編入先の超名門校がすさまじいカースト社会だった件www 作:かきくけこ
梅雨に入ったのか、このごろ土砂降りが多い。そうなると困ったことがあった。
寮には風呂がない。学院は野晒しにされたドラム缶をそれだと主張していたが、大粒の雨が降りそそぐ今の季節は中庭で露天としゃれこむわけにもいかない。
ゆえに『キタクブ』は濡らした布で体を拭くか、もしくは銭湯にむかうほかなかった。
◆◆◆◆◆
黒々とした曇り空から落ちてきた雨粒が地面に叩きつけられる。すなわち今日のような日は銭湯ということだ。
傘をさした俺は校門へと続く坂道をゆっくりと歩く。むかいから黒塗りの車がエンジンの重低音を響かせながら走ってきた。
ビシャリ。
水たまりにつっこんだ車が泥をはねる。飛び散った泥水が狙いすましたように脇の歩道を歩いていた俺にかかった。
「しまったな……。」
離れていく黒の車の後ろ姿を眺めながら俺は頭をかかえる。肩にかけていた手提げ袋はずぶ濡れで、中に入っている着替えも全滅してしまっただろう。
車に気がついた時に水たまりから急いで離れるべきだった。自らの不用心を呪いながら、俺は寮に乾いた服をとりに帰ることにする。
通ったばかりの道をひき返していると、例の黒塗りの車がなぜか路肩にとまっていた。雨の恵みを浴びて青々と茂る木々のほかは近くになにもないというのに。
怪訝に思いながら俺がその脇を通り過ぎようとしたその時、ガチャリと車の扉が開いた。
「すみません、もしかしてこちらの車が水をはねてしまいませんでしたか?」
車の後ろから顔を出したのは一人の少女だった。身にまとうセーラー服から俺と同じ学院の生徒だとわかる。
決して光を逃がさない海の深みのような真っ黒な瞳がやけに目につく少女だった。その闇夜をくりぬいたような黒髪は短く切り揃えられている。
薬師院と名乗ったその少女が俺の姿を眺めて目を丸くした。
「ああ、手提げ袋まで濡れてしまっています。ほんとうになんと申し訳すればよいか……。とにかくお詫びをしなければなりません、お乗りください。」
薬師院はそう言って自らの隣を指さす。はねた水が人にかかったぐらいなのだから薬師院は大袈裟である、そう俺は困惑した。
「そんなに気にしなくていいですよ。中にはたいしたものは入っていませんから。」
「お乗りください。」
俺の断りが聞こえなかったかのように薬師院が同じ言葉を繰り返す。
「お乗りください。」
俺を覗きこむ真っ黒な瞳はすこしも揺らぐところがなかった。
こちらが頭を振らない限り埒があかないと悟った俺は恐る恐る車に乗りこむ。革張りの座席の不思議な感覚に目を白黒させていると、まるで俺を逃さないとばかりに扉が閉まった。
「料亭、淡路までよろしく願います。」
先ほどまでの柔らかなものとはまったく違う冷たい声で薬師院が運転手に命令する。
お詫びというがその淡路とやらはいったいどこのことなのか。そんな疑問の声を俺が挟む間もなく黒塗りの車は静かに走り出した。
◆◆◆◆◆
灰色の雲の下、立派な数寄屋造りの屋敷がみえてくる。淡路というのは、かつて加納が教えてくれた日本庭園の奥にあるという格式高い料亭のことのようだった。
どっしりとした雨粒が色鮮やかな着物を濡らしていくのも気にせず、料亭の人々がずらりと頭を下げて車を待っている。車がそのすぐそばに滑りこんだ。
「薬師院様、お待ちしておりました。」
薬師院が車を降りるとすぐに傘がさしかけられる。
不気味なほどのもてなしにも薬師院は眉ひとつ動かさかった。まるでかしずかれることなど自明であるかのように優雅に振る舞う。
なんだ、これは。
日々安売りの菓子パンを頬張っていた校舎のすぐそばで繰り広げられる異様な光景に、俺は神隠しにあったかのような目眩を覚えた。
車の中で固まったままの俺を薬師院が静かに眺める。
「どうしました、つきましたよ。」
俺はびしょ濡れの私服にさっと視線をおろした。今日は休日だったからお世辞にもきちんとした格好をしているとは言い難い。
「えっと、でも俺はこんな料亭には場違いというか……。」
料亭の漂わせる高級な香りに気圧された俺はなんとか薬師院の招きを断ろうと試みる。しかし、あの薬師院の黒い瞳に逆らうことなどできるはずもなく、俺はまた頷かざるを得なかった。
◆◆◆◆◆
障子のかすかな隙間から見事な松の木がみえる。通された座敷で俺はただひたすらに体を縮こまらせていた。
お品書きはいったいどこにあるのか。料亭に足を踏み入れてから一度も料理の値段を目にしていないことに顔が青ざめる。万札など持っているはずがない。
「これはお詫びなのですからそう畏まられるとむしろ困ってしまいます。もちろんお代はこちらで持ちます、どうぞゆるりとお寛ぎください。」
俺が気もそぞろであることを見抜いたのか、薬師院がうっすらとした笑みを貼りつける。座卓のむかいで薬師院は惚れ惚れするほど美しい正座をしていた。
色鮮やかな器に盛られて懐石が並べられる。薬師院にうながされて俺は恐る恐る箸をのばした。
カチャカチャと食器と箸がぶつかる音のほかは、二人きりの和室に聞こえるのは途切れ途切れの世間話だけである。あまりの気まずさに俺は初めて刺身を不味く感じた。
「そうですか、宮下さんは編入生なのですか。学生寮での暮らしはお辛いでしょう。」
「は、はい。」
薬師院の声は平坦で感情をまったく感じさせない。俺はまるでマネキンとでも話をしているかのような気持ちになった。
いったい何度目だろうか、ひしひしと体を蝕むような沈黙が支配する。その静けさに耐えきれなくなった俺はずっと気になっていたことを口にした。
「その、変な質問で申し訳ないんですけど、薬師院さんってどういう人なんですか。」
「どういう人、とは。」
音声を認識しなかった機械のように薬師院が聞き返してくる。詮索を責められている気がして俺はしどろもどろになった。
「運転手つきの車に乗っていたりこんな料亭に連れてきてくれたり、あまり普通の学生とは思えなくて……。」
「ああ、そうですか。知りませんでしたか。」
食事を終えた薬師院がことりと箸をおく。
「わたしはこの学院の生徒会長です。ですから、確かに普通の学生ではありませんね。」
「生徒会長……。」
薬師院はまるで他人事のような口調だった。噂話でもしているかのように俺に説明する。
「そう、学院の生徒会長です。一般的に学級委員会の最大派閥の領袖たる学級委員が指名されるため、学院で最も大きな権力をもっている人間と言えるかもしれませんね。」
薬師院が生徒会長であること。その意味を理解するのに俺の鈍い頭はいくぶんかかかった。
薬師院が今の学級委員会の多数派に属するということは、薬師院は運動部に便宜を図って票を固めている生徒のひとりというわけである。
しかもその指導者となれば、あの小野よりもはるかに権威があるのだろう。つまりは、薬師院は『キタクブ』の惨めな境遇の元凶といっても過言ではなかった。
あの半ば廃墟である寮と、この贅を尽くした料亭との違いはあまりにもむごい。
「その、薬師院さんは『キタクブ』の人たちについてどう思っているんですか。」
気がつけば俺は『キタクブ』のことを話題にあげていた。薬師院は首を傾げて答える。
「なんとも思っていませんよ、選挙において無視できるほどのわずかな票ですから、特別な感情を抱いたことはありません。」
薬師院の言葉に、俺の心がかすかにざわめく。加納たち『キタクブ』を学院の爪はじき者にしておきながら、薬師院はどこまでも無関心なようだった。
薬師院はといえば、俺の顔が強ばるのを目にしてなにやら考えている。しばらくして薬師院がふと思い出したように口を開いた。
「ああ、もしかして加納さんからなにか聞きましたか。」