機動戦士ガンダムZZ:ANOTHER EPISODE ―星を継ぐ子供― 作:紫山拾弐
宇宙(そら)が、凍りついていた。
ネオ・ジオン旗艦サダラーンから放たれるプレッシャーは、戦域に展開するすべての兵士たちの精神を搦め取り、呼吸を困難にさせるほどに重く、鋭い。その中心に、真珠色の装甲を煌めかせたキュベレイが浮遊していた。それは美しく、そして絶対的な死の象徴だった。
「……あれが、ハマーン・カーン。これが、一人でアクシズを背負ってきた者の『重み』なのか」
ガンダムMk-IIのコクピットで、レイは震える指先を操縦桿に添えていた。バイオセンサーを通じて流れ込んでくるハマーンの意識は、先ほど精神世界で触れたものよりも、さらに苛烈で、一切の妥協を許さない鋼の意志に変質していた。
レイの視力は依然として混濁し、メインモニターに映る敵機は、滲んだ光の染みに過ぎない。だが、心眼ははっきりと捉えていた。キュベレイの周囲に展開される、十機の「見えない刃」——ファンネルの殺気を。
「ジュドー、離れて! 彼女の狙いは……僕と君だ! 巻き込まれたら、ニュータイプじゃないパイロットは一瞬で精神(こころ)を焼かれる!」
「分かってる! でも、これじゃ近づけねえ! あのファンネル、動きがデタラメすぎんだよ! 意思があるみたいに追いかけてきやがる!」
ジュドーのZZガンダムがダブル・ビーム・ライフルを乱射し、牽制を試みる。だが、キュベレイはその優雅なバインダーを翻し、慣性を無視したような機動で回避し続ける。ハマーンにとっては、ジュドーの必死の攻撃さえも、王者の歩みを止めるには至らない退屈な余興に過ぎないようだった。
「レイよ、先ほどの答えをもう一度聞こう。お前は、その矮小な友情のために、私に抗うというのか。アムロ・レイの模造品として、死ぬまで連邦に利用される道を選ぶのか」
全域通信ではない。レイの脳内に直接、ハマーンの冷徹な声が響く。
「……僕は、誰も拒まない世界を作りたい。君のように、悲しみを力に変えて、誰かを支配することでしか自分を保てない世界を……終わらせたいんだ!」
「傲慢だな、模造品が! ならば、その偽りの慈悲ごと、宇宙の塵となるがいい!」
ハマーンの意志に呼応し、ファンネルが一斉にMk-IIへと殺到した。
上下、左右、そして真後ろ。逃げ場のない全方位からの同時ビーム照射。Mk-IIの装甲が火花を散らして削られ、コクピット内に警告音が鳴り響く。
「……っ! 捉えきれない……! 意識が、追いつかない!」
レイの意識が、極限の負荷によって白濁していく。アムロの遺伝子が回避の最適解を計算し、ララァの感応力が敵の殺気を先読みする。だが、その二つの巨大な意識がレイの中で激しく衝突し、彼の幼い精神回路を焼き切ろうとしていた。
(……助けて。……僕は、誰なんだ。アムロとして戦えばいいのか、ララァとして許せばいいのか。……どっちなんだ!)
意識の深淵で、レイは絶叫した。その時、真っ暗な視界の向こう側に、小さな、しかし消えることのない温かな光が灯った。それは、先ほどエルの流した涙の感触であり、プルと食べたアイスクリームの冷たさであり、ジュドーが繋いでくれた手の熱だった。
(……違う。僕は、アムロじゃない。ララァでもない。……僕は、アーガマのみんなと出会った、レイだ!)
その瞬間、Mk-IIのバイオセンサーが、これまでの連邦のいかなる実験記録にもない未知の波形を描き始めた。
機体から溢れ出したのは、これまでの不吉な青白い光ではない。淡い桜色と、深い群青が混じり合った、まるで「夜明けの空」のような、柔らかな虹色の光だった。
その光はMk-IIの機体を優しく包み込み、巨大な「繭」のようなサイコ・フィールドを形成した。
「……何だ、この光は!? サイコ・フィールドの類か? いや、もっと……穏やかで、しかし底知れない圧力を感じる」
ハマーンの驚愕の声が響く。彼女が放ったファンネルのビームが、Mk-IIに届く直前で、水面に投げた石のように波紋を描いて霧散していく。物理法則が、少年の強い「拒絶」と「肯定」の意志によって書き換えられていた。
「見える……。あの子の寂しさも、ハマーン、君が抱えている絶望も……全部見えるんだ……」
レイの脳内では、アムロとララァの意識が、争うことをやめ、一つの美しい旋律となって響き合っていた。それは「第三の意識」。過去の亡霊たちの無念を供養し、今を生きるために昇華された、レイ自身の魂の産声だった。
「ハマーン……君の戦いは、もう終わっているんだ! 誰かを跪かせても、君の孤独は埋まらない!」
Mk-IIがビーム・サーベルを引き抜き、キュベレイの懐へ飛び込む。
「小癄な! 付け焼き刃の奇跡で、この私を否定できると思うな!」
キュベレイもまた、光のサーベルを形成して応戦する。宇宙のただ中で、二つの巨大な意志が激突し、その余波が周囲のデブリを粉砕していく。
だが、その激闘の最中。レイの感応力は、別の場所で起きている「取り返しのつかない悲劇」を捉えてしまった。
「……プル!? ダメだ、そっちへ行っちゃいけない!」
戦域の端、もう一機の黒いキュベレイMk-IIが姿を現していた。そのコクピットに乗っているのは、グレミー・トトが送り出した刺客——プルのクローンである「プルツー」だった。
「あ……ああ……。私、あの子の中に……暗い、ドロドロした私が見える……! 殺さなきゃ、私があの子に飲み込まれちゃう!」
アーガマから飛び出していたプルが、プルツーの放つ圧倒的な殺意と、自分と同じ姿をした少女の存在に精神を激しく乱されていく。
「プル! 逃げるんだ! ジュドー、あの子を止めてくれ!」
レイの叫びが通信圏を越えてジュドーに届く。
「分かってる! プル、戻れ! そいつに関わるな、危ねえ!」
ジュドーがZZを反転させるが、そこへラカン・ダカランの部隊が執拗に絡みつき、足を止めさせる。
レイは、ハマーンとの凄絶な剣戟を続けながら、必死にプルへと意識を飛ばした。
「プル、思い出して! アイスの味を! 僕たちと一緒に笑った、あの午後の時間を! 君は、あの子とは違うんだ! 君はもう、自由なんだよ!」
「お兄ちゃん……。でも、あの子が泣いてるの……。プルを殺さないと、自分が壊れちゃうって、パパに壊されるって、泣いてるの……!」
プルは、自分を殺そうとするプルツーを、あろうことか「助けたい」と願ってしまったのだ。
プルツーのサイコ・ガンダムMk-IIが放った、無慈悲な拡散メガ粒子砲が、混乱し停止したプルのキュベレイを正面から狙う。
「……やめろぉぉぉっ!!」
レイの絶叫と共に、Mk-IIから放たれた虹色の光が爆発的に膨れ上がった。その光の奔流の中で、レイの意識はプルの精神の深層へと飛び込んだ。
そこは、真っ白な花畑のような、どこまでも静かな世界だった。
「あ、レイお兄ちゃん。来てくれたんだね」
プルの精神体が、いつもの赤と黄色の私服姿で、無邪気な笑顔を浮かべて立っていた。だが、その足元から少しずつ、彼女の輪郭が光の粒子となって溶け出している。
「プル、戻ろう。一緒にアーガマに。エルも待ってる、アストナージさんも待ってる。またみんなで、本物のイチゴを乗せたアイスを食べようって約束したじゃないか!」
レイが必死に手を伸ばすが、指先はプルの体をすり抜けて、ただ冷たい光の感触だけが残る。
「ううん、ダメなんだ。あの子……プルツーを助けるには、私が行かなきゃいけないの。あの子もプルなんだよ。悲しくて、暗いところに一人ぼっちなの。プルが一緒に行ってあげなきゃ」
「そんなの……そんなの、おかしいよ! なぜ君が犠牲にならなきゃいけないんだ! 僕たちの力は、誰かを守るためにあるはずなのに……!」
「泣かないで、お兄ちゃん。……プル、幸せだったよ。ジュドーに会えて、エルに会えて。……そして、お兄ちゃんに会えて。プル、ただの『道具』じゃなくて、本当の『女の子』になれたんだよ」
プルの姿が、眩い純白の光の中に溶けていく。最期の瞬間に彼女が見せたのは、死への恐怖ではなく、残される者への深い慈愛に満ちた微笑みだった。
「レイお兄ちゃん……ジュドーに伝えて。プルは、ずっとみんなの側にいるよって。……ほら、お兄ちゃんの中にも、私がいるでしょ?」
現実の宇宙。無慈悲な光の束が、プルのキュベレイを中央から貫き、巨大な火球へと変えた。
「プルーーーッ!!」
ジュドーの、魂を切り裂くような絶叫が通信に響き渡る。
レイのMk-IIからは、これまでで最も強く、そして悲しい虹色の波動が放たれた。それはハマーンの動きを金縛りのように止め、戦場全体を「死の静寂」で包み込んだ。
「……ああ……あああああ……っ!」
レイの瞳から、血の混じった涙が止めどなく零れ落ちる。
脳内のナノマシンが限界を超えて活性化し、彼の髪は完全に透明なクリスタルと化し、肌は陶器のように白く透き通っていった。
「プロジェクト・ヘリオス」の産物である肉体が、プルの死という過大な精神負荷に耐えかね、崩壊を始めたのだ。
「……プル……嘘だろ……。僕たちが……こんな忌まわしい力を手に入れたのは、こんな結末を見るためじゃない……! ハマーン……! 君たちの戦いが、あの子を……あの子の未来を奪ったんだ!」
虹色の「繭」がゆっくりと霧散していく。
宇宙には、左腕を失い、完全にシステムが沈黙したMk-IIが、まるで死にゆく巨人のように漂っていた。
ハマーンは、その機体を見つめ、初めてその瞳に恐怖にも似た戦慄を浮かべていた。一人の少年の悲しみが、宇宙の物理法則さえも屈服させ、彼女の「絶対」を揺るがしたのだ。
「……これが、お前の選んだ『答え』の代償か。あまりにも……残酷な光だな、レイよ」
レイは、意識が遠のく中、プルの魂が星々の間を駆けていくのを感じていた。
その視界は、もう何も映し出さない。ただ、脳裏にはいつまでも、アイスクリームを頬張って笑うプルの声が響き続けていた。
次回予告
プルの死。その事実が、レイとジュドーの心に癒えぬ深い楔を打ち込む。
悲しみに暮れる間もなく、ネオ・ジオンの総攻撃が満身創痍のアーガマを襲う。
「もう、誰も失いたくない……。例え、この命がここで尽き果てようとも!」
レイが選択したのは、禁断のバイオセンサー最大開放による、機体との完全融合。
Mk-IIとレイの肉体が、真の意味で一つの生命体へと変質を始める。
一方、グレミー・トトの野心は、アクシズを真っ二つに引き裂き、最終決戦の幕を上げる。
次回、第12話 「星の鼓動は愛」
――君は、刻の涙をみる。