ずっと、夢にまできた日がやってきた。
予定より1時間も早く駅に着いて、ミソラタウン駅の改札口前で立ち止まった。荒くなった息を整えるために、大きく冷たい空気を吸い込んだ。
「ふぅ……ちょっと寒いな」
かじかんだ手に息を吐きかけ、指先の冷えを逃がすように擦った。CCMでメールでも入れようかと指が動いたけど、躊躇いが生じて離してポケットにしまった。
後ろの建物の大きな窓に鏡のように自分の全身が映っている、いつものピンク色の普段着とは打って変わった白い花柄のワンピースとちょっと大きめの明るいベージュのカーディガン。いつものイヤーマフを封印して、赤いベレー帽なんか被っちゃって……気合い入れすぎ?ただ映画見に行くだけなのに。
「笑われるかしら、だって仙道だし……い、いつもの格好だと今日は寒いの!……うんこれで言い訳しよう」
震える手で前髪を直し、鞄からリップクリームを出して念のため塗り直す。待ち合わせ時間にはまだ早いのに、随分と今日はせっかちに行動してしまった。
少し遡って数日前、郷田のアジトで祝賀会と称したささやかなイベントの日に仙道に呼び出された。
ミソラ二中の前で待っていた彼はちょっと後ろめたそうな……照れ隠しとやつれた感じが混ざったような顔をしてて、どうしたかを聞くよりも先にポケットから二枚のチケットを取り出して「今度の休日、どうせ暇なら映画でも行こうか」とかなんとか言ってきた。
電話やメールでもいいのに、わざわざ会いに来てそんなことを言っていた。
ちょっと仙道らしくない態度に頭の中が混乱しつつも、日付と待ち合わせ時間を決めてそれ以上なにも言わずに帰っちゃったな。
今日はそんな仙道との……彼氏との初デートでの映画、なに見るんだろう?何回聞いても答えてくれなかったし、なんかずっとよそよそしかった。緊張してたのかな?仙道なのに。
「しかも遅刻とかして待たせたら……「ふんっ!お前がちんたらトロ臭いせいで、映画が間に合わないだろう」とか「そんな格好するだけで俺様を待たせたのか?」とか言われそうだし?まあ早く来るのがセオリーって奴よね!」
想像の中の仙道が目くじらを立てながら、いつもの悪態をつく姿がくっきりと浮かび上がりつつもまだ来ていないのかと横切る人を目で追ってしまう。
行き交う人の中をいくら探しても、いつものあの姿は見つけられなかった……そりゃそうよね、時間早いんだもの。
どんだけ楽しみなのよ私……まあ、『恋人』としての初めてのデートだもんね。デート……あいつの、彼女としての、正式な……。
「これで……独りだけ浮かれてたら、嫌だなぁ」
赤くなった頬に両手を当てて、目線を落として少しでも熱を逃がそうと試行錯誤する。まだ来なさそうならどっかで時間でも潰そうかしら?下手に誰かに声掛けられることもそうだし、知り合いに見られたなんて……考えたくない。
とりあえずカフェにでも――。
下がった目線の端のほうからにゅっとペットボトルが伸びてきた、見間違いかと思って再度目を凝らしても幻影じゃない、そこにある。
不思議に思いつつ手を伸ばし受け取った、ちょっと生暖かいけどいつも飲んでいる紅茶のメーカーだった。それを差し出した人物に覚えがありすぎて顔を上げれば……浮かれていたのは私だけじゃなかった、それだけはよく分かった。
「あんたも楽しみだったのね、何時から居たの?」
「そんなことはどうでもいいだろ!なんでお前……そんな格好。変なのに目つけられるぞ」
肩で息をして顔を真っ赤にしながら、らしくない心配をする仙道が目の前に現れた。寒さ対策で黒めのマフラーを巻いてきているが、どこかから走ってきたのだろう……ちょっと暑そう。
斜に構えた魔術師の余裕さは微塵も見せないその姿に、もう答えを言っているようなもので……つい口角が上がってしまう。
「ねぇ、今日の格好。可愛い?」
「うるせぇ、んなこと今聞くな」
悪戯心でつい質問してしまったのを、速攻で遮断しに掛かられた。
相変わらずでムッとしつつ、本心をどうしても聞き出したくなってしまう。見せつけるようにその場で腕を広げてくるりと一回転してみた、ワンピースの裾が浮き上がった時に仙道の顔がものすごく険しくなっていたのを見逃さなかった。
「で、どうなの?どう思ってるかちゃーんと言ってね」
最後の後押しをすれば、仙道の目が今まで見てきたどんな時よりも泳ぎまくって。冷や汗なのかただ暑いだけなのか、汗が滝のように流れていた……ただ感想を言うだけなのに、そんなに嫌なの?
「んもー!そんな言いにくいわけ?せっかくお洒落したのに」
「わ、分かった俺の負けだ!ほら、耳!」
「生憎取り外し機能は備わってなーいの」
いつぞやに仙道が言った言葉を返してやると、悔しそうに歯を食いしばって顔を更に真っ赤にしつつ、遂にあの仙道ダイキが白旗を上げた。
「くそ……分かった、可愛い!滅茶苦茶可愛いって……畜生。大したことじゃねぇのに、そこまで気合い入れんなって……やりにくいって」
あまりの恥ずかしさからその場に蹲ってしまった、その珍しい姿に胸を張って清々しい気分になった。声に出して言いたい……「勝った!」って。
でも喧嘩したくないからニヤつく顔を見せる前に、一回咳払いをして冷静を装った。
「映画一本観るだけの癖に本気になって……これから先が思いやられるな」
「いいじゃない、これからも可愛い格好してきてあげるから……ちょっと早いけどもう行っちゃいましょうか」
項垂れる仙道の手を引いて無理矢理に立たせ、早速私たちの恋人としての初デートがスタートした。後ろから「覚えとけよ」と恨み言が聞こえたけど、気づかないふりをして改札口を通過した。
電車で揺られながらLBXとかの話をしながら、目的の駅で降りて歩く。いつもはただ隣を歩くだけだったけど、今日は仙道と手を繋ぎながら歩けている。
長くて細くて骨ばって、指先がちょっと冷たくて気持ちいい仙道の手を握っている……なんだか夢みたいだな。
恋人になっても手を繋いで歩くなんて、してくれる人じゃ無さそうだし。「やるかよ、歩きにくい!」とかの理由ですぐ逃げるとか思ってたのに、こういうの嫌いじゃないのかな?
顔を見つめていたのに気がついた仙道と目があった、まだどこかぎこちないのに普段通り取り繕うよう笑いかけてきた。ご機嫌そうね。
「今日行く映画館ってどこだったっけ?トキオシアのどの辺?」
「ゲームセンターがあるエリアの近くらしい……最近出来たばかりだからな、とても楽しみだな」
ちゃんと言葉にして気持ちを共有してくれた、口元を緩ませ柔らかく笑い話す仙道を見ながら手を握る力を強めた。
でも意外だなぁ……映画の無料チケットって、聞けばミソラ商店街の福引って話じゃない。あの仙道がくじ引きねぇ、他に景品はなんだったんだろう?後で聞いてみようかな。
「ポップコーンもあったらいいなー、仙道は何味が好き?」
「塩バター一択だろ、キャラメルは好みじゃない……」
「ほんと!?私と一緒!おっきいの買いましょうね」
「まだ着いてもないのに……さすがに映画まで時間がある、軽食でも取ってからいくぞ。なに食べたい?」
私にリクエストを聞いてくれたので、試しに「パンケーキ!」とお願いしてみたら速攻オッケーしてくれた。予定にはなかったけど、映画の前に腹ごしらえすることが決まった。
言葉の棘は抜けていない、なのに私の手を引いてくれるやや不器用な優しさが向いている。その事実だけで今までとは違う実感と優越感が湧いてくる、だからまた茶化されないようにちょっとだけ下を向いてだらしない顔を隠しながら、手に感じる体温を感じていた。
まだ朝の早い時間なのにまばらに人がいるカフェの中、ちょっと大人びた黒を基調としたモノクロな室内。
嗅ぎ慣れないスパイスのような、コーヒーのような、あまり嗅いだことのない香りにちょっとクラクラする。仙道は平然としてメニューを読んでいるけど、あまり行き慣れないお店でちょっと落ち着かない……私だけが場違いじゃないよね?
「モーニングでコーヒーや紅茶が無料らしいな……で、注文は決まったか?」
メニューを閉じて対面に座っている仙道がいつもの調子で聞いてきた、こういう場所には慣れてるのね……確かに似合いそうだけど。
「えっと、苺づくしパンケーキ……紅茶で。あ!ミルクもつけてほしい、かな?」
「分かった、じゃあ店員呼ぶからな」
ベルを鳴らして店員さんを呼び、淡々とメニューを読み上げて注文をした。メモを取り終えた店員さんが戻る背中を見送って、嫌味のつもりはないけど思ったことを口にした。
「スマートなのね、慣れてるの?」
「家族で外食する時、オーダーを伝えるのはいつも俺なんだ。だから……慣れているというのなら、そうだな」
妹がいるのは触りだけ知っているけど、仙道の家はそうなんだ……我が家だと注文ってパパがいつもやってくれてるけど。うーん……正直仙道の家族構成が分からない、兄や姉は居ないけど弟が居たとか言われても驚かないし。お父さんとお母さんは何してる人なんだろう?
仙道の家族も私生活も謎が多いわよね、気に障らない程度に聞いてみたいな。
「妹がいるんだっけ、他に兄弟とかはいるの?」
「妹だけだ、他に兄弟はいない」
やっぱ長男だった、正解で嬉しい。
「だよねー、予想通り」
「責任感が強く優等生、だがその裏は強引で我が強い……周りをよく見ているが偏見も多いと見ている。予想の範疇を出ないが……アミは一人っ子だな、大分箱入り娘に育て上げられているな」
家族構成は確かに合ってるけど、そんな人格否定を混ぜた性格診断なのなに?あまりにも図星すぎてちょっと眉間に皺が寄ってしまった。
「図星だったな」
心を見透かしているかのような態度でニヤリと笑い、いつもの調子でタロットカードを取り出した。『
滅茶苦茶腹は立つけど……そんな当たり前の光景が、関係が変わったとしても変わらない。なんだか腹が立つのにちょっと嬉しくて、不思議と怒る気も湧いてこない。だから余裕そうに振る舞って上げることにした。
「まーね、悪いところはちょっとずつ直さなきゃね……お互いに」
「お前ほど酷くはないさ、俺は遠慮しておく」
「一番の問題児が何言ってんのよ、一緒に頑張ろうねー。ダイキ」
反撃のつもりで名前を呼ぶと、一瞬目を見開いたけどちぃっと顔を赤くして片肘をついて顔を逸らされた。そんな嫌なの?名前呼ばれるの、小さく口が動いたのが見えたけど多分文句を言われた気がする……私もちゃんと名前で呼びたいのに。
というやりとりをしていれば注文していたものが届いた、店員さんが丁寧に置いてくれたお皿の上には柔らかそうな層を連ねたパンケーキに真っ赤な苺のソースと山のようなホイップクリームが乗った贅沢な一品。そこによい香りのする紅茶がアンティークのカップに入っている、贅沢……料金は普通くらいだったのに、なんか得した気分になった。
仙道の目の前にはコーヒーと……カツサンド。前も食べていたけど、やっぱ好きなのかしら?揚げたてなのか切った断面から湯気が出ていて、ソースが千切りキャベツに染み込んでいくのが見えて思わず唾を飲み込んでしまった。
「……交換してやろうか?」
あまりにも凝視していたのにハッとして、ニヤニヤと嫌味ったらしくも嬉しそうに見つめてくる仙道から顔を逸らした。なんか、今日は全てを見透かしているような感じで……ちょっとソワソワしてしまう。
「ほら食いたいんだろ、交換するから皿寄越せ」
「わ、わかった!じゃあ――」
「やめろ冗談だ!……あとでちょっとやるから、とりあえず食おう」
仙道の案に乗ってお皿ごと差し出そうとすると、そこまでやるとは思わなかったのか。慌てた様子で制止して無理矢理やり取りを終わらせて、食事を始めた。卓上の戦いは一時休戦とし、ナイフとフォークでパンケーキにメスを入れた。
ふわりと刃が入って力が無くともナイフが下まで落ちていく、一口サイズに切り分けた端っこをフォークで刺してクリームと苺ソースをたっぷり絡めたものを口いっぱい頬張った。
パンケーキの優しい歯触りから始まって、ホイップクリームのくどくなくて優しいバターっぽい味と苺の酸味が舌の上に乗った瞬間、幸せの海に目が冴えてほっぺが落ちそうになったのを手で押さえた。
数回噛んだだけで柔らかい生地は口の中で溶けてしまう……まるで食べるフラッペのような、見た目は華やかなのに味は優しい。この言葉にできない幸福感、美味しい……ずうっと食べていたい、毎日食べたいくらい美味しい。
「いつも幸せそうに食うな」
声にハッとして幸せの渦から戻ってくれば、食べようと言い出したのにカツサンドには手をつけずに、目を細めて私を見つめていた仙道がいた。
「冷めちゃうわよ?……あ、やっぱパンケーキ食べたいんでしょ。しょうがないわね」
「やめろいらん、おい切り分けるな!いらないって――」
「はい、あーんして」
ちょっと大きく切り分けてあげたパンケーキにクリームとソースをさっき以上にたっぷり絡めて、仙道にフォークごと向ける。
目の前に向けられたパンケーキに恐怖の眼差しを向けている、仙道が甘いものが好きじゃないのは知っている。
でも……俗に言う「あーん」ってやつをやってみたい!恋人らしいことをもっとやりたい思いが行動を後押しした。
でも仙道はついに目を逸らしてコーヒーを急いで口にしていた……逃げたな?
残念に思いつつフォークを引っ込めようとすると手をがっちり掴まれ、戸惑いで固まった隙に仙道がパンケーキを一口で頬張った。
「え、ちょ――」
反応が遅れて混乱する私の手を離し、席に戻ってまた片肘をついてパンケーキを咀嚼する。顔を真っ赤にした仙道がいた……だから悪戯っぽく聞いてしまう、それが分かりきっていたとしても。
「美味しい?」
「……悪くねぇな、お前が好きそうな味だ」
素直に美味しいって言えばいいのに、でもちゃんと食べてくれた……思ってたのより大分乱暴だけど。
「後で仙道のもあーんしてね、必ずよ?」
「いいだろう……報復はしてやる」
不敵に笑う仙道はその後、一口としては大きなカツサンドを私の口に突っ込んで満足そうに笑っていた。ソースのしょっぱさとカツのジューシーさが美味しかった、また来たいな……仙道と。