石使いランジャ   作:桜城静夜

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 彼女のお蔭で気分転換も出来たし、報告書はどうにかこうにか陽が傾く頃までにやっつけた。

 折角の休暇なのに、デスクワークで篭り切りってのも勿体無いし、面倒事は一気に片付けたいので、そのまま荷物に纏めると、提出の為に本部へ赴いた。

 配属当日にセブランへ発ってしまったので、監査の事務所へ顔を出すのは初めてだ。

 何の表示も無い一階奥の扉をノックすると、しんと静まり返った部屋の中から、書生の青年の声だけが返って来る。

 開かれた扉の奥には、大きな執務机と一組のソファしか無かった。どうやら年がら年中飛び回ってる連中には、自席は必要無いって事のようだ。

 ご苦労様ですと笑顔で応対する彼に用向きを伝えると、書庫への案内を買って出てくれた。何でも、報告書は全て地下にある特別な部屋へ収めているらしい。

「過去の報告書って、閲覧出来んの?」

 先を行く書生氏に問い掛けると、彼は振り向いて「はい」と穏やかに微笑む。

「司書に申し出て頂ければ。親方と監査に限定されては居ますけど」

 なるほどね。どうやらライブラリと言うよりは、アーカイヴに近い性格のもののようだ。

 階段を降り切ると、書生氏は、突き当たりに見える微かに光の漏れる扉を、「あちらです」と指差し、「では失礼します」と丁寧に会釈して事務所へと戻って行った。

 彼を見送ってから扉を叩くと、応えたのは、意外にも凛とした少女の声だった。

 開錠の音がして扉が開くと、古いインクと酸化した紙の匂いと共に、艶やかな黒髪を肩に垂らした色白の少女が現れた。他に人影は見当たらないし、司書とは彼女の事なんだろう。

 年の頃は十七、八。割と可愛い顔立ちなのに、真っ直ぐ切り揃えた前髪の下から見上げる、アーモンド形の黒い瞳は表情が読み取り難く、きりっと上がった目尻も相俟って、少し冷たい印象だった。

 厳重に施錠された地下室だってのに、華奢な腰に佩いた剣が物々しい。ここはそれだけ重要な場所だって事か。

 少々気圧されながらも、

「報告書、持って来たんすけど」

 と切り出すと、

「拝見しましょう」

 と無表情に答えて書類の束を受け取り、入り口の傍に設えられた大きな執務机に就くと、徐にぱらぱらと捲り始めた。

 くるくるとよく動く瞳から、きちんと隅々まで目を通している事は判るけど、凄い早さだ。ひょっとして、彼女も補助脳持ちなんだろうか。

 ふと見ると、薄い胸元に留められている翼刃章が、黒地に金の浮き彫りだって事に気が付いた。

 金と銀の他にあんな色もあるのか。初めて見た。あれはどういった地位を示してるんだろう。

 机の後ろにある重厚な扉にも、同じ意匠の翼刃章が付けられているけれど、ここと同様に物音一つ無く静まり返っていて、何の部屋なのか窺い知る事は出来なかった。

 高い天井まで届く書架がびっしり収まっているってのに、灯りは彼女の机の上の大振りな精霊石ランプ一つだけだ。

 さすがにそれだけでは部屋の奥まで光は届かないので、丸で、ナクルタツリの「贄の道」にでも迷い込んだような錯覚を覚える。

「お預かり致します」

 唐突にに響いた硬質な声にびくっとなって振り返ると、彼女は書類を黒表紙で綴じながら、口の端を少しだけ持ち上げてクスと笑った。表情が和らぐと予想以上に可愛いな。

「そうだ。暗号に関する文献があったら、閲覧したいんだけど」

「でしたら、百二十四番書架の七段、十八冊目をどうぞ」

 ふと思い付いての質問に、彼女は難なくさらっと答えると、足元から取り出したランタンに、机の上のランプから小さな火鋏で一つ石を移して俺に差し出した。

 凄いな。広い地下室を埋め尽くす文献の山を、全て内容まで把握してるのか。

 呆気に取られてる俺をよそに、傍らに置かれた大きな分厚い目録を開いて、一番最後の空欄に何やら書き込み始めた彼女に、面食らいつつ「どうも」と礼を言うと、手にした灯を頼りに洞窟探検へと繰り出した。

 書架に付けられた真鍮板に刻まれた番号を辿り、百二十四番目の列に潜り込むと、十八冊目に当たりを付け、備え付けの梯子を攀じ登り、目当ての一冊を抜き出す。

 通路に閲覧用の小さな文机が備え付けられている事に気付くと、その上にランタンを置き、腰掛けながら古ぼけた黒表紙を用心深く開いた。

 頁ごとに暗号の種類と解読法が事細かに記されている。表紙に近いほど新しい紙になっているのは、随時新しい情報が追加されている為だろう。

 ミカが付けていた暗号文は、比較的新しいものだったようで、割とすぐに見付かった。どうやらヴィジュネル暗号の一種らしい。

 早速補助脳から引っ張り出して、文献に記された方陣と照らして解読してみたが、「豺狼走ラザレバ、女神ノ裳裾翻ラズ」と読めはしたものの、意味に至っては結局判らずじまいだった。

 

 

 

 

 釈然としない思いを引き摺りつつも、文献を書架に戻し、司書嬢に礼を言って退室すると、階段を上りきったところで、上階から降りて来たベルと出くわした。

 「よう」と手を挙げると、「あら、お疲れ様」といつもの涼やかな笑顔で立ち止まる。

「どう? 晩飯でも」

 と誘うと、「そうね」と乗ってくれたので、そのまま連れ立って銀鱗亭へ向かった。

「仕事?」

 相変わらず混雑している店内に何とか空きを見付け、席に着きながら訊くと、彼女は困惑気味の微笑を浮かべながら肩を竦めた。

「ええ。カレル大親方から呼び出しがあって……」

「あの御仁ってぇと、宮廷絡みかな?」

「何でも、来週早々にエイメル商会で大きな商談があるから、それに同行するようにと。あなたにも使いを送ったそうなんだけど、きっと行き違いになっちゃったのね。伝えて欲しいと頼まれてたから、逢えて良かったわ」

「やれやれ。人使いの荒い職場だな。休暇がフイになっちまったら、ベニカに何て言い訳すりゃいいやら」

 大袈裟に嘆いて見せる俺に、彼女はうふふと楽しそうに微笑む。

「あの子、あなたに逢えなくて寂しがっていたでしょう?」

「知らないうちに十一になってた。どうやら夫人に淑女教育とやらを受けた様でさ、妙に他人行儀で拍子抜けしたよ」

「まぁ、甲斐甲斐しい事」

「俺はそんなのやめてくれって言ったんだ。狩人のカミさんにゃ必要ないってさ」

「そうね。あの子はいつも礼儀正しい優等生だけど、いつも自信なさそうに萎縮してる感じがするもの。あなたと一緒に居る時ぐらい、精一杯甘えればいいんだわ」

「何だかね。俺が仕事で飛び回ってる間に、あんな風にどんどん勝手に大人になっちまうのかって思ったら、急に寂しくなっちまってさ」

「何言ってるの。彼女は、あなたの為に大人になろうと頑張ってるのよ」

「子供のままでいいのに。なァんて言ったら、あんたとベニカの二人掛りで責められそうだな」

 そう言って苦笑交じりに肩を竦めて見せると、「勿論よ」といたずらっぽい微笑が返って来た。

「そうだ。ちょっと相談に乗って欲しいんだけど」

「あら、何かしら」

「ちょっと遅くなっちまったけど、あいつに誕生日の贈り物をしたいんだ。あの年頃の女の子には何がいいのか判ンなくてさ」

「あの子に聞いても、『ランジャ様のご無事が何よりの贈り物です』としか言ってくれないし?」

「え? 何で判るんだよ」

 思わず呆気に取られた俺を見て、可笑しそうにくすくす笑う。相も変わらず、その神通力には感服仕る。

「何も欲しいものが無いなんて、あの子らしい。遠慮もあるんでしょうけど、きっと満たされてるのね。何だかちょっと羨ましいわ」

「そんなもんかね。俺としちゃ、半分は罪滅ぼしのつもりなんだけど……」

「罪滅ぼし? 寂しい思いをさせてしまったから?」

「まぁ、色々とね……」

 言葉尻を濁しながら片目を瞑って見せると、彼女はにやっと意味深に微笑んだ。

「それはそれは……。ならば精々奮発してあげないと」

 丸で我が事のようににこにこと嬉しそうに言ってはくれるものの、言葉の端々が、何やらそこはかとなく寂しげに聞こえる。

 俺と二人きりで居る時に限ってそんな表情を見せるのは、気を許してくれてるって事なんだろうか。

 

 

 

 食事を済ませて店を出ても、彼女は何も言わなかったが、いつぞやと同様に邸まで送って行くことにした。

 まぁ、多少の下心も無きにしも非ずと言ったところではあったけど、門の前でお休みの挨拶を言われれば、大人しく引き下がるつもりでいた。

 だけど彼女は、暫しの逡巡の後、こっちが思わずどきっとするような切なげな眼差しで振り返り、俺がそっと頷くのを待つと、門番が開け放ったまま待っている門扉を、無言のまま共にくぐった。

 婆やは相変わらずの物腰で彼女を出迎え、今度こそは俺をきちんと「ランジャ様」と呼んではくれたけど、彼女のあとについて階段を上がる時に、ふと視線を感じて振り返ると、女主人を見上げている心配そうな眼差しに気付いちまって、何だか少しばかり後ろめたい気分になった。

 そりゃ心配だよな。神族とは言え、素性の判らない風来坊が相手とあっちゃ、大切な御令嬢が玩ばれてるんじゃないかと気を揉むのも当たり前の話だ。でも、悪いけど俺だって人間の牡《オス》なんで。

 案内された部屋はこの前とは違う場所だったけど、そんな事はどうでもよかった。

 扉が閉まると、待ちかねたようにどちらとも無く抱き締め合って、互いの唇を夢中で貪り、薄闇の中で灯りを点ける事すら忘れて服を脱ぎ散らかすと、そのままベッドへと崩れ落ちた。

 艶やかな柔肌だけでなく、夜具からも甘い香りがする。どうやらここは彼女の部屋らしい。

 出来る事なら、あの部屋のあの王族のようなベッドで、散々に乱れる彼女の痴態を、テオの亡霊に見せ付けてやりたいと言う思いも抱きはしたが、やったところで詮無い自己満足に過ぎないし、彼女が大切にしている思い出を穢す権利など俺には無い。

 それに、二人の間には、既に暗黙のルールが出来上がっていた。奴の名を口にせぬ事。それと、愛を囁かぬ事……。

 彼女が奴を求めたところで、俺には答えられるものじゃないし、俺が彼女に愛を求めたところで、手に入らない事は判り切ってる。

 今この時だけは何も考えず、それが丸で呪詛を封じる儀式であるかのように、ただ本能に身を委ねるのみ。それだけで十分じゃないか。

 相変わらず、彼女の体は素晴らしかった。存分に酔い痴れた余韻に浸りつつ、乱れた夜具に埋もれてまどろんでいると、耳元でハスキーな声が甘く呼んだ。

「起きて、ランジャ」

「ん……」

 怠い瞼を抉じ開けると、素肌にガウンを纏った彼女が、ベッドの縁から身を屈めて俺の顔を覗き込んでいた。

 精霊石ランプの仄かな光が、柔らかく波打つ髪を艶々と照らして、丸で後光を放つ女神のようだ。触れようとして手を伸ばすと、気怠い手付きで掻き揚げながら、身を屈めて軽く口付けてきた。

「遅くなるとベニカが心配するわ」

「何だよ、もう追い返すのか」

 丸で餓鬼のように拗ねた口調で言う俺に、彼女は少し寂しげな微笑を浮かべる。

「あの子は一途にあなたを想ってる。傷付けたくないの」

「判ってる」

 言いながら俺がのろのろ起き上がると、彼女はその隣へ静かに腰掛けた。

「あいつ、俺が美女と一緒だと一丁前に妬くんだ」

 にやっと笑って言うと、彼女も優しい声でうふふと笑う。

「だけど、仕事じゃ仕方ないから我慢するんだとさ。『正妻の座を望むなら、何事にも泰然自若とすべし』って、ロナに教わったとか言って」

「まぁ、酷い人ね。それをいい事に側女を囲うおつもり?」

 少々非難がましい物言いで、いたずらっぽく微笑む彼女に、溜息交じりに肩を竦めて見せた。

「確かにベニカは可愛いよ。あの純真さにはいつも癒される。命を救われた恩もあるし、幸せにしてやりたいと思ってるさ。だけど、十一歳の許婚じゃ満たせないものだってあるんだ」

「それが、あなたの言っていた『罪』?」

「まぁ、そんなとこだ」

 足元にきちんと畳まれた服が置かれている事に気付くと、ベッドを降り、袖を通す。

 着替えを終えると、「ならば、私も同罪ね」と、切なげに呟く彼女に歩み寄り、俺を見上げる白い額にそっと口付けた。

「何もあんたまで背負い込む事ァねぇよ。今背負ってるものだけでも潰れそうだってのに」

 見送ろうと立ち上がり掛けたところを制すると、「お休み」とだけ言って部屋を出た。

 そっと扉を閉めて振り返ると、階段の下で婆やが待ち構えている事に気付き、思わず大きな溜息をつく。

 そいつに「どうも、お邪魔様」でやり過ごそうとしたけれど、「ランジャ様」と呼び止められてしまった。

「お嬢様を如何なさるおつもりですか」

 やれやれ、お説教かよ。あんたにいちいち言われなくたって、悪さをしてるってぇ自覚は十分持っていますともさ。

「如何も何も、あんたらこそベルをどうするつもりだよ」

「お嬢様の双肩には、子爵家の再興が掛かって御座います」

「なるほどな。寄って集って彼女一人に御家を丸ごと背負わせようってか」

「御家の大事は、即ちお嬢様の大事でも御座います故」

 尤もらしい事を言っちゃいるが、丸で牢屋番だ。何だか胸糞悪くなってぶん殴りたくなったけど、どうにか拳の中で握り潰す。相手は叔父上とやらに差し向けられただけの年寄りだ。

 苛立たしい思いをぶつけるように、

「ベルは道具じゃねぇよ」

 とだけ言い捨てると、尚も呼び止めようとするのを振り切って玄関を出た。

 馬丁から手綱を受け取りながらふと見上げると、バルコニーに彼女の姿があった。

 軽く手を挙げると、寂しげな微笑を浮かべた紅い唇が、「有難う」と動く。籠の鳥は美しく、哀れだ。

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