石使いランジャ   作:桜城静夜

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 どうやら子爵は、俺たちが起きている限り行動を起こす気は無いらしい。

 いつの間にか居なくなっていたディエシーは別として、いつまでもだらだら飲んでる俺たちに、少しばかり苛立たしげな様子を見せていた奴さんだったが、示し合わせてそろそろ休む旨を伝えると、安堵の表情と共にしたり顔で微笑みやがった。待ってましたってところか。

 いつ何が起きるかはまだ判らないけど、どうせぼんやり待ってても、いつもの癖で眠っちまうだろうし、何なら一眠りしておくかと算段していると、扉が小さくノックされた。

 何事かと静かに開けると、大親方が、鼻眼鏡の向こうにやんちゃそうな笑みを浮かべて立っていた。

「何すか?」

「年寄りの夜更かしに付き合ってはもらえんかね? 今、ビヨン殿とサデアス殿がいい勝負をしていてね」

 何だ。チェスのお誘いか。まぁいいや。少しは眠気覚ましになりそうだし、ベッドで寝るも盤の前で寝るも一緒だろう。そう思って快諾すると、共に彼の部屋へ向かった。

「ディエシー卿もお誘い申し上げようと思ったんだが、何やらあちらも一戦交えていた御様子だったのでね。まぁ、それとなく話はしてあるから、いずれお見えになるとは思うが……」

 彼は歩きながら暢気な口調で言うと、

「それにしても、一騎当千のあの手管。是非御指南頂きたいものだ」

 と笑う。奴め、あの女中をまんまと誑し込んだか。まったく、あの図太さをグラム幾らかで分けて欲しいもんだ。

「ところで君はいいのかね? ランジャ君」

「はィ?」

 唐突に水を向けられて面食らいつつ振り向くと、意味深な笑みを含む赤い瞳とぶつかった。

「まさか君が独りで部屋にいるとは思わなんだ」

「え?」

「ベルナデット君だよ。道中は夜毎に僕が独占していたからねぇ。さぞかし気を揉んだ事だろう。やきもきさせて済まなかった」

「え? あ、いや、彼女とは別に何も……」

「おや、そうだったのか。あれこれと噂に聞いていたから、てっきり既に言い交わした仲だと思っていたが……」

「大親方までそんな……ただの噂っすよ。ったく、クレイグの野郎……」

「いいや、顔にも大書きしてあるぞ。『彼女とは懇ろです』と」

 その一言を受けて咄嗟に掌で頬を擦ると、彼はさも可笑しそうに声を上げて笑った。

 苦笑を返しつつも、からかわれたと知って思わず顔がカッと熱くなる。この御仁も大概にして人が悪い。

「やれやれ。如何な『雷神の御子』と言えど、色の道ばかりは儘ならぬと見える。だが、そんな風に暢気に構えていたら、早晩他の男に取られてしまうぞ」

「いや、取られるも何も、ハナから俺のもんじゃないっすから」

「テオドール君か……」

「あー、えぇ、まぁ」

 俺の曖昧な返答に、彼は「いかんねぇ」と呟き、大きく溜息をつきながらゆっくりと首を振る。

「想い出と言うものは厄介なものだな。時を経る毎に影は薄れ、輝きばかりが増して行く。胸に抱き続けたところで詮無い幻想である事は、彼女も承知だとは思うがね」

「どんな野郎だったんすか?」

 彼は俺の幾分気の無い問いにも、穏やかな声で「純真な青年だったねぇ」としみじみ答えると、遠くを見るような眼差しに寂しげな微笑を浮かべた。

「純真で、それ故に少々直情径行だったかな。きっと彼女は、君のその性格に彼の面影を見たんだろう。

 彼に限らず、聖下にお仕えすることだけを教えられて養育される為か、若い神官は総じて純粋でね。

 そんな彼らに当時の宮廷の有様は、到底看過しうるものでは無かったのだろうな」

 それを聞いて俺の脳裏に浮かんだのは、無邪気に夢を語っていたドミニクの姿だった。

 テオもまた彼のように、理想とされる世界を疑いも無く己の未来に重ね、それに仇成すものを悪として追及していたんだろう。

 だが、がむしゃらに追ったところで、魑魅魍魎の跋扈する伏魔殿にあっては、身の程知らずな純粋培養の青二才など一捻りだったに違いない。

「件の事件は、セブランの詮議が発端だと聞きましたが、ユグレー祭司長は何で毒殺されたんすか?」

 ゆっくりと歩く足元を見詰めていた彼が、弾かれたように顔を上げて振り向き、狼狽も露な眼差しで俺を見る。

「な、何故君がそれを……!」

「フィノンに会ったんすよ。去年の夏に、マグノリエ城下で」

 すると彼は何を思ったか、目元でふっと自嘲的に微笑むと、「そうか、そうだったな」と呟いた。

「彼女はスランフール候の養女となった。ならばその場に君もいて当然だったね。淑やかで聡明な少女だった。

 金狼王のお眼鏡に適ったのならば、さぞかし美しい娘になったことだろう。彼女には幸せになって欲しいね。亡くなった方たちの分まで」

「奴は側女にしたかったようですがね」

 俺が呆れた口調で溜息交じりに言うと、彼の顔にも苦笑が浮かぶ。

「彼女の養父が握っていた秘密ってのは何だったんすか? そもそもセブランの詮議は、ジョセル王に下された勅書の真贋を問う事が目的だったと聞きましたが、件の勅書は聖下の御親筆じゃ無かったって話だ。聖下に掛けられたってェ噂の、政も儘ならない程の呪詛ってのは一体……」

 そこまで口にした時、彼は眉を顰めながら唇の前に人差し指を立てて見せると、

「滅多な事を言うものではないよ」

 と、窘める様に制した。

「機を逸してしまった以上、現体制を維持して行くしか道は無いんだ。贖罪は全ての神官に科された。それが生贄を求めるものであったとしてもね」

 贖罪だと? 生贄だと? 一体何の話だ? ただの暗喩なのかもしれないが、誰に言うとも無く呟く彼の言葉は難解だ。聞きたい事は山ほどあるってのに、答になるどころか、追い討ちを掛けるように更なる謎を掛けて来る。

「だがしかし、護世の剣たる『雷神の御子』は再び顕現された。それは即ち、彼らの選択が誤りであった事の証左なのかもしれないね。君は、こんな宮廷を戴く世の乱れを憂う神によって遣わされた。そうだろう?」

「そんなんじゃねぇっすよ俺は。ただ人を捜しに来ただけっす」

「人捜し? 神界から遥々かね?」

 彼は足を止めると、怪訝そうな眼差しで俺の顔を覗き込んだ。

「えぇ、まぁ」

「何と、神界に御召しとは……! その栄に浴するは一体どんな御仁だね?」

 俄然興味津々となった彼に、俺は思わずにやっと笑っちまった。栄誉どころか、奴はむしろ指名手配中の窃盗犯だ。

「そりゃずるいっすよ大親方。そっちの謎は何も明かしちゃ貰えないってのに、こっちにだけ答えろだなんて理不尽もいいとこだ」

 少しばかり茶化し気味に嘆く素振りを見せると、彼もまた極まり悪そうに指先でかりかりと頬を掻いた。

「君も暢気に見えて中々抜け目の無い男だな。どうやらケルデン殿の推薦通り、監査に入れて正解だったようだ」

 彼はおどけた調子で言いつつ、軽やかに笑いながら先を行くと、部屋の扉を開いて手招きした。

 どうやら旨くはぐらかされちまったらしい。何とも食えない爺さんだ。

 

 

 

 

 一番奥の角部屋は、確か王太子に割り当てられていた。すぐ隣の大親方の部屋なら有事に即応出来ると踏んで、臨時の詰所とされたようだ。

 中へ入ると、ビヨンとサデアスがテーブル上の盤を挟んで睨み合っていて、その周りでは、リノ、ナーダル卿、トラビス将軍の三人が、小声で談笑しながら勝負の行方を見守っていた。いずれも腰には剣を佩いたままだ。俺の到着に気付くと、振り向いて軽く手を挙げる。

 挨拶を返しつつ、彼らに混じって盤面を覗き込むと、眉間に皺を寄せながら、駒を手に攻めあぐねているビヨンを、余裕綽々のサデアスが、腕組みしつつにやにやしながら待っているといった、いい具合の膠着状態になっていた。

 だがそれも束の間、ビヨンが弄んでいた駒を盤上に放り出し、両手を軽く挙げて降参を表すと、周囲では安堵と無念の溜息が交錯した。

「あぁ畜生、このおとぼけ野郎にゃ何としても勝てねぇや。そら、持って行きやがれ」

 ビヨンは懐から金貨を一枚取り出しながら口惜しそうに言うと、サデアスは盤面に投げ出されたそれを拾い上げ、「確かに頂戴仕った」としたり顔で微笑みつつ、懐へ押し込んだ。

「よし、ならば俺が仇を討ってやろう」

 そう言いながら席を立ったのはリノだ。ビヨンは彼と交代しながら、突き出した拳をぶつけ合うと、盤を前にした彼の肩にぽんと両手を置き、「頼みましたぜ、お頭」と笑いながら軽く揺さぶった。

 リノはそんな彼に不敵な笑みで答えると、放り出された駒を拾い上げて、続きの盤面に臨む。

 さて、勝負の行方は……? と一同身を乗り出すが、何の事は無い。サデアスのキングは、ほんの数手で彼の陣中に陥ちてしまった。策を弄するでもなく、実に凡庸な手で。

「参りました」

 唖然としながら頭を下げるサデアスの様子に、リノはさも愉快そうに笑うと、彼が差し出した金貨をビヨンへと指で弾いた。

「さすがは我が主殿」

 彼は取り返した金貨を懐に戻しながら、席を立つリノに片目を瞑って見せる。

「頭に血が昇ると近目になるのがお前さんの悪い癖だ。あとで奢れよ」

 言いながら手の甲で胸を叩かれ、彼が大袈裟な仕草で肩を竦めると、周囲から和やかな笑い声が上がった。

 その時だ。不意に響いたノックの音にぴたりと鳴りを潜めると、立ち上がりながら寝室の扉を無言で示す大親方に従って、一同は粛々と続き部屋へ身を隠した。静かに閉まった扉越しに、小声で来客に応対する様子が聞こえて来る。

 程なくして開いた扉から大親方の顔が覗いたので出てみると、そこにいたのはディエシーだった。奴は安堵の表情の俺たちに、「よう、お疲れ」と上機嫌で手を挙げる。

「して、首尾の程は?」

 それぞれソファや椅子に腰掛ける中、ナーダル卿が何やら含んだ物言いで問うと、奴は、

「いやはや可愛い顔して強ぇの何のって」

 と言いのけて肩を竦めた。

「そちらの首尾か。まったく、御主という男も相変わらずだな」

 呆れた溜息をついて嘆くトラビス将軍には、「お前さんの堅物ぶりもな」と答えて、互いに苦笑を見交わす。

「まぁ、さすがに女中程度じゃ大した情報は得られなかったんだが、何でも彼女の御館様は、いずれ騎士団を掌握なさる偉ァいお方なんだそうで……」

「何だと?」

 俄かに色をなして身を乗り出す彼を、奴はにやっと笑いながら制す。

「狙いは軍務尚書か将軍の座か……いずれにしても、軍政を手中に収めれば、暗君なんぞ意のままってとこだろ」

「おのれ、小者の分際で不届きな」

 彼がいきり立つ一方で、その隣ではナーダル卿が、巨躯を丸めて腕組みをしながら低く唸っている。

「だが、一体どうやって? コルネリス卿も、軍務尚書の座を姪御を後宮に入れてまでして得た以上、そう簡単に手放しはせんだろう。将軍位に至っては、技量も人望もトラビス殿を置いて他には無い。彼奴如き下郎に務まるものではないぞ」

「殿下を人質に……と言う手は如何でしょうか?」

 サデアスの穏やかな口調を、煮詰まった様子の一同が、はっと顔を上げて振り向く。

「道中、我らを襲って殿下を拐そうと目論んだ賊がありましたが、彼らの一人と斬り結んだ時、微かに麝香の香りがしました」

「何?!」

「確かに、この邸内では麝香が焚かれている。彼奴の手の者に移り香があっても不思議は無いな」

「俺たちに剣では適わないと見たか、薬を盛って眠らせた隙に、殿下を拉致しようってハラなんだろう。姑息な野郎だぜ」

 怒気を言葉にして吐きながら掌に拳をぶつけるビヨンに、ディエシーは冴えた眼差しで不敵に微笑んで見せる。

「ならばこっちも小芝居と行こうぜ。俺たちゃ全員、薬が効いておネンネの振りだ。殿下にゃ申し訳ないが囮になってもらって、機を見て奴さんの手下どもを叩こう。トラビス、お前さんは配下の連中と親玉を頼む。何、ベルナデット嬢の部屋を張ってりゃ、ノコノコ這い込んで来るさ」

「何と……!」

「奴さん、彼女に媚薬を盛ったらしいぜ」

 にやりと笑いながら言う奴の言葉を受けて、将軍の顔がみるみるうちに怒りとも羞恥ともつかない朱に染まる。

「下郎め、淑女に対して何たる破廉恥な……!」

「そう、その破廉恥の現場を押さえりゃこっちのもんよ。御大にも踏み込んでもらって、証人になって貰えりゃ尚いいな」

「お任せ下され。我らが門下に不埒を働くなどとは、何ともお説教のし甲斐がありそうだ」

 にやにやしながら揉み手をする大親方の表情は、丸で悪戯の計画を練る悪餓鬼の顔だ。

「よし、そうと決まりゃ早速行動開始だ」

 奴の言葉に一同で頷くと、将軍は大親方を伴って静かに部屋を出て行き、俺たちもまた一旦自室で装備を整えてから、元の部屋へと密かに戻った。

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