狐坂ワカモの問いで、場の空気は緊迫感で張り詰めていた。
陸八魔ベルは朝陽に照らされた崩落した廃墟街を見て、こちらに背を向けている。鬼方カヨコが寄り添うように左手を握り、顔を覗き込むように見上げるが、背中越しで分かるほどの反応は見えない。
けれどその寂寥を滲ませる背を見れば、彼女の意識が街並みの観賞に向いていない事は明らかだった。
―――『知る必要は無い』と、彼女は私とアコ、鬼方カヨコに言った。
先生が爆殺され、ホシノと"私"とが命を落とした後のことで、アコに話すよう促されても口を噤んだ。平和以外の
"私"の遺骸を運んだこと以上の事があったのだと、言外に言っていた。
狐坂ワカモが問い質そうとしているのはそこなのだ。
そこはおそらく、"私"の死を話したこと以上の何かがあるのだと私は察した。
「あの、
「―――聞こえているわ……えぇ、ハッキリとね」
再三の問いかけに返されたのは、感情が死んだ声だった。疲弊し、脱力し、
……既に限界のように感じた。
私はその場に集まった面子と、彼女の話から分かる関係性を再確認する。
先生。
彼女が爆殺現場にいたかは分からないけど、『私も目を覚ましたのはシャーレ爆破から二日後』と言っていたから恐らくいた。巻き込まれていたなら"その瞬間"も見ているかもしれない。
そして先生が亡くなっても、先生が携わっていた仕事に従事するほど入れ込んでもいた。
私。
目覚めた後、アビドスに向かってから亡骸として見て、ゲヘナまで運んでいる。
抱いていた感情は不明。
アコ。
先生の護衛だった陸八魔ベルが"私"の亡骸を運んだ時、二人の死もあって錯乱して何かを言っていても不思議ではない。
末路は不明。
鬼方カヨコ。
絶望して色彩に触れ、反転した嚮導者の砂狼シロコを操る無名の司祭達によって死亡。
尾刃カンナ。
カイザーコーポレーションが連邦生徒会を襲撃した際、赤い空や虚妄のサンクトゥム飛来が無く、計画を続行。そのまま何らかの事故か抗戦の中で亡くなったのだろう。
おそらくは私達の世界との最初の差異。
そして、狐坂ワカモ。
問われた瞬間の様子からして、その末路をまず間違いなく知っている。
それに加えて恋をしていた事も把握済み。
先生の護衛として就いていながら守れなかったという事実を前に、どんな事があったかも想像に難くない。
きっとそれすらも霞む何かがあったのだろうけれど。
―――これは、良くない。
改めて確認して、顔ぶれのマズさに気付く。あまりにも彼女にとって良くない顔ぶれだ。
案じる気持ちで先生に目配せをする。問いに集中するがあまり身を乗り出しそうになっている狐坂ワカモの肩を掴み、落ち着かせようとしている先生も、女性の背中へ慮る顔を向けた。
「―――ワカモ。私からも問いましょう」
しかし先生が何かを言うよりも早く、いくらか声に力を取り戻した陸八魔ベルが言葉を掛けた。それを無理に止めることは先生に、そして私達も出来ず、そのまま狐坂ワカモとの会話が再開してしまう。
「空崎ヒナの死の辺りから聞いていたのなら、私が『知る必要は無い』と言ったことも聞いているわよね」
「はい。聞いていました」
「赤い空は来て、動乱は回避された。あなたの想い人はこの世界で、数多の生徒達と共に生き続けることでしょう……その上で、なぜ聞くのかしら?」
問いかけながら、陸八魔ベルは僅かに首を巡らせた。
しかし髪、角、コートのファーで表情はおろか目元もこちらには見えない。意識だけが向けられていた。
「知りたいのです」
「知って、どうする?」
「己の糧とします」
「糧にして、どこを目指す?」
「分かりません」
端的な問いに、端的な返答。二人の感情を抑え―――いや、凝縮したからこその丁々発止の応酬は、まだ続く。
狐坂ワカモが、思う事を告げる。
「ですが……知れば、選べます。けど知らなければ、それも出来ません」
「そうね。けれど、知らない方が良いこともある。そして私はそれを推奨する。それでも?」
「私は今日、あなたを知らないが故に過ちを犯した。このままでは、あなたの世界の"私"と同じようになるかもしれない。だから、知れることは知っておきたいのです」
狐坂ワカモのその訴えは一方的で拙いものだった。
辛いから口を噤んだのだろう人に、知りたいから話せと頼み込む。それがどれほど非常識的かが分からないとも思えない。それを頼み込める立場でもない。
怒鳴りつけられても仕方のない話だったが―――視線を集める女性は顔を静かに前へ戻すだけに留めた。
それから少しして、おもむろに青空を仰ぎ見る。
「重要なのは、経験ではなく選択、か……」
"ベル……? 今、なんて……"
「―――なんでもないわ。ただの
私達でも聞こえなかったその呟きに、先生が反応する。
しかし彼女は誤魔化すようにただの愚痴だと言って
意味があったのかは分からないやり取りだが、彼女から感じる圧が少し和らいだ気がした。
それから数秒の沈黙の後、陸八魔ベルがゆっくりと振り返った。どこか達観した面持ちで狐坂ワカモを正面から見据える。
「服毒自殺よ」
そして、ハッキリと末路を告げた。
その答えに私を含めて息を呑む気配が多数あったが、それに狐坂ワカモは含まれない。表情の分からない狐面で眼前に立つ女性を凝視し続けていた。
少しして、狐面の彼女の顎が動いた。
「あなたは、何故その事を知っているのですか?」
「葬送の依頼があった。自身の全財産を報酬に、己の骸を葬ってほしいと」
「その依頼を引き受けたのですか?」
「引き受けたわ。指定された位置で眠っていた"彼女"を回収し、ブラックマーケットの火葬場で焼いた後、D.U.シラトリ区の合祀墓へと納骨した。遺体の無い先生の墓近くのね」
「先生の……それは、私が指定を?」
「いいえ。"彼女"の場合、選んだのは私」
「……全財産と言われましたが、それを証明できますか?」
一度覚悟を決めたからか立て続けの問いに端的に答えていった陸八魔ベルが返答を止めた。
しかし言葉の代わりに彼女の頭上の左右に二つの闇が開く。両手を広げるように持ち上げ、闇の真下に持って行った直後、闇の穴から物が落ちてきた。
左手には、今は尾刃カンナが取り上げているものと同じ長銃。
右手には、今も狐坂ワカモが着けているものと同じお面。
この場に全く同一のものが二つ存在したことで、陸八魔ベルの言葉は真実だと裏付けられた。
「
遺品。
報酬として譲渡されたのに彼女はそう言った。そこにどんな心情が籠められているかは、当時を知らない私には分からない。
「……いえ。十分です」
「そう」
遠慮する言葉に、陸八魔ベルは短く頷いて両手に持った長銃と仮面を再度闇の中に仕舞った。
―――流石の狐坂ワカモも勢いが弱くなってきている。
しかしそれは、別世界の自身の死を知らされたからだけではないと、同じようにさっき教えられた身だからこそ理解できた。
彼女が覚えた衝撃は私のそれとはまるで違う。
「あなたは……そちらの"私"に、強く信頼されていたのですね」
別の世界の"自分"も認めた相手だと知ったからこその衝撃だった。
私にそれは無かったのは、陸八魔ベルと"空崎ヒナ"の間の個人的な関係性については一切なかったから。ただ死を知り、亡骸を運んだという結果だけを教えてもらった。そこに彼女がどう思ったかの所感は挟まっていない。
……それすらも、彼女の気遣いだったのだろうか。
「信頼、か……どうかしらね。今となっては、もう分からないわ」
「私にはわかります。信用していない者に死後を任せるような判断も、全財産を報酬として提示することも致しません。それは本来、先生にする筈だった事です」
「……本人が言うなら……そう、なのかもね」
決然とした声音で断言するう狐坂ワカモに、彼女は苦しげに笑った。
年齢を考えれば10年以上前のことで今更真実を知った形だ。もっと早くに知っていれば……と思っているのかもしれない。
「ベルさん―――この度は、申し訳ありませんでした」
唐突に、ワカモが頭を下げて謝罪した。
それを見て、それまで黙っていたアコが声を上げる。
『人の言う事を聞かないと有名なあの『災厄の狐』が真っ当に謝罪……!? え、天変地異の前触れですかこれ!? いやある意味陸八魔ベルは天変地異かもしれませんが!』
「こ、これは本当に更生の兆しが……!?」
信じられないとアコが言い、驚きながらも喜色を滲ませながら尾刃カンナも言葉を漏らす。
声にこそ出さないが私も心底驚いた。
様子を見守る鬼方カヨコも瞠目している。
"ワカモ、それは……"
ただ、先生は少し渋い顔をしていて。
「―――生憎だけど、その謝罪は受け取れない」
同様に、陸八魔ベルも厳しい面持ちで頭を下げる狐坂ワカモを見つめていた。
「なっ……何故ですか!? わ、私はただ、犯した過ちや迷惑を謝ろうと……!」
謝罪の拒絶を聞いて慌てて顔を上げた狐坂ワカモが当惑を露わに問いを投げる。
そんな彼女を、自身の世界の"狐坂ワカモ"との別離を話していた時の弱さを霧消させた陸八魔ベルが見据える。
「私の話を聞いて、あなたは私を信用していい人物と考えて謝罪したのでしょう。けれど……それは都合が良すぎるわ」
言いながら、彼女は首を巡らせ、崩落した廃墟の街並みへと目を向けた。
連邦生徒会や当該地区の土地権などを持っている者、地下に通っている水道や鉄道の施行者や管理人等々、迷惑が掛かっている人は数えきれないほどになっているだろうその破壊痕へ。
「さっさと無力化すれば幾らかは防げた事だから私が言うのもなんだけれど……この地域も区画ごとに土地の所有者がいて、開発計画もあった。それが全部水の泡。ここだけじゃない。私を襲撃した際に壊したバスや通勤していた人達、道中の強奪、略奪も、色んな人に出した被害。それらよりもあなたは今、信用を向けた相手への申し訳なさを優先した形よ」
「あっ……そ、それは……」
「過ちと認められるなら、個人の謝罪をするのは法の裁きを受け、秩序へ罪を
「うっ……あ、ぅ……」
厳しいが、けれど間違ってはいない彼女の言葉に、謝罪を受け取ってもらえなかったことのショックもあってか狐坂ワカモが言葉に窮し、俯いた。それからお面越しでも分かるくらい泣きが入り始め、スン、と鼻を啜る音も聞こえてくる。
あの七囚人が……という思いに駆られながら私は先生に視線を向ける。生徒が泣いている状況だけどどうするのだろう、と。
先生は、泣いているワカモを難しい面持ちで見つめていた。
慮る目はしている。でも表情は、ここで厳しくしなければ……と未来を考えて思い悩んでいるように見えた。
生徒のことを想うからこその懊悩だ。
―――その懊悩は、陸八魔ベルにも浮かんでいるように見えた。
俯き、すすり泣く狐坂ワカモを見つめる二人の表情が、性別が違うというのによく似ている気がした。
「ワカモ、聞いてちょうだい」
その呼びかけにびくりと体を揺らした狐面の少女が、恐る恐る顔を上げる。
恐れを滲ませる少女に、陸八魔ベルは懊悩で険しくなりながらも、寂しさの中に優しさを同居させた顔で語り掛け始めた。
「あなたは、まだ間に合う。人の幸せを願えるから。そして、このキヴォトスにはすべてがあるから」
「す……すべて、ですか……?」
「過ちを裁く法。贖うべき秩序。清算した後に帰る場所。犯した罪を謝る相手。そして―――それらを見届け、一緒に謝り、歩んでくれる人」
そこで、陸八魔ベルは先生に視線を送った。つられて狐坂ワカモも顔を巡らせて先生を見る。
見られた先生は照れる事も無く、真面目な顔に微笑を浮かべ、狐坂ワカモの視線を受け止め返していた。
「私の世界の"ワカモ"は全て無くなった結果心が折れた。先生が命を落としたからだけじゃない。私の世界のキヴォトスは何もかも取り返しが付かないところまで転げ落ちていたから、"彼女"は見切りをつけたのよ……でも、あなたはまだ間に合うわ」
その言葉に、狐坂ワカモが視線を大人の女性へ戻す。諭すように言葉を紡ぐ女性を見る狐面越しの瞳に、戦いで対峙した時のような狂気的な気配は無い。
その眼を、女性は懐かしむように見つめていた。
……彼女が最後に会った"ワカモ"も似たような顔をしていたのだろうか、とふと思った。
「悪人とは他者の幸福を貪り未来を奪う者の別名。そして悪人は、ロクな末路を辿らない。誰かと幸福を作ることを望むなら、悪人で居続けるのはやめなさい。裁きを受け、罪を償い……更生してから堂々と恋に生きなさい」
「……それは、経験則でしょうか……?」
「ええそうよ。いつ死ぬか知れない身なんてロクなものじゃない。キヴォトスを滅ぼそうとする狂信者、我欲のために世界の滅亡も厭わない求道者、そして絶望して堕ちた者を始末して回っている私ほどの極悪人は他に居ないわ」
「あ、いえ。そちらではなく……」
「え?」
狐坂ワカモが聞いたのは『恋に生きる』の方だろう。護衛や仕事の補佐など便利屋の仕事以上に先生を優先していたこれまでの陸八魔ベルの話を聞けば、彼女が自身のように先生に想いを寄せていたのでは……と考えても無理はない。
それが当たっているかは分からないし、陸八魔ベルも当然のように『ロクな末路を辿らない』の方で答えているから真実は不明だけど。
「……ま、ベルは"そう"だよね」
「カヨコ? 待って、どういうこと? 本当に分からないのだけど……」
「分からなくていいよ」
鬼方カヨコが呆れたように頭を振る。意味を問われてもはぐらかしていた。さっき私やアコの前で惚気られたことの仕返しだろうか。
―――ともあれ、これがこの二人の意識の差なのだろう。
狐坂ワカモは犯した罪を気にしてこなかった。
ただ己が衝動のままに生きてきて、先生と会ってからはどうやら恋もしていたらしい。それによる暴走による被害には目もくれず。
今回はそこから目を背けられなくなった。
対して陸八魔ベルは、犯した罪を忘れなかった。
憎しみの根幹には喪失があり、その喪失の原因は自らの失敗にあると考えている節がある。
彼女の先生を守れなかった事。アビドスの子達の窮地に間に合わなかった事。私の遺骸を運ぶことを、唯一できた事だったと言ったこと。報酬として譲渡された品を、遺品として未だに所有権を受け取り切れていないこと。
いっそ背負い過ぎなくらいに彼女は罪の意識に苛まれている。その抱えぶりは、様子がおかしかった頃の小鳥遊ホシノを想起させた。
―――ああ、だから……彼女は、『
そこで、電話で聞いた時に意味深に言葉を止めた理由を悟った。
彼女は先輩である梔子ユメ会長の死に直面し、それを抱えて生きていた。細かな経緯は知らないけれど罪の意識があったのは列車砲を巡る戦いに際して窺い知れている。
そんな彼女だから陸八魔ベルが抱える罪の意識が分かった。そして言葉選び一つで漏れてしまうから口を噤んだ。
本人と話せと言うわけだと、私は改めて納得した。
「んんっ、話を戻すわよ。私も人をどうこう言えた身ではないけど、あなたには期待もしているのよ。まっさらな身になって先生を補佐なり護衛なりしてくれればとね」
『なっ―――災厄の狐を護衛に!? 何を考えて……!?』
「恋した先生のためなら命も賭せる。能力は知っての通り。素行さえ真っ当なら適性は高いわよ。素行さえ真っ当なら」
「2回言ったね……」
「ワカモをよく知っているらしいあなたが言うならそうなのかもしれませんが……」
「まあ……正直、信じ難くはあるわね……」
治安側として厄介に過ぎる狐坂ワカモの大暴れと対峙してきた身からすれば、彼女が一個人を守るために徹する姿は正直浮かばない。守るべき先生諸共に爆破していく姿の方がしっくりくる。
でも―――たぶん、本当の事なんだろう。
先生に恋をしていて、先生を守るために動けた彼女の適性が高いというのは。
そのためには何でもかんでも破壊してでも敵を倒そうとする素行をどうにかしないといけないけれど……
先生が狐坂ワカモの未来を想って懊悩しているように、陸八魔ベルは彼女の現在の心や行きついた果てを想って言葉を駆使しているのかもしれない。彼女が見送った"狐坂ワカモ"の想いは、きっと他にも居ただろう大多数の子のように唐突に終わりを迎えた。彼女はそれをよく知っているから。
「護衛、ですか……このワカモ、先生をお守りするためとあらばたとえ灰になろうと火に飛び込む覚悟ですが……あなたはされないのですか?」
「緊急時ならともかく、平時なら『内』のことは基本私抜きで回して欲しいわ。そっちは先生担当。私は『外』担当だから」
『……あの、先生? 外とか内とか何の話です?』
"えっと……"
「『色彩の嚮導者』以外にも色々ある『外』の事*1は私に任せて、先生は私のような者を生まないためにも自分が背負っている生徒達や責任のことに尽力しなさいという話よ」
少し言い淀んだ先生に代わって陸八魔ベルがバッサリと言い捨てた。
それは、さっき私とアコが気になっていた事に関係ある話だ。
「先生は……陸八魔ベルが為そうとしてる復讐を、どう考えているの?」
先生を見上げながら問うと、彼はさっきも見た懊悩を浮かべながら難しい顔で口を開いた。
"キヴォトスを守ろうとする行いに、力になりたい。そう思ってる。彼女と会った時から今までもずっと。まあ……それは彼女が言った事で線を引かれちゃったんだけどね"
「……情けない話だけど、自分で『内』と『外』で線を引いておきながら、結局は連合作戦演習で協力を得たのだけどね」
"こっちのアル達の下に腰を落ち着けて、余裕が出来て、それで並行世界のムツキ達の未来を繋ぐために必要だと気付けた。だから行動した。それは別に情けなくないと私は思うよ"
「そう……」
静かに二人が言葉を交わす。
穏やかに微笑みながらのそれは―――どうしてか、互いにけん制し合っているように感じた。言葉も顔も穏やかなのに目が違う。
歩み寄ろうとする先生を、陸八魔ベルは静かに拒絶している。
"そして、君が手を汚さなくてもいい手立てを見つけて、止めたいとも思ってる"
先生がそう告げた瞬間、彼女の顔が今日一番と言えるほど一気に険しくなった。
明らかな逆鱗を踏み抜いたと私でも分かる。
先生は、分かっていたかのように悲しい顔のままだけど。
「―――それは無理よ。無名の司祭は本気でキヴォトスを滅ぼそうとしている。殺しに来るのよ? 以前にも言ったけれど、あなたは甘い。連中に対してそんな考えは捨てておきなさい」
"……捨てる事はできないよ。何か方法が無いか考え続けることも、そのために出来ることをすることも私の責任だから"
「……前にも言ったけど。そういう所、尊敬はしているけど……同時に、嫌いだわ」
悲しげな顔をした先生の言葉に、陸八魔ベルは嫌厭の表情で拒絶の言葉を吐き出した。尊敬し認めたいという感情と、嫌いで受け入れ難いという衝動の鬩ぎ合いが如実に表れた顔をしていた。
先生のようにワカモを諭していた部分が前者で。
後者は、どうしようもなく一線を越えてしまった部分の声なのだろう。
「一番嫌いなのは、過程も重要だから私達の世界だからと絆されて、この世界の地下生活者を監視に留めている自分の甘さだけどね―――!!!」
視線を切るようにあらぬ方を見ながら、彼女は大きくはないが、それでも激情の籠った苛立ちをぶちまける。
それは一線を越えた悪人だからこその苛立ちのようにも見えた。
ゲヘナでも似たような事を言う子は偶に見る。その子達は、いい子ちゃんを見てると自分達が悪いように感じるという、逆に自分の悪行を誇っているからこそ優しくすると格が落ちるといったコンプレックスのようなものだけれど。
彼女は、多分そのどちらでもない。
だからといって何なのかはまだ分からない。多分分かるのは、曲がりなりにも彼女の凶行を対話で留める事ができた先生くらいだろう。
―――そこで、遠くから車がやってくる。
ワカモを護送するための護送車も見えた。
陸八魔ベルも近付いてくる護送車を見て、話を纏めるためにか深呼吸を挟んだ後、狐坂ワカモを横顔で見ながら言葉を掛ける。
「ワカモ。分かったでしょう? 私は、この人の完全な味方じゃない。地下生活者が再び動き出すか、無名の司祭が現れれば、衝突する定めにある。先生が率いる
近付いてくる護送車を見て、陸八魔ベルが話を纏め始めた。
その結論は、とても奇妙なもののように思えた。先生の口ぶり、彼女の生きる理由からしてキヴォトスを破滅から守るためという同じ目的はある筈だ。
「陸八魔ベル。それは、協力できないのかしら」
「無理よ。先生にとってはキヴォトス存続のためとはいえ避けるべき最後の手段だけれど、私にとっては復讐の唯一の手段であり目的でもある……交わりはしない」
やはり、目的は同じ。ただ致命的に手段が合わない。先生のスタンスとも。
他の世界のムツキ達の未来を想う嚮導者、この世界の便利屋を想う
陸八魔ベルの意志はやはり固い。彼女の過去を聞いた時ほどではないけど、それでも声音には殺意が滲んでいる。
小鳥遊ホシノ達は優しいと言っていたけれど……
それでも彼女の根幹は、この世界に来る前から持っている
彼女の覚悟を見た私は、いつか破綻する呉越同舟の関係の存続ではなく、それが破綻した時の身の振り方を即座に決める。
―――もしも、"その時"が来たら。
―――先生を全力で助けよう。
理由があれば地下生活者を殺さず留められるなら、無名の司祭達にもそうなるようにする。操られる可能性をゼロにすればまだ止められるはずだ。
そのために無名の司祭を彼女よりも先に見つけて、捕まえる。
―――これは、彼女からすれば許せない行為だろう。
それでも、狐坂ワカモに『あなたはまだ間に合う』と言うような人を止めない理由にはならない。
自分を顧みて、自分のようにはなるなと考えられる人を見捨てる理由には。
これは、私がゲヘナの風紀委員長だからこその判断。
彼女はこの世界のゲヘナ生でもある。
ならば彼女は、風紀委員会が引く線を守らせる対象でもある。
力では敵わないだろう。他の子達に対してのように言う事を聞かせることはきっとできない。
それでも、誰かの幸福を願えて、そしてすべてがあると彼女が認めたこの世界なら、狐坂ワカモだけでなく彼女もまた同じように間に合うはずだ。
『奇跡の世界』と言ったのなら、それも許されたっていいはずだ。
せめて、『内』側でだけでも。ゲヘナ生としている間だけでも―――悪の立場と罪の意識から解放されたっていいはずだ。
突き放そうとする手を、逆に掴み取って引き上げるくらいしてみせる。
そのために、先生へ助力を―――ただお願いされたからだけではない私の理由で彼女の手を汚させないことを、決意する。
紅蓮のコートを羽織る背と青に映える長い赤髪を目に焼き付ける。
その背が、一線の向こうへ行こうとする時に気付けるように―――
「局長、お疲れ様です! 護送班、現着致しました!」
「―――ああ。ご苦労」
「わ、ホントに災厄の狐が捕まってる……」
「えぇ……報告には聞いてましたけど、この落盤全部ヤツがやったんですか?」
「本人からはそう聞いている。一応軽く聴取はできた。風紀委員長もいる以上逃走も無いだろう。先に共有を―――」
「……つまり無名の司祭とやらを消す間、先生をお守りすることを私に望まれているのですか?」
護送車が少し離れた位置で停まる。車から降りてきたヴァルキューレの生徒を、尾刃カンナが対応する。
不要だろう共有をしているのも時間を稼ぐため。
合間合間でこちらの様子を見て、そろそろ話を終えろと目配せしてきていた。
「その間だけじゃない。このキヴォトスが続く限り、ずっとよ。秩序を作る善人がいる限り、それから搾取しようとする悪人も生まれ続けるのだから」
「…………あなたは……」
「次に会う時は、
彼女がそう言い終えるとほぼ同時、尾刃カンナが部下を伴ってこちらに近付いてくる。
それを見て話はもう終わりと判断したらしい陸八魔ベルはもう言う事は無いと言うように再び背を向けた。
落盤した廃墟へ顔を向けた時、私は最初は気を落ち着けるためかとも思ったけど……過去に彼女の世界の"ワカモ"にも同じことをされたと聞いた今は、それに想いを馳せているようにも見えた。
大きな背中だけど、やはり寂しそうでもあるから。
実は信頼されていたのだと10年越しに知った今、彼女はどんな思い出を振り返っているのだろうか……
「―――先生。狐坂ワカモを連行します。よろしいですか?」
"……最後に私が言葉を送る時間を貰えるかな"
「手短にお願いします」
"ありがとう―――ワカモ"
「……はい」
"今度面会に行くよ。色々話したい事もあるから……そして、他の生徒の皆と同じように、ワカモも堂々とシャーレに来れる日を待ってるね"
先生は、頑張ってと励ますことも、反省してと改めて叱りつけることもせず、それらは十分伝わったと信じて期待する未来を伝えた。
「……必ずや、ご期待に応えます」
狐坂ワカモは一瞬の硬直の後、ゆっくりと頷き、震える声でそう返事をした。
その後、尾刃カンナの部下に連れられる形で七囚人『災厄の狐』は矯正局へと送られた。
脱獄からこれまでの無数の罪状により、すぐには出て来られないだろう。何度捕まえてもその都度何らかの手段で脱獄も繰り返している。その分の罪は、錠前サオリと違って何週間、何か月にも渡るものに違いない。
彼女なら、それを無視してまた脱獄してもおかしくない。
……それでも。
「あの様子なら、もう脱獄はしないでしょうね」
今の狐坂ワカモなら、それを少しだけ期待できる。
陸八魔ベル越しに、叶わぬ恋となった"自身"を知り、それを見届けた人の言葉を聞いた彼女なら。
何の確証も根拠もないけれど、今はそう思えた。
・空崎ヒナ
多くの問題児を見て、線の内側に押さえてきた風紀委員長
先生がベルを止めたがっているがベルが止まらない対立構造は、それを含めて地下生活者と無名の司祭の罪だと考えている
『外』に関しては何かを言う資格が無い
なので『内』であるゲヘナ生としての立場でベルを見る
もしも"その時"が来たら先生の意志と共にベルが手を汚さなくても済むよう全力で協力する覚悟。嚮導者、復讐者、どんな経緯があり力で敵わなかろうとゲヘナ生なら陸八魔ベルも線を引く対象故に
そして、ワカモに「まだ間に合う」と繰り返す人に、「あなたも間に合う」と引き戻すために
それがゲヘナの風紀委員長が下した決断である
―――また一つ、復讐者を留めた『過程』が現れた
・天雨アコ
多くの問題児を見て、線の内側に押さえてきた行政官
ヒナ同様に情報を集めていたが中々集まらなかった。しかしそれも納得の背景であり、万魔殿議長が語らなかったのも流石に嫌がらせではなさそうと判断した
なんとなく先生とワカモが何度も会っていることを察したが空気を読んで口を噤んだが、多分今後キレた時に口から突いて出る
ベルに対しては将来的に確実に衝突することを知ったためそこで警戒。概ねヒナが考えているのと同様で、本船オペレーター組との遠くない再会を予感している
・鬼方カヨコ
多くを知る故に沈黙を保った課長
この中ではベルの事情、頑なさや内心の諦観を最も理解している人物。"ワカモ"との関係性自体は初耳だが概ね心の傷になっていた事は予想出来ていたので驚きは無かった
なお一番驚いているのは、その"ワカモ"から全財産を譲られるほどの関係性になっていた事。次点でその信頼が一切理解されていなかった事
あちらの"自分達"の心労に思いを馳せて再度同情している
・尾刃カンナ
ベルに対して畏まっていた公安局長
相手は指名手配グループの副リーダーかつ怪しげな人物だが、背景や『再現』のあらましを知ってからは複雑ながら尊敬の念も向けている
ワカモを叱責し諭す場面はずっと「そのまま更生させてほしい」と心底願っていた。通った。局長は心の中でガッツポーズをし、表に出していないが全力で先生とベルに感謝した。矯正局長*2にも良い報告?が出来ると思っている
「『先生が言った事ならば』と思考停止を続けるつもりか?」があった上でベルの言葉が響いたのでカンナも褒め称えられるべきだが自覚は無い。でも先生が後で褒めるしお礼も言う
・狐坂ワカモ
矯正局へ護送された『災厄の狐』
本当に自分が愛用している銃とお面を持っていたので、現在は先生に次ぐ信頼をベルに向けている
事前に先生とカンナに詰められていた分だけでは更生は怪しかったが、別世界の自分が全てを託した相手であり先生も命がけで守ろうとしていたと知り、信頼を寄せての謝罪を拒絶されてショック。そこから畳み掛けられて反省した
先生の死とその果ての別の自分の死を知った結果、『すべて清算して綺麗な身で先生の護衛をする』という一つの目標が出来た
―――秘めた想いは、少女としてありふれた一ページ
まだ間に合う。ベルがそう信じたのは、苛烈なまでのワカモの想いの発露と、"彼女"が儚んだ世に足りなかったものがここにはあると知っているが故である
・陸八魔ベル
飴と鞭の鞭の方(無自覚)
先生と究極的には相対することを再確認。今回それがシロコ*テラーと便利屋以外にも知られた
様々な思惑、事情があるだろうが先生を信頼する全ての生徒が自身の敵に回ると予測し、その上で復讐を果たす覚悟でいる
―――秘めた想いは、復讐者としての激しい憎悪
もう間に合わない。積み重ねた骸が多過ぎると、かつて葬った少女の想いを見ながら自嘲を続け、同じようにはなるなと言葉を掛け続ける
・先生
飴と鞭の飴の方の教導者
ベルと究極的には相対することを再確認。今回それがシロコ*テラーと便利屋以外にも知られた
『大人のカード』を使ってでも人知れず対処する覚悟を固めていたが、その手を使えなさそうになっている。それでも経緯と目的を知った上での心強い協力者を多数得られた
ワカモを諭せたのはベルが"ワカモ"の全てを見届けていたから。その上で傷付いていることを理解し、掛ける言葉を探している