森を出て邸宅街に入ると、目指す邸は中程にあった。城下でも名立たる豪商と聞いていたが、随分と羽振りの良さそうな大邸宅だ。
何でもエイメル氏は、各国の街道を網羅する駅馬車の金主で、街道ごとに点在する停車場も、大半が彼の出資によるものらしい。
停車場の店主からは上納金だけでなく、各地の情報も逐一齎されているとかで、彼もホルザレン会の大親方に名を連ねているのだそうだ。
窓毎に煌々と点された灯りに照らされて、通りには贅沢な仕立ての馬車が幾つも並んでいるのが見えた。
どうやら今夜の宴は、賓客だらけの堅苦しいものになりそうだ。少々げんなりしつつ馬車を降り、彼女の手を取って玄関の大扉をくぐると、家令氏が待ち構えていて歓迎してくれる。
案内されたホールでは、既に何組かの着飾った紳士淑女が談笑していて、華やいだ雰囲気だった。
俺たちの到着が告げられると、小柄な初老の紳士が振り向き、挨拶を交わしていた客に会釈をして辞すると、人懐こそうな笑顔を浮かべて歩み寄って来た。
「ランジャ様、ようこそお越し下さいました。お逢い出来て光栄に存じます、エイメルで御座います」
「ランジャで結構です、エイメル大親方。本日はお招き頂き、有難う御座います」
「お噂は兼ね兼ね伺っておりますよ。今回の報告書も早速拝見いたしましたが、ご活躍のようで何よりです」
大親方は両手で俺の手を握り締めると、嬉しそうに何度も振る。
抜け目のなさそうな薄茶の丸い目がくるくる良く動く様は、失礼とは思いながらも、何だか森に棲む小動物みたいに見えた。
「これはレディ・レイヴァル。ご無沙汰をしております。相変わらずお美しい」
彼は今度はベルの手を取ると、恭しく押し戴いて軽く口付ける。
「大親方、レディはおやめになって下さいまし。私もホルザレン会の門下に御座いますわ」
「いや、これは失敬。つい商売の癖が出てしまいました」
そう言いながら、白髪交じりの頭をぽんぽん叩いて笑う彼に、彼女もまた涼やかな微笑を浮かべた。
「カレル殿! 待ち人が見えましたよ」
彼の呼び掛けに、ホールの中ほどで貴婦人たちと談笑していた、プラチナブロンドの長身が振り返り、俺たちへ手にした杯を掲げて見せると、上機嫌で歩み寄って来た。
「今晩は、大親方」
「今晩は。先日はどうも」
「やあ、今晩は。今夜は二人とも素敵だね。仕事の話は後回しだ。まずは楽しもうじゃないか」
彼はそう言って片目を瞑ると、楽しそうに笑いながら歓談の輪に戻って行った。
奥へ通され、給仕から渡された杯で軽い食前酒を楽しんでいると、遠くから名を呼ばれた。振り向くと、二人の男が笑顔で歩み寄って来る。
どちらも筋肉質な体躯ながら、礼装も着慣れている様子で、ひと目で毛並みの良さが見て取れるけど、とんと見覚えの無い顔だ。
「久し振りだなぁ! 元気そうで良かった」
二人のうち威勢のいい方が、ガシッと抱き付くなりばんばん背中を叩き、面食らってる所に大人しい方が、「ご無沙汰」とにこにこ握手を求める。それに応じながらも、
「えーと、どちらさんで……?」
と戸惑いながら訊ねる俺の隣で、ベルが嬉しそうに声を上げた。
「ビヨン! サデアス!」
「おお! 我らがベルナデット姫。覚えていて下さったとは光栄の至り」
威勢のいい方はビヨンだったか。彼は芝居掛かった大袈裟な身振りで彼女の足元に跪くと、押し戴いた手の甲に口付け、サデアスは「姫様にはご機嫌麗しく」と微笑んで丁寧に拝礼した。
二人ともこざっぱりと上品な身なりで、山賊に身を窶していた頃の面影はまったく無い。恐らくは、これがダレン伯爵に仕えていた頃の本来の姿だったのだろう。
「それに比べてランジャは酷ぇなぁ。忘れちまってたのかよ」
やんちゃそうな苦笑を浮かべながら、じゃれつくように軽く肘を食らわして来るビヨンに、寸止めの拳で答えてやる。
「すっかり身奇麗になってるから判らなかったんだ。忘れてたわけじゃないさ。相変わらず元気そうじゃないか」
「伯爵は今、どちらに?」
すると、サデアスは人差し指を唇の前に立てながら片目を瞑って見せ、それに呼応して、彼女も扇で口元を隠しつつ肩を竦める。どうやら神都にあっても、未だに彼は正体を明かせぬ立場にあるようだ。
「リノの旦那! ランジャが来ましたぜ!」
ビヨンが振り返って声を張り上げると、程近い場所で他の客と談笑していた紳士が振り向き、こちらに気付くと破顔一笑して歩み寄って来た。
彼もまた、熊の様だった髭を綺麗に刈り込んだ口髭に変え、伸び放題だった髪も短髪にして仕立てのいい礼装を着こなしている。既にどこから見ても古参の騎士と言った佇まいだ。
ニーナは彼を男前だと言ってたけど、なるほど、こうして見ると、精悍な中に気品も色気もある二枚目だ。あいつも小娘ながら、中々男を見る目があったんだな。
「久し振り。元気そうだな」
「あんたも。すっかり見違えちまったよ」
力強い握手に応じる俺とベルに、彼はにやっといたずらっぽい笑みを浮かべて見せる。
「お前さん方ホルザレン会には随分と世話になったが、これからいよいよ総仕上げだ。頼りにしてるぜ」
穏やかな口調ながらも意味深なその言葉に、思わず彼女と顔を見合わせた時だ。入り口の扉が開いて、家令氏のよく通る声が次なる来客の到着を告げた。
「ウィレム王太子殿下の御成りに御座います」
振り返ると、一斉に拝礼する客たちに笑顔で応える、あのやんちゃ王子の両脇で、ディエシーと共に禿頭の見上げるような大男が侍していた。
訝しむ俺を察したか、ベルは扇の陰に隠れながら、
「フィンデール騎士団の将軍、テリシエ伯爵よ」
と耳打ちしてくれた。
なるほど。彼が小ディエシーと渾名される神聖騎士団の連隊長、ナーダル卿か。巨漢とは聞いていたが、スーラニー姫はあれを剣技で翻弄したのか。いやはや大した姫将軍ぶりだ。
どうやら面子が揃ったらしい。エイメル氏の呼び掛けで、奥の間へと案内される。
動き出した人波の中、王太子は取り巻く賓客たちと挨拶を交わしていたが、俺たちの姿を見付けると、顔を輝かせて小走りに駆け寄って来た。
「ランジャ殿! ベルナデット殿!」
彼は丸で子供のような勢いで無邪気に抱き付くと、
「息災であったか。良かった良かった」
と言いながら、俺の手は強く握ったままぶんぶん振るが、
「お久しゅう御座います、殿下」
と優雅なカーテシーで拝礼するベルの手は、仄かに頬を染めながら大切そうに押し戴き、女神を仰ぎ見るかのような、うっとりとした眼差しで見詰めながら、
「そなたに逢えると聞いて、今宵が待ち遠しかった」
などと宣いつつ愛おしげに口付けた。
こんな野郎だったっけ? と思っちまうほど明るくなったけど、色事師ぶりは相変わらずだな。
席に着くと、杯を片手にエイメル氏の挨拶を拝聴する。
事業の成功に尽力を賜った列席者への感謝の言葉といった、よくある退屈な部類のスピーチではあったが、退屈紛れに居合わせた面々を見渡してみても、凡そ商人と思えるような風体の者は居なかった。
ざっと数えて五十名余りだが、同伴の夫人を除けば三十名ほどの男たちの殆どが、毛並みは良いものの眼光鋭い屈強な連中ばかり。
恐らくは、神聖騎士団。王太子とナーダル卿がお忍びで列席しているところを見ると、フィンデール出身の騎士ってところか。
乾杯の声と共に杯が交わされ、贅を尽くした酒肴が次々と饗される中、他愛ない雑談に応じつつも周囲の会話に注意を払ってみると、更に奇妙な事に気が付いた。
フィンデールの騎士であれば、リノの正体をダレン伯爵と知っている古参もいる筈なのに、誰もが彼を「リノ殿」だの「リノ先生」だのと呼んでいる。王太子に至っては「師匠」などと呼んでる有様だ。
「なぁ、リノは一体何の師匠なんだ?」
ビヨンが隣の席だった事をこれ幸いにこっそり訪ねると、奴は杯を干しながらも、得たりとばかりににやっと笑って見せた。
「神都に御遊学中であらせられる王太子殿下の剣術指南役さ。俺たちゃエイメル氏の用心棒を勤める凄腕の剣客で、剣術の習得をお望みだった殿下のお目に留まったって寸法だ」
「ほぉ。なるほどね」
その回答で漸く理解した。こいつは筋書きだ。この会場にいる全ての人間が参加する大仕掛けの筋書き。今夜の宴は、表向きは商談と言いながらも、その実は、役者の面通しの場に違いない。
「殿下は今、ナーダル卿と共にフィンデール王家の別邸に御滞在中でね。俺たちゃ殿下が御召しの時に参じて御指南申し上げる事になってる」
「本国からは何も?」
俺の隣からベルが身を乗り出すと、奴は半ば呆れたような苦笑を浮かべつつ、肩を竦めて見せる。
「そりゃもう、『一日も早い御帰国を』と矢の催促さ。何せ、お忍び旅行に御出座しになったきり、冬至祭から新年まで、ずーっと行方不明だったからな。
向こうじゃそれこそ上を下への大騒ぎだっただろうよ。イルシュ陛下にしてみりゃ、殿下のお耳に入れたくない事は山ほどおありだろうし。
で、この度は漸く重い腰を上げられて、花の都と麗しの姫方に泣く泣く別れを告げられる事と相成った訳だ」
奴のおどけた物言いに、彼女は楽しそうにくすくす笑う。
「するってぇと、こちらに御出席のお歴々は、殿下の帰国時期に、『たまたま』年季の明けた騎士諸卿ってとこか……」
向かいのテーブルに居並ぶ面々を見渡しながら呟く俺に、奴は「御明察」と杯を掲げて片目を瞑った。
そう言えば、春先にやった石使い叙任の祝賀会の席で、ディエシーの野郎が何やら悪巧みをしてると言ってやがったな。
ナーダル卿と頻繁に会ってるらしいとベルも言っていたし、俺があちこち飛び回っているこの何ヶ月かの間に、奴もまた、この大仕掛けを演じる役者を揃えようと奔走していたに違いない。
さて、一体どんな出し物になりますやら。