支部へ戻り、門下生たちの修行する声が微かに響く中、経理氏に伝票を渡すべく書斎へ向かうと、目の前で突然乱暴に扉が開いた。
出て来たのはニコライだ。いつも穏やかな彼にしては珍しく仏頂面で、面食らって突っ立ってる俺には気付かぬまま、苛立たしげな大股で階段を上がって行った。
その様子を訝りつつ見送ってから中へ入ると、こちらではダフネがべそを掻いていて、ベルが頻りに宥めていた。
「おいおい何だよ、夫婦喧嘩か?」
少々茶化すような口調で言う俺に、ベルは苦笑しつつ目顔で窘めるが、ダフネは手の甲で涙を拭うと、いきなり俺の胸に縋り付いて来た。
「ランジャさんお願い、ニコライを止めて!」
「え? 止めるって、一体何を……?」
「ディエシーさんが、実動要員からニコライを外したの。そしたら彼、怒ってしまって抗議するって……」
「何だってまた……」
「判らない。理由を聞いても、『お前には判らないのか!』って……」
そんなの、俺だって判らない。奴の決定には正当な理由があるんだろうし、抗議も無下に撥ね付けるようなタマじゃないから、心配しなくたって彼もじき納得して戻って来るだろうよ。それに、喧嘩の仲裁なんて面倒臭いってのが正直なところだし。
だけど、細い小さな肩を震わせて俺にしがみついたまま、言葉を詰まらせ、大きな瞳を潤ませてるのを見ると、野郎としちゃ何やら絆されもする訳で。
ベルはベルで、彼女を優しく促して俺から引き離してくれたはいいが、自分の胸に抱き寄せて髪を撫でながら、少々困惑気味の表情で、「お願い」と更なる追い打ちを掛けてくれる。美少女の涙と美女の懇願なんて、最強タッグ組まれちゃ勝ち目無しだ。
くしゃくしゃ頭を掻きながらも、「ったく……」なんぞと溜息交じりに呟いて、半ばヤケクソ気味に二階へ向かった。
奴の部屋からは言い争う声が聞こえて来るでもなく、やけに静かだった。何やら拍子抜けしつつノックすると、「おう」といつもの返事が返って来る。
扉を開けると、奴はソファに脚を組んで座ったまま、仁王立ちのニコライと対峙していたが、俺が入って行くと、お構い無しに「お疲れ」と軽く手を挙げて見せた。
「取り敢えず、そこまで拘る訳を聞こうじゃねぇか」
奴は彼に視線を戻すと、背凭れに体を預けながら切り出す。
話の腰を折るのも何だし、暫くは見守っておくかと思い、こっちも腕組みをしながら壁に寄り掛かった。
「仇討ちです」
大きく息を吸ってから、押し殺すような声で静かに言った彼の言葉に、奴は「ほぉ」と身を乗り出す。
「誰の仇討ちだ? 隠し鉱山で死んだってぇ親友のか?」
「それもあります。が、あの暗君は父の、我が一族の仇でもあるのです」
「一族……。ってぇとお前さん、元は貴族か?」
「はい。父はベイテン領主として子爵位にあり、先王の御世では礼部卿を務めておりました」
「粛清、か……」
奴の呟きを受けて、彼は「左様」と深く頷く。
「我が父は、神都の乱で戦死したとされておりますが、トラビス閣下をはじめとして当時を知る騎士諸卿からは、謀殺であったとの証言も得ております。
事実、戦死であれば神都より賜る筈の栄誉も無く、我が一族は不当な理由で領地と爵位を召し上げられ、多くが没落して路頭に迷う事となりました。
当時の私は、従騎士の叙任を受けたばかりの若輩者である上に、他家への仕官を望むも、粛清が累に及ぶを恐れる者ばかりではそれも叶わず……。
ホルザレン会の門下に入ったのは、病身の母を養う為でした。その母も、既に……」
なるほど。子爵家の御曹司とあらば、その洗練された立ち居振る舞いにも合点がいく。事ある毎にベルと親しげにしていたのも、似通った境遇にある者同士だったからか。
奴もまた「なるほどね」と呟くように言いながら、再び背凭れに体を預けた。
「理由は判った。お前さんの気持ちも判る。だが、仇討ちは駄目だ」
何やら暢気な口調で言い放った奴の一言に、彼はすかさず「何故です?!」と咬み付く。
「王の仕打ちに一矢報いたいってな連中は、リノを筆頭にして他にも大勢いる。
ナーダルもそうだ。奴の娘が側女に取られようって時の、許婚との心中騒ぎはお前さんも知ってるとこだろう。
トラビスも然り。奴さんが誣告を受けて投獄されたのも一度や二度じゃねえ。だが、今度のは敵の首級をあげる類の戦じゃねぇんだ」
「しかし大親方は、玉座を殿下に献上する為の戦と……」
「だからこそ、だ」
腕組みをしながらにやりと笑って見せる奴に、彼は勢いを削がれた様子で、きょとんと小さな目を瞬く。
「王の首を獲って殿下を玉座に据えただけじゃ、手段は違えど、あの暗君の親父がやった事と何も代わりゃしねぇ。王位の正当性を担保する為にゃ、あの野郎に正式な譲位を宣言させにゃならん。
判るか? 群れの長になるにゃ、力だけじゃなく権威も必要だ。今の盆暗のまま神祖の血統で御座いなんぞと言ったところで、ついて来る奴なんぞいやしねぇ。厳しいようだがこれが現実さ。
それにな、あの暗君は取引材料なんだ。生け捕りにして神都へしょっ引いて行かにゃならん。あっさり殺してもらっちゃ困るのョ」
「取引……?」
「あぁ、奴に喰らい付いていいように操ってた寄生虫を、こっちへ引き渡してもらう約束なんでね。
悪いが、お前さんが作戦中に私怨で勝手な行動に出るようなら、俺はお前さんを斬らにゃならん」
奴が言いながら軽く首を振って見せると、金狼王の二つ名を思い出してか、彼は無言で両の拳を握り締めたまま固唾を飲み込んだ。
「誓えるか?」
暫しの沈黙の後、奴が試すような重い口調で訊くと、彼は何を思ったか唐突に抜剣した。だが奴は、咄嗟に身構えて剣把に手を掛けた俺を、真っ直ぐ彼を見据えたまま片手を挙げて制す。
二人の意図を汲めぬまま、警戒しつつも手を放す俺をよそに、彼は奴に剣を捧げて見せると、切っ先を下に持ち替えて静かに跪き、剣の柄の、恐らくは子爵家のものであろう紋章を押し戴きながら、そっと瞼を閉じた。
「神祖ティファレスと、亡父セルゲイの名に於いて」
一点の淀みも無く流麗な所作だ。騎士の修養ってのがどんなものなのかは、よそ者たる俺には知る由もないが、彼の技量の程を窺い知る事が出来たような気がする。
奴が感じ入ったかのように鷹揚に頷き、「いいだろう」と満足げに呟くと、彼もまた閉じていた瞼を開き、静かに立ち上がって剣を納める。
奴が「当日は頼んだぜ」と軽い調子で言いながら片手を挙げて見せると、「承知仕りました」と歯切れよく答え、改めて拝礼すると奴の元を離れた。
帰り際に、こちらへ向き直って俺にも会釈をしてくれた彼に、にやりと笑いつつ、
「カミさんを泣かすなよ」
と言ってやると、俄かに頬を染め、「面目無い」と、照れ臭そうにわしわし頭を掻きながら部屋を出て行った。
扉が閉まると、奴は俺と苦笑を見交わして肩を竦める。歩み寄って差向いに腰掛けると、テーブルの上には、城の平面図らしき大きな図面が拡げられていた。どうやら当日の作戦を立案中だったようだ。
「さっきの話、アレって、ひょっとして……」
「あぁ、御大からの要請でね。奴さん、宮廷を退いて久しいなんぞとぬかしちゃいたが、中々どうして、『個人的な知り合い』ってのが、まだまだあちこちに御健在だそうで……。
今回もその伝手で、王を餌に毒蛇を生け捕る腹積もりらしい。『卿にも利するところ大と存じますが』だとよ。カマ掛けてやがる」
「なるほどね」
「だが、その為にはこっちも豚の生け捕りに精を出さにゃならんがな。薬の方はどうよ?」
「細工は流々。フラム師に曰く、聖山には『石屋を剣として薬屋はその盾となれ』とのお達しなんだとさ」
「ほぉ。そいつは頼もしいな」
「だけど、あんなもの何に使うんだって首傾げてたぜ」
少しばかり呆れた口調で言ってやると、奴は丸で悪戯を思い付いた餓鬼のように、さも面白そうににやにやしながら組んだ脚をぶらぶらさせる。
「何、『雷神の御子』様の顕現を演出してやるのョ」
「はぁ?」
「さっきも言ったろ? あの盆暗王子が玉座に納まるにゃ箔付けが必要だって。で、兵たちには御神祖様の奇跡とやらを体験して貰おうと思ってな。まぁ、些か如何わしい手ではあるが……」
「理屈は判るけど……一体どうやって?」
腕組みをする俺に、奴は「それ」と言いながら目の前の図面に顎をしゃくって見せる。
「前庭にデカい樫の樹があるだろ?」
見れば、車寄せの前に植生を示す絵が描かれている。シンボル・ツリーといった風情で、確かにかなりの大樹なようだ。
「こいつに雷を降らせてくれ。ロネルセンの森でやったろ? あの要領で」
「えぇ? こいつをか? 石鏃程度じゃ厳しいぞ」
「嬢ちゃんに聞いたところ、幹が二股に分かれた間にデカい洞があるそうだ。そこに山猫の連中にでも頼んで、石を詰めといて貰おうかと思ってるんだが……どうだ?」
「まぁ、それなら何とか。日のある内ならFCSが使えるし」
「いや、夜襲だ。当日は恐らく月夜だろうから大丈夫だろ?」
「おいおい、気楽に言ってくれるなよ。こちとら暗視ツールなんぞ装備してないんだから」
思わず声を上げると、奴は「え? 無ぇのかよ」と心底意外そうに目を丸くする。
「マウロの時も、ロネルセンの時も、百発百中だったじゃねぇかよ」
「マウロは外したさ。幸いね。ロネルセンの時はマグレだ。いや、御神祖様の御加護って奴かな」
「さすが、女神ティファレスを誑し込んだ男だけはあるな」
言いながらにやりと意味深に笑われると、咄嗟に「誰がだよ」と苦笑で返す。
「ま、何とかなるだろ。今度のは的もデカいしな」
なんぞと 軽い調子で言ってのける奴に、「しょうがねぇな」と舌打ちする。
「あと、もうちょっと我儘を言わせてもらうなら……」
呟きながら組んでいた脚を解いて図面を覗き込むと、奴は顎の無精髭をちりちり掻く。
「城の照明、全部消せねぇかな。出来れば真っ暗闇にしてぇんだが……」
「全部……って。無茶言うなよ。暗闇での射撃だけでも無茶だってのに」
「恐怖心を煽るにゃ暗闇が一番なんだ。例の石鏃でパラメータの上書きってのは出来ねぇか?」
「やってやれないことはないけど……誰にも見つからずに城中消して回れなんて言ったら、夜が明けちまうぜ」
そう言って肩を竦めて見せると、奴は「うーん」と唸りながら、図面を睨んだまま再び腕組みをする。
俺も悪態はついてみたものの、何か妙案はないかと共に覗き込むけど、そう簡単に思いつくようなものでもない。
硬直した重たい空気の中、時計の振り子の音ばかりが耳につくようになった頃、唐突にノックが響いた。
奴が顔を上げて応えると、「失礼します」の声と共に入って来たのは二人の書生だった。
彼らは軽く会釈をすると、押して来た台車に載せた木箱から精霊石を取り出し、バケツの中で輝く種石で一つずつ発動させては、部屋中の照明器具を回って小さくなった石と交換して行く。
日に四度の何気ない日課の風景だったが、手際よく立ち働く二人が、最後に脚立を使ってシャンデリアの石を交換しているのを目にした時、これだ! と閃いた。
「失礼しました」と丁寧な挨拶と共に部屋を辞する二人に、「ご苦労さん」と見送った奴もまた、俺と顔を見合わせてにやりと笑う。
「種石!」
互いを指差しながら発した言葉は、奇しくも同じ単語だった。