昨夜一瞬だけ展開分岐アンケートを出したのですが、すぐ消えたのは採択されなかった方に入れて下さった人が楽しめなくなるな……と思い、考えを改めたからです
一瞬の気の迷いです。忘れてください……
もし入れて下さった方がいましたら、混乱させてしまい申し訳ありませんでした
前半初のムツキ視点、後半ベル視点です
過去編を含むのでとても暗く、長いお話です
なお次話以降で晴らします
便利屋に並行世界のアルちゃんことベルちゃんが加入してから暫くが経過した。
彼女と私達の関係は良好だ。
任務で行動する時の連携もうまくやれていると思う。オペレーターの経験は無いらしいけど、各人への理解度が高いことと相手の思考の先読みにより、かなり高精度なオペレートをしてもらっている。
ちょっと先生の指揮に似てるなと思った。
「ベルちゃんのオペレートってさ、先生っぽい感じだね?」
「そう? 目標にしているからかしら。ああ、"あの人"の指揮で動く事が多かったからその影響もあるかもね」
晩御飯を待っている時、手持無沙汰だったのでキッチンに立つ彼女との雑談の中でその所感を伝えたら、そんな答えが返ってきた。
私達は社長のアルちゃんの散財だとか予想外の出来事で金欠になった時、先生から仕事を斡旋してもらって食い繋ぐことがある。彼女が来た日の翌日が正にそれ。
そういう時でも、アルちゃんは矜持故か、それ以上の迷惑を掛けたくないからか、先生の指揮を受けることはあんまり無い。
先生の指揮を受けずともやれる―――そういうせめてものプライドを示すための行動だ。
協業や先生からの依頼、ないし当番として普通に指揮を受ける事もあるけど、そういう時はアルちゃんにそれを受け容れるだけの余裕がある時だけ。金欠でただでさえ見栄を張れない時は決まって自分達でどうにかしようとする傾向があった。
多分本人は気付いてないけど。
そうやって頑張る姿を見るのが楽しみなので今後も伝える事は無いだろう。
―――ともあれ。
ベルちゃんのオペレートに先生の片鱗を感じたのは、安定志向の経営で余裕があったからなんだろう。
……多分、それだけじゃないんだろうけど。
「ベルちゃんってそんなに"先生"と協業しまくってたの?」
「しまくると言うほどではないと思うけれど……まあ、あなた達よりは確実に多いでしょうね」
「へ~」
これが私のある種の日課。
オペレーターとして参加したり、家事に従事しているベルちゃんと暇を見ては雑談することが、ちょっとした楽しみだった。
『
カヨコっちからは無線の時は傍受されたり回線を知られたりするリスクがあるからと注意されるけど、そこらの不良や傭兵が相手の時なら大目に見てくれる。
ハルカちゃんはそういう事を言ってこない。思ってるかも分からない。無線越しに聞こえるベルちゃんの声の方に集中している事の方が多いから。
アルちゃんもキッチリ仕事を終えた後なら殊更文句は言ってこない。
―――何だかんだ、みんな彼女の事を知りたがっているのだ。
陸八魔ベル。
異なるキヴォトスを生きた人。
生まれた時から未来を、破滅の可能性を知り、それを防ぐために走り続けた人。
……そして、全てを喪って尚。
哀しみに沈み、憎しみに焼かれ、自身を偽りと貶めて、それでも尚、歩みを止めないでいた人。
その過去の殆どを私達は知らない。
概ねこちらと同じ道筋を辿ったらしいけど、細部は違うはずだ。『知らずに動くこと』と『知ってて動くこと』での差異は少なくない。
知っていたからこその悲しみもあると思う。
それを、私達は知らない。
彼女は時折、静かに私達を見つめた後、柔和な視線と共に眼を伏せる事がある。網膜に焼き付いた光を、瞼の裏に焼き付け、記憶に残そうとするように。
それを見てしまっては―――聞こうにも、聞けなくて。
それでも、溜め込んだものを抱え続けるのは苦しい筈だから、私達は互いを見ない時に会話を交わす。
きっとその方が、彼女も話しやすいから。
長い年月とともに固く凍りついた堰も、緩むはず。
「ただ……そうね。『キヴォトス大乱』の記憶が強く残っているから、多分それのせいでしょうね」
ポツリとベルちゃんが零したそれを聞いた私は、アルちゃん達に目配せする。
アルちゃん達は揃って首を横に振った。私達の知らない事のようだった。
また一つ、彼女の過去を知る手がかりが掴めた。
「ベルちゃん。キヴォトス大乱って何のことか、聞いてもいい?」
「…………」
声音はいつも通りに。でも、少し落ち着いた調子で聞く。
返事はなく、沈黙が続いた。
……ちょっと踏み込み過ぎただろうか。
「……ご飯を食べてからにしましょう。お皿によそうから、運んでちょうだい」
しかし、少ししてから彼女から
少しだけ、彼女の心に余裕が戻ってきたという証だ。
それを嬉しく思いながら、私は言葉を返す。
「お腹が減ってると気分下がっちゃうもんね」
そう伝えてから3人を見る。
せっかく
私達はそれから食器を運んで、彼女が作ってくれた夕食を摂った。
―――数十分後。
諸々の後片付けを済ませて時間を確保した私達は、食休みのお茶を片手にベルちゃんから『キヴォトス大乱』について聞いていた。
「『キヴォトス大乱』は、赤い空が来なかった事で続いた一つの騒動よ」
「赤い空が関係してるの?」
「そうよ。以前みんなでシャーレに行った時、先生が誘拐された時の事を話したわよね」
「非常対策委員会のゴタゴタの原因でしょ? 流石に忘れられないよー」
危なっかしい人だとは思っていたけど、カイザーに捕まった事がある上でのザル警備となるとちょっとどうかと思うくらいなのだ。ヴァルキューレ警察学校もある地区といっても限度はある。そのヴァルキューレに変装した連中に誘拐されたとなれば、猶更独自の警備を付けるべきですらある。
今は日々の武力担当当番がそれを担ってるらしいけど……
ベルちゃんからは、武力担当は空いてるか兼任枠に回されている事が多いと聞いている。
その辺の諸々の根本となる事件なだけあり、私達の誰もその話は忘れていない。
「それと関係があるの?」
「ええ。この世界では赤い空が来たことで中断された騒動が発端だからね……当時、カイザーはサンクトゥムタワーを制圧し、連邦生徒会の役員達を捕縛して事実上の行政権を乗っ取った。このとき同時にシャーレのオフィスも占拠されたわ。シャーレの地下には行政権に関連するもの*1があったからよ」
「はぁ!? なんでそんなものが……」
彼女が語った内容に一番反応したのはカヨコちゃんだった。本船のオペレーターに起用されるくらいその辺の事に詳しいからこそ、あり得ない、という心情が前面に出ている。
シャーレの地下は、施設のほぼ全面的な開放がされているシャーレにおいては珍しく、原則として関係者以外の立ち入りが禁じられている場所だ。
何でだろうとは思いつつ、まあ連邦生徒会の直轄ならそういう場所もあるかと流していたが―――
思っていたよりとんでもないものが関わっているようで私もちょっと本気で驚いている。色々と詳しいカヨコちゃんは私以上だろう。
そんな彼女の驚愕と共に投げられた疑問に、ハルカちゃんを撫でながらベルちゃんは
「失踪中の連邦生徒会長が移設したらしいけど、意図までは知らないわ」
それがある理由はベルちゃんも知らないらしい。
隠しているのかもしれないが、疑うだけ無駄なので忘れる事にした。
「それで、こっちはその後に赤い空が来たって事だよね?」
「そうね。尾刃カンナ公安局長がカイザーの指示に逆らってシッテムの箱を奪取し、先生を救出。彼女はカイザーとの戦いの負傷が酷く、途中で残ったけれど……」
そこで、彼女の声が途絶える。
表情は歪んでいた。
―――公安局長という人は会った事は無いけど、聞いた事くらいはある。
たしか各地に落ちてきた虚妄のサンクトゥムタワーの攻略に際してシャーレ防衛で参加した人だ。『狂犬』の名で恐れられてる刑事であり、人望も厚いと聞いた事もある。
その人がどうかしたの、と問う前に続きが聞こえてきた。
「先生は七神リン行政官がシャーレに幽閉されている事を把握した後、生活安全局とSRTの子達と協力して救出。それを為した直後にプレナパテスが侵攻を開始。赤い空への変貌を受けてカイザーは作戦を中断し引き揚げ、先生が合流したことで非常対策委員会が本格始動した……後はあなた達も知っての通りよ」
「ふむふむ……なるほどね」
理解を進めながら頷く。
その後に虚妄のサンクトゥム攻略戦のために私達に声が掛かった訳だ。
事のあらましを聞いた私は、いよいよ核心に迫るための言葉を探し、口から発した。
「じゃあ赤い空が来なかったベルちゃんの世界では、その経緯が変わって、大乱が起きたんだ」
「ええ……」
短く、陰鬱めいた短い返答。
細く、長く、震えた吐息が聞こえた。
……予想はしていたけど、あまり良い話ではなさそうだ。
「私の世界は赤い空が訪れなかった結果、
そして、告げられた事実に思わず固まった。
……確かに、おかしな話じゃない。
サンクトゥムタワーを制圧したカイザーが何の理由もなくそれを手放すわけがない。赤い空は天変地異のそれで、各地に色彩に侵食された敵性存在が現れたから様子を見るために引いただけだ。
キヴォトスを統治する者になった時、赤い空に真っ先に対処する責任を負う事になる。
それから逃げるために返しただけ。
いつもの大人達のやり口をしたに過ぎない。
でも―――赤い空が来なかったのなら。
カイザーはサンクトゥムタワー制圧の作戦を続行する。中断する理由が無い。
「……それが、キヴォトス大乱の始まりなんだね」
ベルちゃんの左隣に座り、手を握り続けているカヨコちゃんが問いかける。
隣からの視線を見返しもせず、少し俯きながらベルちゃんは頷いた。
「ええ。対カイザー戦線……七神リンを保護したシャーレの先生率いる学園連合と、キヴォトスを企業都市として統治しようとするカイザーコーポレーションやそれにあやかろうとする悪徳企業からなる企業連合の大戦争。それがキヴォトス大乱の概要」
「ベルちゃんは、先生の方に付いたんだよね?」
「当然よ。『知識』無関係にカイザーなんてこっちから願い下げだわ」
「だよねぇ」
カイザーなんて大っ嫌いと言わんばかりに顔を顰めて吐き捨てる様に、けらけらと私は笑いを零した。
ほんの少し、表情の陰りも薄まった気がする。
……思い出させてる時点であまり意味は無いだろうけど。
哀しみに沈むよりはずっと良い。
「学園連合かぁ。不法企業の便利屋でも参加できたんだね?」
「忘れてるでしょうけど学籍持ちだからね。学園に帰属している以上、扱いは『生徒』だから立場もそれに依って扱われたのよ」
「あ、そういえばそうだったね」
「あのねぇ……」
すっかり忘れてたとおどけると、呆れた視線を向けられた。
当たり前のように感じるけれど、ゲヘナを離れて不法を働いている身で学籍を持ち、身分と信用を保証されて、口座を持てているのはかなりイレギュラーな事だ。
停学処分になっていない事もかなり異質な待遇である。
まあアルちゃんはトップだからか口座凍結処分を食らってるのだけど。
「つまりベルは、それで先生の指揮を間近に見る事が多かったということね」
「連合同士の戦いともなれば激しい争いになる。見る機会もそれだけ多かったと」
「まあ、そういう事よ」
アルちゃんとカヨコちゃんの総括に、ベルちゃんはこくりと頷いてお茶を啜った。これで話は終わりという事らしい。
―――でもベルちゃん、話してない事があるよね。
その言葉を、私はどうにか飲み込んだ。
彼女が語った内容は、たしかに私の疑問に答えている。
先生の指揮に似ている理由。参考にできるくらい、協業回数が多かった理由。その双方に納得いく説明はされた。『キヴォトス大乱』についても同じ。
もっと言えば、彼女がシャーレに行った時に見咎めた部分の根拠だって知れた。
私達は今回だけで彼女のことを幾つも知れたのだ。
それ以上を更に望み、話してもらうのは酷な事だ。
……赤い空が来なかった事で変わった未来で、彼女はこちらでは起きなかった何かを見たのは確実。
きっとそれには、名前を出す時に言い淀んでいた公安局長が関わっている。
カイザーに誘拐された先生を助け出し、負傷の末にその場に残った彼女は、多分そのままカイザーに捕まった。離脱出来るならそもそもその場に残らない。
そして―――『赤い空』という天変地異を契機に、歴史が分かれた。
こちらでは赤い空が来て、カイザーが撤退した。だから彼女は虚妄のサンクトゥム攻略に際してシャーレの防衛に参加できていた。
けれど―――
ベルちゃんの世界では、カイザーは撤退しなかった。
話に聞いた公安局長の行動は明確な利敵行為。企業連合における扱いは良くなかった筈だ。
それでいて、"先生"にとっては恩がある相手。
人質に使われた可能性は低くない。
多分、キヴォトス大乱はロクな結末を迎えてない。
学園連合と企業連合のどちらがどう戦い、勝ったのか、彼女は言わなかった。
それが何よりの答え。
だからこそ、シャーレのセキュリティにも意見を言っているんだと思う。"先生"が攫われなければ出なかった
勿論、悪いのはそもそも攫って利用したカイザーだけど……
「なるほどねぇ。色々知れてよかったよ。ありがとねベルちゃん」
「ええ」
言外にこれ以上は深堀りしない意図を含めたお礼に、察したのか分からないが彼女は薄く微笑んで、短く応じた。
―――元嚮導者だという彼女の"先生"は、これも知ってたのかな。
プレナパテスと呼ばれた異世界の"先生"の襲来のタイミングは、図ってのものだったのか。
私の幼馴染が未来の記憶を持っているか否かを除けば凡そ同じ流れを辿った筈だ。だからもしかしたら、あちらの世界でも……
……今ではもう分からないけれど。
たとえ偶然だとしても人知れず誰かを助けているのは先生らしいなと、私は笑みを零した。
眠った筈の意識が、浅い領域を彷徨っている。
立つ場所は朧気。
見ているのは幻影。
それでも―――確かに過去、あった出来事だ。
「企業連合、ですって……?」
知らない。そんなものは知らない。
七神リンがカイザーに囚われ、シャーレに幽閉された。しかし連邦生徒会長代行としての権限はそのまま。不信任案は提出されていなかった。
本来であれば、出されている筈なのに。
百合園セイアが"予知夢"と引き換えに色彩から受けたダメージから回復する際に見た最後の予知夢の警告を受け、更に先生自身も同様の夢を見た事で七神リンに相談。
後にキヴォトス上空に謎のエネルギー反応が発生した事を受けて非常対策委員会の発足を強行し、シャーレの先生を召喚したが行方不明―――その状況に陰謀を感じた財務室長主導の不信任案が、ゲヘナ、トリニティとの会議の後に突き出され、防衛室長とカイザーの企てによって幽閉される。
その流れがそもそも起きていなかった。
それでも先生や七神リンをはじめとした役員達は捕まり、カイザーはサンクトゥムタワーとシャーレを制圧した。
明確なズレ。
世界線の分岐。
それを悟った私の行動は自分でも速かったと思う。
全てが全く同じ過程を踏まなければならない訳ではない。『知識』を基にしつつも柔軟な対応を旨としていた私は、とにかく"先生"の保護を最優先にした。
極論"先生"が生きていればリカバリーは利く。
―――当時は、本気でそう考えていた。
誰か1人でも喪われれば終わりだというのに。
「局長が囚われの身になっていて……! 連邦生徒会の各役員も!」
"私を助ける時の負傷でカンナは捕まったんだ。私のせいだ……救出作戦を立てるよ"
「しかし局長も役員の方も幽閉されている場所が不明です!」
"私が何とかする。少し待ってて!"
シッテムの箱を用い、おそらく黒見セリカを探し出す時と同じセントラル・ネットワークへの潜入や、ミレニアムのヴェリタスと
公安局長から"先生"を託された生活安全局の生徒。
シャーレ奪還に際して駆け付けたRABBIT小隊。
人望に厚い公安局長を案じ、助け出すためならとカイザーからの指示を無視して駆け付けたヴァルキューレ達。
先生の協力要請により、サンクトゥムタワー奪還に集まった各地の有力生徒達。
「先生、今は猫の手も欲しいくらいでしょう? 私達も協力するわ」
"アル……有難いけれど、なぜ?"
「これは私の持論なのだけどね。秩序や体制は、未来を作り、幸福を分け与えられる善人が構築するべきよ」
"……君にとって、悪人って何だい?"
「未来を奪い、幸福を貪る者よ」
"……アウトローや悪を標榜している君は、どうなんだい?"
「愚問ね。だから、カイザーの未来を奪うために手を貸すわ」
"……物は言いようだね"
「建前って大事よ、実際。本心でもあるけどね」
そのやり取りと共に、私の"便利屋"もそこに参戦した。
先生率いる学園連合とカイザーの下に集まった企業連合との戦いはそうして始まり―――
血を血で洗う時代が始まった。
一線を越える。
言葉にすればとても簡潔だ。やっちゃいけない事、あってはならない事の端的な表現である。
それが起きた。
起きてしまった。
後に、監視カメラ等の記録によって彼女は最後まで足掻きに足掻いて、1人でも多くカイザーの兵を戦闘不能にしていた事が明らかになった。その制圧のために、カイザーが『やり過ぎた』という事実も。
当のカイザーは『不慮の事故』として処理しようとしていたが。
その結果は、今でも鮮明に記憶に残っている。
あまねく奇跡の世界から明確に外れた瞬間であり、それを明確に自覚する契機でもあったから。
檻の中に放られている人影。
全身に刻まれた夥しい傷の数々。
口の端から流れる赤と、乾いた黒。
死後硬直が始まっていた彼女の遺骸が―――
「ッ……!」
飛び跳ねるように身を起こす。
早鐘のように心臓が鼓動しているが、全身は冷や汗でびっしょりで、むしろ寒いくらいだった。ぶるりと体が震える。
ずきりと、頭も痛んだ。
このまま二度寝するにも汗が気持ち悪く、喉も渇いていたため一度起きる事にした。
みんなも眠るベッドを静かに離れて手早く着替えを済ませる。
コップに水を注ぎ、一気に飲み干す。
それでもまだ渇きがあったので再度注ぐ。眠気も遠いため、2杯目は夜景を眺めながら少しずつ飲む事にして窓辺に寄った。
ガラ、と窓を開けて、窓の横枠に上体を預ける形で彼方を眺める。
風はやや生ぬるい。遠くない夏の到来を予兆させるそれは、汗で冷えた肢体には丁度良く感じる。
「……久しぶりに見たわね……」
ぬるい夜風を浴びながら、私は先の明晰夢を振り返る。
……私が初めて見た人の"死"であり、遺体であり、もう転げ落ちるしかない明確な凶兆。
忘れた事は一度も無い。
『知識』において先生が爆発により重体になるか、生き残るかの差異を重視していたが、そんな落とし穴があるとは思わなかった。
その衝撃も加味して、記憶に未だ深く焼き付いている。
彼が生きている間は大丈夫だろうと先生にばかり集中した慢心による失敗―――その罪悪感と共に。目を閉じれば、瞼の裏に今でも浮かび上がるほどに、深く。
苦悶の顔の中に、それでも確かにやり遂げたという満足気なものが浮かんだ不思議な顔が……
「
その時、懐かしい声が耳朶を打った。
記憶の海へ沈めていた意識を浮上させ、瞼を開ける。声がした方を見れば、寝間着姿のムツキが隣まで来ていた。
……ここまで近づかれて気付かなかったのは、気が抜けているのか、私が動揺し過ぎているのか。
「……起こしてしまったようね」
「偶々目が覚めただけだから気にしないでいいよ」
にひっ、と笑ってムツキが同じように窓辺の前に立った。枠に腕を乗せて、上体を預ける。
……記憶にあるよりも、ずっと小さく見える。
違う。私が大きくなっただけだ。
そんな過去と現在の差異の自問自答をやり過ごしながら、私は再び夜景へと視線を移した。
「ベルちゃん、
視線は夜景に向けたまま、単刀直入にムツキが切り出す。
なんとなく察されているとは思っていたので驚きはしなかった。
「……偶々じゃないじゃないの」
「いつからとは言ってないもーん」
「口が上手いわね」
「きゃー♪」
ポン、と頭に手を置いて撫でてやると、小さく悲鳴―――いや、歓声を上げられた。楽しそうな雰囲気をこれでもかとぶつけてくる。
懐かしくもあり、それでいて新鮮にも見える反応だ。
世界が変わっても浅黄ムツキは変わらないらしい。
「それで―――
……聴覚が捉える声と、記憶にあるそれとが重なるほどに。
手の下から見上げてくる彼女の眼も。
「……どうかしらね」
つい、と視線を夜景へ逸らす。
夜闇は良い。
取り留めのない思考へと紛らわしてくれるから。
逃げなのは、百も承知。
それでも―――まだ、大丈夫とは言えない。
もう繰り返されないと確信できるその時までは、絶対に。それがいつかは分からないけれど。
「……そっか」
横から探るような視線を感じたが、それもすぐに途切れた。彼女は同じように夜景へ顔を向け直していた。
それからしばらく、私が水を飲み終わるまで黙って夜景を眺め続けた。
彼女が何を考えているかは、かつてと同じく、終ぞ分からなかった。
・世界の分岐点
特に『他世界の干渉で変わった時点』のこと
俗にはプラナが合流したことで先生が地下生活者による爆発を無事にやり過ごすことを指し、他にもアリスとリオ、またケイとの和解、多次元解釈バリアの存在の認識をはじめデカグラマトン編にも影響がある
ベル世界に於いては『キヴォトス大乱』へと繋がる分岐点、赤い空という天変地異が無かった事でカイザーが引き揚げなかったことを指す*2
ベルにとっては捻じれて歪んだ分岐を自覚した『尾刃カンナの死』を特に指す
ベルが自身を評価しない事や度々『この世界だけは守り抜く』と言う理由の一つ。地下生活者を排除して先生の爆死こそ防げているが、尾刃カンナの犠牲を確実には防げていないため、"彼"には及ばないと考えている*3
・キヴォトス大乱
カイザーによる連邦生徒会襲撃を端緒とした大戦争
『虚妄のサンクトゥムタワー』が発するエネルギーが確認されなかったため非常対策委員会は発足されず、先生の召喚要請も無いためリンの不手際扱いされず*4、結果リンの強行を咎める流れが無くなり、カイザーに囚われた時も連邦生徒会長代行としての不信任決議案は提出されていなかった
この代行の立場を根拠に行政権奪還と人質となった生徒達救出の大義名分を掲げた先生率いる学園連合と、企業都市へ作り替えようとするカイザーや悪徳企業の衝突が『キヴォトス大乱』の概略であり総称
結果的には『尾刃カンナの死』により引っ込みがつかなくなった事で泥沼化し、明確な勝敗すら曖昧なまま治安悪化へと繋がった
このダメージ回復に"先生"は奔走していたが、爆発事故により死亡したことで回復はせず、終焉の時まで大乱は全土を巻き込んで続いた
なお裏で不知火カヤがカイザーに裏切られた出来事もそのまま進行している
・浅黄ムツキ
あまねく奇跡により大乱を知らない幼馴染
ベルがプレナパテスへ向ける尊敬の理由の一つも知った
ベルの様子からキヴォトス大乱の内実と結末をおおよそ悟っているが、話してもらえるまでは踏み込まず、どこか遠くへ向ける目を自身に向けようと傍に居続けている
もっともっと"幼馴染"の事を知りたいと思っている
・(故)カンナ
ベル世界で殉死した最後の公安局長
最期までカイザーの兵達に抗った末に世を去った女傑
彼女の死はヴァルキューレ生徒の大多数がカイザーへ反旗を翻し、後に防衛室長の内乱、賄賂供与などを暴き、追い詰める事態の引き金となった
第一発見者は救出班隊長・陸八魔
眠りに就いた顔は苦悶ながらも満足気だったという
なお
・陸八魔ベル
捻じれて歪んだと知っても『便利屋』を続けた元社長
先生が死亡するまではキヴォトス大乱に参加していたが、死亡後は社員優先で引き揚げ、ゲヘナ学園にも帰らず、役目を喪った『便利屋68』を安定重視の経営で営み続けた
見てきた末路は未だ深く記憶に刻まれている
ベルは復讐者にして破滅を齎す嚮導者であり、結果的に守る形は発生しても、率先して守る守護者ではない
―――『居場所』を得た今、それには変化の兆しが生まれつつある