狐坂ワカモを乗せ遠ざかっていく護送車を一瞥する。
彼女が今後本当に更生するのかは分からない。
言葉は尽くした。問いに答え、想いは投げた。
それらをどう解釈し何を選ぶかは彼女次第。変わろうと変わるまいと、関わってこない限りは私がどうこうする必要は無い。
そう結論を出した私は、廃墟へ向き直りながらコートの内ポケットに手を伸ばし、位牌を取り出した。
文字入れをしていないそれは、私が生まれたキヴォトスを離れる際に自作し、以来肌身離さず持っていた物。私にとっては死ぬと分かって散っていった三人や手に掛けたシロコは勿論、あの日までに葬った多くの人々の墓そのものだ。
それに視線を落とし、瞼を閉じる。
―――脳裏に蘇るのは、最後に墓参りをした時のこと。
キヴォトス動乱の末期。
『色彩の嚮導者』となり無名の司祭をその場で滅ぼし、『色彩』を介して得た箱舟の力で混沌の領域に潜んでいた地下生活者の座標を特定して始末し、別のキヴォトスへ旅立つ準備が済んだ時には墓を管理していた者も居なくなり、墓地は荒れ果てていた。
好き好んで墓地で寝泊まりする者はいないが、足を運ぶ者を襲い、奪う者はいる。それ故に荒れた墓地の奥まったところに合祀墓があった。
そこに、私は多くの人の骨を収めた。
依頼で収めるだけでなく、亡くなっている顔見知りの子を私事で収めたことも。
それに別れを告げる際に作ったのが、この無名の位牌だった。
ムツキ達の墓。シロコの墓。先生の墓。共同墓地の合祀墓。ヒナのように各自治区で個別に埋葬され、荒れ果てた墓。
把握している限りの全ての参拝を位牌と共にした。
その喪失を、決して忘れないために。
―――次に思いを馳せるのは、ワカモのこと。
最後のやり取り。実を結ばなかった想い。世を儚み、眠りに就いた少女の亡骸。
とても安らかな死に顔だった事を、覚えている。
遺書には愛する人と同じ場所へ向かう意志だけが記されていた。この世に未練はないのだと、そう言わんばかりの潔さ。
先生が亡くなり、世界が破滅に見舞われて尚、貫かれた想い。
死して尚、生者へ臆面もなく伝えてきたもの。
「……叶うといいのだけど」
これは感傷だ。
この世界のワカモに特別な思い入れはない。"彼女"が最期まで貫いた想いと同質同量のものが、また無駄に無に帰すところを見たくなかっただけだから、領分を犯していると自覚していながら言葉を紡いだ。
別人に、過去を重ねているに過ぎない。
「何のこと?」
いつの間にか隣にいたカヨコに問われるが、感傷を振り払うように頭を振って誤魔化し、位牌を仕舞う。
言っても仕方のない事なのだ。
"彼女"の想いが実ることは、もう無いのだから。
「なんでもないわ……―――それより、一仕事終えた気分だけどまだ一日が始まったばかりなのよね。先生。遅くなったけど、今日の当番の仕事について教えてもらえるかしら?」
"……うん。実は、朝一番で大きな仕事があってね"
「そういえば、今日の当番で私を選んだ理由として言ってたわね」
「えっ。じゃあ私とベルとアコは抽選の偶然なの? 凄い確率だね……」
"それは本当にそう。私もびっくりだよ"
時が来れば、私は先生と衝突する。
あの人はこの世界の中だけでも私が殺しをしない道がないか探し続けるだろう。
そして私がその手に出ようとすれば力ずくでも止めようとする筈だ。
諦める訳にはいかない立場であり、そして諦められない想いが、『先生』という在り方の根底だから。
「……あの子達が操作したとかじゃないの?」
『あー! 不正を疑うなんてベルさん酷いですね!? 私は当然ですがプラナちゃんもそんなことしませんよ!?』
『同意。抽選は公平に行われています。そもそもそんな不正を行うくらいなら先生に指名を薦めています』
"違うみたい"
「みたいね」
『まあ、非効率的ですからね』
―――これが、黒服も想定外だった概念の影響か。
ただの身元不明の成人女性として便利屋に転がり込んだだけの方が、きっとずっと楽だった。
『先生』と『生徒』。
この関係性が今は縛りのような何かを感じる。『学園都市』の範疇に収まるようにという、見えない何かを。
嚮導者としての思考でも感じなかった窮屈感は、復讐心に対するもの。
ご法度の『殺し』を留めるもの。
―――嗚呼、まったく。想定外だわ。
重くなった空気を払うために笑顔で取り繕いながら、腹の底で呟く。
『それで先生、結局その朝一番の仕事というのは何なのです?』
"えーと……ヴァルキューレから、開発予定の廃墟街を拠点にした犯罪組織が多数あるから検挙に手を貸してほしいってあって。どうもそのせいで開発計画に着手できなかったみたいなんだよね"
「……先生。それ、もしかしなくてもワカモが落盤させたここじゃないかしら……?」
"……カンナ?"
「あー…………そう、ですね……ここです……」
『……検挙ではなく生き埋めになった人達の救出活動になりそうですね?』
「……今回は私も関わってるし、空間跳躍シーケンス*1で救出するわ」
"それはすごくありがたいけど、転移はあまり見せない方がいいんじゃない?"
「超古代技術の産物でできたーとか言っておけばいいわ。というかウチのベレナが出来る以上、都度言ってくれればあなたも使えるようにするわよ」
"長距離移動が楽になる誘惑来たぁ……"
だが―――『生徒』になったからこそ、先生達の協力を得られて『再現』を以て、本当の意味でムツキ達の未来を繋げられるようになった。
それだけで、何にも優る成果だ。
あくまで『外』に関する事だけで、『内』の事に関しては何の解決にもなっていないけど。
『あの、ベルさん? そのシーケンスって確か次元演算装置が必要な筈なんですが……もしかして箱舟を所有されてます?』
「してるわね」
『はあああああああ!?!?!?』
「うるさっ」
「アコ、落ち着きなさい」
『落ち着いていられませんよ委員長!? 私達がギリギリのところでどうにか落とした箱舟をこの人はサラリと所有してるって……というかカヨコさんその冷静さからして知ってましたね!? この分だとまだ話していない事ありそうですけどいっそもう全部話してもらえませんか!? だいたい最近の便利屋の動きが静かなのは―――』
奴らがこの日々を憎み、破壊しようとする以上、私に止まる理由は無い。
どうしても邪魔をするなら、その時は転移で飛ばしてから司祭達を殺すだけ。
絆されるくらい大切だからこそ、私は―――
殺意を強くするのだから。
ガタガタ、と振動が伝わってくる。
ある程度舗装されていると言えど年月を重ねればアスファルトは盛り上がり、あるいは削れるなどして段差ができる。その自然な振動が、今はどうしてか心地良かった。
我ながら心ここにあらずといった様子だ。
思考が上手く定まらない。
それは、己にとっての常識や根幹といったものが覆されたから。
立場、仕事の腕、言葉―――それらへ信を置いたところで意味は無い。それらへの信用は後の選択で容易に覆され得る。
過去拒絶していたことを、未来で率先して行うように。
あるいは過去行動していたことを、未来で拒絶するように。
……
あの方への想いは一目惚れが元だった。時間を重ねていく内に想いは募り、いく度の逢瀬を経て確たるものへと昇華した。
あの方は、
その確信を一目惚れの裏で無自覚ながらしていたのか。それとも一目惚れの後、逢瀬を重ねた後に得たのか。どちらかは今となっては分からない。
たしかなのは、私があの方に恋をしている事。そして決して裏切らない誠実な人間ということ。
―――そんな人が、もう一人いるとは考えたことも無かった。
陸八魔ベル。
突如現れた、謎の大人。シャーレの支援を受けて復学しながら、即座に指名手配グループに身を置き、しかしあの方のお傍で幾度となく手助けをしてきた人物。
彼女の真実は私の常識外の事ばかりだった。
だが、不思議と偽りとは考えなかった。
ゲヘナの風紀委員長達に語る姿、声に、虚偽を感じなかった。
彼女は確かに、喪失の絶望を知っていた。
その上で尚も信じ難かったのは、別世界の"私"が全てを譲ったということ。
『全財産』を"彼女"は提示した。
それは文字通りの全て。厳密に言えば、物理的なものの全て。"彼女"と言えど、恋をしていたなら心は"あの方"に捧げていたわけだから当然の話ではある。
裏を返せば、心以外の全てを陸八魔ベルに譲り渡したということ。
"先生"が生きていた場合、それは"あの方"の隣をも譲っていたことを意味するが、亡くなっていたとしてもその重さは変わらない。そうでなければ死後を任せたとて、骨を収める場所を自ら指定した筈だ。彼女が提示したなら重さは変わらなかったということ。
合祀墓の場所の提案を受け容れたのも、全てを彼女に譲り、気遣われた提案を拒む資格は無いと考えたから。
だが"彼女"はそれを言葉にはしなかったのだろう。陸八魔ベルは、"彼女"の選択の真意を、そこに行きつくまでの絶大な信頼を分かっていない様子だった。
「……"あなた"は、何を見てきたのでしょうか」
恋心以外の全てを譲るほどのなにかを陸八魔ベルと積み重ねた彼方の"私"に、疑問が募る。一体どんな日々だったのかと。
考えても分からない。
そんな光景が浮かばない。
それでも浮かぶのは、今日交戦―――いや、往なされ続けた時間の記憶。不敵に笑いながらも、思えばどこか哀しげでもあるその
『―――狐坂ワカモ、着いたぞ。降りろ』
その声が思考に割り込んできたと同時、キッ、と甲高いブレーキ音を僅かに立って護送車が止まる。どうやら目的地―――矯正局に辿り着いたらしい。
かつてはにっくき連邦生徒会の犬のたまり場としか感じず、どうにかこうにか抜け出そうと躍起になり、遂には脱走もしたものだが……
「……分かりました」
今は、ただの一つも脱走の類は思い浮かばなかった。
どうにも身が入らぬことを自覚しながら億劫に返事を返し、立ち上がる。両腕は後ろ手で組むようにして、手首、腕、肩それぞれを動かせないように固定されているので、扉が開くのを待つ。
少ししてそこそこ重厚な錠が開き、護送車の扉が開かれた。
―――だが。
扉が開かれた先には、資材が置かれたどこかの空き地が広がっていた。見るからに近場の工事に使うための資材置き場という風情。
どう見ても矯正局関連の敷地ではない。
それはかつてあそこから脱獄して周囲を見ている身なので嫌でも分かった。
「……
『―――どちらでもありませんよ、ワカモさん』
皮肉交じりの私の独り言にそう応じたのは、扉を開けたヴァルキューレ生の装いをしている二人組の片方が腰に着けていた無線機。
「その声……教授ですか」
『ええ。お久しぶりですね。今日の暴れっぷり、壮健そうで何よりです』
犯罪コンサルタントを自称する者、ニヤニヤ教授。
その素性自体は詳しくは知らない。犯罪の計画を練り、それを教授することで金銭を得ているらしいが、それは目的ではないだろう。
裏の人間は金を重視する。金の切れ目が縁の切れ目。自身に金を掛けるほどの価値があるかどうか、それを理解している者こそ相手が出す金に価値を見出す。
その者にとって、自身がどれだけ有用と判断されているのかを。
―――矯正局から脱獄させることは金にならない、むしろ使うだけだ。
脱獄が確実に成功するかも不明。脱獄させたとして、その者達が唯々諾々と従うかも不明。そんな聞き分けの良さがあるなら各学園の自治区対応の範疇で収まる。
無学籍ならばともかく……
私の場合はまだ停学。退学手続きは取られていない。
そんな者達の脱獄をこの無線機の先の相手は手引きした。利益優先ではない。
「ええ、お久しぶりです。脱獄の時以来……随分と間が空きましたわね?」
『ほむ。こちらにも少々事情がありまして。それにあなたは逐一指示を出されるような締め付けはお嫌いでしょう?』
「そうですわね。お気遣い頂きどうも」
交わした契約は一つ。
それは手引きした自身の事を言わないこと。それだけだった。
他の者は知らないが、少なくとも私はいっそ不気味なほどに何も要求されなかった。まあ締め付けを嫌うと知っていたから言わなかっただけで、算段はあるのかもしれないが……
無線機を持つ方ではない、ヴァルキューレ生に扮した手下が私の拘束を解く間に思考を纏める。
「しかし、今までに私が捕まった事もありますが、その時は接触されなかったですわよね?」
『ほむ。それはあなたが認識されていないだけですね。たとえば、バレンタインで幾度も捕まっては脱走を繰り返した時のこと。その中の一度は私の手引きですよ?』
「……警備が強化された後の、あの時ですか」
ニヤニヤ教授の示唆に、心当たりがあった。
バレンタインにて先生に初めて想いを告げるに至るまで、私は幾度となく脱走しては捕まってを繰り返した。収監を重ねる度にその警備も少しずつ――そもそも元が人員不足なのか杜撰だったので正直誤差の時が大半だが――強化されていった。
最初はヴァルキューレのあまりにもあまりな油断に始まり、提供された食事の食器も利用するなどあの手この手を駆使して脱獄できていた。
しかし一度だけ、私からはどうにもならない時があった。
それが警備局長が警備体制を見直し、厳重な牢獄へ送還した時。身代わり作戦をする前だ。
ヴァルキューレもまだまだだなと、先生へチョコと共に想いを告げる事に全力を注いでいたから当時は気にしなかったのだが……
「なるほど。この者達のように忍ばせた者を使った、と」
『細かな部分はご想像にお任せしましょう。まああの日のあなたの暴れぶりは痛快でしたし、楽しませていただいたお礼とでも思って下さい』
「そうですか……それで、今回のこれはどういう意図で?」
『ほむ? それは手引きした事ですか、それともこうして会話をしている事でしょうか』
「両方です」
教授にそう返すと、再度「ほむ」と思考を挟む合の手が聞こえてくる。しかし頭の回転が速いのか答え自体はすぐに返ってきた。
『手引きした事は、先の大暴れで楽しませていただいたことのお礼を。こうして話しているのは、まあ、私が忘れられているかもと思いまして。誰の差し金か分からなければ安心して脱走出来ないでしょう?』
「そういうことですか……」
自由になった手を口元に当てて頷きながら、嘘だな、と直感する。
無論直感なので、特に根拠は無い。
敢えて理屈を付けるなら……この手のことは様々な要素を加味して理屈で手筈を整える者が、特に理由もなく、礼代わりに忍ばせている者を使い捨てのようにするのは違和感がある。
私を護送していたヴァルキューレ生に扮している者は尾刃カンナとも話している。その上で私を逃がせば、この二人は今後使えない。そうまでしたのに私に恩を売る様子が無いのは損得の天秤が崩れている。
これが先生であれば、純粋に助けたことに理屈や理由を取り繕っていると思えた。
あるいは―――
ニヤニヤ教授にそれは無い。
目的も動機も不明な彼女は、およそ一時間前までのベルさんに対して抱いていた怪しさ以上のものを感じる。
無論それを馬鹿正直に表に出す事はしない。
―――とはいえ……彼女とも、ここで袂を分かつことになりそうですが。
「では、今回は遠慮させていただきましょう」
教授にそう返しながら、私は再び護送車の中へ戻った。
『……はい?』
素っ頓狂な声が無線機越しに放たれた。あまりにも予想外だったらしい。
まあ、これまでの行動とはあまりにも違うから我が事ながらそうなるのも当然だとは思う。
『お、おかしいですね……今なんと?』
「遠慮させていただく、と申し上げました。ええ。どうぞ私を縛り直し、矯正局へお連れ下さい。そうすればそちらの部下二人もそのまま忍ばせていられますよ? 心配せずともその事は喋りませんとも」
『いえ、そういうことではなくてですね? ワカモさん、どうされたのです? あれほど連邦生徒会を憎み破壊の限りを尽くしていたというのに、なぜそんな素直に……洗脳でもされましたか?』
「矯正局へ入りたくなる洗脳ですか? まあ以前、風の噂でNKどうたらの催眠術を小耳に挟んだ事はありますが、そんな都合のいいものがあればキヴォトスはもう少し平和だと思いますよ」
言いながら護送車の中から外を見やると、そのタイミングでどこかの何かが爆発した音が響いてきた。続けて銃撃音も。
感覚だが時刻は9時を過ぎた頃。サボった学生は街中を歩き、不良や傭兵達が元気に今日を凌ぐために働き、鎬を削る頃合いだ。PMCなど戦闘を生業にした大人達もそこに加わる。それがキヴォトスの日常。
今日までは私もそこに身を投じていたと考えると、暫しの別れを告げる事に少しの淋しさを覚える。
『シャーレの先生……いえ、タイミングを考えるなら、あの成人生徒でしょうか。彼女はこちら側の人間ですし、なにか通じるものを見て感銘でも受けられたのです?』
「さて、何のことでしょうか。彼女があなたに近しいという話も初耳で」
すっとぼけるようにして答える。
それは嘘半分、真実半分。
ベルさんが教授側というのは本当に知らない。
事前に調べた限り、便利屋68はそれなりの実績こそあれどマフィアのようなところまで傾いてはいないから、教授の目に留まるほどではない。
情報収集の一環で一般市民だけでなく裏の人間とも通じている事は調べているが、ブラックマーケットの更にその奥の深淵まで足を踏み込んでいるとしても、それは私の知り得ない部分である。
真実なのは、ベルさんからの言葉を受けて考えを改めたこと。
まあそれは先生達の言葉や、ベルさんを介した"私"の想いを知っての事でもあるのですが……
「そもそも私、縛られるのは勿論、恩着せがましいのも嫌いでして。利用してやろうという意志を見ると踏み躙りたくなるのですよ」
勿論、純粋な善意と見れば受け取る。子供、老人、先生達のものは。
それ以外は少し考える。そして今回は考えた上で踏み躙ることを選んだ。
初回の脱獄の手引きも何かしらの魂胆は見え透いていて、それでもまあ脱獄できたのは彼女が居たからというのもあり、一度くらいは手を貸すのも吝かではなかった。
その機会が巡ってくる前に先生とベルさんにお会いしたのが彼女の運の尽き。そう諦めてもらうしかない。
教えてやる義理も無いのでわざわざ口にはしないが。
『それで矯正局へ入るのですか? 歪んでませんか、あなた』
「あらあら。犯罪コンサルタントともあろう方が、私を品行方正真っ直ぐな真人間とでも思っていらしたのですか?」
『いえ、歪んでいると言ったのはそれで矯正局に入った後どうするのかという部分なのですが……私にはただ私に反発して考え無しに癇癪を起こしているようにしか見えません。それともまた暴れられるのですか? 流石にそちらの手引きは致しませんが』
「不要ですよ」
『ほむ……』
不可解だと言わんばかりの教授の思案の声がまた漏れたが、また程なく声が聞こえてきた。
『まあ、あなたがそう言われるのでしたら今回は無かったことにしましょう……お二人とも、ワカモさんを改めて縛り直してください』
私が意に沿わないと見て、部下の二人を忍ばせ続ける現状維持に舵を切ったようだった。指示を受けた二人が困惑で眉を寄せながらも言われた通りに護送車に入って来て、私を再拘束していく。
その間に片割れが着けている無線機から教授が語り掛けてくる。
『この結果は予想外だったので少々困惑を隠せませんが……通話越しながら久方ぶりの再会、楽しかったですよワカモさん』
「そうですか」
『最後に一つ、お伺いしてもよろしいですか? ―――あなたから見て、『陸八魔ベル』がどんな人物なのか』
「……そうですわね」
少しの間、黙考する。すぐに話せるほどの情報量ではない。
別世界のキヴォトスを生きた人。
喪失と破滅、絶望と死を見届けた人。
嚮導者となり、世界を巡る人。
復讐心故に殺しをするが、それが世界を守ることにも繋がっている。
別人と分かっていても、その人達の未来を繋ぐためにも戦っている。
「再拘束、終わりました」
『ほむ。ご苦労様です』
程なく彼女の部下の二人が再拘束を終えたのか、体を離した。
「―――彼女は……」
それを契機に、私は率直な感想を述べた。
「
その手に掛けるという意味でも。
その目に掛けるという意味でも。
『ほむ……それは、それは……お会いするのがたいへん楽しみですね』
その言葉を最後に護送車の扉は閉じられ、密やかな邂逅は終わりを告げた。
「アルちゃん。ダーメだ、ここら一帯ぜんぶ停電してるみたい」
「近くで起きた落盤で、断線してるとのことで……この辺の埋設された水道や電線全部ダメになったようです」
「要するにライフラインは全滅。範囲も広いし、復旧には最短二週間の見込みだってさ。ただ落盤地域の再開発計画とこの辺のも合わせて進める話も出てもしかしたら向こう一ヵ月とかになるかもって」
「せ、折角の休日だから優雅にコーヒー(ミルク&砂糖入り)片手に経営の勉強をしようと思ったのに、なんで今日に限ってこうなるのよ!? いやいつ起きても嫌だけど! 一ヵ月とかもうそれ別のトコに事務所構えた方がいいじゃないの!」
「あっはは! ベルちゃんが居ない間に勉強して見返してやろーって作戦がパァになっちゃったねぇ!」
「あ、あの、一応冷凍庫の氷を袋に詰めて、冷蔵庫の中の痛みそうな食材を冷やしてますが……お昼はお弁当がありますけど、晩御飯はどうしましょうか……?」
「ああ、ありがとうハルカ。そうね……とりあえずベルとカヨコにモモトークで状況を伝えておきましょう。夕飯はまあ非常事態だし外食にするとして……」
「あとは寝床探しだねぇ。ベルちゃんの箱舟にお邪魔しちゃう? 流石に今回のこれで貸してくれないって事はないと思うしさ」
「そ、そうね……それもモモトークで聞いてみましょう」
「―――およ? あっはは! アルちゃんハルカちゃんこれ見て!!!」
「ん? なによ、ムツキ……何かの記事のポスト? 『S.C.H.A.L.Eの先生に春の気配!? 交際相手ついに現る!?』……飛ばし記事じゃない」
「その下の返信欄!」
「ええっと……『お相手は便利屋68の社長!? それとも副社長!? ドロドロの社内修羅場爆誕か!?』……とありますね」
「なっ、なななな、なんですって――――!?!?!?」
「アルちゃんとベルちゃんで先生を取り合ってるって勘違いされてるみたいだねー。これ、今日は出歩かない方が良いんじゃない? アルちゃんめっちゃ狙われそーだよ?」
「アル様とベル様を出汁に記事を書くなんて許せない許せない許せない許せない……クロノスを爆破しますか?」
「いやーそれは良いよ。先生がキッパリ対応してくれるだろうしさ?」
「それに、ベ、ベル様は大丈夫でしょうか……今日当番ですし……盗撮もされて、こんな根も葉もないこと書かれて……」
「ベルちゃんはこういうの気にしないしノーダメなんじゃないかなー。今日はカヨコっちにヒナも当番に居るからそっち方面の対応強いだろうし、あの行政官もやる時はやるしさ」
「たしかに、カヨコ課長でしたら安心ですね……」
「おお、ハルカちゃんも言うねぇ……ハルカちゃんって、実は意外とベルちゃんのこと……」
「はい? なんでしょうか……?」
「―――んーん、なんでもないよ。ほらアルちゃん、惚けてないでモモトークにメッセ送って! 便利屋のことはアルちゃんが言わないとベルちゃん動かないから!」
「はっ……!? そ、そうね。今送るわ」
「その間に私は情報収集をー……って、ありゃ? おお。この辺の落盤事件の犯人って『災厄の狐』だって」
「『災厄の狐』……って、なんだっけそれ?」
「七囚人の一人だよ。しかも危険度バリ高で大暴れするやつ。そいつが落盤の犯人だって」
「なんですって!? 暴れるだけで落盤とか傍迷惑過ぎるやつね!? ゲヘナでも落盤までやるやつまず居ないわよ!? 温泉開発部ですらやった事無いはず!」
「まーだから矯正局に入れられてたんだろうね? たしか百鬼夜行だっけ? ウチでは手に負えなーいってしたから送られたんでしょ」
「……急上昇してるニュース関連の動画、『災厄の狐』と戦うベル様が映ってますね……」
「えー? じゃあもしかしてさっきまでベルちゃんって『災厄の狐』に襲われてたんだ? アルちゃんもベルちゃんも運が無いというか厄日だねー。流石同一人物ってカンジ」
「こんな悲しい同一人物判定、堪ったものじゃないわよ!!!!!!」
・陸八魔ベル
煉獄を往く恩讐の惡
『内』のことを大切に想うほど、そして想われるほど殺意が増すタイプの復讐者
先生の考えや気持ちは理解しているが既に決めていることなので止まらない
それでも苦しみながら対話に応じるのは『副社長』としての居場所を捨てる気が無いため。居場所を捨てれば苦しむことも対話に応じる必要も無くなるが、それを一切考えないくらいにはアル達に入れ込んでいるため、たとえ平行線の結論しか出なかろうと対話には応じ続けていく
モモトークで同一人物判定の話を知らされた時は「会った時に比べて判定がガバ過ぎる」と苦笑した
・狐坂ワカモ
更生は始まったが改心はしていない災厄の狐
先生至上だった価値観にベルも加えられ、色々話を聞いた結果ちょっと視野が広くなって聞く耳を持ちはしたが破壊衝動や『趣味:破壊・略奪』はそのまま
無垢・率直な意見は聞くが、指図や交渉は響かない
今回内心では教授との手切れを考えているが、言葉にはしていない
・ニヤニヤ教授
自称犯罪コンサルタント
金髪モップ族。七囚人の脱獄を手引きしたらしいが原作の詳細は不明
本作に於いては「脱獄したいなら手引きします。手引きした者のことは話さないでくださいね」を口約束して脱獄が始まり、破れるけどまあ裏切るのは……程度の強制力しか無いとしている*2
ワカモの恋心が明らかになるバレンタインイベントの会話シーンは先生と二人きりになったシーンであり、先生至上主義になっている事も把握しておらず、今回ワカモが矯正局に入る真意をうまく掴み取れず困惑
そのため原因は前からいる先生ではなく、新たに現れ今回初接触したベルにあると推理*3
ベルの裏界隈での顔や立場も把握しており、それを踏まえた上でのワカモの所感を聞いて意味深に笑った
・(故)ワカモ
想いに生き、想いに死んだ彼方の『災厄の狐』
全財産の譲渡は先生にする筈だったこと。それすなわち、身も心も相手に委ねるということ
心だけは、想いに従った
他の全ては彼女に委ねた
いつからか―――遅くともキヴォトス動乱の中で、ワカモは彼女のことを認めていた
・無名の位牌
文字入れがされていない位牌
生まれ故郷を去る前にベルが3人の墓と共に作ったもの
最後の墓参りと積み重ねた哀しみが記録されている生き字引
これもコートと同様に「崇高」に至り、世界に従う者達の干渉を断絶する破壊不可能な代物