少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです
春は出会いと別れの季節と表現されるが、それは僕にとっても例外ではない。小学校卒業後の春休み。僕は母を事故で亡くした現実を受け入れられず酷く塞ぎ込んでいた。周囲の言葉がすべて綺麗事に聞こえて気分が悪くなり、怒りのまま物に当たってしまうことも少なくない日々。しかし、そんな永遠に感じる孤独の日々も長くは続かなかった。僕は中学校入学の日、突然の出会いで初恋を知ることになる。その人は新しい執事として雇われた女性で、僕の専属担当になったらしい。高校を卒業したばかりの彼女はとても大人びて見えて、一人っ子の僕にとっては姉ができたような感覚だった。透き通るような銀髪に澄んだ瞳と穏やかで優しい声、頬を伝う涙を拭おうとそっと伸ばされ触れた手の温もり。一目惚れだった。思春期と反抗期を迎えたばかりの僕にとって、まだ知らないその感情はあまりに複雑で、小さな頃に憧れてこっそり口に含んだお酒の味みたいだったのを覚えている。あれから八年。今年もまた新しい春が出会いと別れを連れて来る。まだ少し冷たい風と暖かな陽射しに何かが変わるような、そんな予感がした。
「
優しい声のする方へ顔を向けながらまだ重たい瞼を擦り、ゆっくりと目を開けると、そこにはカーテンを束ねて窓を開けている凛咲がいた。短く切り揃えられた綺麗な銀髪、耳元にはシンプルで可愛らしいイヤリング。しっかりと着こなされた燕尾服がよく似合っている。
「おはよう、
「おはようございます、朝食の準備ができていますよ」
小さく頷き返事をすると凛咲は部屋を出てくれる。僕は転がったままパジャマを脱ぎゆったりとした私服に着替えてベッドから立つ。廊下に出ると既に美味しそうな香りが漂ってきているが、すぐにでも食べたい気持ちを堪えて洗面所に向かい顔を洗って歯を磨く。それからリビングのテーブルに向かうと美味しそうな朝食が並べられていた。今日は白米に味噌汁とサバの味噌煮、卵焼きと白菜の漬物で完璧な和食になっている。いつも朝早くに起きて美味しいご飯を作ってくれる凛咲には感謝してもしきれない。しっかりと手を合わせていただきますを言葉にする。朝の空腹に味噌汁が染み渡り、甘い卵焼きを口に運べば、最高に幸せな気分だ。続けて白米とサバの味噌煮もゆっくりと食べ進めて味わう。しばらくして食べ終えてから凛咲の方を見てもう一度手を合わせる。
「美味しかった、ごちそうさま」
「良かったです」
そう言って凛咲は優しく微笑み、すぐに食器を片付け始める。彼女の所作には執事としての染み付いたキレがあり、とても優雅でかっこよく見える。僕はそんな姿を見るのが大好きだ。だけどそれでも、二人きりの時間だからこそもっと気楽に過ごして欲しいとも思う。
「もっと楽な格好でも大丈夫なんだよ?他に誰か見てるわけでもないから」
「そういうわけにはいきません、私は執事ですから」
凛咲はさらに言葉を続ける。
「それに、やっぱり仕事中はこの服装や立ち振る舞いが落ち着くんです」
「そっか、凛咲がそういうなら」
少し残念に思いながらも、僕はこういう時に凛咲の考えを尊重すると決めている。お茶を飲んでから席を立ち、自室に戻ろうかと考えていると、凛咲が何かを言いたげにしている。
「どうしたの?」
「いえ、これからはもっと、できるだけ気を張り過ぎずに生活しようと考えていました」
交わした言葉と合わせられた目線が少し照れくさくて、短くありがとうを伝えてから足早にリビングを出る。背後で凛咲が何か言った気がしたが、振り返らず自室に戻って出かける支度を始めることにした。
「私は既に充分、ありのまま気楽でいられてますよ」
自室の窓を開けると、満開に咲き誇る桜を鮮やかに舞い散らせる春風が優しく頬を撫でる。穏やかな陽光に少し目を細め、大きく深呼吸をすると自然と笑顔になっていた。きっと今年も春は出会いと別れを連れてくるのだろう。そうしていつか何かが変わるかもしれない。それでも凛咲と一緒に生きるかけがえのない今だけは、これからもずっと変わらないように。そんなささやかで贅沢な感情を心にそっと仕舞い、僕はいってきますを部屋に残した。
どうでしたか
少しでも次が気になると思ってもらえたら良いのですが
次回はキャラも増えますのでお楽しみに
また読んでもらえたら嬉しく思います
それではまた