機動戦士ガンダムZZ:ANOTHER EPISODE ―星を継ぐ子供― 作:紫山拾弐
シャングリラの空を覆う擬似的な夜が、真っ赤な火線によって切り裂かれた。
マシュマー・セロの更迭により、ネオ・ジオンから送り込まれた新たな指揮官、キャラ・スーン。彼女が駆る重モビルスーツの威容は、これまでのガザCとは一線を画していた。暴力的なまでの推力と、過剰なまでの火力。キャラの放つ、性的衝動にも似た激しいプレッシャーが、重力に縛られたコロニーの全域を激しく震わせていた。
「あはははは! 踊れ、踊れ! 地球連邦の木馬め、その英雄の再来とやらを早く見せておくれよ! 私をゾクゾクさせてくれないなら、このコロニーごと塵にしてやるからね!」
キャラの狂気に満ちた哄笑が、全周波数の通信回線を汚染し、市民の悲鳴をかき消していく。彼女の攻撃は緻密な戦略などではなく、純粋な破壊の奔流だった。シャングリラの脆弱な建物が次々と瓦礫の山に変わり、大気循環システムが火災の熱で悲鳴を上げる。
アーガマの医務室で、レイは死線の中を彷徨っていた。
意識の混濁した彼の脳裏には、連邦軍の極秘施設「プロジェクト・ヘリオス」の悪夢が蘇っていた。無機質な白い部屋。冷たい手術台。科学者たちの感情のない声。
「個体名レイ、バイオセンサーとの同調率をさらに上げろ。脳が焼けるのは計算内だ。予備の細胞はいくらでもある」
英雄アムロ・レイの遺伝子を持ちながら、一人の人間として扱われることのなかった歳月。彼はその絶望から逃れるために、前世の記憶という「物語」に縋り付いて生きてきた。だが、今、その物語さえも目の前の現実によって書き換えられようとしている。
(……来たか。キャラ・スーン。そして……運命の、ZZ(ダブルゼータ))
レイは、震える手でサイドテーブルに置かれた鎮痛剤の瓶を掴み、その中身を無理やり口に流し込んだ。水さえ飲まずに飲み下した錠剤が喉を焼き、その強烈な苦痛が、泥沼のような意識を強引に引きずり戻す。
「レイ! 何してるの、横になってないとダメよ!」
駆け込んできたファ・ユイリィが、ベッドから這い出そうとするレイを必死に抱き止めた。彼女の瞳には、かつて戦いの中で精神を崩壊させたカミーユ・ビダンの姿が、この小さな少年と重なって映っていた。
「離して、ファさん。……今、ジュドーたちが戦わないと、この船も、コロニーも……リィナも、みんな終わってしまうんだ」
「でも、あなたの体はもう限界なのよ! これ以上サイコミュを使ったら、あなたの精神まで壊れてしまう!」
「僕はクローンだ……。最初から、戦うためだけに、壊れるために作られた『予備』なんだよ。……英雄の代わりに、灰になるのが僕の役割だ。それ以外に、僕の存在価値なんてないんだ」
その幼い唇から発せられた自嘲的で、あまりにも冷え切った言葉に、ファは言葉を失い、その場に崩れ落ちた。レイは彼女を振り切り、壁を伝い、自分の身体の重みに耐えながら、血の味のする唾を吐き捨ててブリッジへと向かった。
その頃、格納庫ではジュドー、ビーチャ、モンドたちが、開発途上の新型MS『ZZガンダム』の周囲で右往左往していた。
「おい、このデカブツ、本当に動くのかよ! 三つのパーツに分かれたままだぞ。アストナージさん、いい加減にしてくれよ!」
ビーチャが叫ぶ。エゥーゴのチーフメカニック、アストナージが額に汗を浮かべ、必死にメインコンピュータの調整を続けているが、最終的な合体シークエンスのプログラムに致命的なエラーが残っていた。
「ダメだ、バイオセンサーの同調が取れない! 三つの慣性制御がバラバラだ。このままじゃ合体した瞬間に、機体同士が激突して空中分解するぞ!」
「……僕が、やる。僕を、システムに繋いで」
ブリッジのハッチが開き、幽霊のように青白い顔をしたレイが現れた。
「レイ! お前、まだそんな体で……!」
ブライトが驚愕の声を上げるが、レイは迷わず補助席の戦術コンソールに潜り込んだ。
「艦長、ジュドーにコア・ファイターを出させてください。僕が、アーガマのメインコンピュータを経由して、合体シークエンスを外部から強制制御します。……ジュドーの未熟な意識が機体と繋がるまで、僕の脳を、OSの『橋渡し』に使います。バイオセンサーの負荷は、僕が肩代わりする」
ブライトは一瞬、激しい躊躇に襲われた。それは、目の前の幼い少年の命を、文字通り燃料として燃やすことを意味していた。かつてアムロに強いた以上の残虐な行為。だが、モニターに映るキャラ・スーンの蹂躙は止まらず、アーガマの装甲も限界に達していた。
「……ジュドー・アーシタ、出撃しろ! どんな形でもいい、パーツを揃えろ! 後のことは……レイの指示に従え!」
「おうっ、やってやるよ! レイ、頼んだぜ!」
ジュドーの乗るコア・ファイター、そしてトップ・リム、ベース・リムが、シャングリラの赤く染まった宙へと放たれた。
キャラの駆る重MSが、新たな獲物を見つけた猛獣のように、その不気味なモノアイを輝かせた。
「見つけたよ、坊やたち! そのおもちゃで、私を楽しませてくれるのかい! 壊し甲斐がありそうだねえ!」
暴力的なビームの乱射。ジュドーは必死に回避するが、合体前の不安定な各パーツは、キャラの熟練した機動に翻弄され、逃げ切るのが精一杯だった。
「……接続開始。……全感覚、同調(シンクロ)。……全神経を、ZZへ投射する」
レイはアーガマのブリッジで、ヘッドセットを深く被り、強く目を閉じた。
次の瞬間、彼の意識は肉体の檻を離れ、宇宙を舞う三つの金属の塊へと飛散した。
(痛い……っ! 情報が多すぎる……。熱い、重い、速い……身体が引き裂かれる!)
ZZガンダムの巨大なジェネレーター出力が、レイの幼い神経系を濁流となって逆流し、襲いかかる。彼の視界からは色が消え、ただ機体のベクトル、慣性、そしてエネルギーの奔流だけが、数式と幾何学模様となって意識に刻み込まれる。
「ジュドー……聞こえるか。……力を抜いて。……君が『一つになりたい』と願えば、僕が……君の魂を導く……」
レイの声が、サイコミュの共振を通じてジュドーの脳内に直接響いた。
「レイ、お前の声か!? なんだ、この感覚……。まるで、お前が俺の中に……俺がお前の中にいるみたいだ!」
「集中して……。……今だ、合体(ドッキング)!」
レイの強制介入により、本来ならバラバラに砕け散るはずだった三つの機体が、物理法則を捻じ曲げるような精度で吸い寄せられた。激しい火花と金属音を立て、巨大な人型が形成される。
宇宙世紀0088年。最強のモビルスーツ、ZZガンダムがその圧倒的な威容を現した。
「な、なんだあの機体は……。この私を、気圧すというのか! あの小さな白い影……あれが、この機体を操っているというのか!」
キャラ・スーンが戦慄する。ZZから放たれるプレッシャーは、ジュドーの荒々しく真っ直ぐな生命力と、レイの静謐で、どこか悲しみを含んだ冷徹な戦術眼が混ざり合った、未知の精神波動だった。
「ジュドー……額の、ハイ・メガ・キャノンを……。……僕が、座標を固定する。……君は、ただ、引き金を……」
レイの鼻から、さらに鮮血が溢れ出し、コンソールを汚した。白目の部分は真っ赤に充血し、全身が激しい痙攣を起こしている。
「レイ! もういい、後は俺がやる! やめろ、レイ!」
「……撃て! 奴を……止めろぉぉっ!」
咆哮と共に、ZZの額から巨大な光の柱が放たれた。
それはキャラの機体を掠め、その後方にあったネオ・ジオンの工作部隊を、コロニーの外壁ごと消し飛ばした。その、あまりにも度を超えた破壊力に、狂気の中にいたキャラも流石に本能的な恐怖を感じ、全速で戦域からの撤退を開始した。
戦闘は終わった。
だが、アーガマのブリッジに勝利の歓喜はなかった。
戦術コンソールに突っ伏したレイの身体は、氷のように冷たく、呼吸は浅い。
「レイ! 返事をしろ、レイ!」
ブライトが彼を抱き起こすが、少年はピクリとも動かず、その指先からは力が失われていた。
遅れて格納庫に戻り、ブリッジへ駆けつけたジュドーも、無残に汚れ、真っ白になったレイの姿を見て言葉を失った。
その夜。レイは奇跡的に一命を取り留めたが、代償は大きかった。彼の茶色の髪の半分以上は真っ白に染まり、強力なサイコミュの負荷により、視力も一時的に著しく低下していた。
病室を見舞ったジュドーは、ベッドの横で、血が滲むほどに拳を握りしめた。
「……なんで、そこまでして俺たちを助けるんだよ。俺たちはジャンク屋だぞ。お前を売って金にしようとした、最低の連中なんだぞ……」
レイは、焦点の定まらない曇った瞳で天井を見つめながら、消え入りそうな声で答えた。
「……ジュドー。君は、未来なんだ。……僕みたいな、過去の残骸が……未来を守るのは、当然のことだろう?」
「勝手なこと言うな! 誰が残骸だ……。次からは、俺が……絶対にお前を守ってやる。お前に、もう二度とこんな無茶はさせない!」
ジュドーの誓いは、静まり返った医務室に虚しく響いた。
レイは、ぼんやりとした視界の中で、ジュドーの泣きそうな顔を感じていた。
彼は知っていた。これから始まる戦いは、さらなる苛烈を極めることを。
そして、自分が「アムロ・レイのクローン」としてではなく、一人の人間としてジュドーたちに愛され始めていることが、何よりも自分自身の決意を鈍らせ、彼らを傷つけることになるだろうということを。
シャングリラの外、漆黒の宇宙では、さらなるネオ・ジオンの軍勢が集結しつつあった。
星を継ぐ子供、レイ。その命の灯火は、激しく燃え上がりながら、着実に、しかし残酷に削り取られていく。
次回予告
シャングリラを後にしたアーガマ。
だが、その進路を阻むのは、重力の罠と冷徹な知略。
キャラ・スーンに代わり現れたのは、強化人間としての萌芽を秘めた少女、エルピー・プル。
彼女が放つ、無邪気で無慈悲な殺意が、レイの精神を激しく揺さぶる。
「ねえ、お兄ちゃん。一緒に遊ぼうよ……」
死の淵で、レイが見たのは、自分と同じ「作られた命」の慟哭だった。
次回、第5話 「アクシズの少女」
――君は、刻の涙をみる。