編入先の超名門校がすさまじいカースト社会だった件www   作:かきくけこ

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16. いじめ

 梅雨が明けて真夏の太陽が俺たちをじりじりと焼く。巨大なドラム缶を転がす俺たちはようやく校門と寮との間、第二野球場までやってきていた。

 

 中庭のドラム缶風呂の底が抜けていることが発覚したのはほんの数日前のことである。真夏に銭湯まで歩けば汗だくになること請けあいで、早急に対処しなければならなかった。

 

 もちろん『キタクブ』のためなんかに車両の乗り入れを学院が認めるわけがない。なので、校門まで業者に頼んでもらってから俺たちが手で運んでいる。

 

 額から滝のように流れる汗が目に入って痛い。加納はすでに目が死んでいた。

 

 木々の日陰を縫うという涙ぐましい努力を重ねている俺たちと違って、野球部の面々は冷房が完備された屋内にある打撃練習場でバットを振っているらしい。

 

 やはり運動部の予算はけた違いに豊富なようだ。

 

 ドラム缶からしばし手を離して一息ついていると、俺はじりじりと太陽の照りつけるグラウンドに人影が出てくるのを目にした。

 

 涼しい風で練習に打ちこめる練習場の天国から灼熱地獄に足を踏み入れる奇特な生徒がいるなんて。いったいなにをするつもりなのか気になって俺は目を凝らす。

 

「あれ、北浜じゃない?」

 

「ん?」

 

 俺の目に映ったのは、間違いなく同級生である北浜の姿だった。

 

 どこか重い足どりで北浜はベンチの横の倉庫からトンボをとりだす。そして陽炎のゆらめくグラウンドを整地し始めた。

 

「北浜はどうしてひとりであんなことをしてるんだ。」

 

 自分のほかは誰もいない野球場で、北浜はけなげにトンボをひきずっていく。その脇の打撃練習場からは野球部が練習を楽しむ声が聞こえてきた。

 

 野球部から仲間外れにされた北浜の背中がやけに小さくみえる。

 

「残念ながら、学院の部活ではこうした光景は珍しいものではない。退部させられれば『キタクブ』になってしまう学院で、生徒は酷い目にあっても泣き寝入りするしかないからな。」

 

 しかたのない話だとばかりに北浜から目をそらした加納がドラム缶に手をそえた。

 

「どうしようもないことだ、放っておくしかない。だからさっさとこいつを寮まで運んでしまおう。はやく冷えた麦茶を浴びるほど飲みたい。」

 

 だが、俺はたったひとりで雑用をこなす北浜から目が離せない。

 

 打撃練習場の声が騒がしくなったかと思うと、ガチャリと音をたてて扉が開かれた。姿を現した野球部員たちが北浜に近づいていく。

 

 もしかすると、手伝いに来たのではないか。そんな俺の淡い期待はものの見事に裏切られた。

 

「おい北浜、こんな適当な整地してていいと思ってんのか! 野球が全然できないお前が役に立てるのは雑用だけだって何度も教えてやったろ!」

 

 野球部員はほんのわずか土が均されていないところを指さして、怒りをあらわにした。野球場の外から覗きこんでいる俺たちにまで聞こえるほどの怒号が真っ青な空に飛んでいく。

 

「っ!」

 次の瞬間、俺は怒りで視界が真っ赤に染まった。

 

 パァンと破裂音が空気を震わせる。頬をビンタされてしりもちをついてしまった北浜は怯えたように瞳を揺らした。

 

 整地を手伝ってもいない野球部員たちがあろうことか北浜の頬を叩いたのだ。北浜が顔を青ざめて後ずさっているのにもかかわらず生徒たちはそのまま暴力を振るい続ける。

 

 友人があんな目にあっている時に口を閉ざしているなんて、そんなことが許されるはずがない。何が何でもあの野蛮な所業を止めなくては。

 

 飛び出そうとする俺を加納が後ろから羽交い絞めにしてくる。背の高い加納に持ちあげられてしまった俺は手足をやたらめったらに動かして抵抗した。

 

「加納、離してくれ! いくらなんでもあれは見過ごせないだろう!」

「馬鹿が、あの場をどうやって収めるつもりだ! 『キタクブ』のお前とつるんでいると知られたくないと言ったのは北浜だろう、激情に身を任せて北浜をさらに追いつめるつもりか!」

 

 俺と加納が格闘しているあいだに満足がいったらしい野球部員たちは打撃練習場にもどっていった。残された北浜は涙をぬぐうように目をこすると、またひとりでトンボをひき始める。

 

 暴れるのを止めた俺を加納が地面に下ろした。

 

「さっさといくぞ、今のお前では北浜に声をかけても逆に余計な迷惑をかけるのだからな。もしも助けてやりたいと思うのなら北浜の事情も考えてやれ。」

 

 うだるような暑さのなか、グラウンドを歩き回らされている北浜をみつめる。俺は友達が苦しんでいる時になにもできない己の無力さに唇を噛んだ。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 週明けの放課後に久しぶりに寮を訪れた北浜の顔には大きな湿布が貼りつけられていた。

 

「えっと、階段で転んで打ちつけてしまったんです。生来のドジなもので。」

 

 痛々しい北浜の笑顔に俺は目をふせる。もしも野球場での出来事を俺が目にしていたと知られてしまえば北浜に無駄な気苦労をかけさせる、そう考えて俺は無理やりにでも笑った。

 

「ほんと? なら、それはやらかしちゃったね。」

「ええ、自分でも反省してます。」

 

 北浜が暗い笑みを浮かべる。そうしていつものように英語の勉強会が始まったはずだった。

 

「あ、そこ間違えてるね。分子構文は主語が違うときは省略できないから、きちんとHeって文のはじめにつけておかなきゃいけないんだ。」

「っ、そうですね。ごめんなさい。」

 

 肩がびくりと跳ねて、北浜は慌てて赤ペンで間違ったところに印をつける。いつも間違いを指摘すると北浜は申し訳なさそうにしていたが、今日はいつもに増して間違いを恐れていた。

 

 なにかに怯える北浜が心配でたまらない。

 

「間違えても謝らなくてもべつにいいのに。俺たちは一緒に勉強してる友達なんだから、気をつかう必要なんかないんだから。」

「……そう、ですね。そうですよね。」

 

 思わずかけた励ましの言葉にも北浜の声は上擦っていた。そのまま次の問題を解き始めたのだが、それもまた間違っている。

 

「そこはmust notだね。do not have toだとなにかをする必要がないってすこし弱い意味になってしまうんだ。」

「あっ、すみません。」

 

 震える手で北浜が正解をノートに書きこもうとする。だが、何度もボールペンをとり落してうまく文字を書くことができない。

 

 それでも強情に勉強を続けようとする北浜の姿はみていられなかった。俺はボールペンをかわりに拾いあげると北浜の額に手をあてる。すこし熱っぽくなっていた。

 

 有無を言わせず俺は北浜から問題集をとりあげる。

 

「北浜? すこし休んだほうがいいんじゃない?」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。」

 

 熱にうなされているように北浜がひたすらに謝罪の言葉を口にした。その時、俺は猛烈に自責の念に駆られる。

 

 あの野球場でいびりの現場を目にしておきながら、こうなることを予期できなかったというのか。あまりにもの不甲斐なさに涙が出てきそうだ。

 

 とにかく北浜を落ち着かせなければならないと、俺は北浜の肩にそっと手をまわした。

 

「だいじょうぶ、なにでそんなに苦しんでいるのかは知らないけど俺に助けられることならなんでもするよ。」

 

 北浜が唇をわなわなと震わせて俺の瞳をみつめる。そんな北浜の目からいきなりぶわりと涙が溢れてきた。慌てて制服の袖で拭きとろうとするも、まにあわない。

 

 目尻からこぼれ落ちる涙の雫はどんどんと大粒になり、ついに北浜は決壊したように俺の膝に顔を埋めて嗚咽をこぼし始めてしまった。

 

 その震える背中をそっと加納がさする。堰を切ったような北浜の大粒の涙はしばらくの間止む気配をみせなかった。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

「お見苦しいところをおみせして、申し訳ありませんでした……。ズボンをそんなに濡らしてしまってごめんなさい。」

 

 北浜の声はまだ弱弱しいままである。充血して赤くなった目をこすりながら、北浜は恥ずかしそうに俺から離れた。

 

「今度クリーニングに出そうって思ってたから問題ないよ。それよりも、もしもなにか吐き出してしまいたい悩みがあるんだったらもちろん聞くけど、どうかな。」

「いえ、これは僕の問題なので宮下さんを巻きこむわけにはいきません。」

 

 暗に野球部でのことを打ち明けてくれないかと俺が尋ねるも、北浜は力なく首を横にふった。野球部のことなどなにも知らない俺は北浜が打ち明けてくれない限り動くこともできない。

 

 ただ指をくわえることしかできない俺はなんと情けないのか。それでも、俺は作り笑いで北浜に語りかけた。

 

「そう、なにか他に役に立てることがあったら教えてね。」

「ありがとうございます。」

 

 北浜がほんのすこし明るい表情でほほ笑む。すこしは北浜の心の支えになれているのだろうか、俺は気がかりだった。

 

 そのまま北浜は壁にかかった時計をみつめて、口をぽかんと開けた。

 

「もう、こんな時間なんですか。」

 

 そういえばもうとっくのとうに太陽は遠くの山々の後ろに姿を隠している時間だ。窓の外は真っ暗で、天井からつるされた電灯にひきよせられて網戸のむこうには虫が集まっていた。

 

「どうしよう、もう食堂は閉まっちゃってるかもしれない。」

 

 自炊が基本の『キタクブ』と違って運動部は食堂で栄養に気配りされた特別な料理を食べることができる。

 

 だが、いくらなんでも二十四時間ずっと営業しているわけではないため、こんなに夜がふけた頃にはとっくのとうに閉まってしまっているだろう。

 

「ごめんなさい、今日はほんとうに迷惑をおかけしました。僕はここで失礼します。」

「まて、もう校門も閉じているが、いったいどこで夕食をとるつもりだ。」

 

 慌てて頭をさげた北浜が荷物をまとめて寮からたち去ろうと体を起こす。だが、そんな北浜に加納が問いを投げかけた。

 

 北浜が怪訝そうに立ち止まる。

 

「今日は我慢しようかと……。」

「宮下、こいつを帰すな。」

 

 北浜の言葉に眉をひそめた加納がすぐに廊下に姿を消す。困惑した俺と北浜が顔をみあわせていると、しばらくして大きな鍋をかかえてもどってきた。

 

「つくりおきしていた冷やし中華だ。食うぞ。」

 

 真っ白のままの英語の問題集のうえにドンと鍋をおき、加納が宣言する。目を見開いた北浜が手を振って遠慮しようとした。

 

「いえ、ほんとにそこまでしていただくわけにはいきません!」

「知らん、料理を作りすぎたわたしが勝手にご馳走するだけだ。食いきれなくて痛んでは困るから、逆に返ってもらうわけにはいかん。」

 

 北浜の抗議にまったく耳を貸さない加納がさっさと皿にとり分け始める。俺も便乗して冷蔵庫から豆腐のパックを取り出した。

 

「奇遇だね、ちょうどみっつほど豆腐があるから冷奴にして食べてしまおう。」

「宮下さんまで、なにを言ってるんですか!」

「それはいい。こんな熱帯夜に冷やし中華だけでは物足りないと思っていたところだ。」

 

 無理やりに北浜をちゃぶ台につかせる。加納がどこから取り出したのか、ラジオの電源を入れてニュースを流し始めた。

 

 ざあざあと雑音まじりに男のしゃがれた声がラジオから聞こえてくる。夕食の用意ができたところで俺たちは北浜をちゃぶ台に無理やりつかせた。

 

「いただきます。」

「い、いただきます。」

 

 俺たちにあわせて北浜がぎこちなく手をあわせる。『キタクブ』らしい簡素な夕食は、それでも話が弾んで賑やかなままに終わりを迎えた。

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