編入先の超名門校がすさまじいカースト社会だった件www 作:かきくけこ
「……小野一太郎。お前がなぜここにいる。」
それはどこかサディスティックな色を帯びた声だった。それを耳にしたとたん、加納の顔から血の気がひいて強ばった。
入学した初日に俺が話しかけようとした少年が後ろにいた。背が低いこともあいまって、ともすれば中学生としか思えないような幼い顔つきをしている。
「君が宮下葵くんだね。遅くなったけれど政経学院への入学おめでとう、僕は小野小太郎、君の教室の学級委員を務めている。」
「こ、こちらこそよろしくお願いします……。」
親しげに近づいてきた小野はすかさず手を握ってきた。目を白黒させる俺に小野は爽やかな笑顔をみせる。
「話を続けようか。『キタクブ』の生徒は多くがかつて大きな過ちを犯した問題児ばかりでね、どこの部も入部をうけつけてくれないんだ。」
なにも知らない編入生を哀れむように小野は優しい声で俺に語りかけてくる。だが、ジロジロと執拗に加納を追いかけるその瞳は憐憫でなく嗜虐に染まりきっていた。
「この学院では『キタクブ』というだけで嫌悪される。もちろん『キタクブ』の大半はそれに値するのだけれど、時折君のような無辜の生徒がワリを食うのはいただけないものだ。」
小野は大袈裟に首を振って嘆いてみせた。残念ながら、その仕草はどこか芝居がかっている。
慰めるように俺の肩を叩いた小野はそのままその場でくるりと振りむいてみせた。
「はてさて、加納はこの可哀そうな編入生をいったいどうするつもりだったのかな。今さらコソ泥が利他の心に目覚めたなんて信じられないねぇ。」
加納に話しかけた小野の顔には嫌味たらしい笑みが貼りついている。うつむいた加納を煽るように小野が顔を覗きこんだ。
「コソ泥……?」
思わずこぼれてしまった俺の呟きに小野が嬉しそうに応える。
「ああ、そこのゴミはかつて生徒会で予算案をまとめる職に就いていたのだがね、よりにもよってその地位を濫用して数千万円もの大金を横領したんだよ。」
加納は唇を噛んでただひたすらにたちつくしている。
小野の言葉に俺は戸惑った。たった数日のつきあいと言われればそれまでであるが、加納が学院の金を着服したなんてことはにわかには信じられなかった。
確かに加納は愛想がないし冷たい口調である。だが、支持者への利益誘導にふける学級委員会を声を荒げて非難していた加納の印象とは真逆だ。
小野がため息をつく。
「しかも懐におさめた金のありかすらも白状しないときた。生徒会長が寛大にも不問にされたからよかったものの、警察沙汰になってもおかしくない大罪だよ。」
小野の言葉の真偽がわからない俺はそっと加納の瞳をうかがう。だが、加納は怯えたように肩を震わすと、俺から目をそらした。
「なんだい、なにか言い返してこないのか。つまらないな。」
まったく口を開かない加納にしびれをきらしたように小野が眉をひそめる。小野は加納への悪意をもう隠そうともしていなかった。
「それにしても、君も懲りないな。誰だっけ、君のせいで退学になったあの子。」
「っ、黙れ! よりにもよってお前がそのことを口にするな!」
ずっと黙りこくっていた加納が思わずといった風に声を荒げる。だが、すぐにしまったと言わんばかりに顔を青ざめさせて口を閉ざした。
「へぇ、あの時のことはたしかに耳に痛いだろうね。あの子は君にそそのかされて無駄死にしたようなものだ。流石に君も良心の呵責に苛まれるか。」
ようやく感情を露わにした加納に小野が満面の笑みをうかべる。加納が一瞬みせた動揺を小野は見逃さなかった。
「まったくあの時は驚いたよ。なんの支持母体もない『キタクブ』がこの僕に選挙を挑んできたんだからね。もちろんそんな泡沫候補なんて一蹴してやったけれども。」
「………。」
水を得た魚のように小野が加納にまくしたてる。加納の肩がわずかに震えているのを目にしては、話の中身はてんで理解できない俺でもどちらが窮しているかはみてとれた。
「最終的な得票率は一割にも満たなかったんだったっけ? 大敗を喫することを君も知っていたから友人に出馬させたんだろう?」
「……っ。」
「可哀そうだ、『キタクブ』とはいえ実に可哀そうだ。まさか親友に欺かれているとは思いもせず、最後まで友情を信じてこの学院を出ていくなんて悲劇というほかない。」
愉しげに口の端を吊りあげながら小野がまるで悪魔のように加納を責めたてる。加納のまなじりにかすかに光るものがあった。
「……めんなさい。」
耐えきれなくなったかのように加納が小さく呟く。恐らくは聴きとれているはずの小野はそれでも耳に手をあてて聞き返した。
「ん? なにか言ったかな?」
加納が蚊の鳴くような声を絞り出す。
「ごめんなさい、お願いですからもうその話はやめてください……。」
加納が涙目で口にしたのは降伏宣言だった。
◆◆◆◆◆
まるで許しを請うように加納が小野に頭を下げている。
教室中からのけ者にされても気にかけないあの凛とした少女と同じ人間だとはとても思えないほど弱りきった加納に、俺は心のどこかがざわめくのを覚えた。
まるで濡れそぼった野良犬のように打ちのめされている加納にようやく満足したのか、小野は加納から目を離す。そして晴れ晴れとした顔で俺にふりむいた。
「ふぅ、すっきりした。カスに身の程を知らしめるのはいつでも気分のいいものだね。日頃たまっていた鬱屈がはれるようだよ。」
幸いなことに小野は俺の笑みがぎこちないことには気がつかない。加納にむけていた悪意がすっかり拭いとられて、柔和な雰囲気をまとっていた。
「しかたがないとはいえ、君も不注意だったね。これからはこういう学院のゴミクズどもとは距離をとったほうがいい。そのほうが君の身のためだ。」
懐からとりだした手帳になにやら書きこんだ小野がそのページを破りとって渡してきた。みると、この紙切れの持ち主の身分を小野が保証する旨が書かれている。
「安心したまえ、それをもって話しにいけばどんな運動部でも君を迎え入れてくれるさ。もうこんな目にはあわない、ふかふかの寝台と心躍るような青春が君を待っている。」
小野の言葉はとても魅力的だった。
俺の帰りを待っているあのオンボロ寮のことを思い出す。吹きさらしの手洗いに破れたままの障子窓。誰も話しかけてくれない灰色の学生ライフ。
小野の言葉に従えばどうだろう。同じ部活の仲間に囲まれて快適な寮で毎日を楽しませてくれる、なんら文句などないはずだった。ここであの紙きれをうけとるだけでいい。
それでも胸につかえるものが俺を逡巡させる。
「なにをためらっているんだい? あの愚か者のことなら気にする価値もないよ、どうせあのままずっと『キタクブ』のまま惨めに暮らしていくのは決まったことだ。」
手をのばしたまま固まる俺を不審がったのか小野が笑顔をひっこめた。沈んだ瞳の加納にむかって吐き捨てるように罵る。加納はもうなにも言わない。
その姿を目にして、俺はもう心を決めていた。
◆◆◆◆◆
その手からするりと紙きれが抜きとられると、小野は深く頷く。
「うん、よく決断してくれた。それじゃ、そこのゴミ。もう君は宮下くんと関係のない下賤な身の上なのだからとっととどっかにいけ。」
小野がまるで害虫でも目にしたかのように手をふって加納を追いはらう。暗い目つきの加納は静かに小野の言葉に従った。
「入りたい部とか、希望はあるかい? 心配しなくてもいい、スポーツの経験がなくてもどの運動部も君のことを歓迎してくれるだろう。どうかな、僕は野球部なんかおすすめだね。」
加納の背が遠ざかっていく。俺は楽しげな小野の笑みをみつめた。
「ごめんなさい。」
俺の言葉に小野が首を傾げる。
「ん? どうして謝るんだ?」
俺は手のひらの紙きれを破り捨てた。