3-1
登城の日の前日になると、親方が馬車を仕立てて迎えに来た。どうやら当日まで、城下の邸で俺と師匠の面倒を見てくれる気らしい。
そう言えば、この世界に出てから村を出るのは初めてだ。ふと呟きながら馬車に乗り込むと、それを聞いていたベニカが、俺の隣に陣取るなり、案内役を買って出た。
馬車が動き出すと、車窓に映る景色の一つ一つを大はしゃぎで説明し始める。
石畳の街道に出て暫く行くと、道の両側に延々と続く林檎園が現れた。清らかな香りを放つ白い花が視界を覆う。
満開に咲く枝々の下では、時折農夫たちが忙しそうに立ち働いているのが見えた。
遠くに見える煉瓦造りの煙突は、醸造所のものらしい。領主の邸で振舞われたのもカルヴァドスだったし、きっとこの辺りの特産なんだな。
「ロアルデの林檎酒は世界一ですから」
「一口飲んだだけでひっくり返る者が生意気を言う」
「お、大人になれば平気になります!」
得意気に言ったところを、親方に混ぜっ返されて癇癪を起こすベニカ。隠し鉱山の件から暫くの間は、夜中によく魘されたりして疲れた顔をしていたが、もう大丈夫そうだな。
そう言えば、見かねて添い寝を申し出ると、子供扱いしないで下さいと真っ赤になって断ったくせに、こっちが寝付く頃になって潜り込んで来たことがあったっけ。
思わず思い出し笑いを漏らすと、「もぉ、ランジャ様まで」と頬を膨らませた。
林檎園を過ぎ、景色が広大な麦畑に変わると、窓から入る風も香ばしい乾燥した麦藁の香りになった。刈り入れはもう終わっていて、遥か遠くの農道を藁を積んだ荷車が行くのが見える。
タルセンド城はその更に向こうの、なだらかな丘の上に霞んで見える巨大な城郭の中だとか。
鉱山が開かれて以来、足りなくなった人手を補うために、領主や農園主が、移住者や出稼ぎの労働者を、大量に雇うようになったらしい。
受け入れ側の国は、治安の悪化等の問題はあるものの益々豊かになるが、流出する側との格差は様々な摩擦を生み、更には、未だ解消されずに残っている、今の治世以前の軋轢もあるとかで、国境を接して一触即発状態の辺境国も少なくないそうだ。
師匠によれば、そのためにも各国は挙って城砦と騎士団の強化に力を入れている。ということらしい。
やがて麦畑も通り過ぎ、堀を渡って丘の上の城郭をくぐると、様々な商店や市場がひしめく市街地に入った。
のどかな郊外とは打って変わって大変な賑わいだ。慌しく行き交う人波や荷車に阻まれて、馬車が立ち往生するたびに喧騒に包まれる。
城に程近い、大邸宅が立ち並ぶ一角まで漸く辿り着くと、馬車は一際目を引く大きな邸の前で停まった。
親方に促されて中へ入ると、高い天井には、中央に大きな精霊石が据え付けられた、豪華なシャンデリアが吊るされていて、周囲に飾られたカットガラスを通して柔らかな光を放っている。
吹き抜けの二階から広いホールへ続く大階段の下、屯していた三人の少年が俺たちに気付くと、獲物を見付けた子犬のように駆け寄って来た。
「ようこそ」
「ようこそホルザレン会へ」
「おーい! 英雄の来訪だぞー!」
折り目正しく出迎えてくれた年かさの二人の他に、やんちゃそうな一人が奥へ向けて声を張り上げる。
「そんな大袈裟な」と呟く師匠と顔を見合わせて苦笑していると、次々に出て来た少年たちにたちまち取り囲まれた。
十人はいるだろうか。どうやらみんな親方の門下生らしい。中には石読みのクロークを纏っているものも何人かいた。
歓迎してくれるのはいいけど、みんな好き勝手に喋るので何を言ってるのか訳が判らない。
「ほらほら、お客様はお疲れでしょ」
背後から現れた奥方に柔らかい声で窘められると、彼らは渋々部屋に戻って行く。奥方は無骨な親方にはいささか不釣合いな、少女のような印象の可愛らしい女性だった。
彼女によって包囲網から救出された俺たちは、二階の客室に通されて漸く一息ついた。
狭くてごめんなさいねとの事だが、この部屋だけで村のベニカの家くらいある。調度品も贅を尽くしたものばかりで、ホルザレン会とやらの羽振りの良さが窺えた。
重厚なカーテンで飾られた大きな窓を開けると、遠くから夕暮れ時の街の喧騒が聞こえて来る。城郭の向こうを透かし見ると、茜色を増した空の下、遥か遠くにタラサノの森が青く霞んでいた。
師匠はというと、少年のような輝く瞳で部屋中を見渡している。
「凄いですね。俺、お邸街は通り抜けるだけだったから、中に入るのなんて初めてです」
「俺なんか城下に来るのすら初めてだ」
ノックの音に応えると、茶器を携えたベニカが入って来た。俺たちのいる窓際のテーブルは彼女には少し高いようで、爪先立ちで茶を淹れる様子は危なっかしく見える。
それでも手を貸そうか迷ってるうちに、何とか無事二人前注ぎ終わると、「どうぞ」と言いながら、それぞれ目の前に置いた。加密列に似た香りがほのかに立つ。
「薬草茶です。奥さんが街の薬屋で買ってきてくれたの。薬師に疲労回復の処方をしてもらったんですって」
「ナクルタツリの薬草?」
またも瞳を輝かせて問う師匠に、彼女は呆れ顔で肩を竦めて見せる。
「あんな高価な物、親方でも買えません。金貨五枚はします」
「そうなのか。ひょっとしたらと思ったんだけど」
苦笑しながらカップを取る彼につられて、俺も一口飲んでみる。
疲労回復の薬草と聞いて少しばかり期待したが、クレイドルほどの劇的な効果は無かった。味と香りが濃いだけで、ありきたりなハーブティーだ。
「ナクル……何とかって、薬草の名前?」
「辺境国の名前です。薬草と薬師の一大産地だったんですけど、十年ほど前に滅ぼされたんです。以来そこの薬は品薄で、すっかり高級品扱いですよ。親方でも手が出ないんじゃ、王侯貴族御用達ってとこですかね」
俺の問いに答える彼の口調には、少々皮肉めいたものが混じっている。
「滅んだんじゃなくて、滅ぼされた……?」
「何でも、国境を接するセブランの奇襲を受けたそうです。当時は世界中が衝撃を受けましたよ。
何しろ、あそこの薬師は特別な存在で、彼らにしか作れない薬も多かったですから、辺境国というよりは、むしろ聖地のような扱いでしたからね。
誰もそんな国をを襲撃しようなんて思いませんから、古来よりの盟約とかでバルナタートが僅かな駐留軍を置いているだけで、騎士団もありませんでしたし。
結局は、セブランの奇襲を好機と見たバルナタート駐留軍に裏切られてハルトランガ王は自刃。規模を誇った薬草園も戦火で全て灰塵に帰したとか。
両国とも王家に伝わる秘薬が狙いだったようですけど、結局は攻め込んだセブランではなくバルナタートの手に渡ったようですね」
「それって、薬譜と二人のお姫様の事?」
大人しく話を聞いていたベニカが身を乗り出す。どうやら彼らにとっては有名な話らしい。
「あぁ、そんな話もあったね。でもナクルタツリの薬術は全て秘伝扱いだったから、薬譜は無かったって言う人もいる」
「じゃぁ、二人のお姫様は?」
「うーん。王族に伝わる術を知ってると思われたのかもしれないし、幼いながらも大層美しかったそうだから、それで攫われたのかもしれないし……。今頃は奴隷か、良くて寵妃かもしれないね。もしかしたら、薬譜さえ手に入れば用無しとばかりに殺されてるかもしれないな」
「そんな……お姫様可哀相」
亡国の美姫と失われた秘伝書とは、これはまた多分に叙情的な物語だな。
自身もまた誘拐の被害者な為か、彼女は「悲劇のお姫様」に甚く同情をそそられているようで、まるで我が事のように憤慨している。元騎士の視点で淡々と史実を語る師匠とは対照的だ。
「セブランのジョセル王もそうだけど、バルナタートのデュロン王も何を考えているのか判らないよ。ナクルタツリの薬譜ばかりか、『雷神の御子』まで手に入れて、聖下の玉座でも簒奪するつもりなのかな」
「きっとソーセン師に唆されたのよ。『雷神の御子』を盗んだのはソーセン師なんでしょ?」
「ちょっと待て! 今何て言った!」
唐突に大声で遮られると、ベニカばかりか師匠まで驚いた顔で、思わず立ち上がった俺を見上げる。
「ランジャ様……?」
「そのソーセンて、神官団の祭司長か?」
「えぇ。嘗てはそうでしたが、神宝を盗んでバルナタートに亡命して以来、辺境諸侯と神聖騎士団の仇敵です。ご存知でしたか」
「いや知ってるも何も……俺はそもそもあいつを探すために来たんだ。あンの野郎、こっちでも盗んでやがったのか……!」
「えぇ?! そうだったのランジャ様」
「ソーセン師が御子だと言う噂は本当だったのか。妖しげな魔道の術を使うと聞いたから、もしやと思ってたけど……」
「神界でも盗みを働いてたなんて、やっぱり悪い人なんですね。ランジャ様、ソーセン師を成敗しに行くの?」
「あーいや、そこまでは言われてないけど……」
彼女の純真な瞳で、必要以上に期待に満ちた眼差しで見詰められると、何だか急に脱力してしまって、くしゃくしゃと頭を掻くと、椅子に体を投げ出すようにして腰掛けた。
「俺の上司の『女神様』はお優しいからね。盗んだものを返してくれさえすりゃお咎め無しだそうだ。でも、話を聞いた限りじゃ前途多難だな。奴は敵陣の真っ只中かよ……」
特大の溜息をつきながら肩を竦めると、はっとして顔を上げた師匠と目が合った。
「ランジャ様、記憶……戻られたんですか?」
あ、そういえばそういう事になってたんだっけ。うーん。どうしよう……。
「あぁ、無理なさらないでランジャ様」
またしても腕を組んで考え込んだ俺を、二人は慌てて制する。同時に鳴ったノックの音に救いを求めて席を立つと、先に駆け寄ったベニカが扉を開けた。
入って来たのは親方だった。鉱山で薄汚れたいつもの平服はすっかり着替えていて、どこから見ても街の名士様の風情だ。
「夕食にはまだ少し時間がありますから、ランジャ様の叙任式を済ませてしまいましょう。まぁ式と言っても簡単な手続きですから、すぐ終わりますので」
「あぁ俺、石読みになるんだっけ」
「左様で御座います。差し出した真似をしまして申し訳ありません」
「いや、俺の方こそ礼を言わなきゃ。ありがとう。何だかいろいろ煩わせちまって……」
「私の事でしたらお構いなく。さ、ミルジオさんもこちらへどうぞ」
案内された部屋はがらんと広くて、真ん中に小さなテーブルがぽつんと置かれている以外、家具や調度品が一切無いところから、こういった式専用に使う場所と思われた。
中では二十人ほどの門下生が既に集まっていて、騒々しい事この上ない。よく見ると会所属の石使いなのか、金ブローチの付いたクロークを纏った大人の男女が数人、彼らに混じって談笑していた。
親方に伴われて俺たちが入って行くと、雑談はぴたりと止んで囁き声に変わる。それでも「神使様だって」「神族?」「綺麗」「初めて見た」という子供たちの囁き声が聞こえてきて、思わず苦笑が浮かんでしまった。
「ランジャ様、こちらへ」
中央のテーブルの前で呼ぶ親方の前に進み出ると、門下生は無言のまま、静かに俺たちの周囲の空間を空ける。
テーブルの上には、あの紋章が型押しされた、緑色の革で装丁された本と、銀のブローチを載せた真新しいクロークが綺麗に畳まれて並んでいた。
「左手を」
彼の指示に従い、差し出された本の表紙に左手を置く。続いて彼が目の高さに右手を挙げると、俺もそれに倣った。
そう言えば、教育期間を終えてライブラリ配属が決まった時にも、似たような事をやらされたっけ。
「タラサノのランジャ、あなたはホルザレン会の理念に従い、聖下と神祖の知ろし食す御世に傅くことを誓いますか」
「誓います」
「よろしい。あなたをケテルの地なる神祖バーゼルの御名に於いて、我らが子弟として承認いたします」
彼は本を俺に手渡すと、縁飾りの付いた紙を取り出し、ペンを差し出して署名を促す。内容はさっきの宣誓と同じだった。
書き終えてペンを置くと今度はクロークを取り、テーブル越しに俺の肩に掛けてブローチで留めると、周囲から一斉に拍手が起きた。どうやら式はこれで終了のようで、部屋の隅で大人しく見守っていたベニカが嬉しそうに飛び付いて来る。
「素敵! ランジャ様と同じなんて」
「よろしくな。先輩」
背伸びして俺のブローチに触ろうとする彼女を抱き上げると、石使い諸氏に取り囲まれ、握手と自己紹介が始まった。聞けば、ほとんどが彼女の両親と同輩らしい。
彼らは一様に優秀だった両親の早過ぎる死を悼み、二人分の才能を引き継いだ彼女への期待を口にする。
また、石使いの修行のために、いつか俺と共に都へ行く約束をしている事を知ると、「よろしくお願いします」と頭を下げられてしまった。ベニカはホルザレン会期待の星ってわけだ。こりゃいよいよ責任重大だな。
三々五々退室し始めた彼らと共に部屋を出ると、こちらでは師匠が門下生の少年たちに取り囲まれていた。どうやら彼を参戦経験のある元騎士と知った連中に、武勇伝をせがまれているらしい。
程なくして食堂の扉が開き、支度が出来たことを告げる奥方の声に再び救われると、「また後で」と言いながら何とか振り切ったようだった。