邸の通用口では、将軍配下の騎士が俺たちを待っていた。
子爵は案の定、ベルの部屋へ忍んで来たそうで、そこを捕らえて書斎に監禁し、先程尋問を終えたところだそうだ。
騒ぎに目を覚まされた家士や使用人たちが、不安そうな眼差しで見守る中、一同で書斎に乗り込むと、部屋に入るなりナーダル卿に突き飛ばされた賊は、子爵の前にくずおれるように跪いた。
「申し訳ありません、御館様……!」
厳つい体を萎縮させながら、必死で赦しを乞う手下どもに、子爵は「馬鹿者めが……!」と苛立たしげな小声で叱り付ける。
が、当の本人も、夜着にガウンといった出で立ちで椅子に座らされたまま、抜剣した騎士と男装も凛々しいベルに両脇を押さえられ、将軍と大親方に睨まれて小さくなっていた。
彼らの尋問によると、誘拐を画策したのは、将軍の失脚を狙ったものだったらしい。
王太子が帰国の道中で誘拐されたとなれば、将軍とその配下の失態となる。そこへ自分が奪還した殿下を伴って登城すれば、国王陛下の覚え目出度く、あわよくば空席となった将軍職が転がり込んで来ると目論んだそうで、人質を取って暗君を恐喝するほどの気概など無かったようだ。
何かもう、ここまで突き抜けた小者ッぷりを晒されると、怒りよりもむしろ乾いた笑いしか出て来ないな。
殿下も将軍から聞かされた顛末に、げんなりした顔で溜息をついていたが、奴が取り押さえられた現場が、ベルの寝室だったと聞いた途端、俄かに色を成した。
「今、何と申した……?」
「ベルナデット君を側女にと思し召しのようでしたな。たかが石使いの小娘如きと、侮っておられたのでしょう」
大親方が殊更慇懃な物言いで答えながらベルを振り向くと、彼女も呆れ顔で大きく頷いて見せる。それを聞いて彼は一瞬、剣把に手を掛けようとしたが、激昂を震える拳の中へと握り潰した。
「何と言う事を。彼女は私にとって……!」
彼は叫び掛けてふと口を噤むと、何故か彼女から視線を逸らしながら、
「私にとって、大切な恩人なのだ」
と言い直す。
「事の次第は陛下に御奏上申し上げるが、良いな?」
将軍が威儀を正して言い渡すと、子爵は悄然として立ち上がり、
「如何様な御裁きでも御受け致します」
と観念した様子で拝礼し、
「追って沙汰する」
との言葉を残して一同が部屋を後にするまで、頭を上げようとしなかった。
あの様子では、これ以上の悪事を企むことは無いだろうとは思うが、野郎には領地を離れることを堅く禁じた上で、将軍の配下を一人監視に残す事になった。
王太子一行は、予定を早めて翌朝早々にここを出立するそうで、俺たち石使い組もそれに倣うことにした。胸糞悪い場所からは、とっとと立ち去るに限る。
夜半過ぎとはいえ、夜明けまでにはまだ時間はある。
明日からは城下を目指す旅だし、少しでも眠っておきたいとは思うんだけど、気が昂ってるのかどうにも寝付けない。
ルジェと名乗った偽薬師の言葉も気になるし、師匠への疑念も頭の中でぐるぐる渦巻いてる。その上更に、介抱した時に夜具に移った、ベルの残り香が悩ましくてたまらない。
暫くの間、ごろごろと寝返りを繰り返していたけれど、埒が開かないので夜風にでも当たって来るかと思い立ち、ベッドを降りるとバルコニーへ出た。
瑞々しい初夏の薫風が心地いい。中天に掛かる下弦の月に照らされて、眼下の庭園を抱く広大な森が、黒々とした葉陰の波を遥か遠くまでさざめかせている。
丸で何事も無かったかのような静謐な空気の中、ふと人の気配を感じて見回すと、二部屋向こうのバルコニーに、ベルの姿を見付けた。
部屋から漏れる薄明かりを受けて、仄かに透ける薄物の夜着が艶かしい。微かな夜風に揺れる長い髪からは、今にも甘い香りが漂って来そうだ。
彼女もまた寝付けずにいたんだろうか。ぼんやりと見惚れる俺の視線に気付いたか、口元にふっと微かな笑みを浮かべると、軽く手を振って見せた後、部屋へと入って行ってしまった。
こっちも軽く手を挙げて応えると、灯りが消えるまで見守っていたが、そろそろ寝るかとバルコニーを出ようとした時、扉が小さくノックされた。
何やら予感がしてそっと開くと、目の前では、女神様が小悪魔の微笑を浮かべていた。ガウンの下はあの薄衣かと思うとどきどきするね。
扉を開いて迎え入れると、きょろきょろと周囲の目を気にしてからするりと入って来る。
「御免なさい。はしたないとは思ったんだけど、あなたの姿が見えたから……」
少しばかり極まり悪そうな物言いに、
「いや、むしろ大歓迎」
と言ってやると、彼女は悪戯小僧のようにぺろっと小さく舌を出した。
「森で何かあったの? 随分疲れた顔をしてるわ」
銀色の瞳が心配そうに俺の顔を覗き込む。相も変わらず察しがよろしいようで。
「確かに、ちょっと疲れたかな。出し物が引きも切らさずだったんでね。なのに、一番旨そうな御馳走はお預け喰らったまんまだし」
答えながら少々思わせ振りに片眉を上げて見せると、彼女はクスと笑いながら静かに寄り添い、しなやかな両腕を俺の腰に回して来た。
「ならば、冷めないうちに……」
誘われるままに抱き締めながら口付けを交わす。
まったく、女神のような姿なのに何て悪女だ。心には触れさせようともしない癖に、隙あらばこうして誘惑しに来る。
ならば成敗してくれようぞ。徐に抱き上げると、小さな悲鳴を上げて俺の首にしがみ付くが、にやっと笑って見せると苦笑しながら睨む振りをする。
そのまま寝室へと運ぶと、眠りに落ちるまで幾度となく互いの肌の温もりを求め合った。
いつだったか、ディエシーが言ってたっけ。管理局のお蔭で深酒は出来ない体になっちまったけど、女にはまだ酔える。酔ってる間は悪夢を忘れていられると……。
ならば俺も酔い痴れて忘れちまおう。考えたところで、どうせ答えなんぞ出やしないんだから。
一行が再び分かれたのは、子爵の邸を出て二日目ぐらいだった。
次に立ち寄る邸は、同志と頼む貴族の別邸だそうだから、面倒に巻き込まれる心配はないだろうけど、王太子は別れ際に再会を約束した後も、見送る俺たちの姿を名残惜しげに何度も振り返っていた。それを見たディエシーの野郎は、「ほぉ、これはこれは……」とにやにやしながら呟く。
「恋の鞘当か……。こりゃ城下での楽しみが一つ増えたな」
「え? 誰の?」
先を行く大親方たちに続いて手綱を取りながら訊く俺に、奴は何故か呆れたような溜息をつきながら、
「暢気だねぇ、お前さんは」
と苦笑する。
「暢気で悪いかよ、うるせぇよ」
と憮然として返すと、今度は爆笑しやがった。畜生何だってんだ。面白くねぇ。
城下へ間も無くといった距離ともなると、さすがに奴お得意の、夜の偵察行動も自重気味になって来た。
早速大親方にチェスを挑まれていたが、中々の腕前だったようで、ベルに加えて強力な対戦相手が出来たと喜ばれているようだ。
俺は相変わらず途中で寝ちまうヘボ棋士振りだったので、これ幸いと観戦に徹する事にした。まぁ、どの道観てるだけでも寝ちまうんだけどね。
「ところで、あン時、蓮火幇の薬師に遇ったって?」
「あぁ、逃げられちまったけどな」
ベルと大親方の対局を、杯片手に観戦しながら訊ねる奴に、居眠りを覚まされた俺は、あくびしながら答える。
「あの野郎、ルジェと名乗りやがったぜ」
「例のケイディシアのか? 何だ、あの野郎、こんな所でうろうろしてンのか……」
「あいつ、あれは実験だったとぬかしやがった。恐らく、隠し鉱山で使う薬を試したんだろう。楽しかったなんぞと笑いやがって……胸糞悪ィ餓鬼だぜ」
「餓鬼だと?」
「あぁ、十六、七ってとこかな。目撃証言の通り、良家の御曹司って感じでさ。のほほんとしたツラしてる癖に妙に強かった」
「ほぉ。貴族かな」
「判らん。親玉の素性を聞き出そうとしたところで逃げられちまったんだ。そう言えばベル、宮廷の知り合いに、あいつの……イスカの素性を訊ねるって言ってたけど、何か判ったか?」
急に水を向けられて戸惑ったのか、彼女はきょとんとして振り向き、暫しの間手にした駒を玩びながら記憶を辿っているようだったが、
「ほら、セブランで処刑された偽薬師」
と助け舟を出すと、合点がいったのか「あぁ」と頷いた。
「それが……行き詰っちゃったの」
困惑顔で言いながら、彼女は駒を手にしたまま肩を竦める。
「行き詰った……って?」
「確かに、彼女はディフォレ伯爵家の令嬢、アレハンドラだった。これは御目付役に伺ったから間違い無いわ。
でも、当時の彼女の交友関係を辿ってみても、みんなあちこちに嫁いでいて途切れてしまっていたの。彼女が宮中を退いていたことすら知らないようだった。
どうやら巫女は神都の乱が終結して間も無い頃に辞めていたようね。恐らく、伯爵が亡くなってすぐだったんじゃないかしら」
「じゃあ、手紙の差出人は……?」
「判らない。御目付け役も、名前が判らなければ特定出来ないと仰ってたわ。女官にしても、巫女にしても、故郷を離れて暮らす方たちばかりだから、きっと沢山の手紙が遣り取りされているでしょうし」
「実家の便りばかりじゃなく、恐らく恋文も山と届くだろうしな」
ディエシーの軽口に、彼女はうふふと意味深に笑う。
「恋文ですか……」
彼女が持っていた駒を漸く置くと、大親方は妙手を前に呟きながら、眉根を寄せて考え込む。
「恋文を装われたら追跡は不可能でしょうねぇ。宮廷で遣り取りされるその手の文は、宛名の代わりに愛称を記すのが慣例でしたから。『胡蝶の君』とか、『麗しの雛菊』とかね。僕も何通と無くしたためましたが、愛称と内容を入れ違えてしまって、諍いになってしまった事もありましたねぇ」
その暢気そうな物言いに俺と奴で苦笑を見交わし、ベルが「まぁ、大親方ったら」と呆れた声を上げると、彼はやんちゃそうににやりと笑うが、ふと真顔になると盤面を見詰めたまま顎に手をやった。
「女官も巫女も、用いる封蝋は金色ですが、巫女は祭司長の監督下、女官は評議会の所掌……。もしも、誰かが何かを隠したいと思うのなら評議会でしょうね。あの組織は、宮廷でも賢者の間に次いでの不可触域ですから」
「イスカは、幇主は巫女でも女官でもないって言ってたわ。そうなると評議会は確かに怪しい。だけど、確たる証拠が無ければ、彼らの協力は得られないでしょうね」
そう言えば、随分前にディエシーが、イルシュ王の放った早馬から密書を奪ったことがあったけど、それに記されていた宛先も評議会だった。どうやら奴も同じ事を思い出したようで、俺と顔を見合わせると小さく頷いた。
「大親方は、評議会の内情にはお詳しいんで?」
奴の質問に、彼は腕組みをしながら渋い顔で「うーん」と唸る。
「あそこは難しいですねぇ。表面上は殿上人を敬いつつも、本音としては、宮廷のお飾りとしか思っておらないようですから。
相手が祭司長であっても、『雑事は我々にお任せを』などと言いながら、やんわりと退けられてしまう。
司祭止まりの僕なんぞは歯牙にも掛けんでしょう。況してや彼らの嫌う石使いだ」
「宮廷を穢す魔道師どもと……?」
「いやいや、そこまでは言わんでしょうけれど、ホルザレン会は無位無官を建前としながらも、祭司長直々のお召しで参内している。
蓮火幇とは無関係の枢機卿諸氏にとっても、評議会を蔑ろにされたようで面白くないのでしょう。
そんな事情もあって、探るには少々骨の折れる場所ですね。会長直轄ともなれば話は別だとは思いますが……」
「なるほどねぇ。石屋でも歯が立たないとなると、相当な伏魔殿だなこりゃ」
少しばかり茶化すような口調で言いながら、奴は苦い顔で金髪頭をがしがし掻く。
「もっとも、評議会そのものに協力を仰がずとも、個人的にお話を伺うという形であれば、強ち不可能な事ではありませんがね」
大親方は意味深な微笑を浮かべながら、手に入れた黒のビショップを示しつつ片目を瞑る。
そう言えば、あの密書に施されていた封蝋も黒だったっけ。まさに宮廷の暗部を象徴する闇の色ってところか。