編入先の超名門校がすさまじいカースト社会だった件www   作:かきくけこ

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閑話 とある重鎮の怯懦

 夜になっても障子のむこうからセミの鳴き声が聞こえてくる。すっかり夏になって蒸し暑い庭と違って涼しい料亭の座敷に、小野の姿はあった。

 

 小野の額をたらりと汗が流れる。顔色をすこしも変えずに刺身を口にしている薬師院が、恐ろしくて恐ろしくてしかたがなかった。

 

「小野はん、こんな醜態はこれっきりにしてほしいなあ。『火曜会』の重鎮が応援演説に出られないどころか生徒会長はんの手借りるとか悪い冗談やでぇ。」

 

 坊主頭の生徒がため息をつきながら、小野の頭をこづく。土下座している小野は頭をさらにさげて額を畳にこすりつけた。

 

「そこまでにしてあげてください、立山さん。小野さんとて頑張っていらっしゃるのですから。」

 

 咀嚼したマグロを嚥下し、薬師院が柔らかな声で立川という少年をたしなめる。立川は獰猛な笑みをうかべて薬師院にこびへつらった。

 

「生徒会長はんは優しうてえらいわ。もしこれが野球部の奴やったら俺、どないなってしまうかわからん。」

 

 立山は野球部の部長であり、運動部連合の会長である。つまりは『火曜会』の屋台骨を支える運動部のとりまとめ役であり、中学校からの小野の後援者でもあった。

 

 小野が恐る恐るといった風に尋ねる。

 

「野球部の二十五人は確実に僕に票を入れてくださるのでしょうか。」

「それは安心せい、締めつけは厳しうしてったわ。もしも誰か裏切ったら、高校一年全員を雑用にしちゃるって怒鳴り散らしてきたで。」

 

 小野の問いかけにつまらなさそうに顔をしかめた立山が、手もとのビールのジョッキを飲み干す。明らかな未成年飲酒を咎めようとする人間は、ここにはいない。

 

「つまりは小野はんの当選は間違いなしっちゅうわけや。ずいぶんと骨折れたで、もしも小野はんが野球場作るために選挙に出とらんかったら見捨てとったわ。」

 

 ゲラゲラと立山が下品な笑い声をあげる。立山の軽口に小野は顔を青ざめさせた。

 

「その節はお世話になりました。小野さんも立山さんにお礼をもうしあげなさい。」

「……誠にありがとうございました。この御恩は一生忘れません。」

 

 薬師院にうながされ、小野が立川にむかって頭をこすりつける。顔を赤らめた立山に勢いよく背中を叩かれた小野は、ふらふらとよろけた。

 

「もっと飯を食わんといかんで。そんなんやったらすぐに死んでまうからな。」

 

 すでに勝利を確信しているのか楽天的な立山と違って、小野は未だ顔が青いままだった。

 

「ん? 小野はん大丈夫か、これでも飲んどくか?」

 

 さしだされたビールを断りながら、小野は憎き敵のことを思い浮かべる。

 

 宮下、葵。学院のことをまったく知らない編入生にもかかわらず独力で一票差まで追いついた怪物。気がつけばみるみるうちに支持者が増えていた悪夢が、未だに小野の脳裏をよぎる。

 

 薬師院の手助けがなければ、間違いなくそのまま敗北していた。立山の援護も意味をなさなかっただろう。今でも小野は宮下のことが恐ろしくて夜も眠れなかった。

 

 落選、そして退学。

 

 今まで何度も敵対する生徒を追いやってきた勝利の方程式が、小野に牙をむく。その可能性を考えるだけで背筋に寒いものが走る。

 

 気がつけば小野は口を開いていた。

 

「その、落選すれば退学という校則を見直すのはどうでしょう。」

「は? なに藪から棒に言い出すんや。」

 

 すっかり酔いのまわっている立山が、寝転びながら怪訝そうに小野をみつめる。薬師院はかすかに笑ったままだ。

 

「いえ、そのもしも『火曜会』の重鎮が落選するなどということが起きたとしても、ふたたび復活できるような仕組みを用意しておいたほうがよろしいのではないかと考えただけです。」

「小野はん、肝が冷えてえらい臆病になったのぉ! 安心せい、絶対に当選するわ!」

 

 頭の中で鳴りやまない落選への恐怖で饒舌になった小野を立山が笑い飛ばす。なにが面白いのかずっと笑い続ける立山は、ふと鳥肌がたっていることに気がついた。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 薬師院が、冷たく笑っている。

 

「あ、ああ、あああああっ。」

 

 まるで獅子に睨まれた猫のように、小野が恐怖に駆られて後ずさっていった。その顔は真っ青を通り過ぎて白一色になっている。

 

「面白いことをおっしゃいますね、小野さん。でもそれにわたしは断固として反対です。」

 

 先ほどまで赤ら顔だった立山は体が震えて止まらない。普段は主張が強いとはいえない薬師院がはっきりと反対と言い切ることが指し示す意味は明白である。

 

 小野は越えてはならない一線を越えてしまったのだ。

 

「すこしだけ、わたしの信念というものを語ってもよろしいでしょうか。」

 

 小野も立山も首を勢いよくふる。にっこりとほほ笑んだ薬師院が、じわりじわりと小野へ近づいていった。

 

「わたしは、民主主義を愛しています。なぜなら、多様な思想が争って淘汰を重ねることで集団が繫栄すると信じているからです。では、そこにおける政治家の役割とはなんでしょうか。」

 

 まるで出来の悪い生徒を相手にしているかのように優しく薬師院が小野に問いかける。その手が震える小野の頬にそえられた。

 

「……ひっ、わかりません。申し訳ございません、申し訳ございません!」

 

 可哀そうなほどに怯えた小野がひたすらに謝り続ける。薬師院は、はじめて笑顔を崩して残念そうにため息をついた。

 

「わかりませんか、困ったものですね。『火曜会』の重鎮の小野さんは、わたしと志を同じくしているのだと信じていたのですが。」

 

 小野がひたすら平身低頭につとめる。恥も外聞も捨てて、小野は今全身全霊で薬師院の許しを乞うていた。

 

「政治家の仕事というのは、選挙で勝つことです。」

 

 そんな小野の視線にあわせるようにしてしゃがんだ薬師院が、小野の耳もとで囁く。薬師院の真意を掴めない小野は媚びるように曖昧な笑顔をうかべた。

 

「選挙で負けるような政治家は政治家とは呼びません。勝利できなければ意味はないのです。」

 

 まるで呪いを流しこむように薬師院が言葉を続ける。小野が恐怖でひきつった表情をうかべても薬師院の艶やかな唇は止まることはなかった。

 

「わかりますか、勝たなければ小野さんは無価値なのです。人にも劣る、愚かですぐにでも死を選ばなければならない生物なのです。処分を退学にとどめるのは学生だから、それだけです。」

 

 絶望に染まった小野の頭に薬師院の思想が植えつけられていく。その一部始終を立山は座敷の端で震えながらみつめていた。

 

 薬師院が優しく囁く。

 

「小野さんが学級委員だというのならば、なにがなんでも勝ちなさい。勝利のほかは死あるのみなのだから。」

 

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