俺たちが宿屋に逗留する日は、ナーダル卿一行が同じ宿から発つ日だ。
時として、ぞろぞろと出て来た彼らと擦れ違う折に、王太子とベルが目顔を交わす事もあったけど、傍から見れば、旅の美女に目を奪われる若き従騎士の図。ってな感じに見えなくもないし、大目に見てやる事とする。
そんな感じで、ウルガン城下を出発して暫くの間は、怪しまれるような様子もなかったが、さすがにフィンデールへ近付くにつれて、周囲を嗅ぎ回るような素振りを見せる、有象無象も出て来るようになった。
と言っても、作戦指揮官のディエシーにとっては、それも既に織り込み済みのようで、不安げな眼差しで見上げながら、「大丈夫でしょうか」と問うベルに、余裕綽々と言った顔でにやりと笑い、
「美女がいるとなりゃ、気になるのが男の性ってもんだろ?」
などとぬかしやがる。
そんな中、酒場の隅で柄の悪そうな一団が、俺たちの様子を窺っているようだったが、連中の頭目と思われる男が給仕を呼び寄せ、幾許かの金を握らせつつ何事かを耳打ちすると、彼が戸惑いながらも頷くのを待って席を立った。
擦れ違う俺たちには素知らぬ振りで、二階の客室へと上がって行く連中を見送りつつ、入れ違いで席に着くと、件の給仕は早速駆け寄って来て、少しばかりおどおどしながら注文を受ける。
「どうしたよ、美人がいるんで舞い上がってンのか?」
奴が軽い口調でからかうと、彼は「あ、いえ、はい」と、訳の判らない返事をしながら慌てて首を振る。
「あ、あの、お客さん方は、今朝お発ちになった方々とは、御一緒じゃなかったんですか?」
彼の問いに、一瞬、俺たちの間に緊張が走る。
「はて、どの御一行かな? 僕らが入って来た時には、随分と沢山の客が出立して行った様だったが……」
暢気な口調でとぼける大親方に、彼は少々戸惑った様子であたふたと二階を見上げるが、既にあの一団の姿はなかった。
「い、いえ、あの、御一緒だったところを見たと言うお客さんがおいでだったので……」
「旅は道連れ……。長旅ともなれば、時として行き先を同じくする者同士、酒を酌み交わす事もあるだろうねぇ」
「え? じ、じゃあ、本当にご存じ無いので……?」
狐に摘ままれた様な顔でしげしげと眺め回す彼の様子に、大親方は俺たちと顔を見合わせてクスと小さく笑った。
「残念ながら寄る年波でね、人の顔を中々覚えていられない。あちらが覚えていて下さっているのならば、嬉しい事だがね」
すると彼は何を思ったか、きょろきょろと辺りを見回してから顔を近付けると、声を潜めてこう言った。
「先のお客様は、御忍びのフィンデール王太子殿下の御一行じゃないか。って聞いたんです。だけど、あそこの王様は石使いを嫌っておいでと伺ってますので、まさかその王子様とこちらの方々が懇意になさっているなんて、おいらには到底思えないんですが……」
「これはしたり。殿下の御一行でしたか。もう一日早く到着しておれば、御目通りの栄に浴することも出来たであろうに。ベルナデット君など、その美貌を以ってすれば後宮への御召しに与れたかもしれんよ」
幾分茶化したような口調で言いつつ顔を覗き込む大親方に、ベルもまた、「まぁ、それは残念だわ」とくすくす笑いながら調子を合わせる。
「ウィレム殿下は、数多の女性と浮名を流す、嫖客としても名を馳せて御出でだわ。そのお眼鏡に叶うは美女と認められるも同然。女としては光栄の至りね。そうは思わなくて?」
彼女の艶然たる微笑に、給仕は、
「そりゃあもう、お客様なら……」
と頬を緩めながら照れ臭そうにてへへと笑い、
「いい情報を聞かせてもらったわ。一杯奢らせて」
の言葉と共に差し出された銀貨を、嬉しそうに押し戴いて懐へ押し込むと、いそいそと厨房へ駆けて行った。
その様子に、ほっと安堵の溜息をつく俺たちの顔を見回すと、彼女は少々おどけた仕草で肩を竦めて見せる。
「あの連中の正体にお心当たりはおありですか?」
大親方は掛け直した鼻眼鏡越しに二階を透かし見ると、にやにやしながら遣り取りを見守っていたディエシーに小声で問う。彼につられて何気なく見上げると、僅かに開いていた客室の扉が、静かに閉まった。
「なァに。神都からの道連れっすよ」
平然と言い放ったその言葉に、一同思わず呆気に取られて奴を振り向く。
「大方、王の腰巾着あたりが放った間者だろう。殿下に危害を加える気は無ぇだろうが、石使いなんぞに唆されて、何事かを企んじゃいねぇか探ってやろうってハラだろうよ」
奴はそう言って俺たちの顔を見渡しながらにやっと笑うと、不安そうなベルには片目を瞑って見せた。
晩飯を済ませると、奴は、趣味と実益を兼ねた偵察と称して夜の街へ出て行く。
残った俺たちは、床に就くまでの暇潰しにと、呑みながら他愛ない世間話をするのが常だったが、宮廷の謎を知りたがるベルの問いを、大親方は何故か言を左右にはぐらかしてばかりいた。
「君も巫女だったのだろう? 参内していた頃に宮中で見聞きしたものだけじゃ物足らないのかな?」
優しい物言いで訊ねられると、
「いいえ、そう言う訳では……」
と哀しげに目を伏せる。
「君が本当に知りたいのは、テオドール君の事だろう。そして君が、宮廷を退いてホルザレン会の門を叩くに至った理由もそれだ。違うかね?」
奴の名を耳にして弾かれた様に顔を上げる彼女に、彼は静かに頷いて見せたが、
「仰る通りです」
と、呟くように答える声が微かに震え、瞳が俄かに潤んだのを目にすると、根負けしたとでも言うように微笑んで大きく溜息をついた。
「神都に戻ったら、マルセルの報告書を閲覧するといい」
彼女の口から奴の名を聴きたくなくて、杯を弄びつつ興味の無い振りをしていた俺も、その一言に思わず振り向く。
「マルセルの……報告書?」
「彼もまた監査の人間でね。五年前の連続放火事件を追っていた。この事件は君も知っての通り、一般には、下手人と思しきならず者が処刑された事で解決とされていた。
しかし、その後も監査によって調査は続けられていたんだ。彼が行方不明になった日に打ち切られてしまったがね」
「何故です?」
「申し訳ないが、僕には上からのお達し、としか言いようが無いんだ。当然、報告書も書き掛けでね。読んだところで全容を把握するのは難しいかもしれないけれど……」
「そうですか……」
沈んだ様子で俯く彼女の杯に、彼は「済まないね」と、穏やかな声で詫びながら葡萄酒を注ぐ。
彼女は軽く首を振り、笑顔を作って杯を取ると、礼をするように軽く掲げて見せてから口を付けた。
「おや、いいものがあるじゃないか」
ふと顔を上げた彼の視線の先を振り返ると、隅の席にチェス盤が見えた。
そう言えばさっきまで屯していた数人が、テーブルを囲んでわいわいと賑やかだったっけ。
どうやら勝負はお預けだったようで、ばらばらに置かれた駒がそのまま放置されている。
彼は早速杯を片手に移動すると、いそいそと駒を並べ始めた。
「どうだね二人とも。気晴らしになりそうじゃないか」
彼の弾んだ声を聞いて、少しばかり呆れた様子で肩を竦めた彼女と苦笑を見交わすと、俺たちもまた席を立った。
それにしても、宮廷ってのは想像以上の伏魔殿のようだ。大親方の言う、調査を打ち切らせた上役ってのは、やっぱり殿上人なんだろうか。だとすると、当時宮中は、二つの勢力に割れて争ってたって事になる。
処刑されたならず者も、平民はおいそれとエスネの森へは入れない事から、差し詰め真犯人と目されるあの毒蛇枢機卿、ヴィスロの身代わりってとこか。
ひょっとすると、神官邸への連続放火事件は、反主流派への粛清だったのかも知れない。
いずれにしても真相は闇の中。唯一の手掛かりは失踪した石使いの報告書のみ、か……。
だけどこいつは有用な情報だぞ。この事件は、ユグレー祭司長の暗殺とも深い関係がある。旨くすれば、ディエシーが捜し求めてる、ファルエル陛下謀殺の首魁を突き止める糸口になるかもしれない。