今回はベル視点、先生視点です
本来のバレンタインストーリーに生徒視点はありませんが、便利屋も出したかったので……
ワープ移動を駆使して情報を集め、リアルタイムのオペレーター業務にも慣れてから暫くの時が経った。
ある日は便利屋68の依頼に、ある日はシャーレの当番に従事し、『外』を巡って連中を殲滅したり、空いた時間にお菓子作りをしたり―――そんな平和と殺伐の反復横跳び著しい毎日を送るのにも慣れたとある日の事。
朝食を終え、食休みを挟んでいるみんなを背に食器を洗っている時に、ムツキがふと思い出したように問いを投げてきたのが始まりだった。
「そういえばさー、ベルちゃんってどんなの用意したの?」
「んー? 何の話よ?」
キュッ、と栓を捻って蛇口から出る水を止めて振り返ると、ソファの背凭れに乗っかった小悪魔な少女が笑って続けた。
「チョコだよ、チョコレート! 今日ってバレンタインでしょ? だから先生に渡すチョコはどんなの用意したのかなーって」
「ああ……バレンタインね」
言われ、壁に掛かっている日めくりカレンダーを見る。『2/14』とあるそれを見て目を眇めた。
まあ今日がその日である事は覚えていたのだけど。
「まだ用意してないわよ」
「……えっ!?」
サラリと答えると、想定していなかったとばかりにムツキが驚きの声を上げた。こちらの様子を伺っていた社長やカヨコ、ハルカも驚いて目を見開いている。
「用意してないってなんで?」
「まだって言う辺り、用意する気はあるんだね」
「もう当日だけど大丈夫なの?」
「このあと買いに行かれるのですか……?」
矢継ぎ早に投げられる問い。誰もが先生に渡そうと考えていた事は明白だった。
だからこそ、私は苦笑した。
「材料は買ってるから、あとは作るだけよ。ただ今日渡す気は無いだけ」
「どうしてよ?」
「…………」
アルからの問いに、私は苦笑のまま口を噤んだ。
―――私に今日渡す気が無いのは、先生は間違いなく大量のチョコを受け取る事になり、その処理に困るだろうと思ったから。
実際に今まで関わってきた生徒達は三桁を超える。その過半から受け取るともなれば、百個を超えるのだ。それを消費し切るのに幾日掛かるか定かではない。
ましてや『先生』である。ひとつひとつ味わおうとするに違いない。
当番の子が摘まめるようにと用意されたお菓子と違い、誠実さの観点から分ける事もしないだろう。捨てる事も。
だから日頃の感謝のチョコは日を置いて渡そうと決めていた。
……そこに、感謝の想いをサラリと流されるのではないか、という懸念が無いと言えば嘘になるが。
そしてこの理由をアル達に話さないのは、渡そうとする想いを躊躇わせたくないから。
私の論理を語れば、それを考えていなかっただろう彼女達の想いを貶す。
そんな事を、私は望まない。
それ故の無言。
「―――あのねぇ、ベル、あなたまた何か理由を付けて躊躇ってるでしょ」
そんな私に、アルが呆れたように―――いや、呆れを隠さないでそう言ってきた。
いきなりの言い様に固まっていると、はぁ、とカヨコもこれ見よがしにため息を吐く。
「なに考えてるかまでは知らないけどさ、多分今日渡さない方が面倒になると思うよ」
「え、えぇ? そうかしら……」
「そうだよー!」
カヨコの予想に当惑したところで、ムツキが同意の声を上げた。
「ベルちゃんのお菓子作りを提案したの先生なんだし、ちょくちょく差し入れもしてるんでしょ? なのにバレンタインにくれなかったってなったら先生は超引き摺ると思うなー」
呆れたような、それでいて
確かに……あの人ならそうなるかも、と思った。
わざわざ言いには来ないだろうけど記憶には残り続けそうだ。
「べ、ベル様のお菓子、美味しいですから……! 先生、いつも美味しいって言われてました! きっと喜んでくださると思います!」
「ああ、うん……感想は聞いてるのだけどね……」
話してないから分かる筈も無い渡さない理由を、ハルカは味に自信が無いからと考えたらしく、そう励まされる。
それに笑みが零れるも、旗色が悪い事には変わりない。
「とにかく! ベル、社長命令よ! 今日中にチョコを先生に渡すこと! 問題があったらその時は何とかするから
「…………わかったわ」
今日という機会。
一期一会の、一年において一度きりの機会。
―――私の世界では、それを迎えられなかった。
私の世界では、バレンタインを迎える前に死んだから。
その悔いは察していないだろうが、社長命令まで出されたとなれば仕方ないという体で私は冷蔵庫から材料を取り出し、急ぎチョコを作り始めた。
作るものは、とっくの昔に決めていた。
シャーレに出勤してから仕事をこなしていく中で、今まで会った生徒達が代わる代わるシャーレを訪れ、あるいは外回りの私を見かけては挨拶と共にチョコを贈ってくれた。
今日はバレンタイン。
お世話になった相手や親愛を向ける人に、想いと共にチョコレートを贈る特別な日だ。
彼女達が私を信じ、親愛を抱いてくれている事を喜びながら何百ものチョコをシャーレに持って帰り、諸々落ち着いてからその山を見て一言。
"これは3食チョコだらけになりそうだ……"
捨てるなんて選択肢はあり得ないけど、完食までの道のりが中々に遠いのは想像に難くない。
幾らかは純粋なチョコでないものもあるので痛む前に急がなければならず、そのためにも当座は三食分を全て貰ったチョコにするより他は無い。
しかしそれは栄養の偏りが……と頭を抱える。
それに甘いものは普通に好きだけどそればかりとなると流石に辛い。
とはいえ食べるより他はない。
そんな堂々巡りの思考をしつつ、仕事疲れで糖分を欲してもいるので早速頂いたチョコを食べる事にした。
ひとまず大きくて冷蔵庫に入れられないものから手を付けて、合間に別のチョコを挟む。
果物と掛け合わせた爽やかなものもあれば、可愛らしく見て楽しめるもの、スティック状になっていて食べやすいもの、主食やケーキに類するガッツリとしたものまで種々様々なチョコをゆっくりと味わいながら楽しんでいく。
「あらまぁ……凄いチョコの山ね」
そうやって一人でチョコの山に舌鼓を打っていると、とっぷりと陽も暮れてそろそろ寝ようかという時間にもかかわらず自分以外の声がした。
声の方を見ると、出入り口付近で私が机の上に積んでいるチョコの山を見て驚いているベルの姿があった。
"ベル? こんな時間にどうしたの?"
「あなたの事だから残業してるんじゃと思って手伝いに来たのだけど……終わっているようね?」
チラ、と事務作業の際に普段使っている席のPCの電源が落ちているのを見るベルに、私はふふん、と胸を張った。
"ふふふ、私だって学ぶのさ"
「それが三日坊主にならないことを願ってるわ」
"ぐぅっ"
私の威張りは一瞬の内に終わった。初期の頃にユウカに家計簿を付けられるようになってからも度々高額な買い物をしてはお説教されている身なので、自分があまり継続性に向いてない事は痛感していた。
そもそもベルに仕事関連で小言を言われるのも数えきれないほどになってきているし……
彼女の世界や他の世界の"先生"を見てきているから、私のこともよく理解しているんだろう。
"そ、それでベル、他に用はあるのかい?"
この手の話だと勝てる未来が見えないのでいつものように話を逸らす。
彼女も慣れたもので、ジト目を向けてくるものの、追及の言葉は嘆息の代わりに飲み込まれたようだった。息を吐いた後の彼女の表情は苦笑。
その視線は、テーブル上のチョコの山に向けられていた。
それにピンと来た私は、やや意外に思いながらも予想を投げてみた。
"もしかして、君もチョコを?"
「……ええ、まあね」
私の予想に、やや歯切れ悪いながらもベルは頷いた。
「あなたの事だから沢山貰っているだろうと日をずらそうと思っていたのだけど……アル達にどやされちゃってね。社長命令まで出されて……それで朝から慌てて作って、この時間になったのよ」
"なるほど"
便利屋の4人には既にチョコをそれぞれ貰っていたのだが、ベルからはまだだった。まだ信頼を得られていないのかなと思っていたが、私の現状を予想して遠慮しようとした結果だったらしい。
アル達が発破を掛ける様子を想起し、込み上げてくる笑いを噛み殺しながらベルに告げる。
"そういう気遣いはこれからもしなくて大丈夫だよ。作ってくれたのは素直に嬉しいし、貰えたらもっと嬉しいな"
「……はぁ。今にもチョコの山に潰されそうなのに笑顔でそれ言うの、考えなしなの? まったく」
そう苦言を呈するも、苦笑を絶やさないベルはそっと丁寧に包装された長方形の小箱を差し出してきた。
視線で開けていいかと問えば、恥ずかしそうにしながらもこくりと首肯。
許可も出たので包みを丁寧に開き、箱の蓋を開けると―――
"……これは、便利屋のエンブレムだね"
『便利屋68』が掲げるエンブレムを象った板チョコが2枚、隣り合わせに収められていた。
「ええ、そうよ。てっきりあの子達……特にアルなら会社のロゴチョコを贈ると思っていたのだけど、そうじゃなかったからね。私が作らせてもらったの」
"なるほどね"
アルからは高級チョコ、ムツキからはロシアンルーレットチョコ、カヨコからは『ブラック・デス・ポイズン』の限定シングルのおまけギフト、ハルカからはカカオ99.99%チョコを貰った。
どれも彼女達らしさが詰まった品々だ。
勿論便利屋の子達以外からも、それぞれの"らしさ"の詰まったチョコばかり。
彼女のこのチョコも同じだ。
"……片方は、君の『便利屋』の分だね"
1枚は、この世界の皆の―――皆との分。
もう1枚は、彼女が背負った『便利屋68』の分。
彼女が作り、背負った思い出の残滓。
「―――まったく。勘が良すぎるのも考えものね」
ふ、とベルは笑みを零した。疼痛を孕み、抑えようとするような苦い笑み。
私は労るように笑い掛けながら言葉を繋げた。
"以前言ったけど、君は思ったより顔に出る。勿論、態度にも"
「ふふ、そうだったわね……昔、よく素が出てるって言われた事を思い出すわ」
"君が"彼女達"の事を大切に想っている事も……すごく伝わってくるよ"
「……なら、嬉しいわ」
そう言って、彼女は微笑む。
透き通るような笑みだった。
「先生。今後とも―――
その言葉を言い終えるや否や彼女は踵を返し、私が何かを言うよりも先に空間に開いた黒い歪みの中へ消えてしまった。
初めからそこには誰も居なかったかのように、しん、と部屋が静まり返る。
それでも手元には、確かに1対のエンブレムチョコがある。四角の板チョコに、ホワイトチョコで描かれた便利屋のエンブレム。
丁寧に作られたそれを1枚摘まむ。
"……いただきます"
誰かに聞かれている訳ではないが、真摯な声音で告げて、口に運ぶ。
ほろりとした酸味のある苦味が広がり、舌を刺激する。次いで溶けたホワイトチョコのさわやかな甘味が、苦味を優しく包み込んでいった。
『便利屋68のエンブレムチョコ』
便利屋68のエンブレムに象られたチョコレート。
2枚で1組のチョコであり、1枚毎にベルの特別な想いが籠められている。