「『いい加減に、お亡くなりになりなさい!!!』」
怒れる少女の声が廃墟に木霊する。
懐かしさすら覚えるそれに、顔には出さないが込み上げてくるものがあった。
思い返せばおそらく風紀委員会の次にしのぎを削り合っただろう相手。
―――"彼女"との最後の会話も、よく覚えている。
"先生"が亡くなった後のことだ。
二度目の爆発から"先生"を庇おうと飛び出し、しかし庇い切れなかった私は丸二日眠った後に目を覚ました。爆発の余波で窓から転落していたらしい。意識自体は爆発に晒された時点で喪っていたから記憶に無かったが、"ムツキ達"が憔悴し切っていたほど私も危なかったという。
バッテリーが満タンだっただろうシッテムの箱のバリアを一撃で全損させる爆発――調印式爆破の巡航ミサイルの直撃級――と超高所落下ともなると、死んでいない方が不思議な上にその程度で済んだ事も奇跡な状況ではあったが。
そして、私が目覚めた時点で先生死亡の報道は出ていたが―――
『災厄の狐』は、その報道を信じなかった。
遺体が無かったからだ。
爆破現場に血はあった。その血を鑑識に掛けて、先生のものと判断も出ていた。
それでも彼女は、それを信じようとはしなかった。現実を直視したがらなかった。
その果てに、彼女は私の下へやってきた。キヴォトス動乱の学園連合から離れ、キヴォトスの闇を生きていた唯一当時の現場を知る私から、真実を聞き出すために。
……だが当時、ムツキ達にも『知識』の事を話さなかったのだ。
尾刃カンナをはじめ多数の死を見て尚、頑なに口を噤んだ私が、地下生活者の事をワカモに話すわけもない。
話した事は、私の意識が沈む直前に見た景色。先生が血しぶきとなって砕け散る記憶だけ。
『そう、ですか。本当に、先生は……』
私の言葉を、彼女はなぜかあっさりと信じた。
キヴォトス動乱の前はもちろん、救出班班長になってからも度々襲撃してくるほどには敵意に溢れていたというのに、不思議なほどに。
なぜ守れなかったのかと糾弾もせず、落ち着いた様子で事実を受け止めていた。
『話してくださり感謝します……ついでと言ってはなんですが、依頼をお願いできますか? 報酬は、多くはありませんが私の全財産を』
『あまり良い話じゃなさそうだけれど……聞くだけ聞きましょう。言ってみなさい』
『私の骸を葬って頂きたいのです。本当はあの方と同じお墓に入りたいですが……それはきっと、許されないでしょうから』
それは、自分は死ぬと明言した上での依頼。
『本物』ならきっと必死に考え直すよう止めていただろうそれを、当時の私は静かに受け止めていた。
言ってももう意味は無いと諦めていたから。
話を聞いてすぐ言い出した時点で半ば予想し、覚悟もしてのことだったと分かったから。
……それでも、業務的にでも告げるべき事はあった。
『……分かった上で言うけど、先生はきっと喜ばないわ。同じ場所にも、行けないでしょう』
『承知の上です。ですが、あの方が居ないだけでなく、最早先の見えない今のキヴォトスを生きる理由など、私にはありませんので……あなたならお分かりになるでしょう?』
『……裁く法。
"先生"が亡くなって以降、善人は最早死に絶えていた。
未来を作り、幸福を分け与えられる善人は居なくなり、未来を奪い、幸福を貪る悪人がのさばった。それに長けている者ばかりがあのキヴォトスにいた。
秩序など最早無く、治安なんて概念も徐々に過去のものとなっていた。
安寧の場所も無い。全てがブラックマーケットのようなもの。
他者を許せる人もいない。許さないことが暴力を振るう理由だったから。
―――ワカモは、最後で折れていた。
己が心から愛する人。己を見捨てず、見てくれる人。"先生"を喪ったから生きる理由が無くなった。一度知ってしまったから、知らなかった頃のようには生きられなかったのだ。
それでも、縋っていた僅かな可能性をも否定されても絶望の果てに反転しなかったのは、彼女の強さなのだろう。
最早現世で狂う必要も無いからかもしれないが。
それを止めてくれる人も、叱ってくれる人も居ないから。
『ええ。秩序があったからこそ恐れられた私のあだ名も、もう意味を為さなくなりました。今やあなたの方が恐れられています』
『相対的によ。あなたが暴れなくなっただけ』
『……それだけではないと思いますが……―――それで、引き受けてくださいますか?』
『……D.U.地区の
『お気遣い痛み入ります。後程、回収場所を送ります。報酬もそこに……最後に、アルさん』
『なに?』
『無理にお答えにならずとも結構ですが……あなたはまだ生きるようですが、なぜです?』
知っていながら、防げなかったから。
"今"に至ってもその原罪を背負い続ける想いが、私に死を許さなかった。
せめて―――せめて、
それを話すことはできなかったが。
『―――私が、"
『……そうですか』
どうにかひねり出した答えに、ふむりと納得した風に頷いていたのは、何故だったのか。
その答えが分かる事は永遠に無い。
[不肖ワカモ。今、あなた様のお傍に参ります]
それが"先生"に恋焦がれ、そして恋に狂っていた少女が回収場所に遺した言葉。
死因は服毒自殺。猛毒を飲み、強力な睡眠薬と筋弛緩剤で意識を失っている間にそのまま眠りに就いていた。
その骸をブラックマーケットの火葬場に持ち込み、後にD.U.地区の合祀墓へと納骨。
そうして"彼女"と私の縁は終わった。
私に、"先生"に向けた強烈な想いを印象付けて。
―――その記憶が、強烈に呼び起こされる。
先生に向ける想い。それ故の、排除しようとする意志。
恋するが故のもの。
純粋に案じるが故のもの。
それらが混ざり合った感情が音に乗って
彼女は、"彼女"ではないと分かっているのに―――
「『あの方に甘言を以て近付き惑わす輩は、必ず排除します!!!』」
目の前から放たれる耳朶を叩く声と、もう二度と聞けない喪われた声との二重のそれが、感情を掘り起こす。
幸せだった日々。
取り返しが付かないと分かっても尚、それでもと誰もが足掻き、戦えた理由。
―――
「……やれるものなら、やってみなさい」
彼女に向けるのは筋違いの憎しみが頭を擡げ、動悸が早まるのを、一呼吸置いてからの皮肉げな態度で覆い隠す。
返答は、容赦の無い銃撃。
それを半身を逸らして躱す。
―――私が銃を撃てない身で、逆に良かった。
突っ込んでくる少女の蹴撃も防ぎながら、そう思う。
私はいま、一人だから。
先生も、社長も、社員達も、反転したシロコも居ない。
私を止める人が誰も居ない。
反撃の引き金を持っていたら―――
どうなっていたか、分からないから。
総身に充溢した怒りと共に引き金を引く。硝煙の匂いがこびり付いた愛銃から銃火が起こり、何物をも破壊する銃弾が飛ぶ。
だがそれは、
憎きその姿は依然としてそこにある。
項から左右に伸びる太い金と茶色の角。腰までなびく赤髪。妖しく光る赤みの混じった金の瞳。女性として大柄で骨太の体格とそれを覆うほど大きな紅蓮の
そのひとつひとつが私の心をささくれ立たせる。
ただの一つも傷付け、破壊出来ないことが気に入らない。
何よりも気に入らないのは―――
勝ち誇ったかのような、その不敵な
私が襲っている理由を察し、その上でどうしようもないだろうと言わんばかりのその顔が、私に攻撃の手を緩めさせなかった。
「この……! あの方の心を弄んでいながら、よくも平然と!!!」
胸中の怒りの炎がごうごうと燃え盛る一方。全身を巡る血の勢いは更に増し、ドクリドクリと力強い脈打ちを頸動脈で知覚する。
銃を握る手に力が籠もり、ギシリと柄を軋ませた。
そのまま引き金を引いて弾丸を撃ち出すが―――
やはり、躱される。
「弄ぶ、ね。心外だわ」
「なにを調子のいいことを!」
ボルトレバーを引き、排莢の後、すぐさまレバーを戻して再度引き金を引く。しかしそれもまた躱される。
一瞬の回避。残像を残し、姿が
偶然ではない。既に何度も同じ手で躱されている。
あちらにはこちらの銃弾が見えている。それはおろか、引き金を引く動作も。しかしフェイントを掛けても引っかからないだけの冷静さもある。
その冷静さを失われるための言葉も、銃撃と同じように往なされる。
―――正面戦闘だけでは無理ですわね。
全弾撃ち切り、遮蔽に身を隠しながら弾を込めることを機に作戦を変える事にした。私だけ捉えていれば問題無い現状を変えるのだ。
そもそも相手は異常現象5体を短時間で単独撃破した化け物。生半可な手段はそもそも通じない。それは例の報告からも分かり切っていた事だ。 古めかしいが使い込まれていると分かる長銃を使ってこないのは気になるが、未だに構える素振りも見えないのは余裕の表れか使えない理由があるのか判断がつかないが。
ロケットランチャーの直撃でも無傷なのも、空崎ヒナなどの強者や自分をはじめ前例があるので驚きは無い。
それ用の手も予め打っている。
今いるのは廃墟。D.U.シラトリ区の外縁部の中でも再開発予定だとかで最近立ち退きが多くされていて、人も住んでいない、多少手荒にやっても問題無い土地。*2
覚悟を決めて、このビルを中心に落盤を引き起こすよう広範囲に渡って設置した爆弾の発破用コントローラーを取り出す。
範囲内にいる私もタダでは済まないが―――
あの方のためなら恐怖は無い。
ガチリとコントローラーを握り込む。
直後、地震と間違うほどの強烈な振動が私達を襲った。人の手が入らなくなり老朽化も進んだビルの柱や床、天井にヒビが入り始める。
それを見ても私は先生を誑かす女へ弾込めを終えた愛銃を突き付け、逃がさないよう牽制を続ける。
「……崩落狙いね」
「随分と冷静ですわね」
「悲しい事に初めてじゃないからね、この手を使われるのは」
フ、と皮肉げに口の端を釣り上げて悪女が笑う。
「そうですか。ですが―――生き埋めは初めてでしょう? 是非そちらをご堪能下さいな」
そう言って、私は銃口を彼女の真上の天井へ向け、即座に撃ち抜いた。コンクリート特有の灰色の粉塵と細かな瓦礫が降り注ぐ。
いかに頑丈と言っても、目に砂が入れば反射で閉じるのが人体だ。まずはそれで動きを封じる。
……まあ、降り注ぐ粉塵諸々はコートを傘代わりに掲げて防がれたが。
その一手の間に、私は続けて銃口を下に向け、彼女の足元を撃ち抜く。ガラリと音を立てて抜けた床の穴へと落ちていく。
「では、ごきげんよう」
見えなくなるその瞬間までこちらを見てきた悪女に別れを告げる。そうして見えなくなったところで、私も踵を返して退散を始めた。
廃墟から飛び出ると同時、ビルが水のように固さを喪い崩壊し、勢いを付けて瓦礫が地面に落ちるのを契機に落盤が起き始める。ドドドドドドドド!!! とけたたましい轟音と共に先ほどのビルを中心にアスファルトが罅割れ、間を置かず奈落へと落ちていく。
ある程度離れた人気のない大通りまで退避してから崩落する様を眺める。
まあ奈落と言っても地下に通っている鉄道や水道部分の地盤で止まる筈だが、砕け散ろうと積み重なれば何トンにも上るコンクリートとアスファルトの瓦礫の山に埋まれば、流石に身動きも取れない筈だ。
この程度で死ぬとは思っていない。腐ってもキヴォトスの人間。ちょっとやそっとでは死なず、遭難してもある程度以上の期間は生きれるのだ。
この辺の再開発の手が遅れがちとはいえ、ここまで騒ぎがあれば片付けの手くらい入るだろう。
「どうせ救出されて助かるでしょうけど、良い薬にはなったで―――」
「あの程度でなるわけないでしょう」
「しょ―――ッ!?!?!?」
背後から、聞こえる筈のない声が聞こえた。心の底からの驚愕と共に振り返る。
直後、腹部に衝撃。
真後ろまで音もなく迫っていた彼女の拳が、私の腹に叩き込まれていた。
後方へ飛び退いて衝撃を避けるなんてことも、勢いのまま殴り飛ばされる事もなく、その拳で私の体は沈むように力を喪った。膝から崩れ落ち、座り込んでしまう。手から銃も滑り落ちる。
人体の急所、鳩尾を抉るように叩き込まれた。
―――たったそれだけで、この私が……ッ!
「う、ぐ……ッ」
「今のは事後処理の手間を増やした諸々の分。これ以上暴れられても困るから、そろそろ大人しくしてもら―――」
「が、ァッ!!!」
僅かな時間無力化されたが、それでも動けるようにはなった。
お題目を並べる隙を狙って愛銃の柄を掴み、振り回す。銃剣として取り付けた短刀の刃が陽光を反射して三日月のような軌跡を描きながら眼前の敵へ迫る。
迫る刃を、彼女は大きく一歩下がって避けた。
その一手の内に突撃の構えを取る。
痛みが抜け切らず、腹を中心に前傾姿勢を取るしかない今の私が取れる最大の攻撃手段。取り付けた短刀の切っ先が狙い澄ます先は、眼前の敵の鳩尾。
「―――!!!」
言葉は無かった。発すべき内容も、それに含める意味も、すべては思考の外。
ただ排除を。
愛する人を害する者の排除を。
危険なこの存在の絶対的な排除を。
その究極的な意思の体現に、言葉は無用だったのだ。
只管に私の意思を乗せた一撃を貫くために地を蹴り―――
"ワカモ、止まって!!!"
瞬間、聞き逃さなかった愛する人の声が聞こえてきた。
あなた様―――そう口から発そうと動きを止めた瞬間、けたたましい発砲音と共に飛来した紫弾の雨に晒される。
耐え切れず、沈みゆく意識で最後に見たのは―――
戦いの最中とは打って変わって、笑みにどこか哀しそうなものを含んだ顔で空崎ヒナを見る陸八魔ベルの姿だった。
・陸八魔ベル
治安秩序崩壊後のキヴォトスを生きた者
手を下したのは反転した傀儡シロコが初だが、それまでにカンナを始め数多の死を見てはその骸を運んで葬っていた。顔見知りの遺骸を回収し、葬る仕事*3も"ワカモ"が初めてではない
彼女達の死は今も記憶に焼き付いて離れず、地下生活者への怨み、憎しみとして燃え盛り続けている
激昂する奇跡ワカモ自体には「まあそれくらいするわよねあなたは……懐かしい……」という感想と「気持ちは分かるけど地域落盤は流石にやり過ぎ」程度しか思っておらず、主な苦しみの原因はワカモの声に呼応して蘇る記憶と感情など内的なもの
ワカモが止まってからはこの世界のヒナを見つめている
・狐坂ワカモ
奇跡の世界の『災厄の狐』
恋敵の疑い、同時に怪しい部分多数のため排除に動いた過激派
無自覚ながら本能の部分で先生と相反する存在とも知覚している
元々抱いていた敵意と追い詰められた危機感から思考を飛ばして体が動いていただけの殺意は無い破壊衝動だったが、その衝動も愛する人の声で止まり、取り返しのつかない事には繋がらずに済んだ
・空崎ヒナ
一線を越えさせない事を旨としている風紀委員長
現場に着いたら殺人事件が起きそうだったので先生の指示を待たず掃射した。なお、ノーダメージに終わったがその掃射にベルも巻き込れている
襲われているベルが巻き込まれてもノーダメージだった辺り必要無かったかも? と思いつつまあどっちにしろ止めるべきだったから結果オーライ、ダメだったら先生が叱ってくれるでしょうと結論付けた
・先生
ある意味で過去一焦っていた人
シロコ*テラーといいワカモといい度々ベルを発端に殺し合いになりかける場面に遭遇している
現場に着いたらワカモが過去類を見ないほど追い詰められて激昂してる上に銃剣突撃で殺しも厭わない様子だったのでワカモを信じて言葉を投げかけた
結果的に止まったがヒナのノータイム掃射によって騙し討ちみたいになって申し訳なさも抱いた
・(故)ワカモ
ベルの世界の『災厄の狐』
先生を気に掛けて当番や手伝いを多くしていた当時のベルを恋敵として執拗に攻撃していたが、途中で恋心で動いている訳ではないと察して態度が軟化。先生の死も下手人はベルではないと予想していたため真相を聞きに来た時に戦闘はしていない
死後の骸の扱いを委ねるくらいには信用していたが、それらを言葉にすることは終ぞ無かったためベルにも結局伝わっていない
ベルにとっては地下生活者によって増えた死者にして先生が死んで明確に泣いた一人であり、先生の死を防ぎたい理由の一端
彼女のような者の最期が地下生活者を怨む理由の一つとなっている
・(故)ムツキ、(故)カヨコ、(故)ハルカ
ベルの世界の社員達
傀儡シロコと刺し違える最期まで社長に付き従った三人組
依頼を受け骸を回収し葬る仕事をこなす社長の背中を見届け続けていた
彼女達とシロコの最期が無名の司祭を怨む理由となっている