編入先の超名門校がすさまじいカースト社会だった件www 作:かきくけこ
運命の投票日は、あっけないほど簡単にやってきた。選挙活動の期間が終了して静かになった学院はまるでなんの変哲もない一日を切りとってきたかのようである。
放課後の教室を借りて執りおこなわれる投票は選挙管理委員会の厳粛な監視のもとにおかれ、不正が見逃されることはない。
いつも通っていた教室と同じ場所とは思えないほど荘厳な雰囲気に包まれた部屋に足を踏み入れる。選挙管理委員がポツポツと所々にたって俺の一挙手一投足に目を光らせていた。
投票用紙に記入するのにつかう机が並んでいる。そして、その奥にある教団の上に、はたしてそれはあった。
俺と小野の命運を定めるアルミ製の白銀の投票箱が鎮座している。
思わずゴクリとつばを飲みこんでしまう。この小さな箱がここ数か月の俺たちの努力を判じ、そしてこれから数年の俺たちの将来を言い渡すのだ。緊張でどうにかなってしまいそうだった。
そんな選挙の候補者の気持ちなど素知らぬように投票箱は静かに俺を見下ろしていた。
「こちらの投票用紙に投票なされる候補者の氏名をお書きください。」
委員の冷たい声にうながされて、震える手で淡い赤色の厚紙に宮下と名前を書きこむ。そして、教壇にあがって投票箱に票を投じた。
今すぐにでもこの投票箱をこじ開けて中を覗いてみたい気持ちに駆られる。俺がその欲望を抑えつけるのにはかなりの努力を必要とした。
選挙管理委員に見送られ、後ろ髪をひかれる思いで俺は教室を後にする。
集められた投票用紙は風紀委員会の警護のもと、分厚い金属の扉で隔てられた選挙本部で数えられることになっていた。結果は集計が終わり次第発表されるらしく、例年数日はかかる。
◆◆◆◆◆
残念なことに学生である俺たちには選挙のほかにも気にしなければならないことがある。すぐそこまで迫りくる期末試験のため、勉強を欠かすわけにはいかないのだ。
「おい、なぜread the airでは駄目なのだ。丁寧にひとつずつ単語を置き換えていったのだぞ。」
「空気を読むなんて慣用表現が直訳できるわけないでしょ……。」
あいかわらず加納は英語についてはポンコツで、赤点を回避できるかギリギリである。
冷房などあるはずもない寮の自室で扇風機に張りつきながら、俺は質問に答えていた。窓の外は深緑が眩しい。
最後の最後まで、俺は小野に世論調査で勝つことができなかった。選挙までで最後の日刊政経でも小野が二十六票で、俺が二十五票である。
なんとか薬師院との討論会の前まで回復したが、まだ小野まで一票届いていない。
俺を応援してくれている同級生の全員が投票したらしいものの、野球部の岩盤が崩せなければ勝利は不可能だ。俺は密かに退学を覚悟していた。
「宮下、どうかしたか。」
俺がなにやら考えこんでいることに気がついたのか、加納が顔をあげる。しばらくの沈黙の後、ぽつりと口を開いた。
「いいか、退学する時はわたしも同じだ。決してひとりだけに重荷を背負わせはせんぞ。」
察しのいい加納に、俺は苦笑いする。そして、先ほどから止まったままの加納の鉛筆を指さした。
「ほら、退学するにしたって英語は勉強しなきゃダメだよ。さっきから手が止まっているよ。」
俺の指摘に心底嫌そうに顔を歪めた加納が渋々鉛筆を握りなおす。
「英語など必要がないだろう、わたしはロンドンでもパリでもどこでだって日本語を話してやるぞ。やつらだって日本に旅行にきても英語なのだからお互い様だ……。」
ぶつくさとふてくされながら加納がノートに英文を書いていく。その時、開けっぱなしの扉からひとりの少年が飛びこんできた。
「お久しぶりです、宮下さん!」
「北浜?」
俺は予期せぬ来客に素っ頓狂な声をあげる。扉から現れたのは、元気いっぱいの北浜だった。
部長から締めつけをくらった北浜はもう勉強会に顔を出さないのではなかったか。そんな疑問が俺の頭に浮かんでくる。
それをみてとったのか、心なしか顔色が明るくなった北浜が満面の笑みで胸をはった。
「野球部を退部して、来ちゃいました!」
加納と俺とは言葉を失ってただひたすらに北浜を眺めることしかできなかった。
◆◆◆◆◆
「宮下さんにノートを貸してもらってから、ずっと考えてたんです。野球部ってこんなにいびられてもしがみつかなければいけないような価値があるのだろうかって。」
生き生きとした様子の北浜が目を輝かせている。恐らくは服などが入っているのであろう大きな鞄を床に置きながら、北浜はニコニコと笑顔をふりまいた。
「宮下さんがいつも僕のことを気にかけてくれてたのを思い出したら、なんだかくだらないことで悩んでいた気がしてきて、吹っ切れてしまいました!」
陽気に北浜がサムズアップをしてくる。
「というわけでこれから同じ『キタクブ』としてよろしくお願いします!」
信じられないことに、北浜は野球部を辞めてしまったらしい。あっけにとられていた加納がなにかに気がついたかのようにちゃぶ台に手をついて立ちあがった。
「それじゃ、もしかして宮下に投票したのか!」
「あたりまえじゃないですか、きちんと宮下さんに票を入れましたよ。」
北浜の言葉はまるで福音のように俺の頭を駆けずり回る。瞬間、頭の中を電撃が走って俺はまさかと目を見開いた。
野球部の生徒のひとりが俺に票を入れてくれた、それはつまりたったひとつのことを意味する。俺は飛びあがって結果が張り出されることになっている講堂へとむかおうとした。
その瞬間、また扉がバンと勢いよく開かれる。
「頼もう、宮下殿はここにいらっしゃいますか! インタビューを快諾して頂くまで小官は地の果てまでも追いかけていく所存であります!」
目が血走った稲荷が扉をつき破らんばかりの勢いで俺の部屋に襲来してきた。まるで猛獣のように殺気だっている稲荷に俺ははやる心臓をおさえて尋ねる。
「もしかして、俺が勝ったの?」
「もちろんであります! なぜ宮下殿が知らないのですか!」
稲荷が日刊政経をバッとみせてくる。その一面には正規の大番狂わせと題して、小野の敗北とまったくの無名候補だった俺が当選したことを伝える記事が載っていた。
その記事をまじまじとみつめて何度も読みこむ。講堂の立て看板で俺の名前の横に花飾りが貼りつけられている写真を目にして、ようやく俺は理解した。
勝った、勝ったんだ。
じわじわと現実に実感がわくにつれて胸から計りきれないほどの歓喜がこみあげてくる。喜びのあまり俺は脳が機能を停止したまま固まっている加納に飛びついた。
「加納、勝ったよ! 俺たち、あの学級委員の小野に勝ったんだ!」
「まさか、勝ったのか? 学級委員に勝てたのか?」
唇をわなわなと震わせた加納が目頭をそっとおさえる。それはずっと諦め続けてきた加納にとって初めての勝利だったのかもしれなかった。
「え、宮下さん知らなかったんですか。」
「天変地異、前代未聞、前人未到であります。『火曜会』の重鎮にして入学してからここまで全ての選挙で大差をつけて勝利を重ね不敗を誇ったあの小野殿が、編入生に敗北するなど!」
驚いたように北浜が俺をみつめ、ブツブツと狂ったように稲荷が独り言を呟いている。そんな混沌とした雰囲気にさらに乱入者が現れた。
「真面目くん、当選おめでとー! あたしびっくりしちゃったわ。」
「あの小野に一泡吹かせてやるなんてやっぱみやっちはすげえぜ! ほら、ふじっちもお祝いしときなって。」
三輪と星川、そして二人にひきずられるようにして藤森が顔を覗かせる。星川にうながされて渋々といった風に藤森が口を開いた。
「……おめでと。」
「ありがと、藤森たちが応援してくれたおかげだよ。」
俺は藤森の手をぶんぶんと振って心の底からの感謝をしめす。藤森たちがいなければ、同級生たちとの会話の糸口も掴めず、こうして勝つこともできなかっただろう。
「わっ、真面目くんめっちゃ作り置きしてんじゃん。まめだね~、将来はいい婿さんになるんじゃないの。」
すこし耳を赤くして顔をそむける藤森に苦笑していると、勝手に冷蔵庫の中を漁っていた三輪がタッパーに入った料理をつまみ食いしていた。
窓際では加納が北浜に涙を流しながら礼を口にしている。稲荷が星川に詰めよって根掘り葉掘り俺のことを聞き出そうとしていた。
入学した時は俺ひとりで静まり返っていた部屋が、気がつけば賑やかになっている。それだけで、俺は心の中がポカポカと暖かくなった。
◆◆◆◆◆
すうすうと寝息をたてている北浜のそばから皿を離していく。昼間のどんちゃん騒ぎですっかり散らかったちゃぶ台を俺はゆっくりと片づけていった。
勝利の一報が転がりこんできた後、俺たちは大騒ぎで勝利の喜びをわかちあった。
取材料と称して稲荷が買いこんできてくれた駄菓子を囲んで、みんなで笑いあう。途中で藤森たちが楽器を持ちこんで即席の演奏会までしてくれた。
だが、藤森たちも稲荷ももう帰ってしまった。すっかり暗くなった窓の外では満月がゆったりと揺蕩っている。
「勝ったんだな、わたしたちは。」
たくさん転がっているグラスを俺が洗っていると、ふと加納がぽつりと言葉をこぼした。
「そうだね。」
水で洗剤を洗い流して、俺は加納の隣に腰かける。夜風を浴びる加納は今までにみたことのないほど柔らかなものだった。
「お前が教室に足を踏み入れた時は、まさかこんな未来が待っているなどとは考えもしなかった。諦めきっていたわたしを導いてこんな景色をみせてくれるなど夢にも思っていなかった。」
「そうだね。声をかけて無視されるなんてこと初めてだったから、よく覚えてるよ。」
俺は出会った時のよそよそしい加納の姿を思い出して忍び笑いをしてしまう。恥ずかしさを誤魔化すように咳ばらいをした加納が、俺の肩に頭をもたれかけさせた。
「ありがとう、ほんとうにありがとう。諦めていたわたしに手をさしのばしてくれて、学院と戦う勇気を教えてくれて、どんな時もそばにいてくれて。」
肩に加納のしっかりとした重みを感じる。それは加納からの揺るぎない信頼の証なのだろう。
「そんな、大袈裟だよ。加納が頑張ったから今があるんだ、僕が手伝えたことなんてほんのすこしだけだよ。」
こそばゆくてしかたがない。俺はもぞもぞと身動ぎした。
「宮下。」
「なに。」
「わたしの友達になってくれてありがとう。」
「……どういたしまして。」
短い夏の夜がふけていく。俺は学院に入学して初めて、心の底から幸せだと思った。
◆◆◆◆◆
「こんにちは、お久しぶりですね。」
選挙が終わって初めて薬師院とはちあわせたのは、くしくも最初に出会った時とまったく同じ坂道でのことだった。
「こんにちは。薬師院さんはお元気でしたか?」
「おかげさまで、なんの瑕疵もなく当選いたしました。これで来期の生徒会長は引き続きわたしが務めることになりますね。」
和傘をさして夏の厳しい陽ざしを防いでいる薬師院はいつも通りの薄っすらとした笑みを浮かべている。風の噂では薬師院は学級すべての票を集めて当選したそうだ。
総裁に就いている『火曜会』は学級委員会の過半数を維持するどころかその数をさらにのばしたらしい。この文句のつけようがない大勝利でますます薬師院の権勢は強まるだろう。
「それはよかったですね。学級委員会のことはなにも知らないので、頼らせてくれるとありがたいです。」
「そんなことでしたら喜んで。」
薬師院がコツリ、コツリと革靴の音を響かせて近づいてきた。
「それはそうと、すこし残念です。せっかくさしあげた案を無視されるとは思いもしていませんでした。宮下さんならわたしと同じ道を選んでくださると期待していましたが。」
どろりと、薬師院が甘い声で耳に毒を流しこんでくる。真夏なのにもかかわらず寒気に襲われた俺は、それでも言い返した。
「その節は申し訳ありません。でも俺は友達を見捨てるなんてことしたくなかったもので。」
薬師院をまっすぐにみつめる。まったく感情を映すことのない薬師院の漆黒の瞳は、やはりいっさい揺らがなかった。
「なかなか志は固いようですね。口惜しい思いは拭いきれませんが、それでもわたしは宮下さんの気持ちを尊重しましょう。」
薬師院がにっこりと笑ってまた歩き始める。
「それでは、また学生会館でお会いしましょう。さようなら。」
厳しい猛暑にしなびてしまっている木々の暗がりへとむかう薬師院。その背中に俺は思わず言葉をかけてしまった。
「薬師院がこれからもそうあり続けるのなら、いつか俺が正さなければいけないって、思ってる。」
薬師院の足どりが止まる。不気味なほどの沈黙の後、薬師院はいつもの微笑をたたえて振り返った。
「それは、光栄ですね。」
そうして俺と薬師院とは歩みを分かった。