機動戦士ガンダムZZ:ANOTHER EPISODE ―星を継ぐ子供― 作:紫山拾弐
ダカールの激闘から数日。アーガマは重力の枷を振り払い、再び漆黒の宇宙(そら)へと帰還していた。しかし、艦内に勝利の活気はない。医務室の最奥、厳重なバイオ・モニターに囲まれた特設ベッドの上で、レイは深い昏睡の淵に沈んでいた。
純白に染まりきった彼の髪は、枕の上で力なく広がり、まるで枯れ果てた花びらのようだった。心拍数は極限まで抑えられ、呼吸は浅い。だが、バイオセンサーの数値だけが、時折、理論上の限界値を突き抜けて真っ赤に点滅し、周囲の電子機器を狂わせる磁場を発生させていた。
「……ねえ、レイ。いい加減に目を開けてよ。もう砂漠の熱い風も、ダカールの嫌な空気もないんだから」
ベッドの傍らで、エル・ビアンノがレイの冷たくなった手を、自分の両手で包み込むように握りしめていた。彼女は、戦い以外の時間はほとんどこの部屋で過ごしていた。タオルを替え、動かなくなったレイの指を一本ずつ揉みほぐし、彼が目覚めた時に絶望しないよう、明るい声で語りかけ続けていた。
「ジュドーもプルも、みんな待ってるの。アストナージさんなんて、レイが起きたら今度は本物のイチゴを乗せたアイスを作ってやるって、内緒で冷蔵庫を改造してるんだから。……だから、お願い。偽物だなんて、二度と言わないで」
エルの目から零れた涙が、レイの手の甲を濡らす。だが、その温もりさえも、今のレイには届かない。彼の意識は、肉体という檻を離れ、実体のない精神の宇宙の最下層を漂っていた。
そこは音もなく、光もない、永劫の虚無の世界。だが、その暗闇の向こう側から、凍てつくような冷気と共に、圧倒的な「個」のプレッシャーが近づいてくるのを、レイの魂は感じ取っていた。
「……目を開け、偽りの器よ。それとも、そのまま自己の崩壊を待ち、無に還ることを望むか?」
凛とした、しかしどこか虚無を孕んだ女性の声。
暗闇が割れ、そこから一人の女性が歩み寄ってきた。燃えるようなピンクのショートヘア、鋭くも美しい瞳、そして全てを支配せんとする苛烈なオーラ。ネオ・ジオンの摂政、ハマーン・カーンだった。彼女はアクシズから放った強力な精神波を、昏睡中のレイのニュータイプ能力に同調させ、この精神世界を構築したのだ。
レイは、精神体としての瞳を開いた。
「……ハマーン・カーン。なぜ、僕の心の中に。君のような人が、僕に何の用があるんだ」
「お前の放つ精神波が、あまりにも歪で、あまりにも悲しい色をしていたからだ。アムロ・レイの模造品よ。お前は、自分の出自を知り、その継ぎ接ぎの魂に絶望したようだな」
ハマーンは嘲笑うように、レイの頬を実体のない手でなぞった。その指先が触れた場所から、レイの深層意識に刻まれた「プロジェクト・ヘリオス」の忌まわしい記憶が、傷口から溢れる血のように噴き出していく。
「アムロ・レイとララァ・スン。かつて相容れず、殺し合った二人の欠片を無理やり継ぎ合わされた哀れな合成獣(キメラ)。連邦の奴らも、救いようのない悪趣味を披露するものだ。……だが、それゆえにお前は、私と同じ『孤独』を知っているはずだ。持て余す力ゆえに、誰からも一人の人間として愛されることのない孤独をな」
ハマーンの精神が、レイの守りの薄い深層意識を侵食し始める。
彼女が見せるのは、アクシズの冷たく硬い壁に囲まれ、少女時代を奪われた彼女自身の絶望だった。ザビ家再興という重圧をたった一人で背負わされ、大人たちの野心に晒され、信じていた者(シャア)にも背を向けられた歳月。
「レイよ。私と共に来い。その脆弱な『器』を私に預ければ、お前を縛る連邦の呪縛から解き放ってやろう。お前を道具としてではなく、私の半身として、この腐り果てた世界を再定義する力として迎えてやる。お前という器に、私が新しい意味を与えてやる」
ハマーンの差し伸べた手は、救いのようであり、同時に抗いがたい支配の命令でもあった。
レイの心が大きく揺らぐ。自分を認め、必要としてくれる存在。それがたとえ、全人類を恐怖で導く暴君であったとしても、今のボロボロになった彼には、その強い肯定が毒薬のように甘美だった。
(……そうだ。僕が誰なのか、ハマーンなら分かってくれる。……僕は、もう、一人で歩くのは疲れたんだ……)
レイがその手に触れようとした、その時。暗闇の彼方から、それを切り裂くような荒々しい声が響いた。
「……ダメだ、レイ! そんな冷たい手に捕まるな! そいつは、お前を自分と同じ暗闇に引きずり込もうとしてるだけだ!」
ジュドーの声だ。精神の宇宙に、一筋の不器用で、しかし猛烈に温かな光が差し込む。
「ジュドー……? なぜ、ここに」
「ハマーン、お前! またレイの頭の中で勝手なことしてんのか! 離れろ、そいつは俺たちの仲間だ! 道具でも、お前の半分でもねえ!」
ジュドーの意識が、ZZガンダムのバイオセンサーを媒介にして、この極限の領域に強引に割り込んできたのだ。ハマーンは不快そうに眉をひそめ、冷たい視線を光の筋に向けた。
「ジュドー・アーシタか。相変わらず、他人の領域を土足で踏み荒らす無作法なニュータイプだ。……レイ、選ぶがいい。この少年のように、泥にまみれて戦い、短い命を無意味に燃やし尽くして死ぬか。あるいは、私と共に永遠の秩序の礎となるか」
レイの周囲に、対極の二つの力が渦巻く。
ハマーンの放つ、凍てつくような、しかし静謐で高貴な闇の力。
ジュドーの放つ、熱く、騒がしく、しかし真っ直ぐに自分を呼ぶ光の力。
レイは自らの内面を見つめた。
自分の中に眠るアムロ・レイの記憶が「戦え、それがお前の宿命だ」と命じ、ララァ・スンの想いが「もういいのよ、全てを許して」と囁く。
自分は偽物だ。継ぎ接ぎの模造品だ。……だが、あのダカールの路上で、血を流して倒れた自分を抱きしめてくれたエルの腕の温かさは、決して遺伝子が作ったものではなかった。プルが笑いながら食べさせてくれたアイスクリームの冷たさは、僕自身の魂が感じた本物の「喜び」だった。
「……ハマーン。君は、僕の中に自分を見ているだけだ。自分の孤独を埋めるための、鏡が欲しいだけなんだ」
レイは、初めて自らの意志で、ハマーンの手を振り払った。
「君の言う秩序には、アイスクリームの味もしない。……僕は『器』じゃない。僕は……たとえ短く、作られた命であっても、ジュドーたちと共に笑い、自分の意志で、この残酷で愛おしい時代を生き抜くと決めたんだ!」
レイの宣言と共に、彼の精神体から眩いばかりの虹色の光が溢れ出した。
それは伝説のアムロのものでもなく、聖女のようなララァのものでもない。レイという一人の少年が、自らの絶望を燃料にして燃やした、真実の命の輝きだった。
「……チッ。空の器に、魂が宿ったというのか。……面白い。ならば、その芽吹いたばかりの魂、戦場で直接粉々に砕いてみせよう!」
ハマーンの影が、悔しげな、しかしどこか満足げな嘲笑を残して霧散していく。
現実の世界。アーガマの医務室で、バイオ・モニターが激しいアラームを鳴らした。
「……っ! はぁ、はぁ……!」
レイの瞳がカッと見開かれた。
「レイ! レイ、気がついたのね!?」
傍らで付き添っていたエルの叫び声が響く。彼女はレイの肩を抱き、何度も彼の名前を呼んだ。
レイは弱々しく手を伸ばし、エルの頬に触れた。まだ焦点は合わない。視力も完全には戻っていない。……だが、彼ははっきりと、自分を囲む仲間の気配と、エルの流した涙の熱を感じ取っていた。
「……ただいま、エル。……心配、かけたね」
レイの髪は、依然として白いままである。だが、その顔立ちからは「英雄のクローン」としての悲壮な影は消え、どこか晴れやかな、等身大の少年の表情が宿っていた。
しかし、運命は彼らに安息を許さない。
アーガマのブリッジから、ブライトの緊張に震える声が全艦に流れる。
「総員、第一種戦闘配備! 前方にネオ・ジオンの大艦隊を確認。……旗艦はサダラーン! ハマーン・カーン自らがお出ましだ。全機、直ちに出撃せよ!」
レイは、エルの肩を借りて、震える足で立ち上がった。
「レイ、無茶よ! あなた、今死の淵から戻ったばかりなのよ!」
「……大丈夫だよ、エル。……ハマーンに、はっきりと返事をしなきゃいけないんだ。……僕たちは、誰の人形でもないってね。……Mk-IIを出して。僕も、戦う」
宇宙の静寂の中で、二つの巨大な精神が再び激突しようとしていた。
ハマーンの駆るキュベレイが、真珠色の輝きを放ちながら、死の舞踏のように迫りくる。
迎え撃つは、ジュドーのZZガンダム、そして。
レイは、白く染まった髪をなびかせ、不完全な視界を心眼で補いながら、ガンダムMk-IIの操縦桿を強く握りしめた。
星を継ぐ子供たちの、真の自立を賭けた戦いが、今ここに幕を開ける。
次回予告
ハマーン・カーンの圧倒的なニュータイプ能力の前に、窮地に陥るアーガマ隊。
キュベレイのファンネルが、逃げ場のない死の結界を作り出す。
その時、極限の集中の中でレイが呼び覚ましたのは、自分の中に眠る「第三の意識」だった。
「見える……。あの子の寂しさも、ハマーンの絶望も、全部見えるんだ……!」
光の繭に包まれたMk-IIが、宇宙の物理法則を書き換えていく。
そして、プルに迫る、あまりにも残酷な再会と運命。
次回、第11話 「光の繭」
――君は、刻の涙をみる。