23-1
「うは!」
奇妙な歓声を振り返ると、ビヨンが焼けた朽木を腕組みしながら見上げていた。
水分をたっぷり含んだ初夏の森では延焼には至らなかったようだが、一手間違えれば森林火災だったと思い返して、今更ながら石の威力を思い知る。
「凄ぇ。本当の落雷みたいだ。『雷神』の名は伊達じゃねぇな」
彼は樹の頂を見上げたまま誰に言うとも無く呟くと、俺を振り向いてにやりと笑った。剣を拾って納めながら「殿下は?」と問うと、「無事だ」との答えが返って来る。
「逃げられちまった」
舌打ちしながら闇に溶け込む森の奥を振り向くと、彼もまた彼方に目を凝らす。
「何か言い争ってたようだが……?」
「あぁ、あいつ蓮火幇だったんだ。若造の癖にやりやがる」
「何?! じゃ、この企ては奴らの……」
「いや、子爵がイルシュ王の後釜に相応しい人物か、見極めに来ただけだとさ。尤も、奴さんのお眼鏡には適わなかったようだけど」
言いながら肩を竦めて見せると、彼はフンと鼻で嗤った。
「なるほどね。後ろ盾にも見放されたとなると、暗君の命運も風前の灯ってとこか」
「そうであって欲しいがな」
彼と苦笑を見交わすと、連れ立って小屋へと戻る。中では裏口を飛び出して来たあの三人が縛り上げられ、ディエシーたちに取り囲まれて項垂れていた。どうやら道中で襲い掛かって来たのもこいつらだったらしい。
切り捨てられて骸を晒している表の五人は用心棒だったようだ。いずれも野卑で粗暴なならず者といった風体で、子爵閣下の交友関係って奴が窺い知れる。
何でも、大金を積まれて誘拐の片棒を担いだそうだが、事が成るまで人目の付かない場所へ匿っておけと言われただけで、あの野郎の目論見までは知らされていないとか。
やっぱりサデアスの予想通り、殿下を人質に、側近の座を強請ろうってハラなのかも知れん。
殿下もあれからすぐに開放され、その後は彼らにがっちり護られていた為に、掠り傷一つ無かったが、当の本人は何やら少しばかり不満そうな様子だった。
「貴卿らには感謝しているが……、出来れば私も父上と共に戦いたかった。身に着けた剣技を試す好機であったのに……」
それを聞いて一同が笑う中、リノは丸で平民の親子がするように、息子の髪を大きな掌でくしゃくしゃと撫で、乱れた髪を手櫛で整える彼の苦笑に優しい笑顔を返した。
「殿下は近く国政を担われる身、玉体に瑕を付ける訳には参りません」
「それに、我らが忠義を示す絶好の機に、殿下御自ら剣を振るわれては立つ瀬がない」
サデアスの言葉を継ぎながら、ナーダル卿が大袈裟な仕草で肩を竦めて見せると、また笑い声が沸く。
「つまらぬ奸賊など、この『山犬ナーダル』にお任せ下され。殿下には、もっと大きな敵と戦ってもらわねばなりませぬ故」
「大きな敵……? イルシュ王の事か」
殿下は訝しげに言いながら、彼らの顔を見回す。
「何、暗君など恐るるに足らず。しかし、腐臭漂う人事の刷新をはじめ、逼迫した財政や荒廃した国土の再建、治安維持の為の騎士団の強化など、いずれも難敵ばかりが手薬煉を引いて待ち構えておりますぞ」
殊更気難しげな渋面を作って言う父の言葉に、改めて重責を自覚したか、彼は神妙な面持ちで生唾を飲み込むが、
「お判りか? 従騎士オルロフ殿」
とにやりと笑いながら言われると、
「しかと胸に刻みまして御座います」
と、慇懃に頭を下げて見せた。
賊を引っ立てて邸へ戻る道すがら、肩を並べて語り合いながら歩く父子の後姿を、ディエシーは微笑ましげに見詰めながら、
「すっかり一丁前の顔になりやがって……」
と呟き、何やら少しばかり切ない溜息を小さくついた。
「ぬるま湯でふやけた盆暗だと思ってたが、人間、変る時ゃ変わるもんだ。たとえ暗君を養父としても、血は争えねぇって奴か……。
腹の子もろともカミさんを奪われて十八年……。雌伏と言うにゃ余りにも長ぇな」
「そうか、あんたも……」
ケイディシア支部に滞在した時、オリガ親方が言ってたっけ。奴のカミさんは、身重のまま山賊に殺されたって。
奴は「まぁな」と軽い口調で答えると、何を思い出したか、自嘲気味にフッと笑った。
「ロアルデは、背後の山岳地域を挟んで北方三国に接してるからな。流れて来た食い詰め者やら無法者が、そこへ逃げ込んで山賊に化けるんだ。
地上へ出たばっかりの頃は、こちとらそんなの知らねぇからさ、散々森を彷徨ったボロッボロの汚ぇナリで村へ降りてったんだ。
そしたらジュエルの奴、山賊と勘違いして女だてらに挑んで来やがってよ。なのに、腹を空かしてぶっ倒れた俺を介抱してくれた。
イイ女だったぜ。あいつさえいれば何もいらなかった。地位も名声も王権も」
「山賊狩りは復讐か……」
「まぁ、そんなとこだ。治安維持だの、騎士団の練度向上だのと、尤もらしい事をぬかしちゃいたが、実際、剣と力を手に入れたばかりだった俺は狩を愉しんださ。そいつは否定しねぇよ。山賊どもを殺しに殺して根絶やしにした。で、付いた仇名が狼だ」
奴は言いながら、苦笑交じりに肩を竦めて見せる。確かに、騎士団の御歴々も、普段は貴族の御曹司で御座いと澄ましちゃいるが、剣を手にして血気に逸る若造なんぞ猛獣に等しいだろう。
そんな獣の群れを統率するには、理屈や肩書きよりも、力を示してやるのが一番てとこか。それにしても、狼に山犬に豹に獅子にと、神聖騎士団は猛獣だらけだな。
「ナーダル卿は山犬なのか……。あの巨体には羆の方が似合いそうだけど」
先頭で意気揚々と賊どもを引っ立てる、彼の大きな背中を見ながら呟くと、それを聞いた奴は面白そうに笑う。
「当時の神聖騎士団は取り分け出来が悪かったのか、俺と対等に渡り合えるのは奴だけでな。周りの連中は俺の『金狼』にあやかって、奴にも狼を名乗れと囃し立てたんだが、あの野郎、『それは烏滸がましい。山犬で結構だ』なんぞと殊勝な事をぬかしやがる。周りも面白がってよ、当人そっちのけで『第五師団に豺狼あり』なんぞと吹聴してやがったよ」
豺狼……ごく最近の記憶にある単語だ。何となく引っ掛かりを覚えてキャッシュを手繰ると、脳裏に展開された情報の中に、ベニカの手の上で焼菓子を啄ばんでいた山鳩の姿が浮かんだ。
「『豺狼走ラザレバ、女神ノ裳裾翻ラズ』……?」
思わず口にした言葉に、奴は「ん? 何だそりゃ」と怪訝そうに振り向いた。
「あぁ、山鳩が脚環に付けてた紙切れに書いてあったんだ」
途端に奴の眼差しが険を含む。
「鳩だと?」
「実際書かれてたのは暗号だったんだけど、気になったんで本部で文献を借りて解読したんだ。小さな薄い紙に蝋で防水処理まで施されててさ」
「その鳩、どこで見付けた?」
「アレーネ邸の庭だ。先に見付けたのはベニカでね。最近よく来るとか言ってた。彼女は師匠の鳩だと喜んでたけど……」
「ほぉ、ミルジオの……」
奴はそう言いながら、何故かしたり顔でにやりと微笑む。
「心当たりがあるのか?」
「あぁ、奴さんがこっちへ来てるって話しはザーリャから聞いた。第二師団にロアルデから大層な手練れが来たって話題になったらしい」
「じゃぁ、あれは騎士団の……」
「いや、平時は演習で無い限り伝書鳩なんぞ使わんよ」
「え……?」
「言ったろ? 奴さんは只者じゃねぇって。信じる信じないはお前さんの自由だがな」
「え? どう言う事だよ、師匠は一体……」
「この俺が、素性の知れない野郎をそのまま仕官させると思うか?」
有無を言わせぬ凄味を帯びた奴の物言いに、俺は疑問も反論も飲み込むしかなかった。
騎士団は即ち禁衛部隊だ。王の傍に侍する以上、その身元は厳重に調査されるだろう。名鑑に載る程の名門出身ならばいざ知らず、平民ともなれば尚更だ。
「先の戦に参戦した騎士の中に、マルデリ出身のミルジオ何て奴はいなかった。仕官を許したのは監視の為さ。さしもの狩人も、剣の森の中じゃ身動きも取れまい?
尤も、可愛がってた小娘に尻尾を捕まれるとは、当の奴さんも夢にも思わなかっただろうがな」
「そんな、まさか……。だって師匠は……!」
「まだ確証は無ぇよ。俺は可能性を言ってるだけだ。だが九分九厘は当たりだろうよ」
疑念はあった。タルセンド城の練兵場で、あの御前試合を観戦した時から。だけど、それが確信に変わるのが怖くて、ずっと心の奥底に押し込めて見ない振りをし続けていたんだ。
いや、今だって信じたくは無い。それなのにディエシーの奴は、言葉を失ったままの俺を見て、呆れたような溜息をつきやがる。
「人がいいのも結構だがね、寝首掻かれねぇように気を付けな。何せ今のお前さんは『雷神の御子』なんだから」
奴は俺の鼻先に人差し指を突き付けて、茶化すような口調で言う。それがまた癪に障った。
腹を立てるべきは奴じゃなくて、自分の能天気だって事は、百も承知ではあるんだけれど。