ワカモを先生とカンナに任せた私は、先に離れていたベル、ヒナ、アコ達の後を追ってその場から少し離れた。
離れると言っても、ほんの二十メートル程度。
火器を使う私達からすれば目と鼻の先で、普通に話していても集中すればあちらの話も聞こえてくる距離だ。
勿論―――聞き耳を立てる事に集中できるなら、だが。
何を考えているかイマイチ分かり辛い薄い表情で互いを見合うベルとヒナを前にして、そんなことは私には出来そうになかった。
当然ながら、ドローンからホログラムを出してこの場にいるアコも。
どんな話し合いになるか予想は立っても結果までは見通せず、内心ハラハラしていると、徐にヒナが口火を切るように話を切り出した。
「初めまして、と言うべきなのかしら」
「そうね」
話し合いの最初の応酬は、感情を読み取れない平坦なやり取りから始まった。
冷静さを感じると同時、努めて感情を抑えようとしている風にも思えるその雰囲気の中、ヒナが「そう」と短く応じる。
「なら、自己紹介から。ゲヘナ風紀委員会の委員長、空崎ヒナよ」
『同じく風紀委員会の行政官、天雨アコです』
「便利屋68副社長、陸八魔ベルよ。よろしく、空崎委員長、天雨行政官」
互いに自己紹介を済ませた後、ベルのその呼び方でピクリとヒナが眉を動かした。アコはあからさまに眉根も寄せた。
私も、怪訝な気持ちで眉が寄ったのが分かった。
「ベル。その呼び方、何?」
「何って……フルネームに役職だと長いから、苗字に役職で呼んでいるだけだけど。前にも尾刃カンナ公安局長と言っていたでしょう」
「いや……うん。いや、言いたいのはそういう事じゃ……」
こう言っては何だけど、アルとほぼ同じ顔でヒナ達相手に役職を付けて呼んでる事の違和感が物凄い。
ベルはアルじゃないと考えればこういう細かな部分で違いが出てくるのも当然だけど……
『あなたに畏まるような呼び方をされると、普通に怖気が立ちますね……』
「別におかしい訳じゃないけど、違和感はまああるわね。陸八魔アルをはじめ便利屋の面々にはフルネームか名前を呼び捨てられるか、役職だけで呼ばれていたから」
「もしかして"あっち"でもそう呼んでたの?」
「いいえ? 初対面だからよ」
『では以降はフルネームか名前の呼び捨てだけで結構です』
「……まあ、わざわざ役職を付けなくてもいいわよ」
「そう。なら公的な場でない限りは名前で今後呼ばせてもらうわね」
どうやら初対面だから少し丁寧にしただけだったようだ。
それに苛立ったようにアコは圧を感じる笑みを浮かべて呼び捨てを要求し、ヒナも表面上は強制していないが遠回しにやんわりと呼び捨てを求めていた。二人の求めにあっさりと応じた辺りこだわりも無いらしい。
ただこちらが勝手に困惑しただけの図に、なんだか微妙な心境になった。
まあ、話し始める時の息の詰まりそうな空気は霧散したから結果的に良かったのかもしれない。
彼女はヒナ達が警戒していたような人物じゃないのだから。
「それで……単刀直入に聞くわね。いま鬼方カヨコが"あっち"と言っていたけれど、あなたは別の世界のキヴォトスの陸八魔アルね?」
「そうよ。加えて言えば、現在の『色彩の嚮導者』でもある」
ヒナの端的な問いに、ベルは是と返す。ド級の爆弾も添えて。
あまりにも前情報も無しの突っ込みぶりに思わず額に手を当てる。
この二人はあの赤い空に覆われた時、先生の指揮の下に戦っている。
あの赤い空がキヴォトス存亡の危機とも、それを為した存在が『色彩の嚮導者』とも知っているのだ。プレナパテスが別世界の先生であることも。反転したシロコが色彩に選ばれた時、自身の意思によるものでなくとも破滅を齎していた事も
そんな相手に、自分はあなた達が対峙した操られていた存在の座に就いていますといきなり明かすのは、いきなり発砲されても文句は言えない所業である。
そして実際、ベルの言葉を聞いた二人の表情が途端に険しくなった。
とはいえ―――私がシャーレに来た時やさっきのワカモの背後に現れる時に黒い空間の歪みを見て、ある程度察しは付いていたのだろう。警戒心こそあれどいきなり撃ちはしなかった。
隣に立つ私への怪訝な視線もあった。嚮導者というには私をはじめ便利屋やシャーレに馴染んでいることが不可解だ、という疑念を含んだそれ。
一瞬だけその視線を向けてきたアコは、ベルに目を向け直しながら口を開く。
『薄々予想はしていましたが……ですが、それにしてはプレナパテスと随分と様子が違いますね』
「もう一人の砂狼シロコともね。不可解だわ」
しかし幸いなことに、二人は冷静に思考を回し、引っ掛かりを覚えていた。
ベルがこのキヴォトスに現れ、復学諸々があってからそれなりの期間を経て尚、世界存亡の危機が確認されていないからこその疑問だったと思う。
それを見越した上でいきなり嚮導者であると明かしたのなら、少々性格が悪い。
自分のペースに巻き込むという観点であれば上手だけど。
「……一応聞くけど、シャーレの記録を読んでいるなら私がマコトだけでなくアビドスのホシノ達や美食研究会のハルナ達、ゲーム開発部のアリス達と接触していることは知っている筈。そちらからはなにも聞いていないの?」
「知っているわ。それとなく聞きもしたけど……」*1
『口を揃えて『本人に聞いてほしい』と』
「……なるほど。今度それぞれに差し入れでもしないとね、これは」
一応それぞれの伝手を辿ってベルと接触した事がある面々に探りを入れていたらしいが、彼女達も事情が事情故か、勝手に話すのは憚られて断っていたようだ。
それにベルは笑みを浮かべて小声で感謝を呟いていた。
仕事柄、ウチは学籍を持つ子との縁に乏しいけれど、彼女はその垣根を越えて動く理由があるせいか多くの良縁を持てたようだった。
その喜びも束の間、気を取り直したようにベルは表情を改めた。
「それで……不可解、ね。具体的には?」
「推測混じりだけど、『色彩の嚮導者』は自分の意志に沿わない事をさせられている可能性があると聞いてる」
それはプレナパテスの正体を知っているから分かること。
『色彩』を介して嚮導者を操るという無名の司祭はキヴォトスの破滅を目的とし、そのために
しかし
「けれどあなたは、自分の意志で動いているように見えるわ」
「そうね。傀儡になるくらいなら死んだ方がまだマシだもの」
「『―――ッ』」
端的な、しかし吐き捨てるように放たれたそれに滲み出たのは、普通に生きていればまず見ないだろう純粋な憎悪と殺意。
直接対面しているヒナは勿論、通信越しとはいえ間接的に対面しているアコすらも、それはまざまざと感じ取ったらしかった。
私も少しだけ咄嗟に身構えていた。
ベルから過去を聞くことは何度かあるけど、それはどれも、悔悟を伴った苦悩の声だった。憎しみ一色の言葉を聞いた覚えが私には無かったからだ。
逆説的に、彼女の憎悪による復讐心はそれだけ先鋭化されているという事の証左でもある。
傀儡にしたシロコで、ムツキ達を殺したこと。
それだけが無名の司祭に抱き、あらゆる世界から族滅させる復讐心の根幹。
残っていると傀儡にされかねないから、傀儡となる嚮導者を出さないためという動機は、彼女にとっては添え物なのだ。どのみち復讐のために殺す以上は同じことだから重要ではないのだと。
そしてこれはただ漏れ出ただけ。聞かれたから答える、その思考に際して滲み出た殺意でしかない。
今の彼女の表情は平坦で感情が浮かんでいない。それでもヒナ達に定めている視線と眼はどこか遠くを見ているように感じるほど冷たく、しかし炯々と昏い感情を宿している。
ヒナ達に向けたわけでないというのに緩み掛けていた空気が破裂しそうなほど限界まで張り詰める。そんなことはしないと分かっているけど、対応を誤れば殺されそうな恐ろしさを僅かながら覚えた。
本気でキレている時の社長の雰囲気に似ているけれど……
副社長のそれは、社長よりも深く、鋭く、そして―――昏い。
「―――失礼、威圧する気は無かった。ごめんなさい」
「え、ええ……」
張り詰めた空気と強張った私達の表情を見て、失敗と悟ったか申し訳なさそうな表情でベルは謝り始めた。
その切り替えの速さに、普段泰然として動じないヒナも面食らった様子ながらどうにか言葉を返す。
彼女にしては珍しく、少し冷や汗が滲んでいた。
「と、とりあえず……あなたが操られる可能性は無いという事ね?」
「低い、と訂正すべきね。確実ではないから」
『えっ。何故です?』
「私は『色彩の嚮導者』を操ろうとする意志に都度反逆しているだけ。連中への憎しみが絶えない限りは抗えるけど、根本的な解決でない以上『絶対に操られない』とは断言できないわ」
「ああ、そういうこと……」
『……さっきの様子を見た限り大丈夫な気もしますけどね……』
理解したとヒナとアコがやや遠い目で納得の様子を見せる。その反応を見た限り、とりあえず『傀儡になる可能性』自体はまず無いと二人も見たようだった。さっきの滲んだ殺意が演技とは流石に思わなかったらしい。
多分狙ってはなかっただろうなぁ、さっき漏れ出てた殺意……
失礼な話だけどそんな器用なことが出来るとは思えない……
「それで、他に聞きたいことは?」
『……もういっそあなたのこれまでを全部話してもらえますか? ひとつひとつ聞くよりそちらの方が早そうです』
「約10年分を全部……いやまあ、細かい部分を抜きにすれば可能ではあるけど」
「可能なのね……」
「言ってしまえば同じことの繰り返しだったからね。このキヴォトスに来る前は操ろうとしてくる連中その他を殺す復讐だけだったから」
『ころ……!?』
ベルの一線を堂々と越えた発言に、線を引いて越えさせないことを旨としているらしい風紀委員会のアコがギョッと目を剥いた。
ただ、気持ちはまあ、分からないでもない。
反転したシロコの話では、彼女が直接手を下した相手がいるか不明だった。ただ死者が多かったのは確か。
逆に言えばそれだけだ。
加えて二人がベルを見て思い浮かべているだろうアルという子はそういう一線を越えられる人格でもない。追い詰められれば分からないが、たとえそのギリギリに迫ったとしても越えなさそうという期待を抱かせてくれる。
そのイメージをベルにも持っているとすれば、困惑するのも無理はない話だ。
彼女と初めて会った時の私達がそうだったのだから。あの時は殺しという線ではなく、アルの明るさとかけ離れた
「殺す……そこも気になるけれど、その他って?」
「あなたは間接的に知っている存在ね」
「……私が?」
その他。それはおそらく『地下生活者』という存在だと私は推測した。
地下生活者。彼女の話では、シャーレを爆破して先生を殺した存在。
彼女が『奇跡の世界』と呼ぶこのキヴォトスでもシャーレの爆破は起きている。まあ呆れた事に爆破自体は度々あるのだが、先生が病院へ搬送されてニュースになる程のものは一回だけだ。おそらくそれを引き起こしたのが例の地下生活者なのだと思う。
あと諸々に入ってそうな存在と言えば、彼女をして真顔になるほどヤバい存在らしい『名もなき神々の王女』や、預言者を束ねる存在らしいデカグラマトンだろうか。
どれかは分からないが、復讐の理由としての考えるならやはり最初に浮かんだ地下生活者だと思う。
―――けど、ヒナが間接的に知っているというのは初耳だ。
思い返しても、ヒナの名前が出てきた覚えは無い。*2
つまり今回初めて彼女が語るということ。
……そして、それはおそらく、彼女の傷になっている。
多くを語ってきた彼女が口を噤んできたならきっとそういう事だ。本筋ではないから触れなかっただけではない、彼女にとって触れたくはない心の傷の一欠けらなのだと。
少し目を眇め、ベルを見やる。
彼女の表情は冷静なものだった。ただまっすぐと、静かにヒナを見つめている。
会話相手だから見つめているだけなのかは―――分からない。
「地下生活者。聞き覚えは?」
「……不良や浮浪者へのスラング、ではないのよね?」
「特定の人物が自ら名乗っている固有名詞ね」
「なら知らないわ」
不特定多数への名称ではないと知ったヒナは即座に答えた。
それを聞いたベルはふむ、と考えるような素振りの後、ワカモと話している先生に目を向けた。それも数瞬でヒナへ戻されたが。
「あなた、以前先生からの連絡でアビドスへ行った事があるでしょう」
「……ええ、あるわ」
「その時、小鳥遊ホシノとも戦った」
「ええ、戦った」
「ホシノと戦った際に様子がおかしくなった時があるわよね。反転……姿が変わる前の会話よ」
それは、私にはよく分からない確認だった。当時を知らない者にはよく分からないこと。様子がおかしくなった事―――それに地下生活者とやらがどう関わってくるのかが分からない。
思い返せば、そういえば地下生活者がどういった存在でどんな手段を講じる存在かを知らない事に気付く。
この世界の地下生活者は先生ともう一人のシロコによって絞められていて、即座に手を下さなければならない状態じゃないから様子見、とは聞いているけど……
そう思考しつつもやり取りを見守っていると、ベルの最後の問いを受けて記憶を掘り返していたヒナが徐に声を上げた。
「……たしかに、あるわ。何かに憑りつかれたというか、誰かと話しているというか、殊更に異様な様子だった時が……」
「
「―――じゃあ、あなたが地下生活者を復讐対象に入れているのは……」
「……私の世界の先生が、シャーレの爆発で殺されたから」
ヒュッ、とヒナが鋭く息を呑んだ。
あまり大っぴらにこそ言わないが、それでも端々から
なまじ彼女はエデン条約調印式の爆破の折、先生が殺されそうになった場面にも立ち会っていると聞く。その経験も含めれば先生を喪いそうになった恐怖は人一倍想像しやすいはずだ。
アコも、想像はしていた筈だが、やはり言葉にされると重みが違ったようで言葉を喪っていた。
「そうして齎された影響は甚大だったわ」
絶句している二人の様子を気にも留めず、ベルは話を続けようとする。
おそらく相手を気遣う余裕もベルにはそんなに無いのだろう。事前に予測したワカモを介しての傷もあるから。
なにより……いま思い返しているのは、ベルにとって苦しい時期の真っ只中。余裕なんてある筈も無い。
私は慮るようにコートの上から背中を摩る。彼女は、おそらくそれに気付けないまま続きを話し始めた。
「私の世界に『色彩の嚮導者』の襲撃は無く、赤い空などの天変地異も無かった。だから連邦生徒会を襲撃していたカイザーは引き揚げず、それ故の騒乱が起きて、治安は悪化していた。キヴォトス動乱と呼ばれたその最中に先生も亡くなれば……まあ、あとは転げ落ちるだけよ」
『……何が、起きていたんです?』
「
戦慄を滲ませたアコの問いに、ベルは瞑目しながらふっと自嘲するように嗤いながら返した。軽い調子で、けれど決して軽くも笑えもしないことを。そう理解した上で彼女は嗤った。
―――絶望と諦観が薄く場を満たし始める。
「カイザーが引き揚げなかったから尾刃カンナ公安局長は死亡」
「サンクトゥムタワーを押さえたカイザーを中心とする企業連合との戦いに、先生を中心とした学園連合も抗い、泥沼化……」
「多くの生徒が傷付き倒れていく中でダメ押しに地下生活者によって先生が死亡」
「連邦生徒会すら瓦解していた以上、抑止となるものは最早存在しなかった」
以前も聞いた、キヴォトス動乱の概要。因果をかなり省いているそれでも苦しくなってくるほどのそれに、ヒナとアコは言葉を喪っていた。
それでも、止める素振りは見せなかった。
聞いたのは二人であり、彼女の傷を開いたのも二人だから。
そして―――
おそらく、二人に関わりのある話だから。地下生活者にはじまり、ヒナにも関わりがあるとアビドスでの事について言及してからこの話を続けている事には、きっと無意味なものは無い。
「そして……さっきも言ったように、地下生活者はホシノを利用して『死』を理解しようとした。そのために先生は殺されたのだから、私の世界のアビドスでも同じことが起きていた」
「……待って。そっちのアビドスは……」
『……小鳥遊ホシノさんが、亡くなられたんですね』
「空崎ヒナもよ」
キッパリと告げられた事に、数瞬脳が理解を拒んだ。
ヒナが、死んだ。
……彼女が言うならそうなんだろうとは思う。でも、なんとなく理解ができない。想像もできなかった。
キヴォトス最強とも噂されるヒナの強さは便利屋の中でも私が一番よく知っている。
だからこそ、彼女が命を落とす場面が想像つかない。
『ヒナ委員長が……? なぜ……?』
「生憎、私も目を覚ましたのはシャーレ爆破から二日後*3*4……全てが終わった後だったから詳細は見てないわ。生き残ったアビドスの子達は、それを話せる精神状況でもなかったから聞けてもいない」
ベルの言葉に、まあそうだろうと、冷静な部分の思考で納得する。
身近な人の死なんてものは一朝一夕で超えられるものではない。聞く限り尋常ではない状況の末、アビドスの子達にとって柱とも言える唯一の3年生が亡くなったのだ。病死などでも無いとなると、ああしていれば……というたらればの思考も顕著だった筈だ。
色彩を介して真実を知っているかもしれないが、それを彼女が語ることは無いだろう。
この世界のように先生さえいればどうにかなった事態だと彼女は生まれながらに知っていた。しかし地下生活者によって先生が殺されたことで、小鳥遊ホシノも空崎ヒナも死んだ―――その因果による怨みにおいて、どうやって死んだのかは重要ではないのだから。
「陸八魔ベル。あなたは、どういう経緯でそれを知ったの?」
そこで、顔を顰めながらも静かにヒナが聞いた。
それに、ほんの少しベルが眼を眇めてじっとヒナの顔を見た後、わずかに視線を逸らした。怪訝に首を傾げるヒナに見られるベルは、それから少ししてゆっくりと―――どこかバツが悪そうに、口を開いた。
「キヴォトス動乱の最中も各学園に足を運んでいた先生の護衛に付いていた私は、あの人の補佐もしていた。そしてアビドスの一件は、先生が携わっていた最後の仕事だった。だから目覚めた後すぐに向かって……―――そこで、"彼女"の骸を見たのよ」
「「『―――』」」
しゃがれたように聞こえる声で、ベルが言う。力の無いそれはどうしようもなく諦観に満ちていた。
私達に止める言葉は無かった。
どう止めればいいのかも、分からない。
「そして依頼を出された。『空崎ヒナさんを、ゲヘナ学園へ帰してあげてほしい』と。ヒナを呼んだのはシャーレの先生で、その先生も亡くなった以上、補佐
『あなたは……口ぶりから察するに受けたんでしょうね……』
「ええ、受けたわ。それが間に合わなかった私に唯一できた事だったから……それによっても色々あったけど……」
一瞬、沈痛な面持ちで俯いていたアコにベルは視線を向けた。
その『色々』は……多分、ヒナを心底敬愛しているアコの無際限の罵倒も含んでいただろう。
それに言及するつもりは無いのか、すぐアコと同様に沈痛な面持ちで、しかし顔をベルに向けたままのヒナへ彼女は視線を戻した。
「重要なのは、地下生活者の企てによって先生もホシノもヒナも命を落とし、キヴォトスの治安は崩壊し、多くの人が死と絶望へ追い落とされたという事実。砂狼シロコが絶望の果てに反転するその瞬間までの絶望は……欲望に忠実な大人達だけでなく、地下生活者も原因なのよ」
「……けどあなたは、カイザーや大人達を復讐対象にはしていないのね」
「怨んではいるわ。ただ彼らは先生達やムツキ達の死因ではない、だから含めていない。それだけの話。放っておいてもより狡猾で、邪悪で、強大な欲望や悪意に絡め取られて自滅していくしね」
そこまで言ったベルは思いを馳せるように瞑目した。
「……随分と横に逸れたけど、この世界から外れてからの事はこんなところかしらね」
眉根が寄り、少し寂寥を感じさせる表情で、彼女はヒナからの『その他』にあたる復讐対象への怨みや経緯を締め括った。
意図的に話していない部分は間違いなくある。少なくともヒナ達には、ムツキ達の死の原因や経緯についてまだ話していない。私達の時には話さなかったもう一つの内容だけ話している。
けど……これ以上は不要なくらい、密度と重さがあった。
「そう……話を聞く限り、もう殺し合いが常態化してそうだけど、よく生き抜いたわね」
もう十分とばかりにヒナが疲れた表情で
それにベルは目を眇め、一瞬黙り込んだ。
「……まあ、死が身近だったのは確かね」
『いや意味深に言葉数を少なくするのやめてくださいよ。逆に怖いですから、仄めかすくらいならいっそ話していただきたいのですが』
「知る必要は無いわ。先生がいるこのキヴォトスなら、尚の事ね」
噛み締めるように微笑を浮かべてベルが言う。
おそらくは彼女が近接格闘だけでなくあまり人に言えないような手段を磨くことになった部分。その詳細は私達にも伏せられているから、誰にも話す気は無いのだと思った。
彼女が言った事―――『先生がいる』という部分が、今まで私達に黙っていた理由だろうから。
「ともあれ……これまでの経緯を纏めると、先生の爆殺と以降の多くの死を理由に地下生活者を怨み、傀儡にしたシロコを操ってムツキ達を手に掛けた無名の司祭を憎み、絶望した末に色彩に触れて反転した私は『色彩の嚮導者』となって以降、数多のキヴォトスを渡り歩いては復讐を続けてきたということよ」
そう纏めたベルの話は、このキヴォトスに来るまでの背景であって、ウチに来てから今日までの諸々の説明にはなっていない。
それで話は終わりとばかりと感じたらしいヒナとアコは何とも言えない表情で眉根を寄せた。
あれはどう言ったものかと悩んでいる顔だ。何が地雷か分からず、手探りによる思考の顔。社長達と度々しているからよく分かる。
数秒して、とりあえず言語化に成功したらしいアコがおずおずと口を開いた。
『えーと……では、最近のことをお聞きしますね……美食研究会や対策委員会、ゲーム開発部による連日の連合作戦演習はどういった意図で参加されたものなんです?』
「話の初めの方で、カイザーが連邦生徒会を襲撃したとか、引き揚げなかったから尾刃カンナ公安局長が亡くなったと言ったわよね」
『言ってましたね』
「この世界だとプレナパテスが赤い空を齎し、虚妄のサンクトゥムによってサンクトゥムタワーが崩壊した結果、カイザーは引き揚げた。そこから箱舟占領戦や決戦までの一連の流れを私が別のキヴォトスで再現するための準備の演習よ。だから参加というより私の我儘で開催されたものね、アレは」
『……? …………??? なぜ、そんなことを……?』
「別世界のムツキ達と分かっていても生きてほしかったから。キヴォトス動乱の原因であるカイザーを引き揚げさせるにはあの天変地異が不可欠だった。その手段を選んだのは、プレナパテスという前例と私が嚮導者故に再現が可能で、この世界のように進んで後の生存の確実性も高いと判断したから。先生や本船に登場していた子達に色々と協力を仰いだのはそういう理由よ」
「……なるほどね。要は私達が辿った歴史に合わせるために、別のキヴォトスの舵を切った。そうすれば別世界の便利屋の命は助かるから」
「そういうこと。つまり地下生活者と無名の司祭への復讐が私の死ねない理由で、ムツキ達の未来を繋げることが私の生きる理由という事ね」
『再現計画』を実行するにあたって彼女が抱いただろう懊悩、苦悩、その他様々なことは省かれ、要点だけが告げられる。
それだけでも―――まあ、重い。
それほど想われている"あちらの私"が少し羨ましいと思えるくらいに。
まあ同時に、随分苦労しただろうなぁとも思うけれど……
聞いた限り、シャーレ爆破で二日も寝込んでいたのに目覚めて即座に活動しているし、当時のそちらの"私達"の内心を思うと同情すら湧く。
「―――ああ、いや。生きる理由は、もう一つ」
そこで、自嘲するように笑いながらベルが言った。
なんだろうと思ったのも束の間、ポン、と頭に優しく手が置かれる。その手の主―――ベルに目を向ければ、優しい表情で私を見つめていた。
なんとなく、私を見ているわけではない部分も感じるけれど。
でも―――その焦点は茫洋とせず、私を捉えている。
それから彼女は顔を横目でヒナ達に笑いかけ。
「今は、この世界の便利屋の社員だから」
誇るように、私を撫でながらそう言った。
あまりに唐突で不意打ちのそれに、私は言葉を喪って固まるしかなかった。
躊躇いもなく信じて。
臆面もなく誇って。
恐れず頼ってきて。
どれだけ絶望し、歪み、捻じれても―――心の奥底に秘めている部分だけは変わっていない。変わっているのは姿かたちと名前だけだった。
ワカモを介して心の傷に向き合う事になるだろうと逃げなかったのと同じ。
10年以上背負っている喪ったものへの感情も、惜しげもなく晒してくる。
「ッ……はぁ……ホント、そういうところは社長と同じなんだから……」
恥ずかしくなるほど真っ直ぐなそれに、私はシャーレへ送られる直前とほぼ同じ言葉を返すばかりだった。*5
「そう? 全然違うと思うのだけどね」
よく分からないと首を傾げる副社長に、私は嘆息する。
そんな私達に、最初にあった警戒や疑念は消えて、呆れながらも微笑ましいものを見る表情をヒナ達は向けてくる。
話を終えてからは、こちらの様子を窺っていた先生達も。*6
縛られている七囚人の視線は、じっとベルへと固定されていた。
・鬼方カヨコ
便利屋大好き元最年長の課長
今集まっている面子が思っていた以上にベルの心の傷だったと知って若干顔が死んでいる
諸々をいきなり知らされたヒナ達には少し同情
自分達が生きる理由と言われた最後の方は嬉しさ半分恥ずかしさ半分
途中から先生達も話を聞いている事に気付いてはいたが敢えて何も言わなかった
・空崎ヒナ
別世界の自分が命を落としたと知らされた風紀委員長
シロコ*テラーとロクに話していない、箱舟に行かなかった事もあり他世界のキヴォトスについてあまり多くを知らないが、思っていた以上のものが出されて終始冷や汗を流している
一番危機感を煽られたのは滲み出たベルの殺意
途中まで内心強く警戒していたが、二つの生きる理由を聞いて便利屋にいる間は大丈夫そうと警戒度を下げた。連合作戦演習の目的を聞いて先生が協力したことも納得している
現在はベルという生徒の復讐に関して先生はどんな見解を示したのか気になっている
・天雨アコ
別世界とはいえ敬愛する人の死を聞いて動揺した行政官
ゲヘナ最強と名高いヒナの死を信じたくはなかったが、それを話すベルの顔が薄くしながらも分かりやすいくらい絶望と諦観が綯い交ぜになった表情を浮かべていたので信じざるを得なかった
一線を易々と越える存在として殺しと聞いた当初は警戒を向けたが、今のキヴォトスに来てからの行動や動機、生きる理由を聞いた限り便利屋にいる間は大丈夫そうと警戒度を下げた
現在はベルという生徒の復讐に関して先生はどんな見解を示したのか気になっている
・先生、カンナ、ワカモ
話が終わって待ってる間に
先生は初めて聞く話に内心頭を抱えているが、話をされなかっただけでそれらも込みで今を生きる理由をこの世界に来て二つも作れていて、うち片方は協力出来ている事実に少し喜んでいる
カンナはヒナ同様に別世界の自分が死んだ話を聞かされて苦い顔をしているが、何となくどうしてそうなったか察しも付いて納得も抱いている
ワカモはお面で表情が分からないが、顔をじっとベルに向け続けている
・地下生活者
ベルの復讐対象、その片割れ
奇跡の世界ではシロコ*テラーの襲撃によりゴルコンダと入れ替わったフランシスの手で解放された彼が、シロコ*テラーとプレナパテス、ベルの世界それぞれでどう解放されたかは定かではない
小鳥遊ホシノの反転、セトの憤怒の呼応、空崎ヒナの死、対策委員会の悲運、カイザー、ネフティス、私募ファンドたち―――様々な勢力を駒とした"キャンペーン"を経て、彼がホシノの苦しみを介して『死』をどう理解できたかも、ベルは語らない
ただ―――『先生を殺した』一点で、彼は憎しみを買った
たとえそれが別の世界の自身が買ったものだとしても、復讐者に道理は通じない。同じ目的のために動き得るなら滅ぼすのみ
見送ってきた想いと死はその憎しみをより深く、強いものにしている
先生との対話を経た判断により、失敗し『死の神』を恐れた奇跡の世界の個体のみ破滅への嚮導を免れているが、いつでも『対処』できるよう毎日監視されている
・陸八魔ベル
"先生"の死により道から外れた者
尾刃カンナの死であまねく奇跡の世界から外れた瞬間を自覚した
シャーレの先生の死で最早取り返しが付かない事を悟った
そして空崎ヒナをはじまりとし、血を血で洗う時代の葬送も諦観と共に請けていた
多くの想いと骸を葬った積み重ねの全ては地下生活者への怨みと憎しみの根幹になっている
―――今は、生きる理由達と共に余生を謳歌する半世捨て人
未だ煉獄を彷徨い進む途上にある
列車砲シェマタを巡る私募ファンド、ネフティス、カイザー、対策委員会、ホシノ、ゲヘナのヒナの騒乱はシャーレ爆破の翌日、総会当日の昼~夜に掛けてのもの
ベルが目覚めたのは総会の翌日のためすべてが終わっている
アビドス3章ではバッドエンドスチルを連想させる構図で倒れているSDシーンもあるが、シロコ*テラーなどからの明言は無い
しかしヒナが駆け付けたのは、私募ファンドやカイザー、ネフティス、シェマタなどを徹夜で調べた朝、シャーレ爆破直前のプラナへの幾つかの頼みの内の一つによるもの
未来知識持ちのベルもいて対ホシノとしてヒナを呼ぶ目的で軌道修正を掛けられもするので、キヴォトス動乱の最中にあったベル世界でも同様にA.R.O.N.Aに頼んで来てもらったとしている
それでも拒否された。
……きっとそれが彼女の進む道であり、かつてから選び続けてきた道なんだろう。
そして、あちらの"私達"が繋げた道。
「わかったよ……まったく。そういうところは社長と同じなんだから……」
火器を使う私達からすれば目と鼻の先で、普通に話していても集中すればあちらの話も聞こえてくる距離だ。