アビドス市街地からカイザーを追い返す戦いの次に、ホログラムで映し出されたのは夜のアビドスの校舎の中だった。
対策委員会の子達へ本船に乗るようアルちゃんが発破を掛ける時に入った一度きりだけど、窓の外に広がる広大な砂漠や砂に埋もれ往く建造物の光景で一目瞭然である。
その校舎の中で、明かりが点いている教室の中から扉を開けた先生と、薄暗い廊下に立つ"
まだ封は開かれていないそれには、見ただけなのに不穏さを覚える何かがあった。
『"アル? どうしたんだい?"』
『先生と話をしたがっている人から、指定の場所までの護衛と案内を頼まれてね。そういうわけで先生、今からどうかしら? ―――彼女と関わりがある人よ』
そう言って、封筒を主張するようにヒラヒラと振る"彼女"に、先生が怪訝な顔をする。
『"彼女……もしかして、ホシノの事?"』
その問いに、"
『そうよ。彼女は自らの意思で退学届を出し、以前から持ち掛けられていたスカウトを受けた。この手紙の主はそのスカウトをしていた人なの』
『"……スカウトの件は話した覚えが無いけれど、それもその依頼人から聞いたの?"』
『昨晩、便利屋のメアドに彼女が送ってきていたメッセージに書かれていたの。『あの子達をお願い』という文言を末尾に添えてね』
そんなメッセージがあったのか、と内心で驚く。
こっちのアルちゃんに視線であったか問いかけると、彼女は静かに首を横に振って否定した。
つまりこれも"
『"なるほどね……案内を頼めるかい?"』
『そのために来ているからね。行きましょうか』
その信用を先生も抱いていたからか、理由を聞いて納得した様子でその話に頷いていた。
先生は合意の下に"
その間、相手のことを知るためにか先生は幾らかの雑談を試みていた。
『"そういえばムツキ達は一緒じゃないのかい?"』
『便利屋は基本的に四人で動いてるけど一人で動くこともある。今回がそうだったというだけよ』
『"そうなんだね。護衛と言うから、皆でするものなのかと"』
先生の疑問に、私も確かにと内心で同意した。
"
つまり―――一人にならなければならない理由があるんだろう。
『まあ、普通はそうね』
『"……つまり今回の依頼は、君達にとっての普通とも違うものなんだね"』
『それはまあ、生徒を退学に追いやったり自治区を乗っ取ろうとしたりする大人達からの依頼だもの。周到さ、偏執ぶり含めて普通とは一線を画しているものよ』
『"ムツキ達を巻き込まないために、一人で?"』
『まあ、それが無いと言えば嘘になるわね』
砂の積もった夜の街路を夜風を浴びながら進む二人の会話は、穏やかな声音のものだった。
話題からは非日常を漂わせて、雰囲気はいつ決壊するか分からない緊張感に満たされているけれど。
『"じゃあ、アビドス襲撃と今回の
その緊張感が、先生のその問いを契機に緊迫感へと膨れ上がった。
二人の歩みは止まらない。でも、会話は止まった。拒絶の意思が無言ながら"
でも先生の疑問も尤もではある。
私達は小鳥遊ホシノ救出戦に駆け付けたけど、対策委員会がなぜブラックマーケットに居たか知らなかったように、彼女達の事情や背景の多くを知らない。先の攻防戦も彼女が自ら退学し、それによって生徒会が無くなったから学校として認められないと、カイザーが勝手に判断して攻め込んだという認識だ。*1
多分あっちの先生も似たような認識の筈。
でも"
カイザーPMC基地に囚われていたから理事が契約を交わしたけど騙した……と思っていたのだけど違うのだろうか。
『……それは、会えば分かるわ』
私とおそらく同じ疑問を持っているだろう先生の問いを、"彼女"は少しの沈黙を挟んだ後にそう答えた。百聞は一見に如かずと言わんばかりのそれに、先生も分かるならと思ったのかそれ以上の追及はしなかった。
そこからは会話も無くなり、微妙な距離感と空気は目的地だろうビルに着くまで続いた。
オフィスビルの入り口に近付くと、警備担当のロボットが押し留めるようなハンドサインをしながら二人の前に出た。
『失礼。どんなご用向きで?』
『"えっと、私は―――"』
『こちらの大人が、この招待状を受け取った。私はそのエスコート役よ』
端的な返答と共に、先生にも見せていた黒地に白い罅の文様の独特な封筒が翳される。
それを見た警備のロボット市民が一瞬動きを止め、値踏みするように顔にあたるディスプレイを二人に向ける。しかしそれも数秒ほどで、道を開けるようにまた入り口の脇へと戻った。
それに目礼をしながら"
ビル内は広大だったけど、地図は頭に入っているのか"彼女"は迷いの無い足取りでエレベーターまで進んだ。ボタンを押し、高階層から下りてきたエレベーターに二人が乗る。
『―――忘れているのか、あるいはそもそも頭に無いようだから言っておくわね』
自動扉が閉まり、エレベーターが招待状にある階層まで登り始めると、それまで続いていた沈黙を"
顔は階層表示パネルを無感情に見上げ続けている。
その表情は冷ややかで、本当に対策委員会の子達に発破を掛けていた人と同一人物の顔か疑わしいくらい別物に感じた。
『アビドスは校舎周辺以外すべてがカイザーの敷地、つまり現状敵地にいるも同然。迂闊に自身の立場を名乗るものではないわ』
『"……そんなに危険な状況なのかい?"』
『今日相手取ったのはカイザーPMCだけど、アビドスでの事業は本社のコーポレーションをはじめ、インダストリー、コンストラクション、ローン、そしてPMCなどカイザーの名を関する企業の大部分が関わっている。それらの企業はブラックマーケットにも通じている。さらに理事と通じている人が案内兼護衛役を付けるくらい、私達は警戒されているとも示唆されている。この状況をこそ危険と言わずして何が危険と言うのかしら?』
『知識』で知っていた事を裏取りしているのだろう"彼女"の言葉には容赦が無かった。それだけ現状は厳しいぞと、自覚を促すそれは今のベルちゃんに通ずるものを感じる。
この時点だと先生がそこまで責められるような事あるかなぁと思ったが、ふと思い至る。
そういえばアビドスの校舎内に見張りの子居なかったなぁ……
『"……改めて並べられると、
もしかしてそれで"
それに同意するように"彼女"が頷く。
『シャーレもウチも、そしてアビドスも、規模で言えば木っ端もいいところ。大暴れしておいてなんだけど正直無謀な戦いね』
『"だとしても、あの子達は助けを求めてきたんだ。私は諦める気は無いよ"』
『そう』
無謀を承知で尚助ける。その先生の意思表示に、"彼女"は一転して不思議なくらい穏やかな雰囲気で首肯を返した。
そこで、ポーン、と目的の階層に辿り着いたことを知らせる音が鳴った。
エレベーターの自動扉が開かれる―――が。
到着した階は真っ暗で、更にはテナントなども入っていない無味乾燥な内装のままだった。エレベーターを降りた先生もその歩みには困惑や疑問が滲んでいて音の間隔が不揃いだった。
先導する形の"彼女"の足音は確信めいた一定の間隔だけれど。
『"えっと、アル……? この階で合っているのかい?"』
『ええ、合っているわ……―――案内したわよ』
『お待ちしておりました、先生』
"
どうやらブラインドが覆っていたのは窓ではなく蛍光パネルだったらしい。それに照らされる形で、事務用のデスクが一つ、ノートPCや何かの書類の束、そして執務用チェアに腰掛ける人影が一つ姿を見せた。
「な、なによあれ……」
その人影の姿を認めたアルちゃんが畏怖と戦慄を滲ませた声を漏らした。
その人影はハッキリ言えば異形の一言。黒い男性用スーツに身を包んでいる高身長のその人物は、肌は全て墨を塗りたくったような黒で、顔面や袖口から見える表皮には白い罅のようなものが走っていた。そして右目に当たる部分からは黒い靄と白い燐光が噴き出ていて、口に当たる部分が三日月の形に罅割れ裂けていた。
どう見ても尋常な人の姿じゃない。それなのに私達と同じ言葉を喋っていて、人の形も取っている。
ホログラム越しだというのに、どうしようもなく警戒心と忌避感が湧き出てくる。
ホログラムの先生も、眩しさだけじゃない何かで目を眇めている気がした。
"
『あなたとは、一度こうして顔を合わせて話をしてみたかったのですよ。連邦生徒会長が呼び出した不可解な存在、連邦捜査部S.C.H.A.L.Eの先生』
『"あなたは、一体何者?"』
『私の事は、黒服、とでも。この名前が気に入っていまして』
自身を『黒服』と名乗ったその大人は、それから立て板に水のように喋り出した。
先生と敵対する気は無く、むしろ協力したいということ。
先生を軽んじず警戒していること。
自身は先生と同じだが、また違った領域から来たキヴォトスの外部の存在であること。
自身の所属は『ゲマトリア』という、観察者であり、探究者であり、研究者であること。
『一応お聞きしますが、
それらを語った上で、黒服はそう問いかけた。
『"断る"』
先生はにべもなく、本当に取り付く島もないくらいキッパリと拒絶を示した。
そこまでハッキリ拒絶する先生は初めて見たからびっくりした。顔も、すごく怖い。
『……左様ですか。真理と秘義を手に入れられるこの提案を断ってまで、あなたはキヴォトスで何を追窮するおつもりなのですか?』
「……ん? 秘儀? それベルが言ってなかったかしら」
「言ってたねぇ。ベルちゃんの世界の私達の遺品からミメシスを作った"秘儀"どうこうの話」
黒服の言葉に引っ掛かったらしいアルちゃんに、記憶を引っ張り出しながら答える。
ついでにいえば『ゲマトリア』の名前にも覚えがあったけど後で教えればいいかなと思って今は口を噤んでおいた。
『"少なくとも、そんな提案に興味は無い。私にとってはホシノや対策委員会の子達を助けることの方がずっと重要だから"』
『クックック……先生。それに正当性が無いことにお気付きですか? ホシノさんはもうアビドスの生徒ではありません、届け出を確認されていないのですか?』
『"確認はしたよー――けれど、「顧問」である私がまだサインをしていない。だからホシノはまだ対策委員会の所属で、副生徒会長で、今でも私の生徒だ"』
先生は厳しい顔で黒服からの誘いには断りを、黒服の企みには否を返す。
私は後者の理屈に、その手があったか、と目から鱗が落ちたような気分になった。たしかに部活の参加や退部は部長だけでなく教員などの「顧問」枠の承認が必要だ。
アビドスはとっくの昔に教員が居なくなっていて形骸化していた。
だからこそ黒服はそこへの警戒が抜けていたんだろう。先生からの指摘に、右目の光を細め、考え込むように顎に手を当てた。考える時の癖なのか立ち上がり、コツ、コツ、と革靴の音を響かせながらデスクの前へと回り、先生と何も挟まず真正面から対峙する。
『なるほど……あなたが「先生」である以上、担当生徒の去就にはあなたのサインが必要と。学校の生徒、そして先生……ふむ。中々に厄介な概念ですね』
『"あなた達はそうやって責任を取る大人が居ないのをいいことに、あの子達を騙し、心を踏み躙り、その苦しみを利用していたんだね"』
『……ええ。確かに、仰る通りです。他人の不幸よりも、私達は自分達の利益を優先しました。善か悪かと問われればきっと悪と言われるでしょう』
先生からの追及に、黒服は悪びれる事も無く肯定した。
その上で、黒服は言う。『しかしルールの範疇です』と、あくまで法の内側の事だから問題は無いのだと。
―――よく聞いてきた理論だ。
ブラックマーケットだから法や倫理を無視して悪事を働く奴は少なくないけど、法の内で収めつつも人を騙くらかして搾取を目論むやつも確かにいる。そういった連中と似た臭いがした。
ブラックマーケットに来るように仕向けたわけじゃない。ただそこを生きるには仕方ない事だから犯罪に手を貸してもらっただけ、法外な借金を背負うことになっただけ、自分達は選択肢を与えたが選んだのは相手だ―――そんな何度も聞いてきたものと同じ臭い。
彼らの主張は、一定の正しさはある。真っ当に過ごしていれば大半の人はブラックマーケットになんて来ないのだ。
それとこれとは話は別なのだけど。
『アビドスに降りかかった災難は一定の確率で起こり得る自然現象であり、私達のせいではありません。私達はあくまでその機会を利用しただけ。砂漠で水を求めて死にゆく者に水を提供するというね』
『"その水が一生掛けても払いきれない額だとしても、自分達のせいではないと?"』
『世の中に於いてさして珍しくもないありふれた話でしょう。持つ者が持たざる者から搾取する。更に言えば何も私達が特別心を痛め、全ての責任を取るべきことでもありません』
黒服の話もそう。論点が違う。
アビドスの砂嵐は黒服達のせいではない。それはそう。自然現象だから責められるものじゃない。この事に関してはカイザーに対しても同じだ。
可哀想な状況の子に心を痛め、責任を取らなくていい。それもそう。
でもアビドスを、小鳥遊ホシノを追いつめた事で責められないわけじゃない。
カタカタヘルメット団や
『先生。ホシノさんさえ諦めていただければ、アビドス高校については守ってさしあげましょう。取り戻せますよ、生徒達が安心して学校に通える生活を。それはホシノさんも望んでいることの筈です』
それらを棚上げして、先生の『顧問がサインしてないからホシノはまだアビドス生』という主張を認めた上で、それでも黒服は彼女に固執していた。
先生に、生徒を売れと唆す。
―――それは先生にとって一、二を争うくらいの逆鱗に違いなかった。
『断る』
さっきよりも固く、冷たく、怒りを滲ませた声音で再度の拒絶。眉根も寄っていて物凄く不機嫌そうだった。
こんな先生、本当に見た事が無い。本気で怒るとこんなに怖いのかとちょっと怖く感じるくらいだ。
多分そう思われると分かっているから私達の前で怒ることなんて無いんだろうけど……
『……どうあっても、私達と敵対するおつもりですか』
『"あの子達は、ホシノもいる学校生活を望んでいる。誰一人欠けちゃいけないんだ。その前提でこれまでの生活を守りたくて私へ手紙を出して、私はそれに応えてアビドスに来た。彼女達の声を裏切るわけにはいかない"』
『放っておけば良いではありませんか。元々、あなたの与り知るところではないのですから』
『"断る"』
黒服の何かを抑えながらの低い促しに、先生が三度目の拒絶を返した。
その瞬間、ゴウッ! と黒服の右目から吹き上がる靄の勢いが増し、更に口元の割れ目から漏れる白い光も強くなった。
『なぜ? なぜ、なぜ、なぜ?』
そうして壊れたラジオのように『なぜ?』と繰り返しながら黒服が先生へ詰め寄った。
あと一歩で正面からぶつかるというところで"
『理解できません。なぜ? なぜ断るのですか?』
『"あの子達の苦しみに対して、責任を取る大人が誰も居なかった"』
『だからあなたはあの子達の家族でもないというのに、責任を取ると? ただ偶然キヴォトスに来て、偶然出会っただけだというのに』
『"子供が助けを求めた。理由なんて、それだけで十分じゃないか"』
それは、私達もよく知る先生の理由だった。
手伝いや助けを求められたからとキヴォトスの各地を飛び回って、心配だからと私達の様子もよく見てくれて、それだからこそみんなが信頼した―――その原点の想いだった。
『それがあなたの言う、責任を取る大人ですか』
黒服は、それに理解を示さなかった。
根本の考え方が違っていたのだ。
先生は子供が笑えば一緒に笑い、哀しんでいるなら寄り添って、悩んでいるなら手を差し伸べる姿を『大人』と定義していた。
黒服は、望む通りに社会を改造し、法則を決め、規則を決め、常識と非常識とを決め、平凡と非凡とを決め、持つ者が持たざる者から搾取する者を『大人』と定義していた。
―――多分、どっちも間違ってはないんだろう。
便利屋としてブラックマーケットにも居たから分かる。先生のそれは甘い理想論だけどあって欲しいと願うもので、黒服のそれは厳しい現実論だけど無いと社会が成り立たないもの。
だから問題の焦点は目的なんだと思う。
先生にとっては、子供の成長のためという目的。
黒服にとっては、社会は自身のために利用するという手段。
そんなすれ違いなのかなと思った。
『先生。あなたは、このキヴォトスの支配者にもなり得た。しかし、あなたはそれを迷わず手放した。一体その選択に何の意味があるのですか? 真理と秘義、権力、お金、力……その全てを捨てるなんていう無意味な選択を、どうして!』
そのすれ違いの要訣が黒服の疑問に現れていた。彼は対策委員会や先生がなにを重視しているか、まったく分かっていなかった。
―――これならまだカイザーPMC理事の方がよく分かっている。
ホシノを救出する戦いの最後に立ちはだかった時の理事は、対策委員会に対して「毎日毎日楽しそうに」と嫉妬の言葉を吐いていた。
その気持ちがあるだけずっと黒服より生徒に対して理解がある。
―――そして、先生と黒服の対話の前に"彼女"が言っていた事もようやくわかった気がした。
ホシノをスカウトした黒服からの
おそらくは黒服が感情があると知った上でなぜそれを優先するのか理解しない存在だから。ただの無慈悲とも違う、根底から違う存在だから遠ざけた。
多分私が同じ立場になってもアルちゃん達を関わらせようとはしなかっただろう。
『"……言ってもきっと、理解できないと思うよ"』
黒服の疑問に対する先生の言葉は、初めて聞く哀れみの声音のそれだった。
そうして二人は究極的に交わらず、交渉は決裂。黒服はやや投げやり気味にホシノを捕らえている位置がアビドス砂漠のPMC基地中央の実験室である事を明かした。
その際、ミメシスや神秘、恐怖どうこうとよく意味が分からないことも言っていた。
どのみち重要なのは、黒服が生徒を使って何かの実験をしようとしていた事。
そしてもっと重要なのは―――
『微力ながら、幸運を祈りますよ』
『"―――待った。まだ聞きたい事がある。あなたはアルとどういう経緯で知り合ったのか"』
そんな相手と"
同じことを疑問に思っていたらしい先生が、薄暗いフロアを歩いてエレベーターへ向かう黒服に問いを投げた。
その問いに黒服が足を止める。
『ホシノさんとはまた趣が異なる実験のためにお声がけさせて頂いておりました。全てお断りされていますがね。そして先生の論理で行くなら、あなたが居る限り『生徒』に手出しは出来ない……今後同じ契約は持ち掛けませんので、ご安心を』
振り返ることなくそう言い切った後、黒服は再度歩き出した。今度はもう止まる事はないだろうと感じさせる足音を響かせた後、エレベーターに一人乗ってその場から立ち去る。
その場には、大人として熱論を弁じた先生と、その衝突を静かに見守っていた"
『……明日も早いでしょう。アビドスへ帰りましょうか』
少しして、静かに"彼女"が切り出した。それ以上この場に留まっても仕方がないと思ったからだろう。
それに先生は頷きつつも案ずる顔を"彼女"に向ける。
『"うん。でもその前に、君は何もされてないかい?"』
『されてないわよ。契約を交わしていない事を黒服はしないからね』
『"それならいいけど……何で目を付けられたかは分かるかい?"』
『現状キヴォトス唯一の特異個体だからだそうよ。他の子を一色折り紙とするなら、私はその中に紛れ込んだ文字や文様が描かれた折り紙で、とても目立つのだとか』
"
勿論間違ってる可能性はあるけど……
「アルちゃん。一応聞くけどあの黒服ってやつに会った事無いよね?」
「ええ、無いわ」
私の疑問に、アルちゃんはキッパリと否定を返した。
その答えは黒服を初めて見た時の反応から予想の範囲内。
だとすると答えは自ずと絞られる。アルちゃんとベルちゃんは色々歩んできたものが違うけど、黒服が重視していた神秘とやらは多分生まれつきのもの。その点から該当するアルちゃん達の差異は『知識』だけ。
それを察するにしても妙な例えだと思ったが。
『"文字や文様……? それはいったい……"』
『柄が異なるだけよ』
原因を知って絡まれないように、という黒服の知的好奇心、探究心と異なる様子を見せる先生に"彼女"は苦笑を浮かべた後、その手を引いてエレベーターへと向かった。
それから場面が変わって、アビドスの夜の校舎が映し出される。
月夜の砂漠を背景にしながら先生が寝泊まりしている部屋まで送ったところで、"彼女"は口を開いた。
『これで依頼は完了。何事も無くて良かったわ』
『"何事も、と言うにはちょっと色々あった気もするけど……"』
『ふ、そうね。黒服との熱弁を介して先生の行動原理と、彼女の居場所が分かった。アビドス砂漠のPMC基地だったわね?』
『"そう言っていたね……来てくれるかい?"』
『行くわよ。ウチも目を付けられてるから、ここでカイザーに大打撃を与えておかないとマズいもの』
薄暗い廊下に立ちながら"彼女"はひょいと肩を竦めた。
それを敷居を境に明るい教室の中から見ていた先生は笑みを浮かべる。
『"そっか。心強いよ、ありがとう"』
『ふふ、期待していなさい……ところでいつ助けに行くのかしら? それに合わせてこちらも現地で合流しようと思うのだけど』
『"明日一日で他に協力してくれそうなところに声を掛けて、明後日で助けに行こうと考えてるよ。でも一緒に行かないの?"』
『彼女の退学が差し止められたことでアビドス高等学校は辛うじて学校の体裁を保ち、先生達は『囚われた生徒の救出』という大義名分を掲げて動く。そこに最初からウチみたいな指名手配犯が居たら困った事になるじゃない』
『"そう、かな……?"』
『そうなのよ。主に事後処理で困るわよ、きっと』
苦笑と共にそう言ったあと、"
『それじゃあ先生、おやすみな―――』
『"アル"』
その意志を、先生が止めた。
黒服の時とは違って静かで優しく、けれど不思議と逆らえなさそうな声音で。
"
『―――……なにかしら?』
『"君がどうして黒服からの依頼を受けたのかは聞かないけれど……あまり、危ないことをしないようにね"』
『……肝に銘じておくわ』
先生からの心配の言葉。
善悪の行動や規則違反がどうとかでやめろとは言わず、ただ身を案じてのそれに"彼女"は静かに応じて、その会話は終わった。
・『陸八魔アル』
キヴォトス唯一の文様持ち
黒服からコンタクトを図られたが全て跳ね除けつつ、それなりのビジネスパートナーの関係性を築いていた
先生と黒服の対峙を見ていたことが後のベレナの教室の主になる事に響いている
・黒服
ゲマトリアの一人
ホシノとは異なる方向性で『アル』を研究材料として欲しがったが、『先生』と「顧問」の概念により今後手を出せなくなって断念せざるを得なくなった
裏では『アル』とそれなりの関係を築いていた
「これはこれは。こうして対面するのはいつ以来でしょうか。お久しぶりです。天魔のベリ……いえ、陸八魔アルさん」
「相も変わらず忘れているようね。誰もがあだ名で呼ばれる事を好んでいるわけではないのよ、あなたと違ってね」
「クックック、これは失礼……さて、あなたが先触れも無しに足を運ばれるとは驚きですが、本日はどのようなご用向きでしょう。察するに、その手に提げるモノが理由とお見受けしますが」
「察しの良さも相変わらずね。ええ、そう。
「ほう……幾らほどです? それと急ぎですか?」
「そうね、早い方が良いわ、出来れば数日中に。額はおよそ一億」
「それはそれは。仕事は順調なようですね。それからその額でお急ぎとあらば、こちらでそっくり綺麗な一億と交換してお渡ししますよ」
「……有難い話だけれど、代わりにあなたは私に何を求める?」
「ふむ、そうですね……以前から持ち掛けている契約は―――」
「であれば、頼むのはやめるわ」
「おや、あなたに私が求めるものを選ぶ権限があるとでも?」
「あなたが元いた場所では、交渉においてお互いに納得するための擦り合わせをしないのかしら」
「そんな事はありません。ですが、お互いが求めるものの中で最も価値があるものを選ぶ、それを基本とした話というだけのこと。それに足が付くことなく急ぎで洗浄できる者は私の他に近隣に居ない筈。結局困ることになるのはあなたですよ」
「あなたは"これ"が私にとって必須のものに見えているでしょうけど、別にそうではないわ。使う機会が近い、けれど無くても何とかなるという『あればいい』程度のものなの。あまり高いものを求められても引っ込めたくなるわ」
「なるほど。そういうことですか……ふむ…………」
「よく考えなさい。私が求めているものは明白。ただあなたの決断一つでどちらも得るものがあるか、私もあなたも何も失わないけど何も得られない結果になるかが決まる。今の状況はそういう形よ」
「……クックック……では、そうですね。アルさん、あなたはシャーレの先生とお会いしていましたね?」
「そうね。会っているわ。まだロクに会話はしてないけれど……それで?」
「実はあの方とお話する機会を持ちたいと考えていましてね。行き帰りの案内と道中の護衛、これを今回あなたに求める対価としましょう。つまりは、護衛依頼の予約です」
「
「構いませんよ。私としてもあの方の事は気に入っています、争う気はございません……しかしアルさん。あなたは昨日先生と交戦したと理事より聞いておりますが、あなたも気に入られたのですね」
「好奇心は死神を呼ぶわよ。契約書を」
「これは失礼……どうぞ、一通りご確認ください。そちらに署名して頂き次第、"そちら"を洗浄いたします」
「いやに準備が良いわね……さっきのやりとりも、織り込み済みというわけ?」
「クックック……さて、どうでしょう」
「まったく……確認するわ…………ところでこの仕事、予約と言っていたけどいつ頃を予定しているの?」
「具体的には未定です。しかしそう遠くない事になると私は予想しています、おそらくあなたがアビドスから去る前にはと」
「その時が来たと判断する指標は? あなたから電話でも?」
「あなたがその時に取っている事務所へ招待状を兼ねた手紙を送りますので、それを確認次第、こちらまで
「そう……確認したわ。署名もここに」
「……はい、たしかに。これで契約成立です。写しはこちらに。それでは"そちら"をお預かりしますね。洗浄したものをお持ちするまで、どうぞお座りください」
「頼んだわ」
「―――ところで。これは興味本位の質問なのでお答えいただかなくとも結構なのですが、必須でもないこの一億、いったい何に使われるのです?」
「ふっ……愚問ね」
「とっても
本作奇跡世界もアプリ準拠の流れなので詳しい事情を聞いていないことになる