王太子一行が城下に到着したのは、俺たちに遅れること五日後の午後だった。
早速の御召しに応じた大親方のお供で出向いたのだが、行き先は城ではなくトラビス将軍の邸だった。
何でも、年季明けの騎士諸卿を労うために、宴を開催するとかで、将軍が会場に邸の提供を申し出たそうだが、恐らくそれは建前で、実態は同志貴族との極秘作戦会議ってとこだろう。
宴は城下の貴族が一堂に会する大規模なものだった。王太子も列席するとあって、同伴の奥方や令嬢がここぞとばかりに着飾って来るので、華やかさも格別だ。
俺たちも御招待に与ったはいいが、借りた礼装が、例によって動き辛い装飾過剰な代物だったので、些か閉口気味。
こんな事なら、神都で誂えた自前の衣裳を持って来ればよかったかな。まぁ、またベルの盛装を拝めるんだから、これもまたよしとするさ。
今宵の彼女は他の令嬢方に遠慮してか、琥珀の簪に深草色のドレスといった、割と地味な出で立ちだったが、それが却って清楚な色香を引き立てていて、晩餐の後に催された舞踏会では、並み居る貴公子たちからのお誘いが引きも切らない様子だ。
俺は俺で、壁の花でも決め込もうかと画策していたにも拘らず、いつぞやの夜会と同様、貴婦人や令嬢方の売り込み攻勢に遭っていた。
今回は、ハナから神都住まいの殿上人関係者と紹介されたもんだから、逃げも誤魔化しも効かない苛烈なものだ。
こうなるといっその事、本当はタラサノの森の狩人だと暴露してやろうかとも思う。
大親方の面子を潰す訳にも行かないから黙ってるけど、お前ら、狩人如きに一体何を期待してやがるんだ?
「ランジャ殿には許婚がありましてよ」
たじろぐ俺を包囲する、ドレスと宝飾と香水で完全武装した鉄壁の背後から、少しばかり苦笑気味のハスキーな声がすると、令嬢どもは「えっ?」と声を上げて一斉にベルを振り返る。
「伯爵家の養女で、とても可愛らしい女性ですわ。エスネの森にお住まいでいらっしゃるの」
にっこりと微笑みながらの一言は絶大な攻撃力だ。ウルガン宮殿の隣人が相手では、勝負にならんと思ったか、彼女たちは「まぁ、左様でいらしたの」「残念ですわ」などと口々に言いながら、会釈と共に漸く撤退してくれた。
「有難う。助かったよ。包囲戦で干上がるところだった」
時折こちらを振り返りながら去って行く、名残惜しげな令嬢たちの後姿を見遣りながら、襟元を緩めて大きな溜息をつくと、給仕を呼び寄せて受け取った杯を彼女に手渡す。
さっきまで踊り通しだった彼女もまた、喉が渇いていたんだろう。唇が潤うとほっと息をついた。
「正直なところがあなたの魅力ではあるけれど、時には適度な嘘も必要ではなくて?」
「肝に銘じます。と言いたいところだけど、残念ながらそれほど器用じゃなくてね。それに、下手な嘘はあんたにゃ通用しないだろ?」
「まぁ、ご挨拶ですこと」
彼女が睨む振りをしながら蠱惑的に微笑むと、濡れた唇が旨そうな艶を放つ。
「でも、強ち嘘でもないでしょう?」
「まぁね。実は、今回の旅に出る前、ベニカと婚約したんだ」
一瞬、俺を見上げる銀色の瞳が揺れる。が、小さな溜息を一つ漏らすと、少し寂しげな、それでいて優しく柔らかな微笑を浮かべながら、「そう、おめでとう」と呟くように言ってくれた。
「もっとも、カミさんにするのはまだ先の約束だけどな。正式な婚約と言うよりは、誕生祝いの余興みたいなもんでね。実質的には養子縁組って言った方が妥当かも知れん」
「あの子、喜んでいたでしょう」
「泣かれちまったよ。からかってるんじゃないかとまで言われてさ。意外と信用無ぇのな俺」
少々おどけた口調で言いながら肩を竦めて見せると、彼女は吹き出して可笑しそうにくすくす笑うけど、ふと杯に落とした眼差しが、心なしか潤んでいるように見えて、胸がぎゅっと痛んだ。
その上溜息混じりに、
「とうとうベニカのものになっちゃうのね……」
なんぞと呟かれたら、更に居た堪れない気持ちになる。もしかして俺、余計なことを言っちまったのかな……。
「嫌だわ私ったら……あんな幼い子相手に、一体何を言ってるのかしら」
かてて加えて、そんな風に作り笑顔で小さく首を振ったりなんぞされた日にゃ、抱き締めたい衝動も込み上げて来ようと言うもので。
「あんたも、とっとと良家の御曹司のものになっちまえよ。さっき踊ってた二枚目の騎士殿は、伯爵閣下の御嫡男だそうじゃないか。中々イイ雰囲気だったぞ」
冗談めかして言ってやると、いたずらっぽい眼差しがチラリと上目遣いに見上げる。
「旅先でも叔父上みたいな言葉を聞くとは思わなかったわ」
彼だけでなく、隙あらば彼女をダンスに誘おうと、様子を伺ってる連中は何人もいるようだ。こちらをぼんやり見詰めたままで、連れの令嬢に袖を引っ張られてる奴までいる。
「前にも言ったろ? 恋敵なら実体のある野郎にしてくれって。でなきゃ諦めが付かない」
「なるほど。という事は、誰のものにもならなければ、あなたはずっと諦めずにいてくれるのね?」
にやりと笑いながら言い放つその一言に、思わず苦笑を浮かべた時だ。会場の真ん中から割れんばかりの拍手が沸いた。
取り巻く賓客の輪の中心には、王太子に深々と拝礼する貴婦人の姿が見える。ダンスを終えて喝采を浴びているのは、確かトラビス将軍の御令室だ。
明るく可愛らしい雰囲気の美女で、厳つい顔を綻ばせながら盛んに拍手を送る彼の様子から、その愛妻ぶりが伺える。
殿下は客たちの賞賛に笑顔で応えると、次なる相手を求めて会場を見渡す。
期待に満ちた熱い眼差しを送る令嬢方を一通り見回した後、彼はこちらに目を留めると颯爽と歩み寄り、優雅な仕草でベルに手を差し伸べた。
「お相手を。ベルナデット殿」
彼女は一瞬戸惑った様子だったが、「光栄に存じます」と美しい所作で拝礼すると、彼の掌にそっと手を置き、煌びやかな光と楽の音に彩られた、賞賛と羨望の溢れる渦中へと連れ去られて行った。
軽やかに踊る二人は、宛ら御伽噺の一幕のように美しかった。
いつものやんちゃ王子もどこへやら、さすがに高貴な生まれだけあって、礼装も堂に入ったものだ。旅の途中で生やし始めた口髭も、今やすっかり馴染んで一層の美男ぶり。
その顔をうっとりと見上げる彼女を、丸で硝子細工でも扱うような手で愛おしげに抱く姿に、身勝手だとは思いつつも、少しばかり嫉妬めいたものを覚えたのは、先ほど彼女を誘う時、俺に見せた彼の表情が、心なしか硬いものに思えたせいだろうか。
結局その夜は、会議らしいものは開かれないまま宴は終わった。
大分聞こし召した者や、遠方からの客など、将軍邸で一夜を過ごすことになった者も何人かいたようだったが、主要な面子ではなかったことから、強いて言えば顔合わせ程度の、何の裏も無い慰労会だったようだ。
俺たちも早々に支部へ引き上げ、明日もまだまだ続きそうな忙しい日々に備えることとなったが、ディエシーの野郎はどこへシケ込んだのか、会場を見渡しても姿が見えなかった。またどこぞの令嬢でも誑し込んで、よろしくやってるに違いない。
「疲れた?」
帰りの馬車の中で、車窓を流れる宵闇を、憮然としたままぼんやり見詰める俺を、彼女は心配そうな顔で覗き込む。
「あぁ、ちょっとね」
とぶっきらぼうに答えちまった事に、些か自己嫌悪を感じて苦い溜息をつくと、向かいの座席でにやっと笑った大親方のしたり顔と目が合ってしまった。
さすがは年の功。俺の心中なんぞ全てお見通しと言う訳か。
―― そら見ろ。暢気に構えていたら、他の男に獲られると警告したじゃないか……。
ふと目を逸らした俺の頭の中には、大親方の声でそんな台詞がぐるぐると渦巻いていた。
気まずい雰囲気の中で支部に帰り着き、挨拶を交わしてそれぞれの部屋に戻った後も、俺は何やらもやもやした思いを抱えたままだった。
暫くの間、着替えもせずに、苛々と所在無く部屋の中を歩き回っていたが、気が付くとベルの部屋の扉を叩いていた。
訝しげな返事と共に開いた扉の向こうで、彼女は少しばかり驚いた顔で俺を見上げる。
どうやら着替えの最中だったようだ。慌てて羽織ったガウンの、乱れた胸元から覗く白い肌が目に痛い。
「どうしたの? 怖い顔して」
彼女は困惑気味な微笑を浮かべて問うけど、俺は答えないまま部屋に入って後ろ手に扉を閉めると、徐に抱き竦めて強引に口付けた。
驚いて押し退けようとするところを、抱き上げて寝室へ向かう。
「一体どうしたの? ねぇ、ランジャ」
耳元で問い続ける声が、半ば悲痛にも聞こえる。だけど、俺だって既に自分が何をやってるのかすら判っていない。
彼女の体をベッドへ投げ出すように横たえると、戸惑うように見上げる銀の瞳から逃れるように、ランプのシェードを閉じ、カーテン越しに月明かりの差す薄闇の中で、無言のまま抱いた。
「愛してる……」
囁いた瞬間から、何かが壊れて行くような気がした。求めない筈じゃなかったのか? それが彼女との関係を続けて行く上での、暗黙のルールだったのに。
……無様だ。無様だけどこれが偽らざる本音だ。身勝手だって事は百も承知してる。誰かのものになっちまえなんぞと言いながらも、いざその時が来ればこのザマだ。
体だけじゃなくて心までも、彼女の全てが欲しい。手放したくない。この感触も、この香りも、この声も、どれもこれも俺のもの、俺だけが知っているものであって欲しい。
「私も愛してるわ。でも……」
「でも?」
「判らないの」
彼女は俺の胸に頬を預けたまま声を潤ませると、背中に回した腕で精一杯しがみ付いて来る。
「自分でも判らないの。あなた自身を愛しているのか、テオに似たあなたを愛しているのか……」
震える体を抱き締めながら、俺は後悔の念に打ちのめされた。
こんなの、最初から判り切ってた事じゃないか。今更彼女に言わせて傷付ける事に、一体何の意味があるってんだ。
もしかしたら……なんて、ありもしない可能性に縋って何になる? ただ目を逸らし続けていただけで、真実は常に厳然としてそこにあったってのに。
「ごめん……もう言わない。忘れてくれ」
苦い思いを吐き出すように、溜息混じりに詫びる俺の胸で、彼女は肩を震わせながら小さく首を振った。
今更ながら、あんたの気持ちが判ったような気がするよ、テオドール。だけど、本当に彼女の幸せを願うのなら、俺もまたあんたのような亡霊になるべきじゃないんだろうな。