編入先の超名門校がすさまじいカースト社会だった件www 作:かきくけこ
民衆を扇動する巧みな弁舌について、薬師院は神に溺愛されていたといってもいい。俺は翌日の日刊政経を読んで、苦虫を噛み潰したような顔になるのをこらえられなかった。
小野は変わらず二十六票、そして俺は八票。
たった一日の演説で見事に薬師院は選挙の流れを真逆にしてみせた。
この学級での選挙の話題は、運動部ばかりで教室を顧みない小野から私怨で友人を選挙に出馬させる加納へと完全に焦点が移ってしまっている。
「やはりこの一年五組に振り分けられたのは実に幸運であります。こうも次々と特ダネが飛びこんでくるなど、錦の御旗がついているような心地でありますな。」
「稲荷、か……。」
日刊政経の一面を独占していたのは加納と小野との確執についての稲荷の記事だった。もちろん全て薬師院の語った通りの筋書きとなっている。
「おっと、小官を恨んでもらっても困るでありますよ。日刊政経のモットーは売上よりもセンセーション、どちらにも肩入れせずにただ読者の好奇心を満たすだけであります。」
「うん、そうだね。ごめん。」
稲荷はそもそも記者だ、誰かの都合のいいように記事を書くなんてそんなことを期待するほうが間違っている。
だが、残念なことにこの新聞は学院中で購読されていて、学院の世論に強大な影響力を持っている。つまり加納についての醜聞は知れ渡ってしまっているということだった。
「それでは、小官はくだんの加納殿の件についてさらに深堀りしなければならないのです。宮下殿も残り少ない選挙戦のご健闘を祈っているでありますよ。」
授業の始まりを告げる鐘に、稲荷が今にも踊り出しそうな足どりで席につく。俺は討論会からずっと顔をみていない加納の空席をぼんやりと眺めた。
投票日までもうあと四日しかない。この悪評をなんとかできるだろうか、退学が頭にちらついてしかたがない俺は授業にまったく集中できなかった。
◆◆◆◆◆
「俺、やっぱりみやっちに票はいれらんねぇわ。」
放課後、にわか雨を校舎の玄関からみつめていると星川に呼び止められる。夏の高い湿度がべっとりと肌にまとわりついてきて気持ち悪い。
星川は怒りと悲しみがぐちゃぐちゃになったような顔で頭をさげた。
「吹部で返しきれねぇほどの恩があるのはわかってる、でも加納がいる限り投票は無理だ。」
そういえば、星川は軽音楽部のとり潰しのことで加納との間に溝がある。横領が冤罪だと知らない星川にしてみれば、加納は小野に負けずとも劣らないにっくき宿敵なのだろう。
「みやっち、悪いことはいわねぇからあの横領野郎と手をきれ。友達だからってあいつに騙されて一緒にいたらみやっちは退学しちまう!」
星川に肩を掴まれて揺さぶられる。俺を説得しようとする星川の真剣な言葉が耳を入ってはそのまま反対側からすり抜けていった。
加納を見捨てる? 頭がガンガンと痛い。
「加納に騙されちゃいけねぇ、あいつもとどのつまりはほかの学級委員どもとまったく変わんねぇ最低のクズ野郎なんだよ! 離れろ、そうすれば俺もみやっちに票を入れていい!」
「……るさい。」
「え?」
星川が信じられない言葉を耳にしたように後ずさる。加納と過ごしてきた日々の記憶が脳裏を駆け巡る。頭の中にとめどない考えが次々と飛び出してきて言葉がまとまらない。
「うるさい、うるさい、うるさいなぁ!」
「わ、悪かったからみやっちは落ち着いてくれ。」
口からはわけのわからないむき出しの感情ばかりが吐きだされていく。星川がうろたえるも、一度堰をきって溢れだした思いは怒涛の流れとなってとどまるところを知らない。
「あいつみたいにうまくいかないことなんて俺が一番わかってる、わかってるよ! だから黙っていてよ!」
なにも知らない、なにも悪くないはずの星川にむき出しの激情をぶつけてしまう。あっけにとられている星川をあとにして俺は大粒の雨のなかに飛び出した。
◆◆◆◆◆
雨のせいか人気のない学院をひとり駆けていく。やがて息が切れた俺は膝に手をついて立ち止まった。
濡れた髪からしたたり落ちる水滴が憎たらしい。水たまりにうかぶ自分の顔をじっとみつめていると頭上に影がさした。
「こんな風に雨にうたれていると、風邪をひいてしまいますよ。」
聞き慣れた声が耳を撫でる。いつものようにかすかに口の端を持ちあげている薬師院が俺に傘をさしだしていた。
もう俺には驚くほどの力も残されていない。傍によりそってくる薬師院を拒むことなどできるはずもなかった。
「俺をこんなに追い詰めた人にしては、やけに優しいね。」
「それはすみません。」
とり繕う余裕などとっくに剥がれ落ちた俺は嫌味たっぷりに薬師院に応える。どうしてか笑みを深めた薬師院は近くのベンチを指さした。
「すこし、ふたりだけで話をしませんか。」
濡れたベンチにも躊躇せずに、薬師院が腰をおろす。その紺色のスカートはみるみるうちに濡れてより暗い色に染められていった。
「あと選挙の投票日まで四日ですね。ここから逆転する秘策は思いあたりましたか?」
「いいや、まったく。薬師院はほんとにすごいよ、俺は完全に詰んでしまったな。」
心にもない返事をする。俺は心の中で自分のことを嘲った、こんな張りぼての嘘なんて薬師院にはすぐに見抜かれてしまうだろう。
「嘘ですね。もう口にする必要もないと思いますが、宮下さんもどうすればこの窮地から抜け出せるかよく知っているでしょう。」
薬師院がすぐさま俺の言葉を否定する。俺は曇天の空をみあげた。
そうだ、俺は知っている。どうすれば今の俺にまとわりついている悪評をたちどころに吹き飛ばせるかを知っている。
「かつて市議の一家を心中させた時と同じですよ。友人など所詮は赤の他人、いかようにでもできるでしょう。」
そう薬師院が悪魔のように囁いた。薬師院にうながされて俺はとっくのとうに気がついていた解決策を口にする。
「加納を貶せばいい。加納に騙されて選挙に出てしまったと、だから俺は被害者なんだと、そう嘘をついて加納を捨てれば離れてしまった支持者も納得するだろうね。」
星川に問いつめられた時には既にそんなことぐらい思いついていた。
今は良くも悪くも非難のほぼ全ては加納にむけられている。だからその加納さえ切り捨ててしまえばなんの問題もなくなる。
簡単なことだ、このまま教室に踵を返して同級生たちのまえで加納を高らかに糾弾するだけで支持者の数がもとにもどり、俺は退学せずにすむのだ。
加納も選挙活動を台無しにしてしまったと自責に駆られて俺に票を入れてくれるだろう。まったくもって完璧な戦略だ。
「そうです、まったくもってそのとおりなのです。なのに、宮下さんはどうして躊躇うのですか?」
薬師院が優しい手つきで俺の冷えきった頬をなでた。俺の顔を覗きこむ薬師院の瞳は珍しく真剣な色を帯びている。
「宮下さんはわたしと同類、目的のためならば誰であろうと見捨てられる人間だと信じています。ならばどうして悩んでしまうのです。加納さんを罵倒し、そしり、罵りなさい。」
「……そうだね。」
長考の末に、俺はやっとのことで肯定の言葉を捻り出すことができた。薬師院がほっとしたように笑顔をうかべる。
「よかった。安心いたしました。」
薬師院が懐からもうひとつ折り畳みの傘をとりだした。そしてベンチに座りこむ俺の手に無理やり傘を握らせる。
「今の宮下さんには敵などいないでしょう、小野さんも、それこそわたしですらも敵いはしない。今度会うことになるのは学級委員会の場でしょうか。」
そううそぶいた薬師院がたち去っていく。それからしばらくして、俺は泥のように重い体をひきずって校舎へともどっていった。