機動戦士ガンダムZZ:ANOTHER EPISODE ―星を継ぐ子供― 作:紫山拾弐
アーガマの艦内に、場違いな高笑いと足音が響き渡っていた。
「あはははっ! 捕まえてごらんなさいよ! このトロくさい船! 全然プルに追いつけないじゃない!」
エルピー・プル。ネオ・ジオンのニュータイプ候補生であり、先日の戦闘でレイと精神を共鳴させた少女は、驚くべきことに単身でアーガマへと潜入していた。彼女にとって、敵艦に乗り込むことはスパイ活動でも破壊工作でもなく、ただ「気になるお兄ちゃん」に会いに行くための、無邪気で我儘な冒険に過ぎなかった。
非常警報が赤く点滅し、ビーチャやモンド、エルたちが銃を手に右往左往する。だが、プルの超常的な身体能力と、数秒先を予知するニュータイプ能力の前では、大人たちの追跡など子供騙しの遊びでしかなかった。彼女はダクトをすり抜け、手すりを軽やかに飛び越え、迷うことなく「目的の場所」へと突き進んだ。彼女を導いているのは、磁石に吸い寄せられる鉄片のような、レイの放つ悲痛な精神波の残り香だった。
そこは、薄暗い医務室の一角だった。
レイは、光を失いかけた瞳を閉じ、ベッドの横の椅子に深く腰掛けていた。彼はプルの接近を、物理的な足音や警報ではなく、魂の「色」で察知していた。
「……そこまでだよ、プル。これ以上暴れると、ブライト艦長が本当に怒る。この船の人たちは、君が思っているほど、他人に優しくできる余裕を失っているんだ」
「あ! お兄ちゃん! やっぱり起きてたんだね!」
プルは、レイの膝の上に遠慮なく飛び乗った。その小さな、しかし生命力の塊のような重みに、レイは思わず苦悶の表情を浮かべて咳き込んだ。
「……重いよ、プル。それに、ここは君の居場所じゃない。君の主人は、今頃狂ったように君を探しているはずだ」
「やだ! あんなところ、もう戻りたくないもん! お兄ちゃんが寂しそうな顔してたから、プルが遊びに来てあげたの。ねえ、お兄ちゃん。さっきからプルの方を見てないでしょ? ……目、悪いの? プルのこと、見えてないの?」
プルが覗き込むレイの瞳は、どこか焦点が合わず、薄く灰色の膜が張ったようになっている。彼女は、レイの蒼白な頬を小さな、温かい手で包み込んだ。その瞬間、二人の間で再び強烈なテレパシーが火花を散らした。
(……お兄ちゃんの頭の中、真っ暗だ。冷たい機械の音と、誰かの泣き声ばっかり……。ねえ、なんでそんなに悲しいの? なんでそんなに自分をいじめるの?)
(……プル。君の中は、眩しすぎる。でも、その光の下には、僕と同じ『巨大な空洞』があるんだね。君も……愛された記憶を、書き換えられてしまったのか)
レイは、自分を蝕む「アムロ・レイのクローン」としての呪縛を、プルの中に鏡のように見ていた。彼女もまた、グレミー・トトという男の野心のために、過去を消され、戦うためだけに固定された存在だった。レイは自分の細い指で、プルの柔らかい髪に触れた。それは、彼が生まれて初めて、任務や生存本能以外で他人に触れた、慈しみの動作だった。
そこへ、息を切らしたジュドーが駆け込んできた。
「レイ! 大丈夫か!……って、お前、さっきのキュベレイのガキか! 離れろ、レイに何しやがる!」
「ジュドー、落ち着いて。彼女に敵意はない……今は、ね。彼女はただ、自分がどこにいるべきか分からなくなっているだけなんだ」
数時間後、ブライト艦長の「厳重な監視付き」という条件の下、プルは一時的にアーガマの食堂に滞在することを許された。彼女を拘束しても、その能力でいつ逃げ出されるか分からず、むしろ食事を与えて手懐ける方が被害が少ないという、苦渋の判断だった。
「……これ、なあに? 白くて、冷たい煙が出てる」
プルの前に置かれたのは、アストナージが予備の冷却材を転用して作った、手作りのアイスクリームだった。戦時中の、物資の乏しいアーガマにおいて、それは奇跡のような贅沢品だ。
「アイスクリームだよ。アクシズの暗い部屋には、きっと無かったものだ」
レイは自分もスプーンを手に取り、震える手でゆっくりと口に運んだ。冷たさが喉を通り、微かな甘みが脳を刺激する。それは、彼がこの世界に転生してから、初めて「美味しい」と心から感じた瞬間だった。
プルは恐る恐る一口食べ、そして、その瞳を大きく見開いた。
「……おいしい。おいしいよ、お兄ちゃん! つめたくて、ふわふわしてて、胸がキュンとする! これ、幸せの味なの?」
彼女は夢中でアイスを頬張った。その姿は、ネオ・ジオンの恐るべきニュータイプではなく、ただの10歳の少女だった。
「プル、覚えておいて。世界は、殺し合うためだけにあるんじゃない。こういう、無意味で、甘くて、冷たいものを作るために、人は生きているんだ。誰かを壊す力じゃなく、誰かを喜ばせるために知恵を使う。それが、本来の『人間』なんだよ」
レイの声には、消え入りそうな、しかし深い祈りが込められていた。彼は知っていた。やがてプルが、そして自分自身が、再び戦場という名の地獄に引き戻されることを。だからこそ、この「アイスクリームを食べるだけの無駄な時間」を、彼女の魂の最深部に刻み込みたかった。それは、過酷な運命に対する、彼なりのささやかな、そして精一杯の復讐だった。
しかし、その穏やかな時間は、暴力的な介入によって終わりを告げる。
アーガマのレーダーに、超長距離からの異様な熱源反応が捉えられた。
「グレミー・トトか……。迎えに来るのが、早すぎる。……いや、あいつは最初から、プルの脳に『鈴』を付けていたんだな」
レイの表情が瞬時に戦士のそれに変わる。通信回線に、低く、慇懃無礼で、それでいて粘着質な男の声が割り込んできた。
『アーガマの諸君。我が愛しいプルを返してもらおうか。……彼女は、汚れなきアクシズの至宝だ。君たちのような野蛮で、泥に塗れた連中に触れさせていいものではない。返さないというのなら、その船を棺桶にしてやろう』
その声を聞いた瞬間、プルの身体がガタガタと震え出した。手に持っていたスプーンが床に落ち、高い音を立てる。
「やだ……。帰りたくない。あそこに戻ると、また暗い部屋で、パパじゃない人たちに、変な機械を頭に付けられるの。パパ……パパ、助けて! 痛いの、嫌なの!」
プルはレイの服の袖を掴んで泣きじゃくった。レイは彼女を抱きしめたい衝動に駆られたが、自分の身体が限界を迎えていることを理解していた。視界は再び暗転し始め、耳鳴りがキーンと脳を刺す。
「ジュドー……行って。プルは、僕がここで食い止める。……君は、あの男を……グレミー・トトを追い払って。あいつの放つプレッシャーを、君の光で塗り潰してくるんだ」
「レイ、お前そんな顔で……分かった、任せろ! 俺がアイツをぶっ飛ばして、プルの自由を取り返してやる!」
ジュドーはZZガンダムへと走った。
船外では、グレミーが率いる精鋭部隊「エンドラ」の残党と、ZZの激しい戦闘が始まった。グレミーは、プルの「共鳴」を逆利用し、サイコミュの強制上書きを試みる。
「プル、聞こえるね? さあ、私の元へ戻るんだ。君の居場所は、ここではない。君は、私を愛するために作られた人形なのだから」
「あ、あああ……っ! パパ……パパ、いうこと聞くから……叩かないで……!」
食堂にいたプルの瞳から感情が消え、人形のような無機質なものへと変わっていく。グレミーが遠隔起動させた「マインド・コントロール」の脳波が、彼女の意識を急速に侵食していた。
「させない……! 僕の目の前で、この子を道具に戻させるものか! 英雄のクローンとしての僕の命……こんなところで使わなきゃ、どこで使うっていうんだ!」
レイは椅子から立ち上がり、目に見えない「意志の壁」を形成した。彼の周囲で、サイコ・フィールドが発生し、食堂の電子機器がショートして火花を散らす。
「プル! アイスクリームの味を思い出せ! 甘くて、冷たくて……君が自分の意志で『美味しい』って笑った、あの瞬間を! 誰かに与えられた命令じゃなく、君が感じた『真実』を離すな!」
レイの絶叫と、彼から放たれる、寿命を削り出した圧倒的な精神波が、グレミーの呪縛を力ずくで引き剥がしていく。
「……お兄ちゃん? ……そうだ、プル、アイス食べたの。冷たくて、幸せだったの……! パパなんて、嫌い!」
プルの意識が鮮やかに戻り、彼女の周りの空間が、レイの放つ光と混ざり合って優しく輝いた。
その光に呼応するように、宇宙(そら)でZZガンダムのハイ・メガ・キャノンが最大出力で発射された。
「何だと!? プルの感応が……拒絶されている!? 誰だ、誰が私の教育を邪魔する! ……まさか、あの白い影か!」
グレミーの機体は、光の濁流に呑まれ、各部を損傷しながら撤退を余儀なくされた。
戦いは退けられた。だが、レイはそのまま床に崩れ落ち、激しく吐血した。血は、先ほど彼が食べたアイスクリームと同じように、白く無機質な床を汚していった。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん! 死んじゃやだ! プル、お兄ちゃんとずっと一緒にいたいの!」
プルの叫び声が、遠のいていく意識の中で反響する。レイは、意識を失う寸前、プルの口元に付いたアイスクリームの残りを震える指で拭ってやり、小さく微笑んだ。
(……これでいい。これが、僕の……偽物の英雄としての、たった一つの、本物の戦いだ……)
アーガマは、束の間の平和を勝ち取った。しかし、レイの肉体はもはや、修復不可能なほどにボロボロになっていた。そして、アクシズの深部では、ネオ・ジオンの真の支配者、ハマーン・カーンという名の巨大な影が、ついにその瞳をアーガマへと向けていた。
次回予告
アーガマが辿り着いたのは、砂漠の熱砂に包まれた地球。
そこでレイを待っていたのは、かつて「本物のアムロ・レイ」を愛し、共に戦い、そして絶望した女性、ベルトーチカ・イルマ。
「あなた、アムロなの……? いいえ、あなたは……ただの悲しい子供なのね」
鏡合わせの再会が、レイの凍りついた心を溶かし、そして残酷に暴いていく。
迫りくる青の部隊。砂塵の中に消える希望。
レイは、光を失った瞳で、重力の底に何を見るのか。
次回、第7話 「重力の底で」
――君は、刻の涙をみる。