24-1
十日もすると、山積みだった事務仕事も漸く見通しが付き、支部の面々も落ち着きを取り戻しつつあった。
時折、ディエシーの野郎が出向いて行く以外は、トラビス将軍やナーダル卿周辺も今のところ目立った動きもないようだ。
大親方の仕事の無い日は、俺たちも手の空く時間が出来るようになったので、何かと忙しい石使い諸氏の助っ人として、神殿の当番に入る事もあった。が、それはそれで一騒動だった。
俺が入ることが決まると、小娘どもが相方に交代してくれと食い下がり、ベルが入る日には、若造どもが相棒の座を巡って丁々発止という有様だ。
その辺の機微にとんと疎い俺なんぞは、一度ばかりは小娘と交替した相方の若造が、日当を当てにしていたのにと愚痴っていたのを聞いて、それならばと交替してやったら、ランジャ様が交替しちゃったら意味が無いじゃないですかと嘆かれた。
つくづく小娘ってのは面倒臭い生き物だ。てか、当番表に従えよ。お前らが作ったんだろうが。
神殿に行くと、懐かしい面子がいた。騎士団を標榜する商店街の悪餓鬼だ。
「あれ、ランジャ様だ。久し振り!」
「よう、元気そうだな」
確か、パン屋の倅でアレクとか言う名だったっけ。窯に入れる石を親方に頼まれたとかで、店の職人たちと連れ立って来たらしい。
去年会った時はほんのちびすけだったのに、見違えるほど背が伸びて逞しく成長していた。
「御蔭さんでね。城下へは仕事で? ベニカは?」
施術してやった種石をブリキのバケツに放り込みながら、彼は変声期特有の掠れ声で問う。
「ベニカは神都だ。毎日元気に修行してるよ。こっちへは仕事でね」
「何ァんだ。我らが姫君に逢えると思って期待したのに」
「カロンやヨシュたちは?」
「元気だよ。もっとも、最近は騎士団の出番も無くってョ」
「そうか。商売繁盛で何よりだな」
「まぁね。店の仕事が忙しいってのもあるけど、この頃、浮浪児の連中が大人しくてさ。スリやコソ泥ばっかりやってた奴が、殊勝にも使いっ走りや靴磨きなんかやって、日銭を稼ぐようになったんだ」
「へぇ。何でまた」
「『山猫団』のお蔭だよ」
答えたのは、彼の後ろに並んでいた若造だった。
「最近、城下に出没する盗賊団でさ、乞食や浮浪児たちに施してる義賊なんだ」
「そうそう! そこの頭目が片目ながら腕が立つ上にイイ女だって噂だよ。捕まったコソ泥を逃がしてやった時に言った台詞が振るってて、『盗みはあたいらの領分だ。素人は額に汗するのが筋ってもんだろ?』ときたもんだ。それ以来、真面目に働く連中が増えたらしい」
「俺が聞いた話はこうだ」
傍で聞いてたおっさんも話に加わる。
「何でも親父に死なれて孤児《みなしご》になっちまった少女がいてさ、食うに困った挙句、盗みに手を染めようって時に、こっそりパンを恵んでやったって。
腹一杯になって眠ったその子に、子守唄代わりに歌ってやったのが、近頃流行りの『大河レルト』なんだとさ。美人な上に情にも篤いたァ尚更イイね」
「相棒もすばしっこくて、腕っ節の強い男前だってェじゃないか」
「神出鬼没で、騎士団でさえ顔も知らないらしいぜ」
「実は何十人もの大盗賊団だって噂もあるよ」
「騎士団が見せしめにって、捕まえたスリを縛り首にしようとした時にさ、間一髪ってとこで、飛んで来たナイフに救われた事があったじゃないか。あれも山猫団の仕業だって噂だよ」
いつの間にか人だかりになっちまった祭壇の周りで、みんな仕事もそっちのけで噂話に花を咲かせる。
はて、「山猫団」と言う名前には聞き覚えがあるけれど、これは果たして、マウロが野営地で言った話と同じなんだろうか。だとしたら、ナイフ投げの名手で、情に篤い隻眼の美人頭目ってのはニーナの事か。
いずれにしても、城下に暮らす庶民の間では、大変な人気であるようだ。
「そう言えば、この間の紙吹雪事件は痛快だったねぇ」
「紙吹雪事件?」
「どうやら、高利貸しの邸に忍び込んだらしくてさ、根こそぎ盗み出した証文を、細かく千切ってお城の塔の天辺から撒いたそうだよ。一体どうやって潜り込んだんだろうねぇ」
「見た見た! 夜だったから、俺ァ夏なのに雪でも降ったかと思ったよ」
「何言ってんだいこの人は。夏に雪なんか降るわけ無いじゃないか」
「いやいや、月夜に雷の降る御時世だ。夏の雪だって降るかもしれねぇぜ?」
些か大袈裟な身振りを交えて捲し立てるおっさんの言葉に、誰もがそうだそうだと相槌を打つ。
「やっぱり噂の通り、御神祖様の御世が近いのかねぇ」
「山猫団も、浮浪児たちにそう言って励ましてるってェじゃないか。『それまで頑張れば、きっといい世が来る』って」
「どうだかねぇ。王様は色艶も良くてまだまだ長生きしそうだし、王子様はお帰りになった早々宴会だってさ」
「まったくだ。酒屋や肉屋は儲かるだろうけどよ」
「儲かるもんか。税金でごっそり持っていかれちまうさ。神祖の御世とやらになる前に干上がりそうだ」
酒屋の小僧が肩を竦めながら嘆いた時だ。神殿前からアレクを呼ぶ職人たちの声が聞こえた。
「いつまで油売ってンだよー! 親方に叱られるぞー!」
彼は「あっ」と声を上げると、手にぶら下げたままのバケツを覗き込み、一回り小さくなってしまった種石を見て「やべぇ」と呟く。
「じゃぁね! ランジャ様。仕事の邪魔して悪かった」
「あぁ、またな。カロンたちにもよろしく」
彼が手を振るのもそこそこに外へと駆けて行くと、他の客たちも口々に詫びながら列に戻るが、噂話は途切れる事無く賑やかに続いていた。
夕暮れ時に仕事を終えて、支部へと帰る道すがら、賑わい始めた表通りの歓楽街を辻馬車で通り掛ると、警邏の兵たちの装備がいつもより物々しいことに気付いた。
「どうしたのかな。何かあったんでしょうか?」
相方の石読み少女も気付いたようで、不安げな顔で車窓の景色を追った。
なんだか嫌な予感がする。万事が順調に行くとは思っちゃいないけど、計画が頓挫するような事になったら、みんなどうする気でいるんだろうか……。
支部へ到着すると、書斎へ向かうところをダフネに呼び止められた。相方の少女はそれに気付くと、通り掛かった仲間と共に、俺の代わりに鞄を引き受けてくれた。
重そうに運ぶ彼女らの笑顔に、礼代わりに片手を挙げて見せる。
「ランジャさん、ディエシーさんを見ませんでしたか?」
「奴なら朝一番に、ナーダル卿の邸に行くって言って出掛けたけど、まだ帰ってないのか?」
「えぇ。聞きたい事があったんだけど……」
「あの野郎が晩飯時にいない時は、帰りは翌朝だぜ?」
にやりと笑いながら言ってやると、意味を察したか途端に顔を赤らめた。何ともはや純情だこと。
「何かあったのか?」
俺の問いに、彼女はふと表情を引き締めて声を潜める。
「お城の警備が厳重になったんです。今朝、今日の分の精霊石を納めに行ったら、馴染みの番兵さんに通用門の外で停められちゃって……。
あんまり物々しいから、どうしたの? って聞いたら、何でも、トラビス将軍に御謀叛の動きありって密告があったそうなの」
「何だと?」
思わず詰め寄ると、彼女はキョロキョロと辺りを見回して尚も声を潜めた。
「御帰国して一週間になるのに、殿下は将軍のお邸に御逗留のままで、御使いの方がお見えになっても、一向にお城へお帰りにならないでしょう?
これを訝しんだ一部の貴族が、陛下に御奏上申し上げたようなんです。殿下を盾に退位を迫るおつもりだ、と」
「その垂れ込んだ貴族ってのは誰か判るか?」
「どうやらアルド卿らしいです。ディエシーさんは、将軍のお邸に度々御出でになるから、何かご存知なんじゃないかと思って……」
「そうだったのか。あの野郎、こんな時にどこへシケ込んでやがるやら……」
言いながらくしゃくしゃと頭を掻く俺に、彼女は「仕方ないですね」と呟き、自分を呼ぶ声に「はぁい」と慌しく答えると、一転して笑顔で見上げながら、
「引き止めちゃって御免なさい」
と言ってぺこりと頭を下げ、軽やかな足取りで仲間の元へと駆けて行った。
アルド卿と言えば、先遣隊として一足先に城下へ入っていた、同志の騎士だった筈だ。ここへ来て寝返ったか、はたまた最初から潜り込んでいた現政権側の間者だったか……。
奴はこの事を知ってるんだろうか。計画が変更されるのなら、近々動きがあるだろうけど、謀叛の嫌疑を掛けられた将軍は、参謀役のナーダル卿はどう出るつもりなんだろう。
奴が一杯機嫌で帰って来たのは、晩飯を終えてそろそろ寝るかという、夜分遅くになってからだった。
ダフネから城の厳戒態勢を聞かされていた俺たちは、奴が酔い覚ましの茶を求めて立ち寄った食堂へ、自ずと集まった。
「何かご存知ですか? ディエシーさん」
奴はダフネが淹れてくれた茶を礼と共に受け取ると、旨そうに啜りながら、自分を覗き込む彼女の不安そうな顔を、面白そうにチラリと盗み見て片目を瞑った。
「おーぉ、大変だ大変だ。このままじゃ将軍閣下は打ち首だなぁ。いやぁ困った困った」
奴が茶化すような口調で言い放つと、彼女は大きな空色の瞳をぱちくりと瞬かせる。
こいつが余裕綽々って事は、裏切りも情報の漏洩も、既に織り込み済みって事なのかな。
「え? じゃぁ、アルド卿は……」
「疑似餌ってのは本物そっくりに作らねぇと、旨い具合に食い付いて来ねぇもんでね」
「なるほど。魚が最も恐れ、また最も欲している餌に似せた、と」
鼻眼鏡の向こうから、いたずらっぽい眼差しを向ける大親方に、奴は得たりとばかりににやっと笑って見せる。
「後は飲まれた疑似餌が、はらわたを平らげてくれりゃ仕込みは完了なんだが……」
「うーん。大きな魚だけに、気付かれずに網を用意するのは少々骨が折れますね」
唸りながら眉間に皺を寄せて腕組みをするニコライを見て、
「みなさんにもお茶を」
と身軽に席を立ったダフネに、奴は、
「あ、俺は葡萄酒ね」
と注文を付ける。おいおい、折角醒ましたのにまた飲むのかよ。
彼女もまた一瞬呆気に取られた顔になったが、全員の顔をぐるりと見回すと、
「では、みなさんにも」
と笑って厨房へと入って行く。ニコライはそんな許婚を目で追うと、くるくると甲斐甲斐しく働く姿にふと頬を緩めた。
「まぁ、殿下にゃいつも通りに振舞ってもらうさ。餌の垂れ流す撹乱情報をまともに喰らって、魚の方もピリピリしてるだろうからな」
「いつも通り……って?」
訳が判らなくて渋面のまま問う俺に、奴は手渡された杯にダフネの酌でなみなみと受けると、
「宴会をやるってだけの話ョ」
と事も無げに言って、一息にあおる。
「将軍邸に娼妓や酌婦を呼んで、乱痴気騒ぎをやってもらうのさ」
「はぁ?!」
声を上げたのは俺とニコライが同時だった。
「もっとも、堅物野郎のトラビスは、やれ如何わしいだの経費が嵩むだのとぼやいてやがったが」
その一言に、肩を竦めながらダフネと苦笑を見交わすベルの隣で、大親方はさも面白そうに声を上げて笑う。
「それでしたら是非我々にお任せ下さい。何、玉座を買うと思えば安いものです」
「ほぉ、そいつァ有難ぇ。さすがはホルザレン会。太っ腹だ」
奴は感心を少々大袈裟な物言いにすると杯を掲げて見せ、彼もまた杯で応えた。
「乾杯ですか。では、何に捧げましょう?」
「そうだな。じゃぁ、『大河レルト』の女神様にでも」
折角落ち着いて来たってのに、また忙しくなってきやがった。今度は、将軍邸で繰り広げられる、乱痴気騒ぎの裏方仕事だ。
毎日大量に消費される食材や酒や、照明や煮炊きの為の精霊石の調達は言うまでも無く、楽士や娼妓たちのスケジュール調整に至るまで、全てを大親方周辺で取り仕切る羽目になっちまった。
金や人の出入りが激しくなり、管理が難しくなることを見越して、取引業者の選定は、将軍家の家令氏に一任することにしたのだが、彼によると、奥方は渋る主人とは裏腹に、
「殿下をおもてなし出来るなど、滅多に無い栄誉ですから」
と大層乗り気らしい。さすがに将軍のカミさんともなると、肝が据わってるというか何と言うか……。
家令氏も家令氏で、連日入れ替わり立ち代り訪れる美貌の娼妓たちに、目の保養になりますヮと笑っていた。主が堅物だけに、こちらもまた随分と軟らかい御仁のようだ。
この突拍子も無い計画が王太子に明かされたのは、あの日の翌日の事だった。
大親方の名代で出向いた俺たちが告げた内容に、当の本人もさすがに面食らった様子だったが、彼は暫しの逡巡の後、チラリとベルに視線をやると、彼女が深く頷いて見せた事に何やら安堵を得たようで、
「よし、判った。やろう」
と力強く答えた。
連日連夜の宴会は、兎に角ど外れて派手だった。日替わりで招待される貴族や名士には、国内外から取り寄せた酒肴が饗され、街一番の高級娼館である白薔薇館や、そこと覇を競う紅百合亭から呼び寄せた選りすぐりの綺麗所が、歌舞音曲を披露し酌婦を務めるといった贅沢ぶり。
更には、城門で頑張ってる兵士たちにまで、樽が幾つも届けられているようで、最初の頃こそはさすがに送り返して来たものの、日を重ねるうちに緩んで来たのか、次第に返って来なくなったらしい。
兵隊さんも人の子だ。自分たちは重たい甲冑を纏って、夜通しの厳戒態勢だってのに、すぐ目の前の邸宅街では、美妓を侍らせての乱痴気騒ぎじゃ、正直やってらンねぇってのが本音だろう。
招かれる客たちの間でも、アルド卿の齎した偽情報を鵜呑みにして、謀叛の嫌疑を抱いていた者もあったようだが、接待攻勢で敢え無く陥落。
王子の放蕩を何だかんだと嘆きつつも、評判は上々だったが、城下の民の間では、案の定といった様子で株は下がる一方だ。
城内から漏れ聞こえる噂に触れてか、もしや将軍と組んで暗君を退けてくれるのではと、密かに期待していた向きも少なからずいただけに、失望も大きかったようだ。
それに伴って、嘗てはあちこちで耳にした、「大河レルト」を口ずさむ声も、次第に聞かれなくなって来た。
支部の若造の間でも賭けの決着がついたとして、早々に茶房や酒場へ繰り出す手合いも出る始末だ。