プロセカの女の子たちと、ひたすら甘やかして甘やかされて溶かされる日常 作:雨風 時雨
窓の外では、鋭い冬の風が唸り声を上げ、街路樹の枯れ葉を無慈悲に舞い上げていた。
12月の夜。街はクリスマスを控えた浮ついた輝きに満ちているが、この6畳一間のリビングには、それとは無縁の穏やかで深い静寂が漂っている。
俺はソファに深く身を沈め、壁に掛けられた時計の針が刻む音をぼんやりと聞いていた。
カチ、カチ、カチ……。
一定のリズム。それはどこか、彼女が刻むメトロノームの音に似ている。
この部屋の主である俺は、もう1時間も前から、ある1人の少女の帰りを待っていた。
星乃一歌。
Leo/needのリードギターであり、この世界でたった1人の恋人。
彼女は今、目前に迫ったワンマンライブに向けた最終調整のため、スタジオで仲間たちと音をぶつけ合っているはずだ。
不意に、玄関の鍵が回る乾いた音が響いた。
「……ただいま。……遅くなっちゃって、ごめんね」
扉を開けて入ってきたのは、深い紺色の長い髪を揺らす一歌だった。
彼女の肩には、愛用のフェンダー・ストラトキャスターが収まった重そうなハードケースが食い込んでいる。
冬の冷気をその身に纏い、白い吐息を零しながら入ってきた彼女の顔には、隠しきれない疲労の色が濃く刻まれていた。
だが、俺の顔を見るなり、彼女の鋭く凛とした瞳は、一瞬にして春の陽だまりのような柔らかさに変わる。
「おかえり、一歌。今日もお疲れ様。……寒かっただろ」
「……うん。……でも、あなたの顔を見たら、なんだか急に温かくなった気がするわ」
一歌は重いギターケースを床に置くと、吸い寄せられるように俺の元へ歩み寄ってきた。
俺は立ち上がり、彼女の細い肩に手を置く。冷え切った彼女の体温が、指先を通じて伝わってきた。
彼女はそのまま、力なく俺の胸に頭を預けてきた。
「……ねえ。……1分だけでいいから、こうさせて」
「1分と言わず、何時間でもいいよ。……頑張ったな、一歌」
俺が彼女の背中に腕を回し、優しく抱きしめると、一歌は「ん……」と小さな声を漏らして、俺のシャツをきゅっと握りしめた。
彼女から香る、微かなスタジオの匂い。煙草の煙と機材の油が混ざったような、ストイックな音楽の現場の香り。それが、彼女が今日という1日を全力で戦い抜いてきた証拠だった。
一歌は俺の胸に顔を埋めたまま、くぐもった声で独白を始める。
「……今日はね。……どうしてもソロのフレーズが上手くいかなくて。……志歩に何度も指摘されて、咲希や穂波にも心配かけちゃって。……自分が情けなくて、何度も何度も同じところを弾き続けたの」
「一歌は真面目すぎるんだよ。……完璧を求めすぎて、自分を追い込みすぎじゃないか?」
「……かもしれないわね。……でも、私は、3人の音を……Leo/needの音楽を、一番いい形で届けたいの。……そのためには、私のギターが誰よりも強く、優しくなきゃいけないんだもの」
彼女の指先が、俺の背中で微かに震えている。
リードギタリストという重圧。幼馴染たちとの絆を音にするという、美しくも過酷な使命感。
俺は彼女を安心させるように、その紺色の髪をゆっくりと、慈しむように撫でた。
「……指、見せてごらん」
「……恥ずかしいわ。……女の子らしい手じゃないもの」
一歌は躊躇いながらも、俺の手の中に自分の手をそっと預けてきた。
白くて細い、けれど弦を抑え続けたことで硬いタコが幾つもできた、ギタリストの手。
特に左手の指先は、今日の猛練習のせいで赤く腫れ、熱を帯びていた。
俺は彼女をソファに座らせると、用意しておいた保湿クリームと、指先を休めるためのアイシング用品を取り出した。
一歌の隣に腰を下ろし、彼女の左手を俺の膝の上に乗せる。
「……一歌のこの手は、俺にとって、どんな宝石よりも綺麗で、尊い手だよ。……誰かを救うために、こんなに傷だらけになるまで頑張ったんだから」
「……、……そんな風に言ってくれるのは、……世界中であなただけよ」
一歌は俺の顔を、潤んだ瞳でじっと見つめていた。
俺は丁寧に、彼女の指先をマッサージしていく。
1本、1本。関節を解し、張っている筋肉を柔らかく捉える。
彼女の指先がピクリと跳ねるたびに、俺は「ごめん、痛いか?」と聞き、彼女は「……ううん、気持ちいいわ」と、とろけるような笑顔で返す。
「……ねえ。……なんだか、不思議。……あなたの大きな手が私の指に触れるたびに、……心の奥の強張りが、スッと消えていくのがわかるの。……一番効く、魔法の湿布みたい」
「なら、もっとたっぷり塗ってあげないとね」
「……ふふ。……欲張りになっちゃいそうだわ」
一歌は俺の肩に頭を乗せ、完全にリラックスした体勢で、俺のマッサージを受けていた。
部屋の明かりを少しだけ落とすと、2人を包む空気は、外の喧騒が嘘のように甘く、密やかなものへと変わっていく。
「……一歌」
「……なあに?」
「……ライブが終わったら、2人でゆっくりどこかに行こうか。……星が綺麗なところとか、一歌が行きたがってた楽器屋とか」
「……約束、だよ? ……あなたがいてくれるなら、私はどこへだって行ける。……あなたが私の隣にいてくれるから、私はステージで……独りじゃないって思えるの」
一歌は俺の手を自分の頬に引き寄せ、すりすりと擦り寄せた。
その仕草は、ステージでギターを掻き鳴らすクールな彼女からは想像もつかないほど、可愛らしく、そして依存に満ちていた。
彼女はゆっくりと起き上がると、俺の首に腕を回してきた。
至近距離で見つめ合う。
彼女の長い睫毛が震え、潤んだ瞳には俺の姿だけが映っている。
「……ねえ。……指だけじゃなくて、……唇も、……すごく冷えてるの。……暖めて、くれる?」
それは、一歌が絞り出した精一杯の、そして最大限の『甘え』だった。
俺は彼女の細い腰を引き寄せ、その桜色の唇に、ゆっくりと自分の唇を重ねた。
「……んっ、……あ、……ぁ……」
重なり合う、熱い吐息。
一歌の唇は、驚くほど柔らかく、けれど俺の愛を貪るように熱烈に応えてくる。
彼女は俺の首に回した手に力を込め、逃がさないというように強く、狂おしいほどきつく抱きしめてきた。
最初は、疲れを癒やすための清らかなキスだった。
けれど、一歌が喉の奥で「……んむ、……ぁ……」と切ない声を漏らした瞬間、彼女の中に秘められていた孤独と愛情が、一気に溢れ出した。
何度も、何度も角度を変えて唇を重ねる。
一歌の指が俺の髪を掻き乱し、彼女の吐息が俺の喉に流れ込んでくる。
「……んむ、……ふ、……あな、た……。……私……、……幸せすぎて、……ギターの弦を弾く力も、……なくなっちゃいそう……」
キスを終え、額を合わせたまま、一歌が熱っぽい吐息を漏らす。
その瞳は、もはや『凛々しいギタリスト』の面影など微塵もない、愛に溶けた1人の少女の顔だった。
「……ねえ。……今夜は、……このまま、……朝まで離さないで」
「……ああ。……一歌が嫌だって言っても、離さないよ」
「……ふふ。……嫌なんて、……言うわけないじゃない。……もっと、……私をあなた色に染めて……愛して」
一歌は俺の胸に顔を埋め、幸せを噛みしめるように深く、深く息を吐いた。
窓の外では、月が静かに夜を見守っている。
明日、彼女は再びLeo/needの星乃一歌として、眩い光の中に身を投じるだろう。
けれど、この夜の闇の中でだけは。
彼女は俺の腕に抱かれ、俺だけの甘い、不器用なリードギタリストに戻るのだ。
俺は、最愛の恋人の温もりを抱き締めながら、この穏やかな時間が永遠に続くことを、心から願っていた。
2人を包む空気は、どこまでも甘く、そして深い、愛の癒やしに満たされていた。
「……愛してるよ、一歌」
「……ええ。……私も。……愛してるわ、……私の、たった1人の……あなた」
最後に耳元で囁かれたその言葉は、夜の帳に溶けて、2人の永遠の約束となった。
お久しぶりです
またいつか