機動戦士ガンダムZZ:ANOTHER EPISODE ―星を継ぐ子供― 作:紫山拾弐
大気圏突入の衝撃が、アーガマの艦体を激しく揺さぶる。
燃え盛る摩擦熱の向こう側、厚い雲海を突き抜けた先に待っていたのは、見渡す限りの熱砂の世界——アフリカ大陸だった。かつて一年戦争の激戦地となり、今なお紛争の火種が燻る「重力の底」。宇宙(そら)の静寂に慣れた少年たちにとって、肺を焼くような熱気と、全身にのし掛かる地球の質量は、それだけで一つの暴力だった。
レイは、アーガマのハッチからタラップを降り、初めて踏みしめる「大地」の感触に足を取られた。
「……これが、重力か」
視力はさらに衰え、世界は輪郭を失った淡い光の塊と化している。それでも、足の裏から伝わる乾いた砂のザラつきや、肌を刺す日光の強さは、疑似太陽に守られたコロニーにはない「生の荒々しさ」を彼に叩きつけていた。
だが、その一歩を踏み出すことさえ、今のレイには命を削る行為だった。クローンとして生み出された彼の肉体は、宇宙という無重力環境での運用を前提に調整されており、1Gの重力下では、自らの内臓が自重に潰されるような鈍い痛みが絶え間なく続いていた。
「レイ! 無理して歩いちゃダメだ。肩を貸すよ」
ジュドーが駆け寄り、レイの細い身体を支えた。ジュドーの体温は高く、力強い。その生命力に触れるたび、レイは自分という存在がいかに脆く、透き通った硝子細工のようなものであるかを痛感させられた。
「……ありがとう、ジュドー。でも、僕は大丈夫だ。……それより、あそこに『誰か』がいる」
砂塵の向こうから、数台のホバー・ジープが近づいてくる。カラバ。エゥーゴの地上支援組織であり、かつてグリプス戦役を共に戦った戦友たちだ。その中の一台から、ブロンドの髪を風になびかせた一人の女性が降り立った。
ベルトーチカ・イルマ。
かつてアムロ・レイを愛し、彼と共に戦場を駆けた女性。彼女はアーガマの乗組員たちに形式的な挨拶を済ませると、吸い寄せられるように、ジュドーに支えられた一人の少年の前で足を止めた。
「……嘘。そんなはず、ないわ」
ベルトーチカの瞳が、驚愕と、そして隠しきれない嫌悪に近い混乱に揺れる。
彼女の眼前にいるのは、かつての恋人——アムロ・レイの幼少期の面影をそのまま写し取ったような少年だった。だが、その瞳にはアムロが持っていた幼い情熱はなく、代わりにすべてを悟りきったような、底知れない虚無と静謐が宿っている。
「……ベルトーチカ・イルマさんですね。お会いできて光栄です」
レイは、見えない瞳を彼女の方向へ向け、静かに微笑んだ。その声の響きまでもが、彼女の記憶にある「彼」の断片を刺激する。
「あなた、何者なの? アムロの親戚……? いいえ、そんな話は聞いたことがないわ。答えて、その顔、その名前……どういうことなの!」
ベルトーチカはレイの肩を強く掴み、激しく揺さぶった。ジュドーが慌てて割って入る。
「おい、あんた! レイは病気なんだ、やめてくれよ!」
「……僕は、あなたのアムロではありません」
レイは、自分を掴むベルトーチカの手の上に、そっと自分の手を重ねた。
「僕は、ただの模造品(レプリカ)です。連邦の研究所で、かつての英雄の遺伝子を継ぎ合わされ、都合よく戦うために用意された……名前のない子供です」
その告白は、重い沈黙となって砂漠に沈んだ。ベルトーチカは弾かれたように手を離し、口元を押さえて後退りした。
「クローン……。アムロの、クローンだというの? ……なんてこと。あいつらは、まだあんな残酷なことを続けているのね。戦いが終わっても、アムロを解放してくれないなんて!」
彼女の涙は、レイに対する慈しみではなく、アムロという個人の尊厳を汚されたことへの憤りだった。レイはそれを正しく理解し、少しだけ胸の奥が冷たくなるのを感じた。
(……そうだ。僕がどれだけ苦しんでも、人々が見るのは僕の痛みじゃない。『アムロ・レイ』という偶像の汚れなんだ)
その夜、カラバのキャンプで束の間の休息を取るアーガマ隊。しかし、砂漠の夜は安らぎを与えない。
「ねえ、お兄ちゃん。あのおばさん、怖い顔してお兄ちゃんを見てたよ。プルのことより、お兄ちゃんのこと嫌いなのかな?」
プルが不安そうにレイの裾を引く。彼女のニュータイプ能力は、ベルトーチカが抱く複雑な感情を敏感に察知していた。
「嫌いなんじゃないよ、プル。……ただ、悲しいだけなんだ。思い出の中の綺麗な宝石に、偽物が混じってしまったのが、耐えられないだけなんだよ」
レイはプルの頭を撫でながら、暗い夜の砂漠を見つめた。視力はほとんど機能していないが、地平線の向こうから迫る「青い炎」のような殺気を、彼ははっきりと感じ取っていた。
「……来る。青の部隊(ディザート・ロンメル)。砂漠の狼たちが、獲物を狙っている」
レイの予言とほぼ同時に、キャンプの外縁で爆発が起きた。
ネオ・ジオンの地上部隊。砂漠での戦闘に特化した旧ジオン軍の残党たちが、新型MS「ドライセン」や「ディザート・ザク」を駆って奇襲を仕掛けてきたのだ。
「ジュドー! 出撃だ! この砂漠じゃ、足を取られたら終わりだぞ!」
ブライトの号令が飛ぶ。ジュドーはZZガンダムに飛び乗り、砂塵の中へと消えていく。
しかし、砂漠の戦いは過酷だった。ZZの巨大な自重は砂に沈み、思うように機動できない。そこをロンメル隊の熟練した連携が襲う。
「ダメだ、ジュドーだけじゃ……。……僕が行く」
レイは、止めるベルトーチカの手を振り払い、格納庫に残されていたコア・ベースに乗り込んだ。
「レイ、待ちなさい! その身体で何をするつもり!? あなたはアムロじゃないのよ!」
ベルトーチカの叫びが、キャノピー越しに響く。レイはそれに応えることなく、ただ操縦桿を握りしめた。
「……分かっています。僕はアムロではない。……だからこそ、僕は僕のやり方で、彼らを……ジュドーを守る!」
発進したコア・ベースは、砂漠の熱気と重力に翻弄されながらも、レイの超常的な感応によって敵の配置を瞬時に特定した。
「……熱源探知、左後方。……ロンメルの本隊は、砂の下に潜んでいる!」
レイの脳波が、ZZのセンサーへと直接情報を送り込む。
「レイ! お前、見えてるのか!」
「……心で視ている。ジュドー、キャノンを一点に集中して。砂を熱でガラス化させれば、奴らの足場を奪える!」
レイの指揮により、ZZのハイ・メガ・キャノンが砂漠の一角を焼き払った。熱によって溶けた砂が瞬時に固まり、潜伏していた敵機が姿を露呈する。
しかし、その代償はレイの肉体を確実に破壊していった。加速する重力Gが、弱った血管を破り、口から鮮血が噴き出す。
「あ……が……っ!」
視界が完全にブラックアウトした。それでもレイは、指先だけで機体を制御し続ける。彼を動かしているのは、もはや生存本能ではなく、「誰かに必要とされたい」という痛切なまでの渇望だった。
激闘の末、ロンメル隊は撤退した。
夕闇に包まれる砂漠の中、不時着したコア・ベースのハッチが開く。駆けつけたベルトーチカが見たのは、血塗れになりながら、それでも満足げに空を仰ぐ少年の姿だった。
その白くなった髪には、砂漠の砂が混じり、月の光を浴びて銀色に輝いている。
「……どうして。どうしてそこまでして戦うの? あなたは、自由になっていいはずなのに」
ベルトーチカは、初めて一人の「少年」としてレイを抱きしめた。その温もりの中で、レイは微かに微笑んだ。
「……ベルトーチカさん。……僕は、アムロになれなくて良かった。……アムロなら、もっと上手く戦えたでしょう。……でも、不器用に、血を流して戦う僕を……ジュドーたちは、受け入れてくれたから」
重力の底で、少年は初めて、自分だけの居場所を見つけたような気がした。
だが、その安らぎを許さないように、大空からは新たなネオ・ジオンの影が、巨大な翼を広げて降下してくる。
次回予告
砂漠の熱風が運んできたのは、旧ジオンの亡霊たちの執念。
青の部隊、ロンメルとの決戦。
そして、レイの前に現れた謎の騎士、ラカン・ダカラン。
「貴様のその瞳……気に入らんな」
暴力と殺戮を謳歌する真の戦士の前で、レイの精神(こころ)はついに限界を迎える。
崩壊する自意識。暴走するバイオセンサー。
その時、砂漠に真実の虹が架かる。
次回、第8話 「砂漠の狼」
――君は、刻の涙をみる。