつつ、森野と共に他デザインの選別をしている。
俺が指示した追加箇所をチェックし、かなり気難しそうな顔でデザインをみながら慎重に線を描き足している、デカブツの割に几帳面で素直だ……那須家の技能さえ備わっていれば理想なんだが。メカニックとしては勉強不足だな、なにを取っても器用貧乏な男だ。
「で、ダイキ……良いことあったのか?」
また意識をこっちに向け、つい最近まで敵対心剥き出しだった筈の風間が聞いてくる。もう復讐だなんだは落ち着いたようで、すっかり大人しくなった……それがいいのか悪いのかは知らんが、毎度噛みつかれなくなったのならもう興味はない。
だが、こいつの口の軽さは恐ろしい。那須家以上の人脈と世渡り上手で図太い性格……年下だと侮ってはいけない、それをよく教えてくれた奴だ。あの出来事は言いたくはない、叶うことならば勘違いされたままでいるのが理想だ。
「特に、なにも」
「そっか、やっぱ川村アミと付き合えたーとか。神谷重工の恩恵で海外行けるーとかないわけ?」
図星を突かれて一瞬手が止まった、冷や汗をかきそうになりつつも平然を装って風間と目を合わせないようタブレットを弄る……こいつ、毎度妙に勘だけは冴えてるな。馬鹿の癖して生意気だな。
「風間、よく考えろ……このダイキだぞ。無理だろ、彼女だなんて」
「左様ですね、LBXのアーマーフレームを美少女が纏って
森野はともかく言いたい放題な那須家に、近くの輪ゴムを指に引っ掛け拳銃に見立て、腹の立つ顔目掛けて発砲してやった。
だらしなく笑う那須家に無事ヒットしたので、少々気が晴れた。最近良くしてやってるツケが回ったな……俺も随分と丸くなって舐められたもんだ。
「やっぱお前……なんかあったな」
「なんもないよ、だから黙って手を動かせ森野。お前は勝負に負けたんだからな、最後まで付き合え」
「あれは勝てないって、分身からの瞬間移動みたいな攻撃は……俺達が知らない所でどんな特訓したんだよ!あークソ、この人害!厄災!魔族長!」
「魔族長とはなんだ、俺は配下なんか居ない。黙ってやれ、負け犬」
悪態をつきつつも、森野はまたタブレットに齧りつくようにチェックしていく。
アルテミスで同じ舞台に立ち、クソ鳥野郎のオタレッドにムキになって捨て駒にして、ネオアポロンで生意気に歯向かってきて……そんな仲違いすべき相手だとは思っていたが、まさかこうも交友が深まるとは驚きが尽きないな。
「まああっしら凡人、民草にとって雲の上のお方の考えは理解できないもので御座います。あーあ、羨ましいものでありますねー。仙道の兄貴」
にやりと気味の悪い顔で、余裕ぶっているのに本格的にお灸を据えてやらないとなと結論に至り。少々強引ではあるが話題を振ることにした。
「おい、那須家……ひとつ聞いておきたい」
「へい、なんで御座いやしょう」
風間と戯れて気が緩んでいるその顔を、俺がなんだったかを忘れている奴を地獄に蹴落とすのにまずは一手を打った。
「お前、今いくら持っているんだ?」
「へい、あっしの財布にはえっと……」
警戒心を見せず財布を開いた那須家を見て、なにかを察し青ざめる森野と、理解して悪い顔になった風間を見て、尚更隠し続けるのは面白くないので答えを教えてやった。
反応はどうであれ、那須家がアイスとコーヒーを奢ってくれることが決まった……口が減らない奴、だから騙されるんだ。
勝手に賭けた癖に魂まで奪う気かと嘆いていた那須家と、過呼吸になりつつも歪ながら祝福してくれた風間が、休憩と称して買い出しに出かけて席を外している……特に奴らはなにもしていない気がしたが、そこはどうでもいいな。
人数が半分になっただけで随分と静かになった、狭い空間に男がすし詰め状態だったから清々する。
「いや本当……お前らが付き合うなんてな。正直意外だったけど、妙に納得ができるんだよなぁ……」
さっきの俺のカミングアウトになにか思うことがあるのか、渋い顔をして未だ唸っている森野を横目で見つつ、デザインの仕上げに取り掛かった。
「まだ言うのかい、しつこいねぇ……まさか羨ましいのか?アミが」
「冗談はよせって、俺は三歩下がってついてきてくれるおしとやかな女の子がいい。川村アミは荷が重いよ、俺よりLBX強いしな」
森野はそう軽口を叩いて静かに下を向く、さっきからずっと会話らしい会話は存在しない。
先ほどまで耳を塞ぎたくなるような騒がしさだったのに、半数に減っただけでこれだ……ほとんどあいつらが騒いでいたのもある。だからどちらかが話題を振っても上手いこと返せず、結果タブレットの上をペンが滑る音だけが聞こえる。
強いて言えば空いた窓から他生徒の声もしばしば……グラウンドからかなり離れているのにここまで聞こえる位静かだとは。
どうすべきか、耐えられなくはないが居心地が悪いのには変わりない……どうすればいいんだろうな。
「おい、森野」
「なんだ」
考えもなしにとりあえず言ってしまった、少し前ならば沈黙なんてどうということはないのに……人の進化は偉大だな。
「なんだよ、なんか言いたいんじゃないのか?」
「……俺の書いたLBXのデザイン、お前は好きか?嫌いか?」
「呼び止めてまで聞くことか?」
森野の癖に生意気にも吹き出しかけて放った言葉がそれだった、デザインの良し悪しはともかく、性能に関してあまり良い答えを出していないんだ。だからというか、やはり不安だから凡人の意見であっても聞いておきたかった。
黙って答えろ……そんな昔ならすぐ口にしていたものをなんとか飲み込んで、返答を待った。
露骨に顔に出ていたのだろう、若干の呆れたような、それでいて嬉しそうに目線をタブレットに落とした。
「お前はずっと本心を言わなかった、俺にはそれが苦しそうで辛そうだと……そう思っていた」
「デザインの良し悪しだけでいい、とっととしろ」
「人が神妙になってるのに茶々いれんな!……だけど、こうやって色々見せて貰ってよく分かる。お前は、人との対話はずっとLBXだったんだなって」
そういってタブレットに今までの設計図を開き始めた、大した量でもないし、プロから見れば随分と中途半端で幼稚なものばかりなんだろう。それを森野は愛おしそうに眺め、ゆっくりと過去を振り返るように話を続けた。
「そうやって人に意見を聞く割に頑固で、怒鳴りたくなるくらい捻くれている……見ろよ、これなんかまさにお前そのもの。こだわりが強くて自分の生き写しみたいなデザインじゃないか?」
「どいつもこいつもソロモンばかり見るな、そんな気に入らないか?」
「気に入らないだろ、こんなの……」
俯いた顔はこちらから見えない、しかしタブレットの上に大粒の雫が落ちたのが見えた。鼻を啜った森野が目元を隠すように拭って、目元が多少赤みを帯びていたが気づかないフリをしてやれば、取り繕うこともせずに凡人の森野から本音が零れ落ちた。
「勝てねぇよ……羨ましいよ……こんな、こんな高みまで登っていて。俺……お前のこと見くびってたよ」
涙声でしゃくりあげながら、完全敗北と言ってしまっても過言ではないことを告白された。
「おい、勘違いしているが。俺はLBXしか取り柄がない……お前が思うような超人じゃない、そんな神格化するな……お前らしくもないだろう」
「だとしても、だとしてもだ!……俺にはできない。お前レベルに情熱を注いで、誰にも届かない場所までずっと走り続けることなんか。だから……このデザイン、俺の趣味じゃないけど――」
涙を拭い、濡れたタブレットを袖で拭いて。少しばかり歪な笑顔を作って、俺に絶対向けてこなかった真っすぐな感想をぶつけて来やがった。
「嫌いじゃないぜ、お前のLBX魂……いつか、形になればいいな」
そんな素直な奴の感情に触れ、つい溢れた感情を取り繕うこともなく。お返しと言わんばかりに俺も言葉を送った。
「ダッセェ……どこぞのスポ根漫画かよ、もうちょっといい言葉選べ」
「おま……やっぱお前のことが嫌いだ!ダイキ!」
から元気で立ち上がり、声を張った森野を鼻で笑ってやる。気持ちは嬉しいが、やはり俺はそういう趣味はない……尊敬されるには随分と未熟だから。
「今の段階で神格化されては困る、俺はもっと高みへと行くんだ。これを完成させるために」
「行くってどこに?高校は俺と同じだし……わかった!神谷のコネでなんかいい勉強会にいくんじゃないか?」
風間といい森野も確信に近い所を突いてくる、ベラベラと内心を話していたつもりはなかったのに。それはずっと前からそうだったのに……でも逆にありがたい、こいつの中で俺の評価がどうだかは知らない。だからこそすんなりと話しやすいのだから。
「まぁな、それに近いことをするためにA国にいく」
「は?」
タブレットを置いて椅子から立ち上がる、突拍子もない俺の発言に目を見開いて固まった森野を素通りし窓の近くに立つ。風で運ばれるツンとくるような匂いと冷たい空気を吸い込んで、高鳴る鼓動を抑えて平常心を装って、不安なんか微塵も見せずに言ってやった。
「今から話すことは、他言無用で頼むぜ?」
「は?……え?……おま、なにを――」
「俺は、最強のLBXを作るため。神谷コウスケの元で勉強してくる……期間は、えっと……」
どのくらいだったか思い出そうと視線が下にずれて顔が下がった、すると視界が一瞬ぐらつき体勢が大きく崩れた。
地震かと思い踏ん張ろうとすると、肩に手が置かれ体の自由が利かない。逃げようにもかなりの力で抑えつけられ服越しに掌の温度が伝わってくる、それが異様な出来事すぎて気持ち悪く感じてしまった。
「……なんだよ森野。お前、なにがしたい」
「俺……俺はさ、よく分かんねぇけどさ。お前やっぱ頭おかしいよ」
目線を上げられない、肩に乗せられた手を払うこともできない。俺より上の、物理的な体格差に本能的に怯んでしまった。
下手な恐怖心はない、なのに手が震えまばたきすらままならない。ただ情けないほどに無抵抗なその状況下で、低く唸るような森野の声だけがよく聞こえた。
「彼女、出来たんだろ?川村アミ……お前なんかをずっと心配してくれた女の子を。ひとり置いてってA国に行くだと?正気か?」
「な、なんでアミが……大丈夫だろ。アミなんだから、俺の前から居なくなるなんて――」
「お前、そうやって甘えられるからって誠実でいなくていい……そういう考えは捨てろ。これは忠告じゃない、友人としての助言だ」
森野の口から初めて聞いた声、まともに見られないその顔に脂汗が止まらない。汗で滑って力が入らない手で抵抗しようにも圧倒的な握力に負けてしまう、いつものように皮肉や恐喝が通じる空気じゃない……父親とかそういう上の存在からの説教、そう考えてしまう。
「次会った時、ちゃんと話せよ。いつまでもいてくれる、なんでも許してくれる……そう思ってしまえば人間関係は脆く終わる。分かったか?」
「……俺に説教すんな、そんなの分かりきってる」
嘘だ、これは明らかな嘘だ。でも否定してしまった、この威圧に負けてなるものかとまた嘘を重ねた。
情けない、森野に言われてようやく状況の危うさに目を向けるとは。
「なら、ちゃんと話せよ。あの子が大事なんだろ?……映画の無料券やるよ。きっかけくらいなら作ってやるからさ」
重く熱の籠もった手が離れ、財布を弄ってチケットを二枚差し出してきた。俺が顔を上げればやっちまったと言いたげに目が泳いでいたが、お前の叱咤に乗ってやる……そう口には出さずとも受け取った。
「悪い……熱くなって。ほらふたりが帰ってくる前には落ち着いとけよ、とりあえずバトルでもするか?」
下手な気遣いに精一杯睨み返すものの、気がついた森野から哀れみの籠もった視線を向けられた。今度バトルで叩きのめして……はぁ、惨めになるだけだな。
「……それでも、俺はアミの隣に立てるよう俺なりに考えてたんだ。彼女に、失望して欲しくないんだ」
「そこは……俺の判断じゃわからん、もしかしたらケロッとして送り出すのかもな。でも伝えろよ?最近、ちょっとずつだけど人と話すのが出来てきてんだから」
「どこがだよ、相変わらず適当言いやがって……」
小さく森野からため息が聞こえたかと思えば、俺のタブレットを手に取り渡してきた。その意味を理解できず、さっきの出来事があったから警戒を見せる俺に森野はすぐ答えを提示した。
それが俺には心底腹の立つことで、正直嬉しいとも感じてしまうような態度で。
「ジョーカーMark2はひとりで作ったようなもんだったんだろ?それが今はどうだ。我儘振り撒いて乱暴に引っ掻き回しているが、伝えて共になにかを作るまでしている……過去を振り返れ、確実に変わってるんだよ」
震える手を伸ばしなんとか受け取り、画面をつける。ぼんやり眺めた今までのLBXのデザインは俺が考えていた当初の物より、大きく反れてしまっていた……でも――。
「そうかもな、変わってるのかもな」
不器用で決して嫌いじゃないデザインを見つめ、癪だが森野の言う通り動いてみようと思う。
もう逃げないために。