城下に到着したのは、三日目の夕暮れ時だった。
ほぼ一年振りの街は、相も変わらずの猥雑な喧騒で溢れ返っていたが、流民の数が増えたのか、以前に増して殺伐とした空気が漂っている。
そんな中、支部に程近い繁華街に逗留しようと、馬を引きながら宿屋に向かっていると、背後から元気な靴音が駆け寄って来た。
「姉様! ベル姉様!」
思わず足を止めて振り返ると、石使いのクロークを纏った小柄な少年が、勢い良く彼女に飛び付いて来た。
「御久しゅう御座います、姉様!」
「まぁ、ダフネ! 久し振りね。相変わらず可愛いわ」
少女だったか。男装を纏ったほっそりと華奢な体と、短く切った漆黒の巻き毛が少年に見えた。
艶やかな褐色の肌に、明るい空色の大きな瞳が映えて、丸でそこだけ灯りが点っているように見える。小作りな顔立ちとこまっしゃくれた雰囲気の、何だか仔栗鼠みたいな娘だ。
抱き付いて夢中で頬擦りする彼女を、ベルはいつものように愛おしげに抱き締めながら、ハスキーな甘い声で囁き掛ける。
ディエシーはその様子を面食らったような顔で眺めていたが、徐に俺の肩を叩くと、耳元で声を潜めた。
「なぁおい、彼女って、もしかして……」
「いいや、多分あんたの想像するような事は無ぇよ。ありゃ彼女流の挨拶だ」
「そ、そうか。ならいいんだ」
何をそんなにうろたえてるんだよ。自分だって女ッ誑しの癖に。
「どんな魔法か知らんがね。何故か彼女に出会った少女はみんなああなっちまう。あの跳ねッ返りのロナですら骨抜きだったぜ」
「本当かよ、おい。凄ぇな。あんな魔法なら俺も欲しい」
「いやいや、如何な魔法を以ってしても、貴卿の手管には及びますまい」
隣でにやにやしながら聞いてた大親方に、とぼけた口調で言われると、奴もまたにやりと返す。
そんな遣り取りを耳にしてこちらに気付いたか、ダフネ嬢は興味津々と言った顔で小走りに駆け寄って来た。
「ご無沙汰しています、大親方!」
と一礼すると、青い灯火のような瞳で俺たちの顔をくるくると見回すが、奴を見上げてはっとすると居住まいを正し、改めて丁寧に拝礼した。どうやら金狼王と知っているようだ。
「おっと待った嬢ちゃん、誰かと間違えちゃいねえか?」
そう言ってにやりと笑いながら制する奴に、彼女は「え?」と顔を上げて目を瞬かせると、答えを求めるように大親方とベルの顔を交互に見る。
「よく言われるんだヮ。どこぞの王様とよく似てるって。だけどそんな御偉いさんが、こんなとこで石屋の用心棒なんぞしてる訳ゃねぇよな?」
その言葉だけで、彼女は何かを悟ったようだ。たちまち輝くような笑顔を浮かべながら、握手を求めて手を差し出す。
「ダフネです。よろしく、ディエシーさん」
「あぁ、よろしくな」
奴との挨拶を終えると、今度はこっちへ向き直って丁寧に頭を下げた。
「ランジャ様ですね。ダフネと申します。お逢い出来て光栄に存じます」
「ランジャで結構。こちらこそよろしく」
言いながら手を差し出すと、彼女は両手で握手に応じながら、俺の顔をじーっと見詰める。何やらくすぐったくて思わず「何すか?」と問うと、はっと我に返って恥ずかしそうに俯いた。
「あ、ご、御免なさい。神使様をこんなに間近で見るの何て、初めてだったから……」
もじもじ答える姿が初々しくて可愛い。
「何だ。御代は要らねぇよ。好きなだけ見てくれ」
と茶化し気味に言ってやると、上目遣いで照れ臭そうににやっと笑ってくれた。
遠くから大親方の名を呼ぶ声を振り向くと、石使いがもう一人、通りの向こうから手を振って駆けて来るのが見えた。精悍な顔立ちの、がっしりと骨太な逞しい青年だ。
筋肉質な太い腕に大きな鞄を抱え込んでいるあたり、彼女と共に神殿で精霊石を商った帰りなんだろう。
「やあニコライ。元気そうじゃないか」
「ご無沙汰しております。お見えになると御報せ頂ければ、お迎えに上がりましたものを……」
「いやいや、気紛れに立ち寄ったまで。気遣いには及ばんよ」
肩で息をつきながら恐縮する様子に、大親方は優しく答える。彼は人懐こそうな笑顔を浮かべると、俺たちに気付いて一礼した。
「ランジャ殿ですね。ニコライと申します。お噂は兼ね兼ね伺っております」
求められた握手に「よろしく」と答えると、力強く握り返して来る。
二十二、三と言ったところか。折り目正しくて穏やかで、感じのいい青年だ。きっと良家の御曹司なんだろう。洗練された立ち居振る舞いに育ちの良さが伺えた。
「こちらは……?」
「ディエシーだ。よろしく」
奴の答えに、彼は握手を交わしながらも、「えっ」と小さな目を丸く見開く。
「まさか、ひょっとして貴卿は……」
「さぁ? 金髪の男なんぞごまんといる。ディエシーって名なら全て金狼王とは限らんぜ?」
とぼけた口調で言いながら、意味深ににやりと笑う奴に、彼もまた得たりといった微笑で返す。
「なるほど。この世には己に似た人物は三人いると聞きます。さしもの金狼王も、まさかその一人がここにいるとは夢想だにしませんでしょうね」
すると奴は「気に入ったぜ!」と笑うなり、デカい手でばんばん彼の肩を叩いた。
「宿でしたら、是非支部へどうぞ。大親方がお見えとなれば皆喜びます。お供の方々もご遠慮無く」
「そうかね。では世話になろう」
有難い申し出に大親方が笑顔で答えると、彼はベルにじゃれ付いている少女を呼んだ。
「ダフネ、帰るよ! ほら、ベル殿がお困りだろう」
彼女は「はぁい」と答えて駆け寄って来ると、今度は彼の腕に纏わり付く。その様子にベルがくすくす笑いながら、
「久し振りね、ニコライ」
と声を掛けると、彼は心なしか頬を染めつつ、
「お元気そうで何よりです。相変わらずお美しい」
と答えるが、ダフネに手を引かれて急かされると、少しばかり名残惜しそうな様子を見せながら邸宅街へと向かった。
「彼女の兄上は、ニコライの親友だったのよ」
先頭を行く彼の広い背中を見遣りながら、ベルは少し悲しげな声で言う。
「親友だった……?」
「行方不明って事になってるわ。優秀な石使いで、本部監査の所属だったの」
「ってことは……」
「そう。彼は密かに隠し鉱山の調査をしていた。王とエレイン親方に悟られぬように、鉱夫に扮して潜入すると言い残して消息を絶ったそうよ。彼の遺志はダフネが引き継いだわ」
「え? 彼女が? まだあんな……」
「十七よ。でも神章も持っているし、兄上に似てとても優秀なの。彼女には支部の内偵をお願いしてるわ。勿論、親方には内密でね。ここの支部担当の監査はニコライって事になってるから」
唖然として見遣る俺の視線には気付かずか、ダフネはニコライの力瘤に両手でぶら下がりながらきゃーきゃーはしゃいでいる。年齢よりは少々幼く見えるけど、よくいるお転婆な部類の女の子だ。
あの年頃なら、ケイディシアのお嬢どもみたいに、顔を突き合わせては恋の話にでも花を咲かせてるものだろうにな……。
去年ベニカと訪れた時もそうだったけど、ここの支部は、外の喧騒をよそにがらんとして静かだ。
他の支部なら、門下生のやんちゃ坊主やお嬢どもが、修行を終えてばたばたと賑やかに帰って行く時間だろうに、掃除の行き届いただだっ広い玄関ホールに、人の気配は無かった。
まぁ、暗君のご機嫌取りに熱心な貴族連中が、主の嫌う石屋に子弟を入門させようとは思わんだろうし、何よりあの婆さんは面倒事が嫌いだと言ってた。
子供の相手なんぞその最たるものだろうから、仕方ないのかもしれないけど、ちょっと寂しいよな。
「ご案内します。こちらへどうぞ」
親方は所用で出掛けているらしい。会釈して書斎へ向かうニコライを見送ると、ダフネは明るい声で俺たちを奥の応接間へと促した。
身寄りの無い彼女にとって、厄介になっている支部は自分の家のようなものなんだそうだ。
ここもご多分に漏れず、随分と贅沢な造りの邸で、通された部屋も趣味よく設えられている。
勧められたソファに腰を下ろしてふと顔を上げると、マントルピースの上に剣が飾られているのが目に留まった。
どうやらディエシーも気付いたようで、徐に立ち上がると、歩み寄って腕組みをしながらしげしげと眺める。
「ほぉ。こいつはいい剣だ」
その呟きに、俺もまた興味を引かれて席を立つ。奴と並んで見上げると、件の剣は磨き込まれて美しい輝きを放っていた。
剣身に微かに浮かぶ青味掛かった波紋は、トゥラシオン産の業物の特徴と聞いた。剣把に付けられた紋は四緒双鍵章だ。という事は、こいつは神聖騎士団の装備って事か?
「御子息の形見だと聞きました」
ダフネの声を振り返ると、彼女は淹れたての薔薇実茶を目顔で勧める。
「形見……」
「先の戦で亡くなられたそうだよ。平民の出で神聖騎士団にお召しとは、さぞかし腕の立つ剣士だったんだろうねぇ」
大親方はしみじみとした口調で言うと、湯気の立つ茶を旨そうに啜る。
「当時は、ご主人も病気で亡くされて間もない頃だったと聞いたから、彼女の心痛は察して余りあるよ」
「年配の石使い諸氏からも伺いました。こちらに赴任された当時は、とても明るくて面倒見のいい方だったのに、あれ以来塞ぎ込んだままで御労しいと……」
そうだったのか。ただの気難し屋だと思ってたけど、肉親を立て続けに喪ったんじゃ無理もないか。いけ好かない婆さんだなんて思っちまって悪かったかな……。ベルも何やら貰い泣きしそうな顔で彼女の話に聞き入ってる。
だけど、だからと言って暗君との癒着は見過ごす訳には行かない。あいつの隠し鉱山で一体何人が死んだやら。
「どうやら陛下との関係も、その頃からだったようです」
「中間報告にあった件かな? 裏付けが取れたんだね」
「はい。どうやら陛下からご主人の治療にと、ナクルタツリの秘薬を賜った事が切っ掛けだったようです。お城の書庫で目録を見付けました」
「ほう。聖山の秘薬をねぇ」
「えぇ。薬石効無くご主人は亡くなられたけれど、親方は陛下に恩義を感じていたようです。それ以来、城内でお見掛けする機会が増えたと聞きましたので。
御子息の神聖騎士団出仕の際に、軍務尚書閣下から推薦状を賜った時にも、陛下からの御口添えがあったとか」
「なるほど。恐らくは、彼女を取り込むための策略だったのかもしれないね。ご主人の命を盾に取られては、仕方が無かったのかも知れないが、本部にも相談して欲しかったなぁ」
彼は残念そうな口調で言うと、膝に置いたカップを見詰めながら大きく溜息をついた。
「ウィレム殿下に賜った名簿にある山師も、間に人を置いてはいますが、全て親方と繋がりのある者でした。
ここの支部で三年前から門下生を取らなくなったのも、表向きには繁忙を理由にしてはいますが、隠し鉱山に送られる石読みたちの運命を、ご存知だったからではないでしょうか」
「この支部から犠牲者を出したくは無いと……?」
「えぇ。親方は、本当は優しい人なんです。出来れば、本部には寛大な措置をお願いしたいのですが……」
彼女は心配そうな顔で伺うように覗き込むけど、彼は、
「ダフネ君は優しい子だねぇ」
と、柔和な笑顔で言葉を濁す。
まぁ、こいつばかりは大親方でなくても返答に困るよな。ここの支部に犠牲者は無かったかもしれないけど、その身代わりになった連中は大勢いるんだ。情状酌量の余地ありとは言っても、厳罰は免れないだろう。
俺の脳裏に、いつだったかキール会長について語っていたフリッツの姿が浮かんだ。幼い彼を狙った刺客は、会長の操る闇の眷族に屠られたと聞く。
些か荒唐無稽だとは思いもしたが、そんな「冥神の御子」が下す処断を考える時、何やら薄ら寒いものが背筋を伝うのを感じた。