編入先の超名門校がすさまじいカースト社会だった件www 作:かきくけこ
「それって、加納が横領をしたことですか。」
どうして薬師院が俺と加納の関係を知っているのか、まったく訳がわからない。俺の心を読んだかのような薬師院に恐怖して、俺の声色が跳ねた。
「違いますよ、わたしが加納さんに濡れ衣を着せて横領の犯罪者として糾弾したことです。」
淡々と薬師院は加納を『キタクブ』に追いやったのは己であると堂々と告白する。もはや俺は動揺を隠しきれなかった。
学級委員に逆らうのは無駄だと不遇から抜け出すことを諦めた加納の悲しげな笑みが脳裏をよぎる。
「っ、良心は痛まないんですか。」
「特には。結果として成功したというのなら、わたしの行いは正しかったのでしょう。」
薬師院の声にはいっさいの悔恨もこめられていない。太陽が東から昇るのと同じぐらい明白のことなのだと、そう言わんばかりであった。
俺はぞっと悪寒が背筋を走るのを覚えた。
薬師院の空虚な瞳の奥はどれほど凝視しても底がみえない。未だかつてこれほどまでに感情の抜け落ちた人間に俺は会ったことがなかった。
「もしかしてですが、宮下さんは加納さんに同情しているのですか。」
不思議そうに薬師院が尋ねる。
「それはそうでしょう。同情しない人のほうが少数派だと思いますよ。」
世間一般の倫理観があるのならば、冤罪を肯定するはずがない。というのに、薬師院は俺の答えに不満があるようだった。
「残念です、宮下くんはわたしの同類とばかり勘違いしていたものですから。」
青い畳の上に薬師院のため息がこぼれ落ちて消えていく。
ついさっき初めて知りあったばかりでどうして俺のことを理解できるというのか。それとも薬師院の言葉に頷いてくれると思えるほど俺は冷酷にみえたのだろうか。
心外だと俺は眉をひそめた。気が小さいところが目につくかもしれないが、俺はいたって普通の倫理観をもった人間だ。
◆◆◆◆◆
「あの議員を一家心中に誘った宮下くんならもしくは、というのは誤った考えだったのですね。」
陶器が散乱する。倒れた湯呑からこぼれた茶が床に飛び散った。
薬師院に馬乗りになった俺は、その白い首に手をかけている。俺に殺されかけていても薬師院の瞳は黒く濁ったままだった。
心が薬師院の首を絞めろと叫んでいる。俺があの事件に関わっていることを知る者を生かしてはおけない。なにがなんでも始末しなければ、あの約束を破ってしまう。
「わたしを殺すのは性急ですよ。せめて死体を処理する方法ぐらいは用意しておかなければすぐに警察に捕まってしまいます。」
薬師院の言葉は正しかった。今ここで薬師院を殺せば、確実に俺も道連れになる。
「そもそもわたしは口外するつもりはありませんよ。そうしたいのならわざわざ宮下さんと二人きりになるような愚を犯しませんから。」
そんなこと、信じられるものか。
この機を逃してふたたび薬師院の口封じをする時が訪れるとは限らない。なにより薬師院がこの一件を明らかにするだけで俺は終わりだ。
ぐっと指先に力をこめる。かひゅ、と薬師院の喉が鳴った。
「薬師院さま、なにやら物音がいたしましたがいかがなさいましたか。」
その瞬間、障子がかたりと音をたてて揺れた。白い和紙のむこうに人影がうっすらと浮かびあがる。薬師院が掠れた声をあげた。
「なにもありません。そもそも宮下さんと話している間は座敷に近づかないよう言いつけていたはずですが。」
「申し訳ございません。その旨、徹底させていただきます。」
ギシギシと足音が遠ざかっていく。すんでのところで首から手を離していた俺は薬師院の顔をじっとみつめた。
「ごほっ、これでひとまずは信じていただけましたか。」
どんな光も放たない漆黒のままの瞳で、薬師院が口もとを緩める。俺は無言で薬師院の上から退いた。
◆◆◆◆◆
薬師院が乱れた制服を整えている。その頬はなぜか紅潮していた。
「ああ、安心しました。やはり宮下さんはわたしと似ています。自らの目的を達成するためには他者がどうなろうとも厭わない、倫理に欠けた同類なのです。」
先ほどから薬師院の口もとは小さく弧を描いたままだ。心なしか上機嫌そうに薬師院はそっと首を撫でさすった。
薬師院の言葉はもう否定できない。なにが良心は痛まないのか、だ。俺の過去の所業を知る薬師院からしてみればとんだ皮肉にしか聞こえなかっただろう。
「どうやってあの事件のことを知った。」
自分でも声が固くなっていることに気がつく。そんな俺をみて薬師院はクスクスと笑った。
「どうやってもなにも、ただ単に調べただけですよ。」
「嘘をつけ。」
田舎の、それもたかが市議の家族が死んだことなど大した話題にもならなかったはずだ。それこそ薬師院が興味を抱いて調べてみようなどと思うような異常はどこにもない。
だというのに、薬師院は笑顔を崩さない。
「いいえ、虚偽ではございません。なにしろ宮下さんを合格させるかどうか決めたのはこのわたしなのですから、調べものぐらいはするでしょう。」
そういえば薬師院が生徒会長であることを失念していた。
加納によれば学級委員会は入学試験まで影響をもっているのだから、それを支配する薬師院が編入生の俺のことを知っていてもおかしくはない。
「宮下くんのことなら、わたしはなんでも知っていますよ。生年月日、ご家族の住所、健康診断の結果、などなど。入学試験の名目で調べられないことはあまりありませんから。」
得意げに俺の個人情報が筒抜けであることを語る薬師院。冷たい風がそっとうなじを撫で、嫌な脂汗が額を伝って滴り落ちた。
「そして、とある市議の賄賂の疑惑についてインターネット上で盛んに拡散していたことも、その市議の一家心中で当時の親友を亡くされたことも知っています。」
恐ろしい、薬師院が恐ろしくてたまらない。
薬師院は俺のことをなにもかも知っていて、あの事件と俺とのつながりにも気づいている。俺の生死は薬師院の胸三寸にかかっているも同然だった。
「いったい俺になにをさせたいんだ。」
「特段、なにも。宮下さんがこの学院にいてくれるだけで面白いことがありますから。わたしはそれだけでよいのです。」
にこやかにほほ笑んでいる薬師院の本心がまったくわからない。だから、体の震えがおさまらなかった。
「面白いことって、俺に学級委員に立候補しろとでもいうんですか。落選して退学するのが関の山ですよ。」
俺の言葉に薬師院がこてりと首を傾ける。
「そうですか、宮下さんはむいていると思うのですが。だって他人を貶めるのはお得意でしたでしょう?」
そう口にした薬師院はゆっくりとたちあがった。懐から黒い財布をとりだすと、無造作に札をひきぬき座卓の上におく。
「わたしはすこし用事があるので、申し訳ありませんがここで失礼させていただきます。わたしがいないほうが宮下さんも味を楽しめるでしょう。」
薬師院が障子を開ける。座敷の外ではあいかわらず大粒の雨が窓を叩いていて、せっかく鮮やかな青を咲かせている菖蒲の花も陰鬱にうつむいていた。
「なんにせよ、この学院にいて学級委員会から逃れることはできません。宮下さんもいつかはそのことを理解しますよ。」
障子が閉じられる寸前に、薬師院の声がやけにはっきりと聞こえた。
広い座敷に俺はとり残される。すっかり冷たくなった味噌汁をすする俺の耳には薬師院の不吉な言葉が何度もこだまして聞こえていた。