国境の検問所では、トラビス将軍が五人の騎士と共に待ち構えていて、王太子の帰郷を歓迎した。彼らはこれ以降、街道沿いの貴族たちの別邸に逗留しながら、城下を目指す手筈になっている。
引渡しが済んで、一旦は御役御免となった俺たちは、一足先に城下へ入る腹積もりでいたのだが、どうもすんなりと筋書き通りとは行かないようだ。
挨拶を交わしてる最中、小姓が遣いにやってきて何事かを告げると、一礼して下がるその後姿を見送りながら、将軍は厳つい顔を顰めて「ふむ」と小さく唸った。
「どうしたよ」
ディエシーが軽い調子で問う。こいつは相手が神都時代の馴染みとなると、途端に態度が馴れ馴れしくなるな。
「近隣の領主が、殿下が御成りとの報せに触れて、是非御逗留をと申し出て来たのだが……」
「ほぉ。殊勝な心掛けじゃねぇか。何てェ貴族だ?」
「ライモント卿だ。ごく最近に、ロネルセンの子爵位を授かったばかりの新興貴族でな」
「ロネルセン子爵ライモントか……確かに聞いた事無ぇな」
「何でも、城下の高利貸しだったそうだ。陛下にどう取り入ったのかは知らんが、抜け目の無い奴よ」
呆れた様子で肩を竦めて見せるナーダル卿に、将軍もまた渋い顔で頷いた。
「小者と見て、調略するには及ばずと捨て置いたが、さて……」
「新興貴族ですか。それは興味深い」
猛者どもが雁首並べて唸ってる重たい空気を、大親方の暢気そうな口調が拭い去る。
「我々ホルザレン会としては、辺境諸侯の動向は常に把握しておきたいところですし、何より殿下も長旅でお疲れでしょう。ここは一つ、御申し出を御受けになられては如何でしょうか」
少々面食らいつつも顔を見合わせて頷き合う彼らに、大親方はにやりと意味深に笑いながら、更に声を潜めて言う。
「それに、子爵閣下の思惑が奈辺にあるやら、皆さんも興味がおありなのではありませんか?」
「何ァんだ。御見通しとは恐れ入った。御大にゃ敵わねぇな」
奴は得たりとばかりににやっと笑い返すと、彼に握手を求め、「身に余るお言葉」と笑顔で応えた手を力強く握った。やれやれ。やんちゃ坊主ってのは、年取りゃ落ち着くってもんじゃないんだな。
意気投合して笑い合う二人に、俺たちは肩を竦めながら苦笑を見合わせる以外になかった。
案内された邸は、国境から暫く行った先の森の中にあった。
瀟洒でありながらも年月を経た佇まいから、粛清に遭った反政権派貴族のものだったと思われる。
きっとリノのように全てを奪われ、国を追われた元貴族も少なくなかったに違いない。
「殿下の行啓を賜るのみならず、殿上人への御目通りが叶うとは、光栄の至り。何も無い田舎邸では御座いますが、長旅の疲れを御慰め出来ればと思い、ご招待申し上げました次第で御座います」
「いえいえ、どうぞお構いなく。私も宮中を離れて久しい。今更殿上人などと持ち上げられましても困ります。ましてや石使いの身ともなれば平民も同様。子爵閣下のお招きに与れるとは、こちらこそ身に余る光栄です」
下へも置かない歓迎振りに、大親方は幾分戸惑い気味に苦笑を浮かべつつ応じる。
件の貴族は、無駄に華美な衣装や鼻につく麝香の匂いも相俟ってか、なにやらチャラチャラと軽薄そうな男で、聞いていた授爵の経緯の通り、子爵と言うよりは、むしろ悪徳商人みたいに小ずるそうな雰囲気の人物だった。
ディエシーも余りいい印象は受けなかったようで、彼が大親方と慇懃に挨拶を交わす様子を、背後から胡散臭そうな眼差しで見詰めていた。
割り当てられた部屋で旅装を解き、一息入れた頃、大広間に用意された晩餐へと案内される。
紅一点のベルなどは、侍女まで宛がわれたそうで、浅葱色のドレスと真珠の簪といった盛装で会場に現れると、艶やかな美しさで皆の賞賛を集めていた。
田舎邸と謙遜する割には、酒も料理も贅を凝らしたものばかりだ。成り上がり者にありがちな派手好みってのもあるかもしれないけど、こいつはひょっとして、偶然を装いながらも、最初から俺たちをここへ呼び寄せるつもりでいたんじゃないだろうか。いよいよ以って胡散臭い。
晩餐の後は遊戯室に移動し、杯片手に撞球なんぞに興じる事になったが、この食後酒も妙だ。
味も香りも文句なしの上物なのに、即座に反応した補助脳が、リカバリセルに何やら分解させている。もしかして、一服盛られたか……?
離れた場所で談笑していたディエシーを振り返ると、俺に気付いた奴もまた、軽く手を挙げて歩み寄って来た。
「なぁ、この酒……」
と切り出すと、奴は一瞬、険しい眼差しを周囲に配ってから声を潜める。
「あぁ、リカバリセルがフル稼働だ。」
「みんな今んとこ無事なようだし、恐らく遅効性の薬物だな」
「殿下も御大も同じ物を飲まされてるところを見ると、タチの悪い物じゃなさそうだが……。するってぇと、眠り薬か?」
「早速毒消しの出番かよ。油断も隙もねぇな」
奴は俺の言葉に、「まったくだ」と苦笑すると、平静を装いつつ将軍の元へ向かう。
奴が短く耳打ちすると将軍は小さく頷き、さりげなく呼び寄せた部下に小声で伝え、彼もまた軽く頷くと、次の騎士へと密かに伝言を回す。
上機嫌で談笑する子爵の目を盗んで、一人ずつ入れ替わりながら退室するのは、毒消しを服用する為だろう。
俺もまた、大親方やリノ一味へ同様の伝言を回す。子爵に長々と捕まっていたベルに伝言が届くと、彼女は俺を振り返り、困惑顔で肩を竦めながら歩み寄って来た。
「随分と話が弾んでたようじゃねぇの」
幾分茶化し気味の俺の言葉に、彼女は大きな溜息をつきながら、少々いたずらっぽい小声で「うんざり」と呟いた。
「うんざり? 何で」
「閣下曰く、奥方と御令嬢は御実家に御出でで、暫くはお留守だそうよ。そんな前置きで『夜は長い。大いに楽しみましょう』なんて言われても、何だか薄気味悪いわ」
「やれやれ。取り澄ました仮面の下じゃ、腹を空かせた狼が舌なめずりってとこか」
「嫌ねぇ。悪い冗談はやめてよ」
苦笑しながらも、艶やかな肌に浮いた鳥肌を消そうとするかのように両腕を擦る。その肌が突然、ふわりと上気したように仄かな赤味を帯びた。
その妖艶に見惚れる間も無く、苦しそうに息をつく彼女に気付いて、不意に俯いた顔を慌てて覗き込む。
「どうしたベル」
「お願い、部屋に……」
「まさか薬が効いて来たのか? 早く毒消しを……」
彼女を抱きかかえながら素早く辺りを見渡す。他の連中は逸早く飲んだ毒消しが効いてるのかもしれないけど、これと言った異変は見られない。ベルは薬に弱い質なのかな。
俺が彼女の肩を抱いたまま、部屋を横切って外へ出ようとすると、それに気付いた子爵と王太子が、キューを手にしたまま駆け寄って来た。
「ベルナデット殿!」
「如何なされました?」
心配そうに眉根を寄せている王太子とは裏腹に、子爵は薄笑いが隠せない様子だ。下衆野郎め。その表情が薬を盛ったと白状してるぞ。
「少しばかり聞こし召したようだ。部屋で休ませるよ」
「左様で御座いましたか。銘酒ばかりを揃えたつもりでしたが、御婦人には些か強すぎましたかな?」
ムカつく野郎だ。その気取ったツラのド真ん中に、拳の一つでも叩き込んでやりたいけど、今はそれどころじゃない。
「酔い覚ましをお持ちしましょう。介抱はお任せ頂きたい」
「いや、それには及ばんよ」
にやりとほくそえみながら差し伸べる手を制すると、野郎の眼差しが火花を散らすほどの険を含む。が、俺は素知らぬ顔で殿下に目礼すると、野郎を「失礼」とかわして部屋を辞した。
彼女は足元も覚束無い様子なので、階段は抱き上げて上った。
客間は二階だが、広い廊下の両側には、似たような扉ばかりが並んでる。畜生、彼女の部屋はどこだ?
訊ねてみても、朦朧とし始めた彼女は、肩で苦しげな息をするばかりで、答えられる状態じゃなさそうだ。仕方ない。俺の部屋へ運ぶとするか。
薄闇の中、寝室の扉を探し当てて、彼女をベッドへ横たえる。
精霊石ランプを仄かに灯し、続き部屋へ戻って自分の荷物の中から毒消しを取り出すと、水差しと共に寝室へ持って入った。
ちょっと不安になって水差しの水を含んでみたけど、補助脳は反応しない。良かった。使えそうだ。
「ランジャ……!」
切なそうな声が呼ぶ。
「待ってろ。今、毒消しを……」
と言いながら彼女を振り向くと、悩ましげに喘ぐ、しどけないその姿に思わずどきっとした。
うっすらと汗が滲んで、ランプの灯に妖しい艶を放つ肌。乱れたドレスの裾から覗く、白い太腿がもどかしげにうねる様は、丸で誘ってるようだ。
あぁ、たまんねぇ……! 出来る事なら今すぐにでも喰らい付きたい。そう言えば、ウルガン城下を出てからこっち、彼女の肌とは随分とご無沙汰だったっけ。
いやいや、そんな事考えてる場合じゃないだろと、頭から劣情を振り払い、手にした毒消しの丸薬を飲ませようと、ベッドの縁に膝を突いて抱き起こした時だ。
彼女は俺の首に両腕を絡めると、いきなり口付けて来た。面食らいつつ慌てて引き離したけど、無防備だった本能直撃でくらくらする。
「お、おい、こんな時に不意打ちかよ」
「体が……熱いの。助けて……」
「熱い……って、畜生、一体何の毒なんだ。しっかりしろよ! 今薬をやるから」
「抱いてランジャ、お願い……」
艶かしく潤んだ瞳で懇願する、いつになく熱を帯びた彼女のハスキーな声と、軽い酩酊感と共に理性をとろかす甘い香りに、思わず生唾を飲み込んだ時、漸く薬の正体に気付いた。
こいつは媚薬だ。あの助平子爵、彼女に薬を盛って手篭めにするつもりだったのか! 恐らく、眠り薬と同時に作用させようと画策したものの、こっちが先に効いちまったってとこだろう。
怒りでいっぺんに酔いが醒めた俺は、丸薬を口に含んで彼女と唇を重ねると、舌で押し込み、サイドテーブルの水差しに手を伸ばすと、直にあおった水を口移しで飲み込ませた。
早く効いてくれ。頼む! でないと俺の理性がもたねぇ。
妖しく誘う彼女の体を、毛布で覆い隠して背を向けると、苦しげだった呼吸は程なくして穏やかになった。
特大の溜息を腹の底から吐き出しながら振り返ると、彼女は毛布を口元まで手繰り寄せたまま、顔を赤らめて恥ずかしそうに俺を見上げていた。その姿が妙に可愛くて、思わずクスと笑いが漏れる。
「酷いわ、笑う何て。恥ずかしくて死にそうなのに」
「何もそこまで恥ずかしがらんでも。こっちだって死にそうだったってのに」
「あら、どうして?」
「言わせんなって」
とぼけた質問に苦笑交じりで言い返すと、彼女はいたずらっぽく微笑みながら静かに起き上がり、解れた髪を綺麗に結い直す。
「有難う、助かったわ」
「どういたしまして。まったく、胡散臭い野郎だと思ってたけど、こう言う手で来るとはな。晩餐会の前に何か飲まされなかったか?」
「そう言えば、部屋で侍女の淹れたお茶を飲んだわ。きっとあれね」
悔しそうな口調で言いながら唇を噛む彼女の頭を、軽く握った拳で小突いてやると、申し訳なさそうな上目遣いで俺を見た。
「本部監査一の才媛ともあろうお方が、迂闊ですぜ」
「御免なさい。油断してたわ。みんな頼りになる方ばかりだから、少し甘えていたのかもしれない。事はこれからだって言うのに……。もっと気を引き締めなきゃいけないわね」
彼女は何やら堪えた様子で、俯きながら溜息をつく。
「よろしく頼むぜ。俺たちもまたあんたを頼りにしてるんだ。甘えるならベッドの中だけにしてくれよ」
軽い調子で言ってやると、彼女は「まぁ」と拗ねた振りをして苦笑交じりに睨み付け、ベッドを降りると、乱れたドレスを優雅な仕草で直した。
「取り敢えず部屋へ戻るわ。子爵が忍んで来るようなら、薬が効いた振りをして、何の思惑で薬を盛ったのか聞き出して見る」
「気を付けろよ」
「もう大丈夫よ。任せて」
彼女は力強い口調で言うと、茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せてから、扉の向こうに消えた。
遊戯室へ戻ると、皆飽いた様子で、そろそろお開きといった雰囲気になっていた。
俺もまた給仕の勧める杯を受け取りつつ、飲み直したら部屋へ戻るかと算段していると、王太子の声が呼んだ。
振り返ると、殿下の傍で大親方が手招きしている。どうやら二人とも俺の帰りを待っていたようだ。
「どうだね、ベルナデット君の様子は……」
「薬を飲んだので大丈夫でしょう。少し休むそうです。長旅の疲れでも出たんじゃないすかね」
彼らは俺の言葉にほっと溜息をつくと、安堵の微笑を見交わした。
「そうか、ならば良かった。いつも気丈な彼女だけに案じておったのだ」
「一晩休めば良くなるでしょう。トラビス卿は、明日の午後にもここを発つと仰っていましたし、殿下もお休みになられては?」
大親方の勧めに、王太子は深く頷く。
「そうだな。先に失礼するとしよう」
彼は俺の拝礼に鷹揚に応えると、子爵と短い挨拶を交わしてから、大親方と共に部屋を出て行った。
二人を見送っていると、入れ替わりに一杯機嫌のディエシーが歩み寄って来る。
「大丈夫か? 彼女……」
「あぁ、大丈夫だ。ってか、むしろ俺の方が瀕死」
言いながら片眉を上げる俺に、奴は「何だそりゃ」と苦笑を浮かべる。
「秘密。彼女の名誉の為に」
だが奴はピンときた様子で酒臭い顔を近づけると、にやっと笑って「媚薬だろ」と耳打ちする。
「御明察。こちとら薬が効くまで生殺しだ」
こっちもまたにやりとしつつ声を潜めると、この野郎、「そりゃまた御愁傷様だ」とげらげら笑いやがった。
「笑い事じゃねぇって」
「勿体無ぇなぁ。喰っちまえばよかったのに……」
「敵の陣中だぜ? んな余裕あるかよ。そもそも何だってあの軽薄男は俺たちにまで薬を盛ったんだ? ベルが欲しいなら、そこまでする必要は無ェだろよ」
すると奴は、離れた場所で談笑する子爵を振り返って、フンと鼻を鳴らした。
あの野郎は、リノ一味と他愛ない世間話に興ずる振りをしつつも、抜け目の無い眼差しで周囲の様子を窺っている。
「大方、奴さんの狙いは別だろうな。彼女の事は言ってみりゃ、弄した策が首尾よく行った暁に、祝杯に注ぐ美酒ってとこじゃねぇの?」
「勝利の美酒ねぇ……」
「ま、奴さんがそいつに酔えるかどうかは判らんが、いずれにしてもお楽しみは事が片付いてからって奴だ」
奴はそう言いながらも広い室内をぐるりと見渡すと、客の間を行き来しながら忙しなく立ち働く使用人の中から、こちらに微笑み掛けた美しい女中に気付くなり、いそいそと歩み寄って徐に肩を抱くと、耳元で早速何事かを囁き始めた。
こらこら、言ってる事とやってる事が違うじゃねぇか。相変わらず美女となると見境の無い奴だ。